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2014年8月30日土曜日

イスラエルが作るビジネスチャンス

イスラエルのガザにおける殺戮は、ウクライナ問題のためか停戦が実現しそうになった途端に忘れられたようになった。

たまたま見ていたドイツはシュピーゲル誌の英語サイトに、イスラエルの軍事産業についての記事があった。イスラエルでは他国に類を見ない程に軍事産業に資金が投入されていて、研究開発は企業と軍・政府が一体になって進められている。その結果、ハイテク兵器のグローバルな輸出で大もうけしている。自動車や飛行機でこれから開拓できる新領域に比べ、軍事分野ではまだまだ広領域で新基軸が打ち出せるとのこと。世界最大の武器輸出国米国の1人当たりの輸出額90ドルに対して、イスラエルのそれは300ドル。IWI(Israel Weapon Industry)は、その製品の9割が輸出向けだそうだ。そして試作品や製品の実用試験の場所は、他の輸出国がうらやむほどの近く、隣国でしかも絶えず提供されている。

ここに安倍政権が「包括的パートナーシップ」協定なるものをネタニヤフと結んだ理由があるし、その初めの方に軍事面での関係強化がまず記されている(*)理由があるのだろう。

既にガザ攻撃に用いられた誘導ミサイルにはソニーのカメラと誘導装置が使われていることが判明している。

今回のガザ攻撃では、境界の高台でピクニックして爆撃の様子を眺めて「当たり!」と叫び、記念撮影するイスラエルの人たちがいたそうだ。そのうち、日本からも「ハイテク兵器の仕事ぶりを見よう! イスラエルで積極的平和主義ツアー」なんて「観光旅行」が組まれるようになるかもしれない


「双方は,日本の国家安全保障局とイスラエルの国家安全保障会議間の意見交換の開始を歓迎し,イスラエルで次回会合を実施することを確認した。
双方は,サイバーセキュリティに関する協力の必要性を確認し,両国の関係機関間で対話を行うことへの期待を表明した。
双方は,両国の防衛協力の重要性を確認し,閣僚級を含む両国の防衛当局間の交流拡大で一致した。双方は,自衛隊幹部のイスラエル訪問で一致した。 

2014年8月19日火曜日

読書記録 14年春

しばらくブログから離れていた間に読んで面白かった本を、忘れないうちに記しておく。

マイケル・ドブズ(訳・三浦元博)『ヤルタからヒロシマへ 終戦と冷戦の覇権争い』2013年、白水社

原題は、Six Months in 1945,  FDR, STALIN, CHURCHILL, and TRUMAN - From World War to Cold War,(Alfred A. Knopf, 2012)45年2月のヤルタ会談からソ連の対日参戦までの米英ソ3国首脳の駆け引き、そしてヨーロッパ戦線の様子を描いたノンフィクションだ。

ヤルタでの豪勢な夕食の様子、3年以上休みなしに戦ってドイツに入ってきたソ連軍兵士たちの粗末な衣服と悪臭、棚ぼた大統領トルーマンのいじましい頑張りぶり、等々。ほとんどが史料的裏付けをもって描かれているだけに、戦争に関わるノンフィクションでありながら並の歴史小説の類いより生き生きとしていて実に面白い。

僕は、気にかかることに出会う度にサイトを検索したり、またYouTubeで当時のニュース映画などを見て国務長官バーンズがトルーマンよりもでかい面をしようとしている様子やら、モスクワの戦勝軍事パレードがその後の「伝統」となる大イベントであった様子を確かめて愉しんだ。


第2次大戦関係の気晴らしで読んだ本。『ナチを欺いた死体』は、米英軍のシチリア上陸作戦(43年7月)の欺瞞作戦であるミンスミート作戦についての、『英国二重スパイ・システム』は、ノルマンディー上陸作戦(44年6月)の欺瞞作戦で英国の二重スパイ(ダブルクロス)の一癖も二癖もあるメンバーが果たした役割についてのノンフィクション。

これまた裏付けがしっかりしていて面白い。特に前者は死体に偽情報をもたせこれを掴ませる作戦だけの裏話なので、まとまりも良く、ユーモラスな筆致に「優雅な40年代の英国」が愉しめる。

後者は登場する二重スパイの一人一人がその英独双方の担当者の思惑にとらわれずぶっ飛んで「勝手」に動くさまが何とも面白い。言いなりに動いていたら命が危なくなりかねないのだから当然か。こうした個々のスパイの活躍は面白いが、しかし作戦全体との関連にまとまりがなく、気晴らし本としては前著に劣る。


ワシーリー・グロスマン(齋藤紘一訳)『万物は流転する』2013年、みすず書房

集団化による30年代のウクライナの大飢餓、37年に頂点を迎える粛清の断面を鮮やかに描いた上で、これをもたらしたソビエト体制の起源をスターリンだけでなく十月革命(クーデタというべきか)をも遡って探っていく。小説の形をとってはいるが、あの『人生と運命』の理論編というべき作品

チェルヌイシェフスキーのあの『何をなすべきか』が好きだったというレーニンのリゴリズム、論争といっても相手との応答によってではなく、論敵を人びとの前で馬鹿にし罵倒することによって「論破」する手法、そして寛容のなさ! 若い頃レーニンを読んでいて僕が何とも嫌だった点が静かに指摘されている。50年代のソ連でここまで言ってしまうことは殆ど死を意味しただろう。しかし、あの国にはそれだけの勇気をもった知性があったわけだ。

日本では72年に現代ロシヤ抵抗文集(勁草書房)の1冊として訳されていたという。知らなかった。現存した社会主義がもっていた問題については、左翼の間でさまざまな反省や総括がなされているようだ。だが残念ながら、日本語で書かれたもので、生身の庶民の自由と尊厳を正面に据えて検証し考察したものを僕はまだ知らない。

沢登り

久しぶりに連絡がとれた高校時代の友人と、丹沢は葛葉川の沢登りをした。実に楽しかった。長年の念願がかなったということもある。何よりも岩の間を水が流れる谷の景観のおもしろさと美しさ、そして山道を歩くのとは違ったスリルに魅了された。


かつて山登りをしている途中で沢に出会うと、「あそこを登って行ったらどうなるだろう」などと思うことがしばしば
あった。どうしてこの歳になるまで沢の遡行に挑戦しなかったのかと首を傾げる。山を歩いている暇があるなら勉強しろといったつまらぬ禁欲主義があったのだろう。禁欲も過ぎたせいか勉強も大して捗ったわけではなかった。


登った他には初級入門クラスのゲレンデだそうだ。少々狭い谷ではあったが、人工物も少なく気持ちがよかった。

スパッツは着けたものの、川歩き用の靴ではなく普通の軽登山靴で登った。普段だったらまずは登ろうとしないような岩に這いつくばり、「見つかったら叱られる悪いこと」をしているような楽しさにひたった。いささか危なっかしいことだったかもしれない。「また中高年、無謀な沢登りで事故」なんてことになっても不思議ではなかったのだろう。今度は靴を整えて行こう。

2014年8月4日月曜日

ガザを見殺しにする「積極的平和主義」

自衛のためと称し際限なく人びとを殺傷し、無差別に生活基盤を破壊することができる、そうしなければ存続できない国家は、そもそも存在する正当性があるのだろうか? 今回のイスラエルによるガザ攻撃は、このイスラエルという国の存立の正当性を、多くの人びとにその根底から疑わせるものになっていると思う。

ところで先の3月、我が日本国が武器輸出禁止3原則を「防衛装備移転三原則」に変えた後はじめて武器輸出が可能になったと最初に判断された国がイスラエルであり、5月に来日したネタニアフとの間で安倍は包括的パートナーシップを結んでいた。

そんなことがあるためだろうか、この国の全国メディアはイスラエル軍によるガザにおける人びとの殺害と破壊を、「イスラム原理主義」のテロ組織とイスラエル軍との戦闘の巻き添えであるかのように描き続けている。イスラエルの最大の支援国である米国は、この攻撃の最中にもイスラエルに武器弾薬を供給し続け、各方面から非難を浴びているが、そのアメリカの大手メディアよりも質が悪い。

エジプトの反イスラム軍事政権(当然に反ハマス)に仲介に立てて停戦をはかるような米国政府や、それよりも強いイニシアチブを発揮できない国連すらも認め、非難しているイスラエル軍による市民殺害をガザの破壊を正面から報じることができていない。つまるところは、米国の軍需産業が潤っているビジネス・チャンスをこれからはウチも是非!ということなのか。まことに「積極的平和主義」とはよくぞ言ったものである。