About

2012年8月27日月曜日

まだやっているソーカエン(総火演)

知人が自衛隊の富士総合火力演習を見てきたという。報道によると、2400人の隊員、戦車・装甲車など約80両、火砲約80門、航空機約30機が参加し、観客は約3万1300人とのこと。
猛暑の中をご苦労なことだが、使った弾薬は約44トンで約3億8千万円分ときくと首を傾げてしまう。

ネットに出ている映像を見ると、陸自幹部も「世界でもこれを超える戦車はどこにもない」(そうだろう今時!)と胸を張っているという最新鋭の10式戦車が出てきて走りながらド派手に撃ちまくったり、島嶼防衛を想定して海自のP3Cや空自のF2も参加し、空対艦・地対艦ミサイルも撃ったりしている。しかし、そんな戦車をどこで使うというのだ。島嶼攻撃をしてくる相手は制空権を確保もしないで攻めてくると思っているのだろうか。

現実の根拠のない、心に浮かぶとりとめのない想像を幻想という。しかし、その幻想を多くの人が抱けばそれは現実となる。約3億8千万円の戦争ごっこのショーも、ある現実を作ろうとする人たちには安い経費なのだろう。

2012年8月26日日曜日

失敗を許さない!

どうにもならない蒸し暑さが続いている。夕方、少し風が出てきて気温が下がったところでパンを買いにサンシャインに行った。その出入り口辺りで若い母親が小さな子どもを猛烈な勢いで叱りつけている。館内は冷房が効いているから叱る気力が出るのかと思う程の勢いである。「あんなことをしたら危ないの! だからママは叱っているの! 絶対にしちゃあ駄目! 絶対に駄目! 分かった? 絶対に駄目なのよ! 危ないの!」。たたみかけるようにガンガン叱りとばす。子どもに理解させることが目的ではなく、あたかも母親自身が自分の鬱憤をはらすためにしている絶叫に聞こえる。

こうした同じ光景に、何と入るときと出る時とに3ヶ所で出会った。初め見たとき、ついその直前に処理していた今週の新聞に、法務省が法制審に少年法の法定刑引上げを諮問する方針との報道があったことを連想した。厳罰化を支える草の根の「しっかりしたしつけ」。両者の厳格主義には何かつながりがありはしないか。

世論なるものの厳罰感情の膨張は蒸し暑さのためではない。母親たちの絶叫もこのうんざりする日々の天候のためではないだろう。子どもが泣きだすまで止めない絶叫は、彼女たちが受けている抑圧への悲鳴でもあるかもしれない。


2012年8月25日土曜日

豆腐三昧




先日、見つけた池袋の西にある大桃豆腐店の第7回豆腐祭りに行ってきた。各地から豆腐を作っている若い人たちが応援に駆けつけていて心強い。

紅大豆の豆腐はセシウム137が検出されたため中止。祝黒豆腐、茶豆豆腐、秘伝なんとか豆腐 を買って昼飯から豆腐三昧を楽しんだ。いつも1つ190円(少し高め、しかしおいしい!)のところが、特別の豆をつかっていながら3つ500円の特売である。こんな値段で良いのかなぁと心配になってしまう(東電よ、見習え!)。

納豆も買い込んだので当分、火を使わないで食事ができるというわけだ。豊かな気分。

2012年8月3日金曜日

今年前半の読書

今年前半に仕事以外で読んだ本のなかで感銘が深かったものいくつか。

1.ワシーリー・グロスマン/斎藤紘一訳『人生と運命』(全3巻)みすず書房

マルタン・デュ・ガールは夏休みになると『戦争と平和』を読んだらしい。5月の連休に夢中になって通読した後、これからの夏は、デュ・ガールが『戦争と平和』と過ごしたように僕はこの本と過ごしたいと思うようになった。

ネットで調べると、欧米ではたくさんの本格的な書評が出ている(London Review of Books, 18 Oct. 2007, John Lanchester など)。BBC4 ではシリーズ化した番組を昨秋に放送したし、専らこの大作のためのサイトもいくつか作られている。

この日本語訳は翻訳賞が贈られてよい優れた翻訳で読みやすい。しかし日本ではまだまともな書評が出ていないようだ。出版直前にみすず書房の宣伝紙に載った赤尾光春さんの書評くらいしか見つからない。朝日、毎日、日経に出た書評は、20世紀のこの傑作の翻訳を無視してはいないというアリバイ作りといった程度のもので、通読はして書かれているのだろうが、作品のメッセージを正面から受止めたものではない。この国の知識層のエネルギーは衰弱の一途を辿っているのかもしれない。

2.J.L. ガディス/河合秀和・鈴木健人訳『冷戦 ー その歴史と問題点』彩流社、2007年

冷戦研究の大家ギャディスが「コンパクトに読める冷戦通史を」という学生からの要望に応えて書いたもの。45〜46年における日本の憲法改革過程研究にかかわり、最初のところだけをつまみ食いするつもりで読んだ。しかし、僕の人生の同時代を扱っているためだろうか、途中で止めることができなかった。昔の写真アルバムを開けてしまったようなのだ。その当時に僕がどきどきしながら見ていた「第3世界」など世界各地の動きが、冷戦という視点から見ると当時とはまったく違った姿で立ち上がってきた。

冷戦崩壊を扱う最後の3章でのヨハネ・パウロ2世などの個人の役割の重視、そして理念の勝利といった見方にはしっくりしないものがある。だが、とかく戯画的に扱われることの多かったレーガンについての評価には頷かせるものがあった。訳文は、日本語としておかしなとこころがいくつもあった。


3.安冨歩『生きる技法』青灯社、2011年

3.11 後、大手マスコミや著名人たちの惨憺たる言論にげんなりしていたとき、『原発危機と「東大話法」ー傍観者の論理・欺瞞の言語』(明石書店)をタイトルに惹かれて読んだ。叙述は少々冗漫であったが、ゲラゲラ笑える程におもしろかったので著者の作品を注意していたら、これを見つけた。自らの経験に基づいて自己嫌悪、貨幣などについて考察し、自立とは多くの人に依存できること。自分自身の内奥の感覚に忠実にしたがうこと」などを唱える人生論はなかなか説得的だった。