About

2012年1月31日火曜日

経産省前「テントひろば」

19日、原子力安全・保安院(経済産業省)のいわゆるストレステスト意見聴取会は、関西電力が提出した大飯原発3、4号機の安全評価(ストレステスト)を「妥当」と評価した。再稼働の前提として定期検査中の原発を対象に行われるコンピューターでのシミュレーションによる第1次評価である。

この意見聴取会はこれまで傍聴できる会議であった。しかし再稼働にOKを出したこの日の会合は、モニタを通じた「傍聴」もない密室審議だった。直接には、会議のメンバーである岡本孝司(東大工学研究科教授原子力専攻)、阿部豊(筑波大大学院 システム情報工学研究科教授)、山口彰(大阪大大学院工学研究科教授)が、原子炉を製造している三菱重工業からそれぞれ200万円、500万円、3,385万円の資金を受け取っており、利益相反していることが糾問され、再稼働が遅れるのを避けるためだった。

そして24日、経産大臣枝野クンは、経産省前広場にある脱原発を求める市民団体のテント(テントひろば)に対し撤去するよう文書で求めた。しかし撤去期限の27日、テント周辺には撤去要請に抗議する市民が約800人から集まったため、テントは排除されなかった。

経産省前の広場は経産省の管轄場所だろう。いうまでもなく経産省は、東電など原発を支えている諸企業の代弁者ではなく、国民の政府の一省庁である。この広場の使い方も国民の立場にたってなされなければならない。

枝野クンは、9月に原発については「国民的議論が必要」と言っていた。とするならば、脱原発を求める市民の声に十分に配慮することがどうしても必要になる。政府が設けている原発に関する各種の委員会などは「原子力ムラ」の声を過大に代表していて、ほとんど脱原発の声を反映していない。それを思えば、庁舎目の前の広場に脱原発派が常時いてくれることはむしろ歓迎すべきことだろう。なにしろこの広場前テントは、今では全国の脱原発派の重要な交流の場になっており、国外の運動やメディアも注目するセンターともなっている。

国民的議論を真面目にやろうというのなら、「原子力ムラ」の主張にばかり場を与えるのではなく、脱原発派にも相応の場を保障しなくてはなるまい。「テントひろば」は経産省が頼んで作ったのでもないのに、ここにくれば各地を回ることなく全国の脱原発派の動向が大方は分かるほどの脱原発派の情報センターにまでなっているのである。枝野クンが国民的議論をきちんとやろうという立場にたつならば、経産省前の寒い広場にではなく庁舎内に脱原発派のたまり場を提供しても良い筈だろう。

経産省厚生企画室は、「テントひろば」による敷地の使用許可申請(昨9月)に対して、「国有財産管理と特定の団体には許可出来ないという、行政の立場」から不許可にした。これに対して「テントひろば」から不服申請が出され、いま行政不服審査法に基づいて経産省会計課が審査中だという。なるほど経産省前の広場は国有財産であろう。だからこそそこに脱原発派が常時集まってくれていることは、経産省・政府にとっても必要なことのはずだ。

2012年1月25日水曜日

白菜鍋、またはビンロー

この季節になると2週間をあけずに作る鍋がある。白菜に鶏モモ、春雨、干し椎茸、そしてごま油で作る。調理というほどの手間はいらない。しかし、おいしく食べようとするなら少し時間をかけた準備がいる。


大きな鍋、白菜(人数と鍋の大きさに応じて多めに)、鶏もも肉(1人分80gで十分)、干し椎茸、春雨、胡麻油を用意する。
1)干し椎茸を数個、(軸はとって)水に入れ戻しておく。春雨も戻しておく。
2)白菜の白い肉厚のところを葉の部分を分け、食べやすい大きさにザク切り。白菜の白い部分と、戻した椎茸と戻し汁を鍋に入れ、胡麻油を少々たらし煮る。
3)白菜の白い部分が柔らかくなったところで、白菜の葉の部分と、食べやすい大きさに切った鶏ももを鍋に交互に入れ、水を具が隠れるくらいに足して煮続ける。
4)大体が煮えたところで、春雨を適当な長さに(はさみで)切って入れ、火を止める。


醤油、ショウガ、ゆず山椒など好みのもので調味して食べる。白菜だけでも十分においしい。スープも実に良い。


鶏肉の代わりに豚の薄切りを使ってもよい。何れにしてもこの鍋では肉の役割は出汁を取ることなので、煮込んでも味が失われにくい鶏モモあたりが適当だと思う。干し椎茸や春雨抜きでもおいしく食べられるが、加えた方が格段においしい。春雨はデンプンで作ったまがい物(国産に多い)ではなく、緑豆から作った正統なもの(中国からの輸入品はこれ)でなくては悲惨なこと(鍋がぐじゃぐじゃ)になる。


僕は前日に椎茸を水に浸けておき、翌朝出る前に白菜の白い部分と鍋にかけ、春雨の袋に水を入れておく。こうすれば帰宅しててから3)以下の作業だけで直ぐに食べられる。


この鍋のおいしさは、白菜のグルタミン酸(アミノ酸系旨味)に肉のイノシン酸と椎茸のグアニル酸という核酸系の旨味が加わり、相乗効果を発揮することによるとのこと。このレシピは妹尾カッパの本で知った料理「ビンロー」の長年の経験による改訂版。



2012年1月21日土曜日

談志

寒い。
昨年秋口に帯状疱疹が起こった箇所にそって、年末来凄まじい冷えに襲われている。初めは「これが世に言う冷エという者か」と感心していたが、今や日々が闘いである。ヒート何とかという下着を重ね着し、カイロをいくつも貼付けるという有様。加えてのべつまくなしに二日酔いのような目眩が襲う。これも加齢の現れとは思うものの、かなりに癪に障る。第一、仕事にならない。


こんな体たらくなので、去年からこの週末は休むことに決め、研究会にも出ずにぼんやりしていた。


とは言うものの、貧乏性のせいだろう、つい貯めていたメモを片付けようとついPCを開いてしまった(そうなのです。静かにしていたい時はPCを立ち上げもしないのです。携帯などは鞄に入れたまま)。
そして去年11月に亡くなった立川談志「とは何だったか」とネットをさまよってしまった。


知らなかった。まったく知らなかった。その技量の高さ。彼の生きた目。そして彼の仕事が落語の歴史社会的限界に挑戦する前衛 avant garde の仕事であること。 彼は僕の同世代の「できる奴」であること。You Tube で日がな一日、芝浜、富久、やかん、千両みかん、金玉医者、唖の釣り、風呂敷、勘定板、源平盛衰記などを(高校から大学の元気な時代に帰って)楽しんだ。


上田哲を応援したことのある彼でも西部邁は彼を応援していたこと。そして他方、自称前衛党の機関誌『赤旗』では彼が出たり批評の対象になることはなかったこと。サヨクの僕は色々考えた。

2012年1月18日水曜日

どこが違う?

昨年末の金正日葬儀の際には、あられもなく泣き叫ぶ平壌の人たちの姿が報じられた。これを見て毛沢東死亡時に聞いた話を思い出した。部屋の中では喜びを爆発させていた人たちが、外に出るときには泣き顔を作り、涙が十分に出せない人は玉ねぎの切り口を目の回りに塗ってから人前に出たといった話だ。


「朝鮮人民なら」「中国の公民なら」当然だといったことがあったのだろう。しかし、これはかの独裁国の話と笑って済ませられなくなっている。昨秋、大阪では「君が代」斉唱もできない教員は首にすると宣言した橋下殿とそのお仲間が選挙で圧勝した。


ところでわが最高裁は先日、入学式などでの「君が代」斉唱に起立しなかったことをもって懲戒処分を受けた教職員による処分取消しの求めに対して、「戒告を超える減給以上の重い処分は慎重な考慮が必要」との判決を下した。何でも「学校の規律の見地から重過ぎない範囲での懲戒処分は裁量権の範囲内」だそうだが、やりすぎはイカンよということらしい。


この判決を「一歩前進」と評価せざるを得ないのがこの国の現状である。「懲戒解雇されたとしても収容所送りされれるわけではない。処分に文句があれば裁判ができるではないか」として、中国や北朝鮮とは違うと人はいうかもしれない。しかし、どれだけの人がわざわざ裁判をしてまで処分と戦う労力と時間が割けるだろうか。そして最高裁からしてこの程度の体制順応ぶりである。大部分の人は、「たった1分程度の我慢よ」と、口パクをしたり、愉快でもない歌をこれ見よがしに大声で歌ったりするのではないか。入学式・卒業式のとき、式場は北朝鮮や中国と変わらなくなる。変わらないのがその時だけに限られる保障はどこにもない。

サッカー日本代表チームに選ばれた誰だかが、「あの歌は腹が減るんですよね」と言っていたとか。そういえばある教員養成学部で学生さんに歌詞を書いてもらったら、「岩音鳴りて」というものが、それも多数あった。

2012年1月16日月曜日

選挙と「市場」

今年は「選挙の年」だそうだ。台湾、ロシア、イラン、フランス、パレスチナ、メキシコ、そしてアメリカ合州国と政権に関わる選挙があるという。


その先陣を切って台湾で総統と立法院の選挙があった。予想されたように国民党が得票を減らしながらも馬英九政権と議会多数を維持した。独立指向が強い民主進歩党は、善戦し第2党の地歩を固めた。中米両国政府はほっとしているという。


民進党が得票を増やしたのは、馬英九政権が結んだ本土との「経済協力枠組み協定」のもとで進んだ経済格差への反発によるとの見方が有力なようだ。また、今度の選挙では台湾の有力企業が国民党支持を明らかにしたが、これはかつてなかったことだという。


こんな報道を見ていると、この国民党vs.民進党対決の背景にあったのは、米中両国政府などではなく、いわゆる「市場」だったのではないかと思ってしまう。選挙という民主政治の制度のはたらきが「市場」によって大きく影響されているのではないか。こんな仮説をもってこれからの選挙を見ていきたい。


2012年1月5日木曜日

二つの中間報告はワンセット?

いただいた年賀状の多くには「明けましておめでとうございます」とある。しかし、2万人もの方が亡くなり、広範な地域の生活が破壊され、今でも30数万人の方が避難生活を余儀なくされている。そして原発事故は新たな放射線汚染時代を開いた。素直に新年を祝う気にはなかなかなれない。

この国のマスコミは、暮れから正月にかけては「めでたい明るい話題」で覆われる。それを狙ってか原発の今後にかかわる二つの大事な中間報告が暮れに出された。12月26日に出された政府の「東電福島原発事故調査・検証委員会 」(委員長・畑村洋太郎東京大学名誉教授)の「中間報告」と、翌27日の内閣府「南海トラフの巨大地震モデル検討会」による「中間とりまとめ報告」だ。

前者は、「事故の原因及び事故による被害の原因を究明するための 調査・検証を、国民の目線に立って開かれた中立的な立場から多角的に行い、被害の拡大防止及び同種事故の再発防止等に関する政策提言を行うことを目的として」設けられた委員会によるもの 。シビアアクシデントへの東電の対応や政府の情報連絡・対応の問題などを指摘していることからだろうか、各紙は概して好意的だ**

* 本文
**「毎日新聞」社説
http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/5610182.html
しかし、多角的な調査・検証を標榜しながら、各方面から指摘されている地震による配管破断については判断を見送っている。
原発設計技師であった田中三彦さんは、水位と圧力の生データでシミュレートされる冷却水喪失スピードから地震による配管破断・冷却水喪失を推定しており、かの保安院も「配管の損傷の可能性」を認めていた**。津波による全電源喪失の前に既に原発は損傷していたとなれば、「津波対策をすれば大丈夫」キャンペーンはすっ飛び、定期検査後の運転再開の可能性は著しく少なくなる。
* 田中三彦「原発で何が起きたのか」(石橋克彦編『原発を終わらせる』岩波新書1315, 2011年 所収)、同「福島第一原発1号機事故・東電シミュレーション解析批判と、地震動による冷却材喪失事故の可能性の検討」『科学』2011年9月号所収。
** 東京新聞12月15日「福島1号機配管 地震で亀裂の可能性」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011121502000029.html

なぜ中間報告から地震による配管損傷の検討は省かれたのか。既に中間報告の1週間前、「共同」配信で「中間報告では地震の影響について踏み込んだ判断を見送ることが19日分かった」との報道があった。中間報告は、圧力容器と格納容器についていずれも「損傷を窺わせるような形跡は把握されていない」としている。
* http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011121901001241.html

善意に解すれば、損傷を確かめられるデータ不足のため判断を先送りしたと取れないでもない。しかし、一方で水位と圧力の変化の事実から破断を予測する見解があるのだ。「国民の目線に立って開かれた中立的な立場から多角的に行」うというのであれば、この見解に真正面から答えなくてはなるまい。大地震はこの夏に予定されている最終報告の前に起こるかもしれない。「同種事故の再発防止等に関する政策提言を行う」ことが、次の大地震による原発損傷事故の後になることは許されない筈だ。

どうやらこの「事故調査・検証委員会」は、同じ時期に予定されていた「南海トラフの巨大地震モデル検討会」の中間とりまとめ報告との関係を予め考慮していたのではないかと思われる。後者の報告は、東海・東南海・南海で予想される巨大地震の想定について、従来の想定の震源域を何と2倍程度に広げているのだ。原発続行・推進派としては、こんな報告が出るタイミングで地震による配管損傷の可能性に触れてほしくはない。「事故調査・検証委員会」中間報告からの地震による配管損傷の検討先送りは、データ不足によるものではなく、続行・推進派の圧力によるものだと見て間違いはないだろう。

中間報告の要旨
中間報告・本文
ビジュアルな解説:


2012年1月2日月曜日

新年




無事に新年を迎えることができた。新年を迎えるとは単に自分が生きている地球が太陽周回軌道を一周したという宇宙史的時間の一つの区切りたる「一年」の経過を経験したということだけでなく、生命体である自分がこの「一年」という自然史の中で生き延びたことでもあるのだ等と、いささか面倒くさいことを感じている。昔の人が「年取り」という言葉に込めた意味合いを考えてしまう。

何人もの方から年賀状をいただいた。年に一度だけの挨拶でもして下さることはありがたいことだと思う。

昨年は多重巨大災害があり、少なくとも日本社会が大きな曲がり角を曲がったと思われた年だった。賀状でこのことをどのように触れているかは実にまちまちで、そのことは元号使用以上に興味深かかった。

今年初めて飲んだ酒は、相模原・久保田酒造の「本醸造・相模灘」である。生原酒とありこの時期限定販売、アルコール度19度、こくがあった。
http://www.tsukui.ne.jp/kubota/syouhin.html



年賀状には次のように書いた:

昨年は、自然史的必然への無智、近代科学の限界、現在の社会システムの犯罪性について改めて考えさせられました。多くの人々にふりかかった苦悩と悲哀を前にしての、この国のエリートたちの保身と傲慢、諸学界の堕落ぶりには怒りを通り越して呆れはてるばかりでした。退職を前にしてのルンルン気分も吹き飛び、自らの来し方を顧みながら、今という時代は一体どういう時代なのかをあれこれ考えています。
 今年からは、「明日できることは明日しよう」をモットーに溜め込んできたものを片付け・捨てまくり、この大変な時代に自らの第三の人生を重ね合わせていく準備をしようと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

 皆さまのご健康とご多幸をお祈りいたします。