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2014年11月23日日曜日

研修中は850円!

総選挙では、アベノミクスという大企業・株主優遇政策や、原発再稼働、集団的自衛権行使、辺野古押付けは争点になっても、賃金や社会保障は争点になっていない。そんなことに苛ついているからだろうか、近所を散歩していて出くわしたアルバイト募集の広告に驚いた。

このての手書き広告にしては文字やイラストの配置も良く、内容も実に分かりやすく簡潔にし記されている。丸めの文字もレタリングを練習したかのようにしっかり書かれている。これだけきちんと書かれていれば、さぞやしっかりしたお店なのだろうと感じさせる程にうまい。手書き広告の見本といってもよい。

そしてこの中に「研修中は¥850」とあるのだ。東京都の最低賃金は888円である。最低賃金が問題になるとは、はなから思ってもいないのだろうか。実に堂々たるあっけらかんとした書きっぷりだ。

どことなく女性が作ったと思われる掲示の中には、下手な字で「女性のみ」との追記もある。おそらく均等法を忌々しく思っているオトコが、「男性のみ」としていないのだから良いだろうという程度の感じ方で書き足したものだろう。

「外国の方不可」とあるのもいただけない。労働基準法第3条には、使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない」とある。「外国の方」なる言葉が国籍の如何を指すものでないとしても、この国では、日本の国籍をもっていても「日本人風」の通称をもっていないと日本人とは看做されなかったり、アメリカ国籍をとってもノーベル賞をとれば日本生まれなら日本人だったりして、「外国の方」のレッテルは様々な差別に使われている。

こんな求人広告が当り前のようにおしゃれに張り出されている光景には驚く。僕の世間知らずの度合いが亢進したのだろうか。

2014年11月19日水曜日

MBC Freedom


ソウルに行った人から、一昨年2012年の韓国MBCテレビのストライキの「プロモーション・ビデオ」を教えてもらった。これまた感動ものだった。ときどき面白いものが載る Global Voices のサイトに出ていたのが見逃していた。

そういえば、この春の台北での太陽花學運の国会占拠も実に感動的だった。

こうしたものを見た人の中からは必ず「なぜ日本ではできないのか?」という声がおこる。これに加えて、僕の世代からは、「もっと日本の若者はしっかりしないと!」などという悲憤慷慨や説教が飛び出したりもする。

しかし、公共の場(つまり民の場所)における民衆の表現に対して「お上」というオホヤケによる野放図な規制がはびこっていったのも、また一旦捕まったら合法的に3週間以上もぶちこんでおける人質司法と呼ばれるような身柄拘束があたかも原則化していったのも、僕らの世代が”現役“であった時期ではなかったか。こんな悪法やひどい法運用を打破する苦労は、「今どきの若いもの」に押付けるようなことではなく、現役時代のしがらみに囚われずにすむようになくなった団塊の世代がまず率先して引受けることではないかと思ったりする。、、、ジジババよ、身体を鍛えておけ、、、か?


2014年11月18日火曜日

Triple down, not trickle-down

7〜9月期のGDPが年率でマイナス1.6%になったのを、世のエコノミストと称する「識者」たちの殆どは予想外だったと言っているらしい。大体、街を歩いていればマイナスになることは分かりそうなものだが、予想外だったという彼らは一体何を見ていたのか今更ながらに呆れる。ノーベル経済学賞なんてものができた頃から経済学は<上から目線>の傾向を強めていた感じがする。

この国のエコノミストなる連中は、「企業が世界で一番活躍しやすい国にする」という安倍政権のなりふり構わない経済政策をアベノミクスなどと称して持ち上げてきた。そして、庶民の生活もトリクルダウンで上向きになるなどと言ってきていたのだから、彼らはこの期に及んでは「予想外だった」と嘯くしかないのかもしれない。しかし、現実は賃金の実質減であり、日本企業の大部分をしめる中小企業の売上げ減、内需の大幅減である。『日経』はやっきになって取り繕っているが、海外の有力紙は日本が景気後退局面に入ったと報じている。

エコノミスト連中にはグローバル企業や金融取引からのトリクルダウンの他に庶民生活を上向きにする途は考えられないのかもしれない。としたら、そうした上から目線の発想そのものが打ち破られないことにはどうにもならないのではないだろうか。


2014年9月1日月曜日

総社古墳群

月末に群馬に出かけた際に、前橋市北にある総社古墳群を見てきた。



本来の目的地へのルートに迷って地図をみているとナビではありません)何やらマークがついているのに気づいた。折角近くに来たのだからとついでに立ち寄ってみた。

埼玉に住んでいた時に見て回った古墳(例えば埼玉古墳群)よりも僕には面白かった。



公民館の駐車場にクルマを停め、まず赴いた宝塔山古墳で腰を抜かした。高さはあるが、面白みのない方墳だとたかをくくって南側に回ってみると、何と立派な石室の入口がある。しかも玄室まで人が立って入ることができるのだ。石室入口の石組みも、羨道もきれいに加工された大きな石がみごとに組まれている。天井は、大きな一枚石が両壁にかぶさって作られている。


置かれている石棺*も、懐中電灯をもってきていなかったので、よく見えなかったがどっしりと迫力がある。
帰宅後調べたらレプリカとのこと

中学から高校の頃に何度か大和政権の古墳を見た。その時も感動した。その後、50歳過ぎでエトルリアやローマの遺跡を見て回ったりもした。それでも感動した。7世紀のものらしいが、日本列島にはこれだけの技術はなかったと思い込んでいたからかもしれない(このナショナリスト奴!)。


これに気を良くして愛宕山古墳へ廻ってみた。ここも石室が開いている。しかし、近づくと蚊の大群が襲ってきた。入口も狭く、懐中電灯も持ってきていないのだからと退散。涼しくなったら紅葉狩りついでに再挑戦してみよう。

最後に見た二子山古墳は、大きく立派な前方後円墳であるが、つまらない。石室も塞がれていた。

 公民館南にある蛇穴山古墳は、高さもなく小さそうだった。この偏見からパスした。帰宅後調べてみたところ、ここにも石室が開かれていた。残念。

「観光立国」キャンペーンであほな観光スポットが雨後のキノコ(筍ではありません)のように各地に生まれているが、現にあるものを観光の観点から見直すことは遅れている。おそらく観光観の貧困、つまりは文化と旅行経験の貧困のためか。

この古墳群はまだ当分は観光スポットにならないかもしれない。行って見るなら今のうち。






2014年8月30日土曜日

イスラエルが作るビジネスチャンス

イスラエルのガザにおける殺戮は、ウクライナ問題のためか停戦が実現しそうになった途端に忘れられたようになった。

たまたま見ていたドイツはシュピーゲル誌の英語サイトに、イスラエルの軍事産業についての記事があった。イスラエルでは他国に類を見ない程に軍事産業に資金が投入されていて、研究開発は企業と軍・政府が一体になって進められている。その結果、ハイテク兵器のグローバルな輸出で大もうけしている。自動車や飛行機でこれから開拓できる新領域に比べ、軍事分野ではまだまだ広領域で新基軸が打ち出せるとのこと。世界最大の武器輸出国米国の1人当たりの輸出額90ドルに対して、イスラエルのそれは300ドル。IWI(Israel Weapon Industry)は、その製品の9割が輸出向けだそうだ。そして試作品や製品の実用試験の場所は、他の輸出国がうらやむほどの近く、隣国でしかも絶えず提供されている。

ここに安倍政権が「包括的パートナーシップ」協定なるものをネタニヤフと結んだ理由があるし、その初めの方に軍事面での関係強化がまず記されている(*)理由があるのだろう。

既にガザ攻撃に用いられた誘導ミサイルにはソニーのカメラと誘導装置が使われていることが判明している。

今回のガザ攻撃では、境界の高台でピクニックして爆撃の様子を眺めて「当たり!」と叫び、記念撮影するイスラエルの人たちがいたそうだ。そのうち、日本からも「ハイテク兵器の仕事ぶりを見よう! イスラエルで積極的平和主義ツアー」なんて「観光旅行」が組まれるようになるかもしれない


「双方は,日本の国家安全保障局とイスラエルの国家安全保障会議間の意見交換の開始を歓迎し,イスラエルで次回会合を実施することを確認した。
双方は,サイバーセキュリティに関する協力の必要性を確認し,両国の関係機関間で対話を行うことへの期待を表明した。
双方は,両国の防衛協力の重要性を確認し,閣僚級を含む両国の防衛当局間の交流拡大で一致した。双方は,自衛隊幹部のイスラエル訪問で一致した。 

2014年8月19日火曜日

読書記録 14年春

しばらくブログから離れていた間に読んで面白かった本を、忘れないうちに記しておく。

マイケル・ドブズ(訳・三浦元博)『ヤルタからヒロシマへ 終戦と冷戦の覇権争い』2013年、白水社

原題は、Six Months in 1945,  FDR, STALIN, CHURCHILL, and TRUMAN - From World War to Cold War,(Alfred A. Knopf, 2012)45年2月のヤルタ会談からソ連の対日参戦までの米英ソ3国首脳の駆け引き、そしてヨーロッパ戦線の様子を描いたノンフィクションだ。

ヤルタでの豪勢な夕食の様子、3年以上休みなしに戦ってドイツに入ってきたソ連軍兵士たちの粗末な衣服と悪臭、棚ぼた大統領トルーマンのいじましい頑張りぶり、等々。ほとんどが史料的裏付けをもって描かれているだけに、戦争に関わるノンフィクションでありながら並の歴史小説の類いより生き生きとしていて実に面白い。

僕は、気にかかることに出会う度にサイトを検索したり、またYouTubeで当時のニュース映画などを見て国務長官バーンズがトルーマンよりもでかい面をしようとしている様子やら、モスクワの戦勝軍事パレードがその後の「伝統」となる大イベントであった様子を確かめて愉しんだ。


第2次大戦関係の気晴らしで読んだ本。『ナチを欺いた死体』は、米英軍のシチリア上陸作戦(43年7月)の欺瞞作戦であるミンスミート作戦についての、『英国二重スパイ・システム』は、ノルマンディー上陸作戦(44年6月)の欺瞞作戦で英国の二重スパイ(ダブルクロス)の一癖も二癖もあるメンバーが果たした役割についてのノンフィクション。

これまた裏付けがしっかりしていて面白い。特に前者は死体に偽情報をもたせこれを掴ませる作戦だけの裏話なので、まとまりも良く、ユーモラスな筆致に「優雅な40年代の英国」が愉しめる。

後者は登場する二重スパイの一人一人がその英独双方の担当者の思惑にとらわれずぶっ飛んで「勝手」に動くさまが何とも面白い。言いなりに動いていたら命が危なくなりかねないのだから当然か。こうした個々のスパイの活躍は面白いが、しかし作戦全体との関連にまとまりがなく、気晴らし本としては前著に劣る。


ワシーリー・グロスマン(齋藤紘一訳)『万物は流転する』2013年、みすず書房

集団化による30年代のウクライナの大飢餓、37年に頂点を迎える粛清の断面を鮮やかに描いた上で、これをもたらしたソビエト体制の起源をスターリンだけでなく十月革命(クーデタというべきか)をも遡って探っていく。小説の形をとってはいるが、あの『人生と運命』の理論編というべき作品

チェルヌイシェフスキーのあの『何をなすべきか』が好きだったというレーニンのリゴリズム、論争といっても相手との応答によってではなく、論敵を人びとの前で馬鹿にし罵倒することによって「論破」する手法、そして寛容のなさ! 若い頃レーニンを読んでいて僕が何とも嫌だった点が静かに指摘されている。50年代のソ連でここまで言ってしまうことは殆ど死を意味しただろう。しかし、あの国にはそれだけの勇気をもった知性があったわけだ。

日本では72年に現代ロシヤ抵抗文集(勁草書房)の1冊として訳されていたという。知らなかった。現存した社会主義がもっていた問題については、左翼の間でさまざまな反省や総括がなされているようだ。だが残念ながら、日本語で書かれたもので、生身の庶民の自由と尊厳を正面に据えて検証し考察したものを僕はまだ知らない。

沢登り

久しぶりに連絡がとれた高校時代の友人と、丹沢は葛葉川の沢登りをした。実に楽しかった。長年の念願がかなったということもある。何よりも岩の間を水が流れる谷の景観のおもしろさと美しさ、そして山道を歩くのとは違ったスリルに魅了された。


かつて山登りをしている途中で沢に出会うと、「あそこを登って行ったらどうなるだろう」などと思うことがしばしば
あった。どうしてこの歳になるまで沢の遡行に挑戦しなかったのかと首を傾げる。山を歩いている暇があるなら勉強しろといったつまらぬ禁欲主義があったのだろう。禁欲も過ぎたせいか勉強も大して捗ったわけではなかった。


登った他には初級入門クラスのゲレンデだそうだ。少々狭い谷ではあったが、人工物も少なく気持ちがよかった。

スパッツは着けたものの、川歩き用の靴ではなく普通の軽登山靴で登った。普段だったらまずは登ろうとしないような岩に這いつくばり、「見つかったら叱られる悪いこと」をしているような楽しさにひたった。いささか危なっかしいことだったかもしれない。「また中高年、無謀な沢登りで事故」なんてことになっても不思議ではなかったのだろう。今度は靴を整えて行こう。

2014年8月4日月曜日

ガザを見殺しにする「積極的平和主義」

自衛のためと称し際限なく人びとを殺傷し、無差別に生活基盤を破壊することができる、そうしなければ存続できない国家は、そもそも存在する正当性があるのだろうか? 今回のイスラエルによるガザ攻撃は、このイスラエルという国の存立の正当性を、多くの人びとにその根底から疑わせるものになっていると思う。

ところで先の3月、我が日本国が武器輸出禁止3原則を「防衛装備移転三原則」に変えた後はじめて武器輸出が可能になったと最初に判断された国がイスラエルであり、5月に来日したネタニアフとの間で安倍は包括的パートナーシップを結んでいた。

そんなことがあるためだろうか、この国の全国メディアはイスラエル軍によるガザにおける人びとの殺害と破壊を、「イスラム原理主義」のテロ組織とイスラエル軍との戦闘の巻き添えであるかのように描き続けている。イスラエルの最大の支援国である米国は、この攻撃の最中にもイスラエルに武器弾薬を供給し続け、各方面から非難を浴びているが、そのアメリカの大手メディアよりも質が悪い。

エジプトの反イスラム軍事政権(当然に反ハマス)に仲介に立てて停戦をはかるような米国政府や、それよりも強いイニシアチブを発揮できない国連すらも認め、非難しているイスラエル軍による市民殺害をガザの破壊を正面から報じることができていない。つまるところは、米国の軍需産業が潤っているビジネス・チャンスをこれからはウチも是非!ということなのか。まことに「積極的平和主義」とはよくぞ言ったものである。


2014年5月26日月曜日

再開

担当してきたゼミの卒業生たちが退職を祝って集まってくれた。教師冥利に尽きるとはこのことと思われる至福の時を過ごした。ありがたい。

どこか幼さを残していた学生時代の可愛い顔がどの人もすっかり様変わりして、実に豊かな顔つきになっている。更に感動したのは、スピーチの際に一人ひとりが強い目線を僕に向けながら、それぞれの言葉で、しかし簡潔明瞭に卒業後の生活や仕事、そして僕との関わりについて語ってくれたことだ。

人からある側面、ある要素を取り出し、それを比べることは傲慢で愚かしいことだろう。しかし、ついあの年齢で自分はあのように成熟していただろうかと思ってしまう。そして、そんな自分が教師としてこの人たちと接してきたことを想い出し、冷や汗がでた。

とはいえ、「自分を越えていく人間を育てられなかったら教師とはいえない」といった言葉があるではないか。勿論、卒業生たちの現在の充実した姿は、かつてのゼミでの僕の「ご指導」だけの賜物ではない。しかし、卒業後何年もたってからわざわざ集まる口実になるくらいの役割は果たしてきたのだろう。とすればこの程度の自己満足は許されると思うことにした。


このブログは担当する授業に出てくる学生向けのものだった。授業で不定期に出していた学生向け「通信」の印刷が面倒になってブログにしたのだ。しかし、学生との距離が拡がるなかで、読者に学生を想定することはできなくなり、知り合った人への自己紹介、友人への近況報告のようなものになっていった。

中には憲法など社会問題についてのメッセージがあるのだから、匿名ではなく筆者の身元を明らかにして発信すべきという批判もいただいた。今この国ではゴロツキ政治屋たちがなりふりも構わないかのように暴れ出しているのだから、これまで僕がとぼとぼと進んできた社会的・政治的行動とのつながりからも、確かにここで黙している訳にはいかない。

他方、歳をとって人との付き合いが狭まって行くのは困る。お付き合いを拡げ、続けるには自分自身から諸々を出して行かなければならない。現在の、そしてこれから出会うかもしれない友人に向けて、あるいは欲している友情を勝手に想像しながら、生活の中で感じたことを気軽に書きたいとも思う。そこで憲法に関わる発信は、別のブログを作って実名で行なうこととし、このブログは匿名のままで続けようと思う。


2014年2月5日水曜日

トノ細川の反原発


「このままでは反原発派が負けてしまう。細川に一本化しろ」という声がやかましい。
なるほど「原発」は都知事選の大事な争点だ。しかし、この選挙は原発をどうするかだけに限った住民投票ではない。原発だけを知事選の争点として他の問題に目をつぶれというのは無理というものである。
原発(再稼働)についての世論調査では、反対する人が過半数だとしても、それだけで知事選で多数派を作って反原発の候補者を当選させることはできる筈はない。

2日段階での有権者の関心は、『朝日新聞』によると、「景気や雇用」30%、「医療や福祉」25%、「原発やエネルギー」14%、「教育や子育て」14%、「防災対策」8%、「オリンピックへの取り組み」5%のにむけられている。『毎日新聞』では、30.6%が「景気と雇用」(前回23.0%)を挙げ、27.3%が「少子高齢化や福祉」(同26.8%)、14.7%が「原発・エネルギー問題」(同18.5%)とある。

多くの都民にとって、原発よりも「雇用」、「福祉」や子育て問題が切実な問題になっている。これをけしからんと言って、原発だけを争点にしろというのも無理というものである。



細川はというと、「防災、福祉などはどなたが知事になっても変わらない」とか(30日・日テレ討論会)、「福祉とか、防災とか、雇用とか、そうした問題は誰がトップでもあまり変わらない」(1日・ネット番組)、「子育てや介護などの問題は、原発の問題と比べれば金で解決できるものだ」(2日、銀座演説)といった調子である。
では細川の原発以外の政策は舛添とも宇都宮とも変わらない(!)というのか? 想像もつかないので彼の公式サイト「東京・殿様.comを見ると、「子どもと高齢者にやさしい先見的都市モデル」なる政策項目では、何と国家戦略特区を活用すると明言されている。国家戦略特区とは、安倍政権の言葉では「世界で一番ビジネスのしやすい環境つくり」をめざす「大胆な規制改革実現の突破口」に他ならない。例えばそこでは、労働規制に関して、ジョブ型正社員の雇用ルールの整理、企画業務型裁量労働制、フレックスタイム制の見直しなど、ブラックな働き方を制度化することが公然と狙われている。

国家戦略特区を活用し、同一労働同一賃金の実現を目指すとともに、ハローワークは、国から都へ移管し、民間の職業紹介とも合わせてきめ細かな就業支援を実現します。また医療、介護、保育、教育などの都民生活に密接に関係する既得権のしがらみを断ち、国ができなかった思い切った改革を進めます。それぞれの分野で、新しいサービスの創出と産業としての発展につなげます。

ハローワークの都への移管、民間職業紹介とのタイアップとは、ハローワークの求人情報を人材ビジネス会社に渡し、企業のリストラを支援するいわゆる労働移動支援策に棹さすものに他ならない。
「医療、介護、保育、教育など」を「新しいサービスの創出と産業としての発展につなげる」とは、これまで東京都が責任を負ってきた公共サービスを民間企業の儲けの対象にする(市場化)ことに他ならない。子育ての困難の社会的ネックとして注目されている保育所不足問題では、民間参入が、保育士の労働条件を劣悪化し、子どもたちひどい環境にぶち込んでいることが社会問題化している。それを学校教育についてまで、「既得権のしがらみを断って」公設民営学校を進めるというのだ。

あの元祖「規制改革」の小泉に押されての立候補であったのだから殿ご本人は「どなたがやっても変わりない」程度の認識しかなく、「余は承知していない」ことなのかもしれない。そこで立候補前後まで遡って調べると、細川は告示前日22日の記者会見で、「国でも都でもできなかったこともたくさんある。岩盤規制といわれる、各種既得権に阻まれてきた医療、介護、子育て、教育などの規制改革を強力に進めていきたい」とし、これが「私の最も期待されるところ」とまで言い切っている。
意味が分からなかったり、重要ではないけれど手下に言われておまけで掲げている政策ではないのだ。

2日銀座街頭演説で舛添は、「『国家戦略特区』で東京から経済を立て直す」と言い、安倍は「世界の都市間競争に勝ち、『国家戦略特区』を進めるのは舛添さんだ」と持ち上げた。しかし、この規制緩和の強化・再稼働については細川も舛添と変わらないどころか、舛添の上を行こうとしているくらいなのだから、安倍は細川に挨拶くらいしてもよいところだ。
このことに目をつぶって「脱原発の一点で一致しないのはおかしい」と宇都宮支持を切り崩そうとするのはおかしい。
宇都宮の原発以外の政策には賛成だというのなら、宇都宮票を回せとアシを引っ張るのではなく、舛添票を切り崩すためにこそ努力すべきだろう。宇都宮票が細川票に変わったところで、反原発票の総数が増えるわけではない。
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昨日この内容で文章を書いた。ところがアップした筈のものが消えて、下書きメモが出てしまった。そこで書直した。
東電前アクション!」という反原発運動のグループからまともなアピールが出された。宇都宮「選対」からは、「脱原発都知事候補に統一を呼びかける会」からの申入書に対する回答が示された。そして、今日の時点で『東京新聞』に宇都宮が舛添に続き2位につけているとの報があった。