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2013年12月15日日曜日

北朝鮮危機

金正恩 Kim Jong-un は凄い。No.2を粛正したと思ったら、さっさと殺してしまった。北朝鮮は文字通りの破綻国家として、「いつ潰れても不思議ではない」と言われるようになって何と20年以上も潰れないできた。しかし、今度こそは10年以内崩壊のカウントダウンが始まったのではないだろうか。

北朝鮮の人口は韓国の半分だが、一人当たりのGDPは10分の1以下だろう。ドイツ統一の時、東ドイツの一人当たりのGDPは西の約40%、人口は3分の1以下だった。それでも東西統一後20年以上たった今も、厳しい格差が問題になっている。

朝鮮・韓国の人たちにとって統一が悲願であり続けていることには変わりはないだろう。しかし、韓国では「今すぐの統一」には躊躇う人が増えているという。もう少し北の経済状況が良くなってから、と思うのは当り前のことだ。レアメタルを含む北の豊富な資源や安い労働力によだれをたらしている中国、米国、ロシアも、今のような破綻国家状態で潰れてしまったらトンデモナイことになるのは十分に分かっている。

「惚けてやる」といって子どもを脅す親は見放すこともできるかもしれない。しかし、政権や国家が潰れれば必ず出てくる大量難民(シリアの人口は北朝鮮より少ない)、そしてかなりの確度で起こるであろう内戦は放っておくわけにはいかない。93年「北朝鮮危機」の際に米国が軍事攻撃を控えたのは、日本の後方支援体制ができていないことや、攻撃すれば北朝鮮の反撃でソウルが火の海になるからだった等と言われるが、それだけが原因ではないかもしれない。

だからこそ、独裁政権の下での経済発展を促す手だてとして、経済特区の後押し、中国に見られるような一党独裁の下での市場経済導入が、もっとも実際的な方途と思われてきたのだろう。そしてその窓口を一手に担ってきた張成沢 Chang Song-thaek が切られた今度の粛正は、警戒信号が点滅し始めたような事態だと思う。

既にこの9月にランド研究所は、北朝鮮崩壊に備え、作戦計画などを大至急に準備すべきとの報告を出したようだ。政権や国家が崩壊すれば、中国軍と韓国・アメリカの合同軍が北に入り、両軍が対峙して第二次朝鮮戦争になりかねない状況が生まれうる等と予想しているようだ。また北には少量とはいえ核爆弾がある。

平和ボケしたこの国の政権担当者は、核実験だのミサイル発射だのに興奮し、ワシントンのお墨付きのもとで「北朝鮮は危険」と喚いている。注目すべき点を誤っているとしか言えない。

そんなとき、週1回になってしまった授業のために大学へ行った。構内を歩いていると、コゲラがシジュウカラと一緒に飛び交っているのを見つけ幸せになった。コゲラは沿海州から朝鮮半島、樺太、日本列島など東アジアの限られた地域に生息しているという。その地域に暮らす人々の幸せを改めて思った(なんか明仁みたいだなぁ)

2013年12月6日金曜日

自由への長い道

ネルソン・マンデラが亡くなった。
現存する政治家のうちでもっとも尊敬できる人だった。大きな穴が空いてしまった。

危篤が伝えられてから数ヶ月あったためだろう、世界各地のメディアの特別報道も充実している。各国政府のメッセージも早い。自由と民主主義の「価値観を共有する」と称するこの「美しい国」の首相の談話と、いがみ合っている隣の一党独裁大国の元首弔電とはどこか似通っている。

かつてマーガレット・サッチャーは、マンデラをテロリスト呼ばわりしていた。それから4半世紀経った今、わが「美しい国」では、テロリストなどから国家秘密を守るためと称する法律が、ろくに審議もされないまま、世論の過半の反対を押し切って、憲法上の正当性怪しい議会の多数派によって成立しようとしている。

マンデラは27年間投獄されていた。これからこの国の民衆は何年間「秘密保護」という牢獄に閉じ込められるのだろうか。

2013年11月1日金曜日

政治利用の政治利用

大体、招かれたからといってノコノコ出て行くことからしてどうかしている。加えて天皇に手紙。天皇は政治権限、何らかの政治的アクションをとることが正当にできる存在だと思っていたのだろうか。利用できるものなら利用しようという程度の感覚か。当選したのだから少しは憲法の勉強くらいしたらどうか。
失礼にあたるかもしれないけど、ルール的には禁じられていない」などと言っているらしいから、問題のありかが全く分かっていない。ルールとか「皇室へのマナー」の問題ではない。そもそも園遊会なるものに憲法上の明文の根拠はない。根拠もあやしい「公的行為」の一つ等と称して正当化する説が多数といったところだろう。しかし、「公的行為」なるものが政治利用の場になっている現実をまともに否定できる者はいない。
自公民は、「政治利用だ、処分対象だ、議員辞職せよ」など喚いている。天皇の政治利用を続けてきた連中がいうのだから噴飯ものだ。山本叩きをする連中の狙いは、原発反対運動にも「常規を逸した行動」「マナーを踏まえない」といったレッテルを貼付けることだろうか。

下村文科相は、「田中正造が(明治天皇に)直訴して大問題になったことに匹敵するようなこと」と述べたと言う。天皇主権の明治憲法下の問題を評価基準に平然と出してくるあたりが恐ろしい。「不敬だ」と言いたいのが本音だろうか。
かくしてまたまた天皇制度は安泰の度を深め、問題は市民的解決から遠ざけられる。

2013年10月30日水曜日

貧困問題より秘密保護法問題なのはなぜ?

24日に生活保護法改悪に反対する研究者共同声明を厚労省の記者会で発表した。賛同者は約1100名。
週があけて昨日、秘密保護法制定に反対する憲法・メディア法研究者の声明が発表された。賛同人は265人。

前者は、「東京新聞」と「しんぶん赤旗」で紹介された。「東京」の扱いは1面肩というものだった。「毎日新聞」もベタ記事を載せたが、途中の版から落とした。後者は、東京」が1面・2面・3面・6面(声明要旨と賛同人一覧、写真付き)、「赤旗」が1面(写真付き)・2面(声明要旨)・4面(呼びかけ人一覧)、して朝日新聞と毎日新聞はベタ記事。

この扱いの違いは何だろうかと思う。秘密保護法はマスメディアの活動に直接に関わるので強く反応しただけのことか。加えて社会保障問題の重大性にたいする理解不足、偏見があったためなのか。最近の一般新聞の批判精神の低さを見ると、こんなことをまずは推測してしまう。

しかし、原因はそんな深いところにはないのかもしれない。新聞も商売だから売れなくては仕方がない。新聞を読むような人の多くが関心を寄せているのは、秘密保護法制なのだろう。従って買い手のニーズに合わせて紙面を作っているだけのことかもしれない。としたら、「なぜ生活保護にはさしたる関心が向けられないのか」こそが問われることになる。

これだけ貧困が進んでいても、人々は貧困によりも秘密保護法に視線を向ける。どうやら新聞を読むような人々にはその傾向が顕著なようだ。自由や民主主義、平和の問題に敏感で、反応を表に出すことに抵抗感のない人は、概して生活にゆとりがあって、貧困を身近な問題と感じる機会が少ない人たちに多いのかもしれない。

そうした人たちの社会的想像力の貧しさ、偏狭さをけしからんと道徳的に非難してみても仕方ない。その原因、いわゆる社会意識が高いと言われる人々でも貧困に視線を向けることが少なく、貧困よりも秘密保護法を重大だと感じる、そんな社会認識の構え、そうしたものの仕組みを丁寧に探って行かなければならない。そんなことに今頃になって気がつかされた。

2013年8月30日金曜日

素敵な90歳


長野方面に休養に行った。その序でに亡父の従姉妹のおばさん(という呼び方しかできない)に久しぶりにあった。電話をすると、分かりにくい所なので迎えに行きますと言う。老人に負担をかけては申し訳ないと遠慮すると、「クルマで簡単ですから」とおっしゃる。何か不思議な雰囲気。

ともかく着いてみると、どうしたって70代にしか見えないおばさんが道に立って待っている。元気な様子に嬉しくなって挨拶を済ませると、菓子や畑で朝とったトマトやスイカなどを次々に振る舞ってくれて一向に座ろうとしない。そこで話しをしてもらうことにしたら、これが絶倒ものの面白さで、今度はこちらが打ち切るのが難しくなった。

以下は、そのメモの一部:

二十歳で結婚しました。戦時中で、時節柄、喪服で結婚式。結婚式や新婚旅行だけで、その後一緒に暮らすこともなく、亡くなられてしまった、友達も大勢います。

夫は、小さい頃に近所に来たサーカスのロバに乗っていたいとねだると、親がそのサーカスからロバを買ってくれたような育ち方をした人でした。新婚旅行は大名旅行でした。

でも仕事をしないし、できない人でした。仕事して、お金を稼いで、それで家族を養っていくということがすっぽり抜け落ちてしまっている人。でも、それはそれはとても良い人、友達みなから、良い人と言われていました。

結婚していた間、私は一度も給料袋を見たことがなかった。給料袋など、持って帰らなかったの。使って、多少余った時には、お金をくれたけれど、それはたまのことでした。

20年間に10回引っ越しをしました。住まいを売ってはお金を作っての生活:その都度、前より小さな家になりました。それでも最後はN駅そばの約50平米のアパートで、これが残っただけ良かった。ここからはもう、移らなかった。

子どもが遠足でお弁当を持っていかなくてはいけないから、お金が要るといっても、お金がなくて、家に帰ってこなくなってしまうような人だったから、仕方なく、結婚のときに実家からただ一つもらったアレキサンドリアの指輪を、わざわざ遠くの質屋まで行って質に入れてお金を作ったりして。それを持っていくと黙って3千円だしてくれるのが、分かっていたから。それで遠足のお弁当に使う卵、そのころは一個25円のを、一個二個と買ったりしてお弁当を作ってあげました。

いま、クラス会をすると「あなたはお金持ちと結婚したから」と言われるけれど、内実はこんなもの。

46歳で後家になった。
その前にも夫が出張などでいない時に速記の勉強をしてました。私が稼げば絶対に仕事をしなくなる人だから、彼がいる間は、仕事はしなかった。彼の死後に、速記で仕事していくことにしました。

速記の仕事をしていた時が私が一番、私らしかったとき、輝いていたとき。
大平さんが夜遅く帰る(国会審議から)のを待って、それからインタビューを行って、その帰り道、吊り革広告に記事の広告がすでに出ていて、その速記を徹夜で起こして、持っていくとすぐ記事になり、二三日後には本になるような、そんな状態だったの。

その頃の有名人の取材が次々ありました。今日出海、柴田練三郎、「四畳半襖の下ばり」の(野坂昭如)、、、ずいぶんたくさんの有名人に仕事柄会いました。面白いことばかりでした。ユーリーゲラーは、入り口を入る時に「女性から」と言ったのでそれまでそんなことをしてもらったことがなかったからびっくりしたわ。

フリーで、文春などの週刊誌の仕事をしてました。徹夜の仕事が続いたりして、無理を重ねて、腱鞘炎になってしまって、どうにも速記を続けられなくなってしまった。速記ができなくなったので、NHKの朗読の講座で勉強して、資格を取って、国会図書館で視覚障害者のための本の朗読を吹き込む仕事をしました。
私の50代は速記、60代は朗読。

70になったときクルマの免許を取った。
実家の母の所にくると、焦がした鍋が納戸にいくつも重ねてある。角の金物屋から買ってきては次々に焦がしている。来るたびに数が増えて、山が高くなっているわけ。「こりゃダメだ」と思って、こちらに来て介護することにしました。
A(長女)が此処を探してくれて、丁度バブルになる前だったけれど、此処なら***で買えたので。ここは八ヶ岳もアルプスも見えてとても良い所。

ところが、当時は団地の中まではバスが来ていなくて、谷を越えて遠くのバス停まで行って、日に何本かのバスにやっと乗って駅に行くと電車は数分前に出たばかり。やっと本町の家(実家)に着いてももう11時。それから昼食を食べさせたり、色々をしても帰りのアシの問題で、2時頃には帰らなくてはならない。これでは何もしてやれなくてダメだと思って、クルマを運転しようと思った。

年寄りに運転を教えてくれるところは東京の**にしかなかったので、月に2回**に行って1年かけて免許を取りました。仮免までいってもなかなか合格しない。バックでの車庫入れがうまく行かない。縦列駐車はできる。「どうしてあなたは合格できないのだろう」というから、(私の)体が小さくて後ろが見えていないんですって言って、、、ですから、今でも座席にはクッションを敷いて運転してます。

合格したとき「本日の最高年齢のかたは70歳」と言ってもらって、、、でも書類に昭和12年てあるの。昭和でしか作ってくれない。「私は大正です」というと事務の人はびっくり。

事故は何度かありました。
前のクルマが動かないので、横を抜けようとしてバックに入れているのに気づかずに後ろのお宅の庭に突っ込んでしまったり、
渋滞の時に急に前のクルマが順々に止まっていって玉突き。わたしは最後のクルマだったけれど、ああいうときは最後のクルマの責任になるらしい。

冬でも道路は雪をかいてくれてあるので、運転できます。
高速道路は対向車もいないから運転しやすいのだけれど、運転してはいけないと子どもに言われている。それでも時々はね、、、

母の介護をしていた時に腰を痛めてしまった。母の下着を脱がせようとしていた時、後ろにひっくり返ってきた母と一緒に倒れてしまった。母の方が私より大柄だったから。下敷きになって大腿骨が潰れ、脊椎も5つ潰れてしまったの、、、

この大腿骨を手術しようとした時、脚より心臓の方を急がねばならないと言われて、心臓の手術をしました。気づかずにいたのが、狭心症の症状があったということで、血管が非常に細くなっていたというのです。左心房に不整脈もあって、カテーテルを2つ入れています。血圧は上が220、、、

脚は、大腿骨は人工股関節です。湘南の**で手術して、毎年検査してもらっている。今年で9年目。もう(検査は)いいと言ってもらえるとおもっているのだけれど、

今年も逗子にホテルをとって検査をしてもらって、Nに寄って、東京でパスポートの更新をして、「5年にしますか、10年にしますか」というから10年にしてもらいました。天国へのパスポートと言って。

腰椎が潰れているので、痛みがあります。家の中では杖なしで済むようになりましたが、私もオバアさんになったので長い距離は歩けません。

私が一番、丈夫な母(105歳まで生きた)の体質を受け継いだのだと思う。今50KG ちょっと超え。この間、妹は37kgと言っていた。兄は、母より先に逝ってしまったし、、、



2013年7月20日土曜日

アホと憂鬱


安倍がわざわざ石垣に行き、「日本固有の領土で一歩たりとも譲歩する考えはない」と吠えた。出先で見たNHKニュースではキャスターが懸命に「日本は中国に対する対話の姿勢を崩すことなく」などと取り繕っている。安倍の周辺でも彼の思い込みと盛上りが危険な水準にあると感じているのかもしれない。


先日も9条改憲を久しぶりに明言した。なぜこうしたやばい言辞を繰り返し、それどころか選挙戦も最終盤になってから強めるのか。安倍個人が我慢できなくなって喚くくらいのアホ(*)だからという説もある。そうだとしても安倍は首相なのである。安倍の周辺が彼のアホな言動を放置しておく筈はない。

一つの仮説は、それが票になるとの判断に基づくというものだ。こんな言辞は、対中関係だけでなく対米関係でもまずい。だとしても、この際は選挙での票獲得が優先する。そして自民党の得票拡大ゾーンにいる人々にはこうした発言が受ける。こういう読みがあってのやばい発言だというものだ。この仮説では、自民党は票が伸びなくて困っていることが想定されている。

それに対して、もう一つの仮説は反対に自民党圧勝は確実なので、その機会に乗じて念願の改憲に進むための布石として「選挙中に言ってきた」実績をつくろうとしているというものだ。この仮説では、対中関係だけでなく対米関係でもまずいことは分かっていても、安倍の周辺は最早そうした配慮には捉われていないことになる。

正反対の選挙情勢判断をしてまで(つまりよく分かっていない)あれこれ考えてしまう。いずれの仮説にしてもアホ発言に動かされる人がいることや、自民党圧勝を前提にしているのだから実に憂鬱なものだ。そもそもこんな細かなことにびくびくしていること自体が安倍にアホな言動に振り回されているわけなのだ。

* 領土について「固有の」とうたうことはかなりヤバい。何をもって「固有」とするのか。現在の国際法、つまり国家間の関係を規律する法ではこうした観念はない。国家間の関係は、神のような超越的存在がつくった秩序のもとにお行儀よく並んでいるわけではない。国家間には争いもあり、領土も歴史の中で動き変わる。どこかの時点の領土を「固有」のものだと主張しても、歴史を遡ればたちまちそれが固有でも何でもなかったことが明らかになってしまう。それでも「固有の」と言うとしたら、それはせいぜい他国との間で争いなどのやりとりが一度もなかった土地とでも定義するしかない。

だから「どの国も固有の領土だけが正統な領土として認められる」と言った途端に、地球上からは殆ど総ての国家が消えてなくなってしまう。そんな観念が世界的に通用する筈はない。まず米国が受入れない。


このくらいのことを知らない政治的素養のなさ。そのことを分かっていて敢えて繰り返しているとしたら、その傲慢さ。一般人なら一寸したからかいのネタになることだろう。しかし、それを首相が行なっているのだから、これはアホというしかない。

2013年7月9日火曜日

冷やし過ぎ

本屋では5月を過ぎても憲法コーナーがあり、そこそこに売れているという。どうにも理解しがたい。ぼくは憲法研究の看板を未だ掲げている。そうである以上は仕事の上のお勤めとして理解しがたいと放っておくわけにも行かない。クソ真面目に考え、このクソ暑さのなか勇を鼓して池袋の本屋へ出かけた。

ところが、まず電車の中から冷え過ぎである。電車を降り、海から上がったイグアナよろしくギラギラ太陽で暖まってから入ったデパートがこれまた寒くなる程に冷やしている。周りの人はと見ると、男女ともに軽く羽織るものを持っている人が多い。何ということか。

つまり、ギンギン冷房はこの蒸し暑い季節にスーツを着ている男たち基準で行き渡っているらしい。「暑くても、暑いからこそキチンとしよう」「私だって我慢している」「この程度で音を上げるのか!」「暑いときでもおしゃれは忘れずに。それが礼儀というものです!」等々。こういった眼差しが充満している。Tシャツに半ズボン、サンダル履きで歩いている僕のような存在は、いかれたジイさんを通り越して善良の風俗を乱す犯罪者予備軍といったところか。

どうしたらこの集団同調と相互監視の自虐的抑圧システムを打ち破ることができるのだろうか、等と考えながら憲法コーナーを見て回った。本のタイトルを眺めたり、いくつかを手に取って見たりした。どうしてこんな憲法関連本で特設コーナーが組まれるのだろうか。どうにも分からない。


寒すぎたせいか、下司の勘ぐりは大いに膨らんだ。アホな首相が言募ったことが現実の争点であると受け止められ、その「錯覚」の集積のうえに天空高く憲法問題が描かれ、それが本という現実になり、「現実にこれだけの本が出ているのだから大事なことなのだろう」と受け止められて改憲本のマーケットが成立し、コーナーが特設されているということ、、、か。

パラパラ見た本には、いま問題になっている労働の規制緩和や社会保障の解体にかかわるような社会権についての記述は皆無。そもそもどの本も社会権問題は刺身のつまといった扱い。25条は96条や9条という超大問題の前には小さな問題でしかないといった風情である。冷やし過ぎた部屋の中できちんとスーツでも着て書かれたものだとこういうことになるのかもしれない。





2013年7月2日火曜日

縄文はおもしろい

誕生日を口実に我が第1の悪徳を犯して御代田へ行き、縄文土器の小さな特別展を見た。
 「謎と美の縄文」という展示があることをたまたま知ったからだ。

なかなか充実した展示で、常設展示と合わせ堪能した。ともかく美しく面白い。

約1万年の長い時代。人口も10〜27万と推定され、人々が自然の中に埋もれるようにして生きていたであろう時代。

どういう生活をしていた人々が、どのようにしてこれらの土器を作り、どのように用いたのだろうか。これらの意匠にはどのような思いがこめられていたのだろうか。一つ一つの土器を眺めていると、様々な想像があたまを駆けめぐる。

以前は単に面白いとしか感じられなかったのに、今はあれこれ想像する自分がいる。この歳になって少しは賢くなった証拠だろう。

この写真は30年程前に切手に使われていた長野県井戸尻遺跡発掘の水煙型土器の複製。ケースに中に入っていると、なかなか思うような角度で撮れない。

往復はリヒテルの平均律を聴いた。

2013年6月27日木曜日

ゲームのルール

生活保護法改正案と生活困窮者自立支援法案という生活保護門算払い2法案が廃案となったことを受けて、早速、安全網が整備できないのは残念だ」(田村厚労相)、「生活困窮状態から脱却できるセーフティーネットを構築するに至らなかったことは極めて遺憾」(連合)といったキャンペーンが早くも始まった。

朝日』は、2法案は不正受給の引き締めと「生活に困る人の自立支援」がセットであるが、「自立支援」こそが今回の2法案の目玉だったと解説している。デマである。生活保護に駆け込む人に収入証明などの書類提出を申請時に課したり、親族の扶養義務(この民法規定はとても合憲とはいえないもの)を優先させることは、悪名高い水際作戦の制度化でなくて何であろうか。最低賃金以下で就労機会を提供し、数ヶ月だけ住居扶助同等額を支給することがどうして有効な支援になるというのか。これは自立支援の名の下に困窮者を低賃金労働に縛り付け、生活保護の受給をさせない効果しか生まない

ところで、今日の『日経』と『朝日』の社説には呆れた。申し合わせたかのように「こんな参院ならいらない」と喚いている。どうやら電気事業法改正案や生活保護関係法案が成立しなかったことが気に入らないらしい。


首相問責決議を出したのがけしからんとか、問責決議は先決するという慣例を無視すべきだったとか、およそ制度やルールというものの意味が分かっていないことを社説で書き立てている。


問責決議というカードがある以上、予算委員会に首相が出なければ、野党にこのカードを切られる可能性があるくらいのことは予め分かっていた筈だ。ましてや野党所属の議長問責決議を出しているという状況だったのだから、この可能性を警戒するくらいのことはあって当然だろう。


そしてまた、自民と民主が法案成立で腹を合わせたとしても、他の野党がそのシナリオに乗るとは限らないことは、選挙を目前にしている以上、十分に考えられることだったのではないか。


つまり問責決議という制度があり、それを先議するという慣例(ルール)がある。そうだとしたら、各アクターがこれを駆使して動くこと至って当然のことでしかない。


敗戦チームのファンは、「あの時のペナルティ・キックはなかったことにすべきだ」とか、「あのときのデッドボールはなかったことにならないか」とぼやいたりする。しかし、両紙の社説はそんな穏やかのものではない。何しろ「こんな参議院はいらない」というのだから、これはペナルティ・キックのないサッカー、デットボールのない野球にしろと要求するのも飛び越して、ともかく自分たちが勝てるサッカー、勝てる野球のルールにしろと主張しているに等しい。


こうした思考からは、たとえ参議院を廃止して一院制議会にしたところで、その議会で諸党派が議員運営ルールを駆使して闘った挙げ句に、自分たちが臨む法案が通らなければ、「そんな議会は要らない」と言募るようになることは目に見えている。


昨夜は、10日間、共同声明に寄せられた430以上のメールを処理し続けたご褒美においしいものを食べた。大桃豆腐のゴマ豆腐に、裏の地酒屋で買った灘は泉酒造の「夏純米・一火」のラベルのついた琥泉 純米吟醸 無濾過生原酒である。17度もあるが、適度の酸味が口当たりよく、ぐいぐい呑んでしまった。


それにしても疲れたなぁとぼんやりお気に入りの Guardian のサイトを見ていると、テキサス州議会で何と11時間にわたるマラソン発言による filibuster があったという。若い人には適わない。『朝日』や『日経』の社説子はこれを見てどう思うのだろう。

2013年6月26日水曜日

なぜ今、保護申請排除なのか?



自分でもよく分からない成り行きで、生活保護法改正と生活困窮者自立支援法案に反対して、大学研究者が声を上げる運動の連絡係をしていた。専らEメールで呼びかけて反対の共同声明への賛同を集め、これを社会的にアッピールしていこうという運動だ。殆どがEメールをいじるだけの無精な作業なので何とかこなせるだろうと思って始めた。それが嬉しい(?)予想外れ。そもそもが会期末が迫る中での国会審議を相手にすることで、この状況は絶えず変わっていく。そこにどさどさと賛同メールが寄せられてくる。半日以上放っておくわけにも行かない。3時間おきに処理していると、他のことをする余裕がなくなってしまった。

という次第で、その間に書いた短文を記録のために載せておく:
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関連2法今回の2法は不正受給を減らすためと喧伝されています。しかし、こうまでして減らすことが目されている不正受給はどの程度あるのかといえば、過去最悪の2011年度でも約173億円(3万5568件)です。たかだかこれだけの額のために保護申請の敷居を高くするという制度の入口を狭める。これは異様なことです。不正受給を減らすのが目的なら、審査を厳格にして対応すれば済むことでしょう。

院内集会での布川さんの報告で、僕は驚くべき数字を知りました。
相対的貧困線(平均収入の半分以下の収入)は97年の約150万円から、2009年には約125万円へと下がっている!(このこと自体、貧困が広がっていることを意味しています)。にも拘らず、そこに属する人の比率:相対的貧困率は同じく約14.5%から約16%へと上昇しているというのです(かりに97年レベルの150万円に相対的貧困線を引上げたとしたら一体、その率はいくらになるのでしょうか?)
貧困の定義を機械的に「平均収入の半分以下」とするとしても、この惨状です。

今回の生活保護法「改正」案と自立支援法案の狙いを見るには、貧困の拡大・深刻化の現状を掴まなければならないと、改めて思いました。そうして翌15日、「協同総研いのちとくらし」のシンポジウムでの後藤道夫さんの報告から、多くのことを学んで次の文を書きました。
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この国の10人に1人(約1185万人)が生活保護基準未満にいるのに、そのうち約15%(215.5万人)の人しか生活保護を利用していません。他の生活困窮者(約970万人)の多くは、厳しい「水際作戦」や「自助努力もできない困った人」といったレッテル貼りを避け、「生活保護は自分と無関係」と思い込み、自らを受給者から区別し、「棲み分け」の中でひたすら我慢を重ねています。
マスコミが煽る生活保護叩きに強く同調し、最も激しくバッシングに加わるのはその人たちだと思われます。

しかし、2割失業社会がやってきて、年末派遣村など反貧困の運動が進むなかで、生活保護の利用者数はじわじわと増えています。96年には、世帯利用率1.4%、人員利用率 0.7% だったのが、15年後の2011年には、世帯利用率3.1%、人員利用率 1.6% へと急増しているのです。

「企業が世界で一番活動しやすい」社会作りが進み、働く者の生活苦が続けば、これまで生活保護を受けず我慢に我慢を重ねていた人たちも、「それなら私たちだって」と、生活保護を求めるようになるでしょう。
その時、生活保護バッシングに現れたエネルギーが向かう方向は、必ずやが逆転します。

その事態を未然にくい止めるために、何が何でも生活保護の利用率を引下げる。
これが支配層の危機感からくる結論です。

昨夏成立した社会保障制度改革推進法は、「自助・共助」を社会保障に優先させるという憲法25条を解体する方向を打ち出しました。これにそって生活保護制度の根底を覆そうとするのが、今回の生活保護法改正案であり、自立支援法案です。 

今度の生活保護法改正案が閣議決定され国会に出たとき、僕はあの橋下発言の成り行きばかりを見ていて、恥ずかしいことにこの問題に気づきませんでした。しかし、橋下を支える人々が少なからずもっている差別感覚には、生活保護バッシングなどの分断キャンペーンで強化された意識に通じるところがあります。<改憲ー女性蔑視ー差別ー生活保護解体>、これはワンセットで捉える必要があると感じます。 


明文改憲の政治日程はまだ先であるのに対して、今回の2法は、既に現実となっている生活困窮者の差別と排除を永続的な構造にするという、差し迫った現実の攻撃です。これら2法案が通ったら、一体この日本社会はどうなるでしょうか?
生活保護が崩されてしまっては憲法9条は守れません。 

18日から2法案は委員会審議入りしました。21日の参考人質疑までは日程が決まっています。しかし、採択日はまだ決まっていません。そして会期末は26日です。

力を合わせて廃案に追い込みましょう。

2013年6月11日火曜日

盗聴してくれれば安全?

政府の情報セキュリティー政策会議が、15年度までの「サイバーセキュリティー戦略」なるものをすすめ、IT企業が利用者のネットの利用状況を解析したり、利用内容の履歴を保存することについて検討を始めるという

相前後して、弁護士落合洋司さんのブログで、米国家安全保障局 National Security Agency(NSA) による  PRISM なるネット盗聴(当然に全世界規模)を知った。かの国では、米国民は対象外と説明し、関わっている企業は便宜提供を否定しているようだが、どうして日本では余り問題にならないのだろうか?
お上が盗聴してくれていれば安全だと信じている人ばかりなのか?

http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20130608#1370667430

http://wirelesswire.jp/Watching_World/201306071508.html

・NSA slides explain the PRISM data-collection program - Washington Post
http://www.washingtonpost.com/wp-srv/special/politics/prism-collection-documents/

・Documents: U.S. mining data from 9 leading Internet firms; companies deny knowledge - Washington Post
http://www.washingtonpost.com/investigations/us-intelligence-mining-data-from-nine-us-internet-companies-in-broad-secret-program/2013/06/06/3a0c0da8-cebf-11e2-8845-d970ccb04497_story.html

http://www.guardian.co.uk/world/2013/jun/06/us-tech-giants-nsa-data

英国GCHQも関与
http://www.guardian.co.uk/technology/2013/jun/07/uk-gathering-secret-intelligence-nsa-prism

http://www.spiegel.de/international/world/prism-leak-inside-the-controversial-us-data-surveillance-program-a-904761.html

・Obama Administration On PRISM Program: 'Only Non-U.S. Persons Outside The U.S. Are Targeted' (UPDATE) - HuffingtonPost
http://www.huffingtonpost.com/2013/06/06/obama-administration-prism-program_n_3399858.html

・Google, Apple and Facebook Outright Deny They're Helping the NSA Mine Data - AllThingsD
・Facebook, Apple, Google, Microsoft, Dropbox and Yahoo deny participation in US government spying program PRISM - TNW

2013年6月5日水曜日

明文改憲に目を奪われていると

先だっては「マイナンバー法」なる個人情報一括管理法があっけなく通ってしまった。そして今度は、生活保護を申請すること自体を難しくする生活保護法「改正」案が出され、これまたさっさと衆院を通ってしまった(橋下デマ発言などに目を奪われていたことが恥ずかしい)

これは、生活保護の不正受給をなくす”との触れ込みで、申請の際に資産や収入証明書類の添付を義務づけるものだ。生活保護など自分とは縁がないと思っている人には「当り前だろ!」と思われることかもしれない。しかし、困っている時には資産証明、収入証明どころではないのである。まず「助けてください」があって、次にこれを受け付けた福祉事務所が保護の要否を審査する。資産や収入の証明はこの審査の段階でなされる。そもそも生活に困っている人は日々の生活や病気で、資産証明、収入証明どころではないのである。

申請段階にこうした高い敷居をつくることは、悪名高い北九州方式とか「水際作戦」として全国の窓口で問題となっている門前払いの追認ではないか。それは生活保護申請数そのものを減らすことによって、生活保護の開始決定が少なくても保護開始不決定の率が上がらないように見せかけ、餓死者が増えようが、自殺者が増えようが「窓口としてはちゃんとやっています」「日本の福祉は悪くなっていません」とごまかす効果ももっている。

「生活保護基準が高すぎる!」と叩いたかと思ったら、今度は申請自体をはねつけようというわけだ。実に腹が立つ。この門前払い方式の制度化は、改正案のままでは露骨過ぎ、国連の社会権規約委員会からも非難されたため、「特別の事情があるときは、この限りではない」という例外扱いを認める修正がなされた。しかし、原則は書類提出である。一体、誰がこの「特別の事情」を訴え、それを誰が認定するというのか? 申請の敷居が著しく高くされたことには変わりはない

96条改憲に反対するのも結構だが、こうした並の法律改正によって着々とこの国の社会基盤が壊されていくことをくい止めなくては、明文改憲反対どころではなくなってしまう。

2013年5月16日木曜日

マンケルの小説と橋下妄言

柳沢由美子さんの訳で創元推理文庫から出ているヘニング・マンケル8作品を、とうとう読み終わってしまった。思想信条が共鳴できる同世代の人が書いているためだろうか、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』よりも味わい深かった。

30年前に楽しんだマルティン・ベック・シリーズのときとはかなり違う。スウェーデン社会が変わっただけでなく、その中での人々の良心のあり様も変わってきているのだろう。しかし、描かれている人々はいずれも社会へのまなざしを閉じず、真面目に働いてしまう人たちである点は変わっていない。万事について私事の世界に回収される傾きが強くなっているこの国とは大きく異なる。社民党政権半世紀の文化的成果か。

橋下がまたまた下劣な放言をしたところ、それが米軍相手でもあったため、今度ばかりは彼にすると地雷を踏んだ結果になったようだ。参院選挙前に米国詣でしてハクをつけようとしたアポは一挙にキャンセルされ、米国政府・軍は安倍・橋下に「極右を売リにはしゃいでいる限り相手にしない」という引導を渡すことになるだろう。

こうした米国側の反応もあってか、これまで橋下のデタラメに抵抗し批判してきた人たちからだけでなく、仲間内からも「批判」がたかまっている様子だ。参院選で改憲連合が勝てる見通しが折角たっているのに、ここでミスをするなということであろうか。とち狂っているのは石原御大だが、したたか橋下本人は少しずつ釈明したり、「対話」による巻き返しを図っている。そのどれを見ても彼が放言の内容を反省したり否定していない確信犯であることを明らかにしてくれている。猪瀬閣下と同様である。

橋下妄言の要点は、「オトコの性的欲求は解消されなければコントロールできない」と断定した上で、女性をその「解消」手段と捉えていることだろう。いわゆる従軍慰安婦を現在も容認しているような発言をしたかどうかとか、米軍に「風俗業」活用を薦めたことが適当かどうかとか、世界各国も同じことをやっていたのに日本だけが非難されるのはおかしいという開き直りが妥当かどうかは瑣末な論点である。

橋下はそうした枝葉末節は論点については、これまでの彼の行動様式が示してきたように、コロコロと言い換え、あたかもそのようなことは言ってもいないかのように言募るだろう。それでもしかしこの妄言の要点は残され続ける。それはこの要点を支える性意識が、現在の日本社会で若者を中心に広まっているからだと思う。橋下はすき好んでわざわざ顰蹙をかう危ういことを喋っているわけではない。「オトコはしたいのが当然」と考える若者は、(ぼくの周りにいる学生を通してみる限り)男性だけでなく女性にも明らかに増えている。そこに彼をしてこのような妄言を繰り返させる背景がある。

マンケルの小説が取上げるテーマの一つは、この男性による女性の人間性の否定である。描かれる残虐な殺人事件もそうした男性からの暴力に対する女性たちの復讐であったりする。日本と比べ格段に女性の社会的地位が高いスウェーデン社会でも、なお女性に対する暴力が根深く残っていること、その底には暴力を振るう男性たち自身も資本制社会のなかで人間性を阻害されていること。こんなことを彼の小説は考えさせてくれた。

ともあれ、米国にきっかけを与えられたとはいえ、折角の敵失の好機だ。優しいこの国の人々はこの機会を活かせるか?

2013年5月9日木曜日

誰が得をするか

8日の「人民日報」に、沖縄の帰属問題(琉球問題)は「再議できるときが到来した」という論説が載ったという。なぜこのタイミングでこのようなどぎつい論説が出たのか。「人民日報」といえば中国共産党の機関紙である。

その前日7には、中国銀行が北朝鮮の外国貿易関係銀行との取引を停止したと報じられた。北朝鮮にとってこれはかなりの打撃になるだろう。ところで、日本では「北朝鮮との関係で中国は国際社会と足並みを揃えたのに、なぜ日本に対しては無理を言募るのか。やはり日本をバカにしているからではないか」といった受取り方もあるようだ。

ポイントはこの「人民日報」論文は、6日にアメリカ国防省が議会に提出した中国の軍事に関する年次報告の中の記述、すなわち中国は尖閣諸島に関して国際法にそぐわない straight baseline を不適切に引いていると記したことに対する反論として出されていることだろう。

この国防省報告では、日中の領土問題よりも、米国政府などのコンピューターが中国政府・軍から発するサイバー侵入を受けたことの方がずっと重く扱われている。このことに対する中国政府の反論もなされてはいるが、「人民日報」で論説を構える程のものにはなっていないようだ。

しかも領海基線がおかしいとの指摘に対して、沖縄の帰属も再議しろとの主張である。この「不釣り合い」はなぜか? 7日の対北朝鮮金融制裁を含めて考えると、米国が最も気にしている北朝鮮については歩調を合わせ米国政府を満足させておいて、日本との領土問題で強硬に出ることを容認させるといった暗黙の駆け引きがあると考えたくなる。

米国省は国省とは異なり、一貫して日中の領土問題で米国はいずれかに肩入れする特別の立場をとることはないとしている。それにまた「沖縄にも中国が攻めてくる」となれば、沖縄から米軍基地は出て行け等と言われなくて済むようになるのではないか、とくらいに国防省(軍)サイドは思っているのではないか。米中両国の軍レベルにとって尖閣=領土問題が荒れることは、仕事をふやす上でも願ってもないおいしい話しなのだろう。

2013年5月4日土曜日

「狼が来た」のか?

憲法記念日を前に何人かの友人から現在の改憲動向を批判するブックレットを送ってもらった。憲法を支えるのはつまるところ普通の人々だと信じている僕は、義務教育修了レベルで読めるこの種のBLが出ることは良いことだと思っている。そしてまた、儲けにもならず、研究業績として評価もされないこうしたBL作りに力を割くことには「忙しいだろうに偉いなぁ」と感じ、少なからず敬意を払ってもいる。

(と行儀正しく挨拶をしておいて)しかし、首を傾げてしまったのは、もらったBLの2つが、昨年春に出された自民党の改憲草案批判にかなりのスペースを割いていることだ。問題になっている96条改憲の先に来るのは、この草案に示されたような明文改憲だと想定しているらしい。そうだろうか?

昨年の自民党改憲草案は、9条改憲だけでなく、「天賦人権説に基づく規定を全面的に見直した」として、「公益及び公の秩序」を人権より優越させ、個人の尊重(13条)を「公益及び公の秩序に反しない限り人として尊重する」と変えたり、「家族は互いに助け合わなければならない」としたりするなど、時代錯誤だと思われる代物だ。


昨年春これが出されたのは、近づいた総選挙に備えて、政権交代によって右に寄る格好で痩せ細ってしまった同党の支持者たちの意識に合わせて同党の2005年「新憲法草案」を変える必要があったためだろう。こんなレトロ趣味のもので改憲多数派が作れるとは同党の指導部も思っていない。その証拠に、総選挙前にはサイトのトップから直ぐに見ることのできたこの草案は、年が明けるやすぐにトップページから外された。それも党の政策の概要を紹介する「政策」欄ではなく「党の政治活動の模様紹介、総裁など幹部の記者会見、部会や各プロジェクトでの活動などをニュースや動画・写真伝える」という「自民党の活動」のページの中の、「自民党の今がわかる、最新トピックス」を紹介する「コラム」欄という片隅に押込められてしまったのだ。


自民12年改憲案が本命ではないとぼくに再確認させてくれたのは、昨日5月3日の「日経」だ。その社説は、憲法で「家族のあり方を規定しようとするのは近代憲法とはちょっと違った発想だ」と釘をさし、「明文改憲だけで国家がうまく回るわけではない」としている。この国の経済エリートの意向代弁を使命としている「日経」にそっぽを向かれるような改憲を自民党がすすめるわけはないではないか。

復古的改憲案を叩くのはやさしい。そして50年代の明治憲法復古志向の改憲が原像のように焼きついている年輩の護憲派市民(9条の会の集まりの高齢者比率は平均7割を超えると言いう)には、「狼がまたやって来た!」と分かりやすく、また奮起を促す効果もある。しかし、遠吠えする狼ばかりに躍起になっている間に、狐などが入り込んで食い荒らすのを見逃すようでは間が抜けた話しだ。


2013年5月1日水曜日

どこからが富士山?

富士山はその裾野のどこからを富士山というのか? 一合目に立って「ここも富士山だ」とは余り言わない。二合目あたりでは、そういえば山頂に向かって傾斜があると感じられるかもしれない。しかし、「ここは富士山だ」というのは大袈裟な感じがする。三合目くらいまで来ると富士山に登っているのだという気分もしてくる。さて、どこからを富士山というのか。

量の変化が質の変化になる境は判然としていないことがある。ぼくの授業では、その例として「富士山はどこから」問題を挙げてきた(これでも受けないときは「禿はいつから」問題を使う)。

世界遺産報道を聞いて苦笑した。北富士演習場と東富士演習場は、富士山には含まれないのか。始終やっている砲撃演習は山岳信仰の儀式だとでも言うのか。

ここ数日の気象の変化でPHNが辛くなっているせいか、ぼくはどうも意地悪になっているのかもしれない。

2013年4月30日火曜日

知事自らぶっつぶす

2020年オリンピックの東京招致は、猪瀬都知事自身の夜郎自大な妄言によって吹っ飛んだ。

NYタイムズの記事を読むと、問題になっている「イスラム諸国はけんかばかりしている」だけでなく、あぜんとすることを語りまくっている様子がよく分かる。曰く、「貧しかったら子だくさんになる」、「トルコの人たちも長生きがしたいでしょう。そう望むなら彼らも私たちが日本で持っているような文化を作るべきです」。更には、サミュエル・ハンチントンやロラン・バルトをつまみ食いして、日本はユニークであり、東京はその中心に皇居をもっているがために格別な都市である等と盛り上がっている。日本語が堪能な記者や通訳がいたことからリラックスして気楽に本音を喋りまくったというところだろう。

この報道が問題になるや猪瀬は、まず「真意が伝わっていない」と記事を非難して居直り、NYTの記者から「誤訳があったとは認識していない」と反論されると、たちまち「不適切な発言があったことをお詫びしたい」とごまかした。インタビューの録音が出されるとまずいと気づいたのかもしれない。

「不適切な発言」は自分の意思によらず自然発生して「あった」訳ではない。「不適切な発言」は猪瀬自身が行なうことによってなされた。それを「お詫びしたい」のであれば、なぜ「不適切な発言」を自らがしてしまったかを自身が語らなければ詫びは相手に届かない。彼に詫びる気持ちは毛頭ない。

立候補しているの都市の社会やインフラが魅力的なら、招致運動の先頭にたつ政治屋の知性と品性がうんざりする程であっても、似合いもしないアルマーニを着込んでふんぞり返っていてもそれは大して消極材料にはならないのかもしれない。しかし、この猪瀬は選挙で圧勝して当選した知事なのだ。選挙で彼を支持した人が何と334万いるのである。IOCの開催地選考規則に違反しているかどうかよりも、この事実の方で引いてしまうIOC委員は少なくないのではないか。良くやってくれました。


「官」は偉いのか?

NHKニュースを聞いていたら「今回の叙勲では民間から***人が」と言うのが聞こえた。勲章などをもらいたがるのは、そのほとんどが現役を退いて、かまってくれる人も少なくなり威張る機会も減って寂しくなったような爺さん・婆さんではないのか。念のため朝刊に何ページも使って並んでいる肩書きを見ても現役は極めて少なく、大部分が退職者だ。退職してまでも「官」なのか? ランキングを見ていると、どうやら「官」であった者の方が同じような仕事をしていてもランクが上の勲章をもらうらしい。バカバカしい限り。

昨日の「主権回復の日」政府式典では、天皇が退場し始めた途端に「天皇陛下万歳」の声があがり、壇上にいた三権の長を含めほぼ全員がこれに唱和したという。極右坊やの安倍はともかく、最高裁長官まで両手を挙げたというから何ともみっともない話しだ。「官」とは他ならない天皇の「官」であるという程度の意識か。

2013年4月28日日曜日

バカ丸出しと言ってよいものか?



「主権回復の日」と称して政府は記念式典を行った。

1952年4月28日に発効した講和条約(いわゆる平和条約)第3条では北緯29度以南の沖縄・奄美などが米国の支配下に切り離され、同じ日に発効した旧安保条約には「大規模なな内乱・騒擾」の際の米軍出動も定められていた(序でに言うと安保条約に付随した行政協定には今日に至る米軍の刑事裁判権などの治外特権も規定されていた)。

この2つの条約はワンセットで、戦後における日本の米国にたいする従属の基本枠組みを据えた。条文を読み、事実を見つめればこれは誰もが否定できないことである。それを言うも言ったり「主権回復」だと。これをバカ丸出しという。この国の右翼ゴロツキが骨の髄から対米従属でなければ生きていけないことが良く現れている感じがする。

今日の『日経新聞』は、コラム「春秋」「社説」も至極まともであった。常日頃は商機一点張りの新聞も、さすがに安倍内閣の極右ぶりには正気を失えなかったのだろう。

それはそうと、記念式典に引っ張りだされた天皇はどんな顔をしていたのだろう。テレビを見ないとこういう時に不便ではある。


2013年4月26日金曜日

「国のため」のため

安倍首相が閣僚たちの靖国参拝について「国のために尊い命を捧げた英霊に尊崇の念を表するのは当り前のことだ」「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している」とぶちあげたそうだ。内閣支持率が上がっていることもあり、気分が昂揚しているのだろうか。首相就任直後、アメリカ政府は、いわゆる従軍慰安婦について本音を喋るなとわざわざ注意していたが、またぞろ北朝鮮政権の挑発が膨らんでいる時なのだから改めてご指導でもあるまいと判断していたのだろうか。

どんな死も辛く悲しい。非業の死、不条理な死、追い込まれ強いられた死(アジア太平洋戦争における日本軍兵士の死の6割は餓死であった)は、本人にとってだけでなく、本人に連なる残された人々にとっても狂わされるほどの重さをもつ。「なぜ死んだ?」、「どうして死ぬまでして!」納得できる答えもなく、合理的な説明も届かない。その苦しさの中に「国のために」が降ってきて苦しんでいる心を掬いとっていく。

人々の心を掬いとった途端にこの言葉は居直りに転用される。火付け、強奪、爆撃、強姦、殺戮、どんな非道なことであろうとも、この言葉によって聖なるものとなった死を後ろ盾として正統化され美化される。この言葉のためにどれだけ事実から目がそらされていることか。この言葉はゴロツキの言葉である。

2013年2月27日水曜日

恥ずかしい

ワシントン詣でから帰って安倍首相が元気づいているというので、遅ればせながら今度の日米首脳会談関係の情報を読み始めた。まず戦略国際問題研究所 Center for Strategy & International Studies での講演から始めた。記者による要約はあまり当てにならないので、CSISのサイトにあたって見た。

何ともひどい。発音については覚悟していた。しかし、まったく「ガイジンに会ったときの日本人」なのだ。目つき、表情、体のこなし、その総てに卑屈さがあふれていて目を覆う。

講演全体が、昨年のナイ&アーミテージ第3次報告に対する、「生徒安倍君」からの宿題提出のかっこうをとっている。冒頭からアーミテージやグリーンといったゴロツキ達に対する挨拶なので「おや」と思った。どうやら孫崎享さんが指摘しているように、この安倍講演はこんな連中が主賓になる程度にしか注目されなかったようだ。

Fiscal Times 紙2月25日にはPatrick Smith *が、Japan: America's Newest Headache と題するコラムを書いていて、極右保守の安倍政権は「ワシントンがアジア政策の刷新を模索する上で深刻な障害になるだろう」としている。

米国政府とすれば、グアム基地拡充費の大半や辺野古への基地新設など、安倍極右政権が進んで肩代わりしてくれることは、米国の軍事費を大幅削減しなくてはならないことからも実にありがたい。とはいうものの、やれ集団的自衛権を行使できるようにするとか、やれ自衛隊を国防軍にするとか、やれ防衛大綱の見直しだ等と盛り上がりながら、「日米同盟の深化」を言い募ってくることは、何よりも第一に配慮しなくてはならない中国との関係上、はなはだ困ったことなのだろう。共同声明には北朝鮮やアフガンについての言及はあっても中国については一言も触れられていない。

ガイジン(真正右翼の言葉では毛唐)に対する卑屈さを素直に出せてしまう安倍君は、このことを踏まえて動けるだろうか。

*『日本人だけが知らない日本のカラクリ』などの著書もある。

2013年1月22日火曜日

退職金カットの謎

勤め先の大学法人当局は、「国からの要請により退職手当の至急基準を改正」し、2月から段階的に引下げると言ったきた。それによると、今年2月から9月までに退職する者については、現行の59.28ポイントから55.28ポイントへ引下げるとのこと。

この3月に定年退職の予定でいる人の場合は、今月中に退職すれば現行のポイントの満額が支給されるが、しかし3月定年退職なら4ポイント減額。より長く、定年の最後まで仕事をすると退職金を減らされることになる。

これはおかしい。どういう理屈でこんなことができるのか、理解できない。会う人ごとに聞いてみるが、「変ですね」という人はいても、筋の通った説明をしてくれる人はいない。この僕が3月にめでたく定年退職の予定でいたため、少しアタマがおかしくなっているのかもしれないとも思って、「おかしいと思う僕の方がおかしいのでしょうか」とも聞いてみるが、「いやぁ、気持ちは分かりますよ」といった反応ばかり。

同様の退職金減額が行なわれようとしている埼玉県では、教員がボロボロと辞め始めているという。ぼくもそうするか、、、。しかし、退職金という重要な労働条件にかかわる不利益変更なのだから、それだけでも労働契約法違反が問題になる。それに加えて、朝日火災海上保険事件最高裁第3小法廷1996年3月26日判決は、退職金についての不利益変更を遡及適用することは許されないとしている。やはり闘うのが筋だろう。

数週間後、僕は「**大学退職金ちゃんと払って訴訟原告」なんてことになるのか。せっかく和らぎ始めたアタマの重苦しさが、またまた戻ってくる気配がする。

2013年1月21日月曜日

漢方の驚異



長らく悩まされていた頭のモヤモヤが出なくなった。どうやら新たに処方してもらった漢方薬のおかげらしい。

この頭のモヤモヤは、法則性なく襲ってくるもので、重くなると目眩も伴っていた。コールタールのガス(自然界には実在しないだろうが)のような重い気体がアタマの中を漂っているような、アタマに血の巡りが悪くなるとこうなるのではないかと思われる症状だ。これが重くなってくると、頭を何かにもたせかけずにはいられなくなる。更に重くなると、もういけない。横になるしかない。頭痛の辛さが痛さであるのに対して、この辛さは重苦しさである。寒さと疲れが症状をより悪くする傾向があるようではあるものの、そういった条件がなくても前兆もなしに襲ってくることもあるので困った。

そのモヤモヤが、漢方薬が替わった後、一日をおかずに出なくなった。生活の送り方、天候や外部環境が変わった訳ではない。どうしても新しい漢方薬のおかげとしか考えられない。

とするとこれは感謝感激である。まるでポパイのほうれん草のように元気が戻ってきた感じもする。少し単純に過ぎるかもしれない。

処方して下さったのは、僕と同い年の岡田研吉先生@本郷鐙坂医院

葛根湯、釣藤散、呉茱萸湯などのエキス顆粒に、川きゅう茶調散やら色々をあれこれ混ぜたものを毎食間3回飲むというもの。

2013年1月12日土曜日

7月参院選の憂鬱

先の総選挙は、この間の構造改革・福祉解体と9条空洞化に反対してきた左派:共産党・社民党が深刻な後退を重ねた点もで注目されるものでした。比例区で、共産党は368.9万票、社民党は142.1万票の得票で、これはそれぞれ前回2009年総選挙の得票(498.4万票、300.6万票)から125万票、158万票も減らすものでした。2010年参院選挙の比例代表得票がそれぞれ356.4万票、224.3万票でしたから、共産党は300万票台への後退を脱することができず、また社民党はこの2回の選挙で80万票ずつ後退したことになります。ある人は、社民党も共産党も、議会政党として存亡の危機にあると見ています。

              共産党            社民党
1996
726.9
354.7
1998
819.5
437.1
2000
671.9
560.3
2001
432.9
362.9
2003
458.6
302.7
2004
436.3
299.1
2005
492
372
2007
440.8
263.4
2009
498.4
300.6
2010
356.4
224.3
2012
368.9
142.1
2013



共産・社民の衆議院選挙比例区、参議院選挙比例代表(区)の得票(単位万)


新政権の金融緩和策がすぐにデフレ脱却・景気回復の様相を呈することがなくても、7月の参院選挙で左派の得票が挽回することはないでしょう。とすると、参院では自民+維新3分の2以上の議席をとることがなくても、この右派連合が次の解散・総選挙のイニシアチブをとることになるのは確実でしょう。そして次の総選挙でも共産・社民は更に後退・消滅し、その段階に至ったならば改憲勢力が明文改憲を政治日程に乗せてくることは大いにありうることであるように思われます。

こんなことを心配するのは僕だけではないようです。佐川光晴さん社会的な平等を求める勢力をどう築き直していくのか、私も本気で取り組んでいこうと思っています」と書いたり、加藤哲郎さん「非核・非戦」勢力を総結集した、虹色のネットワークを作ろうと呼びかけています。

そして、7月の参院選の比例代表の非拘束式名簿では、原発推進・日米同盟強化・新自由主義改革に反対する諸勢力「共同リスト」を作るべきだという声もチラホラ出始めています。

しかし、こうした提案が今度の参院選で実現する可能性は殆どないと、僕には思われます。というのは、
左派の中で現時点で最も大きな組織と強い「集票力」をもってい共産党は、自党の議席や得票が増える等の利益を伴わないことには応じないという経験則があると思われるからです。その共産党が選挙協力の応じなければ、こうした提案の効果は殆どないものになります。


なぜ共産党が「共同リスト」などのようなリベラル派・左派の共同の提案に、これまで応じてこなかったのか。それは同党にとっては、同党と支持者層が重なるか近い政党派がつぶれることは、その票が同党にまわってくることが期待される事態なので大歓迎だからだと推測されす。これはこれで至って合理的な判断です。


そうではあっても、左派の国会議席がこれ以上に減ることは、現憲法が定める平和・自由・民主主義の諸原則の実現と発展を望む者にとっては大変に深刻な事態です。それは現実政治でどんなに酷いことが行なわれ・行なわれようとしても、そのことが国会で問題になりもしない(国会によって食い止められることは期待ないとしても!)ことを意味するからです。

さて、どうしたらよいものか、、、