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2012年12月19日水曜日

政権交代ある2大政党制の頓挫

またしても多数代表制(小選挙区制)効果がはっきりと発揮された選挙結果だった。
2005年小泉郵政「改革」選挙では、自民党が小選挙区47.7%(3252万票)の得票で議席の73%(219議席)を取った。2009年政権交代選挙では、民主党が小選挙区47.43%(3350万票)の得票で議席の73%(212議席)を取った。そして今回、自民党は小選挙区43%(2564万票)の得票で議席の79%(237議席)を取った。

投票率は過去最低で60%を割り込んだ。自民党の小選挙区での得票は、前回の約2730万票から約170万票減らしている。それでも大勝利である。未来の党など多くの新党が出たり、前回は立候補を控えた共産党が目一杯に立候補したことも票を散らす結果となり、自民党は破れた前回より少ない得票で勝利することができた。

そして比例区での自民党の得票率は、27.66% で前回2009年の 26.73% とさして変わりない。得票数は、約1881万票から約1662万票へと約218万票減らしている。前々回の約2589万票からすると約900万票の減少だ。他方、前回約2984万票(42%)とった民主党の得票は、約927万票(16%)と2000万票以上も激減した。両党合わせての比例区得票は、前々回の合計約69%・4690万票、前回の合計約72%・4865万票から、今回は合計約43.5%・2589万票と大きく縮小している。

これらの数から言えることは、第1に、今回の選挙結果は民主党に対する不信任であって、決して自民党に対する信認ではないことである。そして第2には、自民党と民主党の支持基盤は大規模に崩れ始めていることである。小選挙区制による「政権交代のある2大政党制」の試みは空中分解し、当分は政党再編が続く。



とはいえ勝利は勝利である。5年前、訳の分からないことを言って政権を放り投げた安倍は、早くも「ブッシュ大統領に電話しなくては」などと呟いたりしているようだが、さて今度は気合いを入れ直して暴走するのだろうか。

写真は「藤原ゆみこ&横尾哲生・邂逅Ⅳ」於Gallery PaM a, 2012年11月にて

2012年12月2日日曜日

崩落注意?!

クルマの運転はこわい。自分が十分に注意し、前後左右のクルマから顰蹙をかうような安全運転に徹していても、他の運転手がいい加減な運転をしていれば事故に巻き込まれる。そして大抵の自動車事故は赤チンに絆創膏では済まない。

「落石注意」という道路標識がある。注意して一体どのように対応すれば良いのか。人間が注意していれば落石がなくなるわけではない。岩石は人間の意志とは無関係にあるいは留まり、あるいは落下する。「注意」の如何に関わりなく落ちてくる岩石に対して考えられる合理的な対応は、この標識を見たら速度規制を無視してでもできるだけ早く走り抜けるというものだろう。

しかし、トンネルの壁や天井の崩落は自然現象ではない。米国ではニューディール期・30年代に大規模に建設された道路や橋などの維持管理・補修が不十分だったために、70年代から80年代にかけて大きな社会的損失を生んだという。日本では60年代から70年代にかけて道路橋などのインフラが拡充された。それから約半世紀たっている。この6月に国交省は、地方自治体が管理する老朽化した道路橋の「長寿命化」の取組み率は、何と全国平均で11%と報告している。

中央道の笹子トンネルが作られたのは77年である。僕は、南関東直下型地震が迫っているのにもめげずに都内に越してきたかなりアホか)ため、年に数回首都高を使う。とても走りにくい。首都高は60年代前半から作られた。素人目でも至る所にひび割れや錆が見える。この春に発表された国交省や首都高速道路会社の「有識者会議」報告によると、総延長のうち半分が30年以上経っており、未補修の損傷件数は9万6600件。1キロ当たりの損傷箇所は平均約190カ所、都心環状線では約600カ所だそうだ。

高速道路だけがこのざまなのだろうか。既存のインフラの中でも自動車業界の圧力で優遇されてきただろう道路ですらこのありさまなのだから、大地震などの防災に関するインフラはもっとお寒い状況ではないかと疑ってしまう。

ところで今度の都知事選の候補者は、原発ゼロを明確にしている一人を除いて、全員がオリンピック招致(招致運動だけで何百億とかけている)に賛成している。オリンピックの前に急いでやるべきことがないとでもいうのだろうか。どうかしている。崩れ落ちてくるのはトンネルの壁だけではないようだ。

2012年11月30日金曜日

歳をとること

歳をとると、歳をとったならではの色々なことがある。思いがけないことに振り回されている。「何しろ初めて65歳になったものだから、、、」と切り出したら、学生たちは笑ってくれた。

昨秋からこの春まで帯状疱疹の後遺症に悩まされた。この秋も出てくるのかと戦々兢々としていたら、あのクソ暑さが終わり気温が下がって過ごしやすくなった途端に、案の定「ご無沙汰しています」とばかりに出てきた。帯状疱疹に罹った腰から足先までが冷たくなる。氷を流し込んだように(0°Cでもアルコールは凍って固まらない)冷えで痛い程になる。のみならず僕の場合はアタマが重くなる。霧か靄でもかかったようになり、重くなると目眩も出てくる。その出現の仕方を観察していても法則性が掴めない。


こんな案配だから要するに、以前のようには仕事も生活もできないのである。ではどうすればよいか。どのようにすれば仕事や日々の家事ができるのか。これを考え、見直しながら進むので手間がかかる。「大人になる」ことについての教育はこれまでもたくさんあった。どういうわけか、「こんな人に教えられてくないよ」と言いたくなるような人が熱心に教えをたれたりする。これに比べ、老人になることについての教育は少ない。すでに老人になった「老人の先輩」にはその経験や識見はあっても、それを伝える精神的条件、そして何よりも肉体的条件が乏しいからだろうか。

もっともキケロー先生やわがモンテーニュ殿は今の僕の歳まで生きることもなかったのに、老人になることについてしみじみと教えてくれている。要するに僕は馬齢を重ねてきたということだろう。だからだろうか。「団塊世代の老人たちは自分たちの*倍も余計に年金をもらえる。けしからん」と真顔で言っている若い人たちを見ると、その愚かさに腹が立ったりする。

「お前さんたちは将来、老人にならないつもりですか。一体、われわれの世代はお前さんたちの脛をかじってきたのですか。今老人たちを苛めれば、お前さんたちがジジババになったときには、もっと酷い目になるのではないですか」。こう言いたくなる。

働ける年齢世代にいる人たちの生活が資本の活動によって破綻したり、病気や事故のあと労働に復帰できないことは、資本にとっても困ることだろう。これに対して高齢者は、そもそも資本制の経済活動によってふえる存在でもないし、またその先の時点で再び労働者となる可能性もない存在である。そんな老人に資本制社会の仕組みが優しくなる理由はどこにもない。資本にとって老人に優しくすることはまったく余計なことでしかない。

そうである以上は、老人になっても人間らしく生活できるようになるためには、当事者自身が声をあげ、この資本制社会にこの要求を押付けていかなくてはならないのではないか。そして当事者とは現在の老人だけではない。将来の老人、つまり若い人も老人問題の当事者ではないのか。、、、きちんとしておかないと、老人のことはすべてかつてのように「親孝行」に押付けられ、若い人たちの生活は散々になりますぜ。

2012年10月9日火曜日

いやはや

「突然のメール失礼します。
学籍番号23WK456*
の***と申します。

前期に***基礎Fをとっていたのですが、素点が低くそれがGPAにひびきこのままでは**実習いけません。なので、救済措置をとっていただけないでしょうか?」

後期が始まった途端にこんなメールが学生から入った。

驚いて「実習に行けないので救済措置をとるようなことが行われているのですか」と尋ねたところ、「考えてみればそうですね。もしかしてできるかなと思いました」と返事があった。

なめられているというのか、親しさを感じられているというべきなのか。

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<お詫び>
10月9日に載せた当初の文章では、学籍番号にあたるところは加工したものの、まだそれは実在する学籍番号を推測させかねないものになっていました。そのため実在する学籍番号に該当する学生さんに噂による被害を及ぼすきっかけをつくってしまいました。この点は配慮が足りいませんでした。お詫びします。

2012年8月27日月曜日

まだやっているソーカエン(総火演)

知人が自衛隊の富士総合火力演習を見てきたという。報道によると、2400人の隊員、戦車・装甲車など約80両、火砲約80門、航空機約30機が参加し、観客は約3万1300人とのこと。
猛暑の中をご苦労なことだが、使った弾薬は約44トンで約3億8千万円分ときくと首を傾げてしまう。

ネットに出ている映像を見ると、陸自幹部も「世界でもこれを超える戦車はどこにもない」(そうだろう今時!)と胸を張っているという最新鋭の10式戦車が出てきて走りながらド派手に撃ちまくったり、島嶼防衛を想定して海自のP3Cや空自のF2も参加し、空対艦・地対艦ミサイルも撃ったりしている。しかし、そんな戦車をどこで使うというのだ。島嶼攻撃をしてくる相手は制空権を確保もしないで攻めてくると思っているのだろうか。

現実の根拠のない、心に浮かぶとりとめのない想像を幻想という。しかし、その幻想を多くの人が抱けばそれは現実となる。約3億8千万円の戦争ごっこのショーも、ある現実を作ろうとする人たちには安い経費なのだろう。

2012年8月26日日曜日

失敗を許さない!

どうにもならない蒸し暑さが続いている。夕方、少し風が出てきて気温が下がったところでパンを買いにサンシャインに行った。その出入り口辺りで若い母親が小さな子どもを猛烈な勢いで叱りつけている。館内は冷房が効いているから叱る気力が出るのかと思う程の勢いである。「あんなことをしたら危ないの! だからママは叱っているの! 絶対にしちゃあ駄目! 絶対に駄目! 分かった? 絶対に駄目なのよ! 危ないの!」。たたみかけるようにガンガン叱りとばす。子どもに理解させることが目的ではなく、あたかも母親自身が自分の鬱憤をはらすためにしている絶叫に聞こえる。

こうした同じ光景に、何と入るときと出る時とに3ヶ所で出会った。初め見たとき、ついその直前に処理していた今週の新聞に、法務省が法制審に少年法の法定刑引上げを諮問する方針との報道があったことを連想した。厳罰化を支える草の根の「しっかりしたしつけ」。両者の厳格主義には何かつながりがありはしないか。

世論なるものの厳罰感情の膨張は蒸し暑さのためではない。母親たちの絶叫もこのうんざりする日々の天候のためではないだろう。子どもが泣きだすまで止めない絶叫は、彼女たちが受けている抑圧への悲鳴でもあるかもしれない。


2012年8月25日土曜日

豆腐三昧




先日、見つけた池袋の西にある大桃豆腐店の第7回豆腐祭りに行ってきた。各地から豆腐を作っている若い人たちが応援に駆けつけていて心強い。

紅大豆の豆腐はセシウム137が検出されたため中止。祝黒豆腐、茶豆豆腐、秘伝なんとか豆腐 を買って昼飯から豆腐三昧を楽しんだ。いつも1つ190円(少し高め、しかしおいしい!)のところが、特別の豆をつかっていながら3つ500円の特売である。こんな値段で良いのかなぁと心配になってしまう(東電よ、見習え!)。

納豆も買い込んだので当分、火を使わないで食事ができるというわけだ。豊かな気分。

2012年8月3日金曜日

今年前半の読書

今年前半に仕事以外で読んだ本のなかで感銘が深かったものいくつか。

1.ワシーリー・グロスマン/斎藤紘一訳『人生と運命』(全3巻)みすず書房

マルタン・デュ・ガールは夏休みになると『戦争と平和』を読んだらしい。5月の連休に夢中になって通読した後、これからの夏は、デュ・ガールが『戦争と平和』と過ごしたように僕はこの本と過ごしたいと思うようになった。

ネットで調べると、欧米ではたくさんの本格的な書評が出ている(London Review of Books, 18 Oct. 2007, John Lanchester など)。BBC4 ではシリーズ化した番組を昨秋に放送したし、専らこの大作のためのサイトもいくつか作られている。

この日本語訳は翻訳賞が贈られてよい優れた翻訳で読みやすい。しかし日本ではまだまともな書評が出ていないようだ。出版直前にみすず書房の宣伝紙に載った赤尾光春さんの書評くらいしか見つからない。朝日、毎日、日経に出た書評は、20世紀のこの傑作の翻訳を無視してはいないというアリバイ作りといった程度のもので、通読はして書かれているのだろうが、作品のメッセージを正面から受止めたものではない。この国の知識層のエネルギーは衰弱の一途を辿っているのかもしれない。

2.J.L. ガディス/河合秀和・鈴木健人訳『冷戦 ー その歴史と問題点』彩流社、2007年

冷戦研究の大家ギャディスが「コンパクトに読める冷戦通史を」という学生からの要望に応えて書いたもの。45〜46年における日本の憲法改革過程研究にかかわり、最初のところだけをつまみ食いするつもりで読んだ。しかし、僕の人生の同時代を扱っているためだろうか、途中で止めることができなかった。昔の写真アルバムを開けてしまったようなのだ。その当時に僕がどきどきしながら見ていた「第3世界」など世界各地の動きが、冷戦という視点から見ると当時とはまったく違った姿で立ち上がってきた。

冷戦崩壊を扱う最後の3章でのヨハネ・パウロ2世などの個人の役割の重視、そして理念の勝利といった見方にはしっくりしないものがある。だが、とかく戯画的に扱われることの多かったレーガンについての評価には頷かせるものがあった。訳文は、日本語としておかしなとこころがいくつもあった。


3.安冨歩『生きる技法』青灯社、2011年

3.11 後、大手マスコミや著名人たちの惨憺たる言論にげんなりしていたとき、『原発危機と「東大話法」ー傍観者の論理・欺瞞の言語』(明石書店)をタイトルに惹かれて読んだ。叙述は少々冗漫であったが、ゲラゲラ笑える程におもしろかったので著者の作品を注意していたら、これを見つけた。自らの経験に基づいて自己嫌悪、貨幣などについて考察し、自立とは多くの人に依存できること。自分自身の内奥の感覚に忠実にしたがうこと」などを唱える人生論はなかなか説得的だった。

2012年7月30日月曜日

ブログ再開

酷暑が続いている。「暑いですねー」と言ったからといって暑さが和らぐわけではないのに、こもごもにそんな挨拶をしている。原発再稼働前には、あれ程に宣伝されていた電力不足はまったく報じられていない。友人は電車の冷房で風邪をひいてしまった。


ようやく授業が終わり、昼休みのプール通いを始めた。40分かけて1000メートルを泳ぐ。ゆっくりしか泳げないのでこういう時間になる。1位が58秒46、約1秒遅れの59秒49では5位というオリンピックの世界は、お病気の世界ではないかと思う。


このブログを更新していなかったら「誕生日を迎えてガックリ来たのか」と心配された。当分の間は、知り合いへの挨拶と自分自身の覚えのために書こうと思う。

2012年6月22日金曜日

紫陽花なのか






朝、久しぶりで千川通りを走った。街路樹の間にある植え込みの至る所でアジサイが花盛り。道路を管理する側からすれば、勝手に植えてくれるなという部分だろうが、そこのアジサイが花盛りでまるでアジサイ通りといった風情なのだ。近くに住む人が植えたのだろう。雨に洗われた都会の緑の中で、派手な色が映えている。しかし、その殆どは最近の園芸種がもつ強く色で、土のpHによって色が変わると言われた昔のほんのりした色調のものは見かけない。萼アジサイが好きな僕にはどぎつい。まるで厚化粧をした女性といった感じがする。盛りを過ぎてからの激しい萎れ方も似ている。




2012年5月5日土曜日

グロスマン『人生と運命』

連休の後半はグロスマン漬けになっている。帯状疱疹の後遺症なのか、気温が下がるとてきめんに頭痛や目眩がきつくなり、頭を立てているのが辛くなる。これをよいことに、ひたすらに読み進んでいる。

小説の味わいと、思想書の深さに充実した時間が過ぎていく。厳しく辛い時代を扱っていながら、グロスマンが暖かく描き出している人物のほとんどは、実に身近であり高貴だ。どうしてなのだろうか。ゆっくり味わいたい、もう少し考えたいところが次々に出てくる。しかし今はページを繰るのを止めることが難しい。多分、数年後に読み直すだろう。
斎藤紘一さんの訳は実にこなれている。ありがたい。



2012年5月1日火曜日

セザンヌ展とエルミタージュ展

国立新美術館のセザンヌ展とエルミタージュ展に行った。ここも老人ばかり。    セザンヌは88点。オルセーにある「首吊りの家」、99年のリンゴとオレンジ、ワシントンのサント・ヴィクトワールにボストンの「赤肘掛け椅子の夫人」など有名作品が来ていて、見応えはある。彼の理屈っぽさはうるさい程によく感じられた。彼は、自然を球と円柱、円錐で描けと言ったとされている。しかし今に至る人気の秘密は、すぐれて安心できる構図にあるのではないか。むしろそれは立体の構成ではなく、平面の浮世絵にもある古典的構成だろう。
しかし、展示の順序は訳の分からないものだった。作品を初期と晩年の間に風景、身体、肖像、静物と4つのジャンルに分け、それぞれを1882年はさんでパリとプロヴァンスで分けている。4つのジャンルは誰にも分かるものであり、また20前後の作品をジャンル毎にまとめたところで何かが見えてくる訳でもない。むしろ年代順に並べ、作品の作成地を明示した方が良かった。
朝からかなり混んでいたが、ほとんどの人は1つの作品に5分もかけておらず、人が停滞しているのは部屋毎の解説の前くらい。先日のボストン美術館日本展の絵巻物で苦労したようなことはなかった。
エルミタージュの方は、「83作家の作品、全89点」で「400年にわたる西欧絵画の歴史をたどる」というもので、いやはやであった。16〜18世紀のものはヴァン・ダイクとレンブラントを除くと殆どがC級。ただ、女性であることを売り込んだはしりのエリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランMarie Élisabeth-Louise Vigée Le Brun、アンゲリカ・カウフマンMaria Anna Angelica Katharina Kauffmann の自画像があったのは面白かった。

 新しいところでは、シスレー、ルノワール、モネ、セザンヌ、ボナール、マチス、ピカソといったくらい。





それにしても観客は多かった。セザンヌ展は先日、入場者数10万人を突破したという。入場料は大人1500円なので、売上げは1億数千万円になる。エルミタージュの方も会期は7月中旬までなので、かなり儲けることだろう。新自由主義の荒波の中で、世界中の美術館がどこも経営に四苦八苦しているという。我ら日本の団塊老人たちは、世界の美術館の経営難克服に力を合わせて協力しているということになるのだろう。
初めて空間体験した国立新美術館の建物は、正面全面を大きく波打つガラスで覆った中に地下から3階までの繋がった空間を作り、そこにロビーをおくという実に開放的な格好になっている。しかし、「誰がガラス窓を掃除するの?」「空調にいくらかかるの?」と聞きたくなる代物だ。西欧のミュージアムには、門から玄関までを歩くしかない現代の観光客には遠すぎるところに建っている前代の王侯貴族の冷暖房もない城館におかれているものが少なくない。黒川紀章のデザインは、現代世界における上位1%=現代の王侯貴族、先進工業国の人々の欲望に応えた城館なのだろう。







2012年4月30日月曜日

ジジイが歩くと、、、

地下鉄に乗ったら何と冷房がかかっていた。気温が上がったとはいえ、冷房などまだ必要はない。今から冷房漬けにして夏場の電力需要が下がらないようにしようとしているのか。2010並みの猛暑を想定しての電力不足キャンペーンがうるさい。他方、2013年にピークに達すると予想されていた太陽活動のピークが早まり、今年から数十年の活動停滞期に入っているとの説もある。そうなれば冷夏になる可能性が高い。しかし、真の論点は、便利で安楽を不可侵の絶対美徳とした現在のエネルギー過剰消費の生活・社会構造だろう。どうしたらこれを打破できるものか。

神田駅で「エスカレーターが閉鎖となりました」という掲示を見た。昨日は「7日は休刊となります」というチラシを見たし、そしてバスでは「発車になります」というアナウンスを聞かされた。自然現象ではないだろう。どうして「閉鎖しました」「休刊します」「発車します」と言えないのか。どれも自分がやっていることを、あたかも誰か他の者、自分の意向ではどうにもならない不可抗力がそうさせているかのように言う。こうした「ご近所さん」レベルの無責任主義には辟易する。



2012年4月29日日曜日

六義園は社交場


風もなく実に良い日和だった。気温は暑いくらいまで上がった。それでも湿気が少し残っていたのが良かったのかもしれない。


六義園へ散歩に行き、新緑を楽しんだ。おそらく東京に残っている下屋敷の庭としては最高のものだろう。65歳からは入場料も半額、年間パスは何と600円とのこと。園内至るところ老人ばかりで、格好の社交場になっている。ぼんやり歩いていると、ぼくよりはずっと高齢の男性から「つつじ茶屋には行かれましたか」と尋ねられ、園内の解説を受けた。庭の中央にある大泉水の水源は玉川上水を延ばした千川用水から引いていたのだが、都営三田線が作られた際に断ち切られ、今では井戸から揚水し循環されていることなどを伺った。誕生日を迎えるのが楽しみになった。


駒込駅と六義園との間の交差点におもしろい表示の組み合わせを見つけた。「豊島区 Toshima City」という表示と「文京区 Bunkyo Ward」という表示が交差点で向かい合っている。英語植民地主義の表れというべきか。
そういえば以前、通勤で渡っていた橋の脇には、「荒川 Arakawa River」とあった。そのうち成田空港には「日本国 Nippon State」なんて表示が掲げられるのだろうか。強い者にしっぽを振るのが習い性となったワンちゃん根性。



2012年4月28日土曜日

サンフランシスコ条約の還暦祝い

初夏の気温になった。至るところで花が咲いている。新緑も美しい。とはいえ、街中のため園芸種の派手な花ばかりが目立つのが何とも哀しい。


自民党の改憲案が発表された。中学生並みの内容。内容に目をつぶるとしても、「あなたは日本人か」と言いたくなる程のひどい文章。なまじきちんとした文章ではアッピール効果がないのかもしれない。唯一評価できるのは、サンフランシスコ条約発効60年を意識したこと。昨今の護憲派が60年安保ばかりを標的にし、昨年の9月8日の調印60年をろくに記念しなかったことよりも、この点はましかもしれない。


もっともサンフランシスコ条約が作り出した対米従属の枠組みを変えるというのではなく、「還暦」を迎えこれを改めて確認し、事実上強化するというのがこの改憲案の方向だ。
「衆参対等統合一院制国会実現議員連盟」(民・自・公・み)120人も憲法42条改正提案を衆院議長に提出したという。みんなの党も改憲構想を出したらしい。いずれも、首相公選、参議院廃止、改憲発議要件の緩和を主張する橋下・維新の会が先鞭を切った動きに連なるものだろう。現状では、こうした内容の改憲が発議されるまでになる可能性は極めて低い。しかし、フラストレーションを高めている財界と「スピード感ある政治」を求める「民意」とが政治的に合流合体したとき、それは現憲法の改憲手続き条項を越えた形での突破力になるかもしれない。

気分転換ばかり


国立博物館に「ボストン美術館 日本美術の至宝」展を見に行った。目玉の平治物語絵巻三條殿夜討巻はさすがだった。吉備大臣入唐絵巻は絵も面白かったが、詞書のかなが美しく楽しめた。宣伝している曽我蕭白は、受けを狙った構えがみえみえで技法も高くなくつまらない。

それにしても混んでいる。本館へまわって平治物語絵巻の六波羅行幸巻と見て早々に帰った。


ワシーリー・グロスマン『人生と運命』を読み始める。ナチズムとソビエトの全体主義体制は似ているが、体制の公認教義がヒューマニズムを肯定しているか否かの点だけが異なるといった指摘を思い出した。実に暖かで豊かな人間の描き方なのだ。今のぼくの気分にしみ入るように応えてくれる。1巻だけでも500頁はあるのだが、読み出すと止めるのが難しい。

2012年4月25日水曜日

ストレス(その1)

なじみの肉屋さんに行くと、園芸にこっているご主人が育てた見事なボタンが咲き誇っていた。


今朝もまた地震があった。地震の度に4号機の使用済み核燃料プールが心配になる。


4号機の建屋は、昨年3月15日の爆発で大きく破損し、使用済み核燃料プールが外部に剥き出しになっただけでなく、強い余震があればいつ崩壊しても不思議ではない危険な状態になった。東電は従来の耐震基準の2割増で補強工事を行ったから大丈夫と言っているようだが、しかし生身の人間が生きていることが出来ない程の高線量の現場でどれだけの工事が出来たのか怪しいものだし、またこれから起こる地震が2割増という範囲内に治まる保証はどこにもない。


核燃料プールには炉心の倍以上の使用済み燃料があり、これが崩壊すれば福島第1に人がいることはできなくなり、チェルノブイリの10倍規模の放射線汚染が引き起こされるという。事故直後3月25日の原子力委員会「不測事態シナリオ」でも、4号機プールの使用済み核燃料が溶解した場合、半径170kmが強制移住、半径250km(横浜くらいまで)に避難勧告とあった。


東電は今日、核燃料プール内に散乱した瓦礫の分布図を発表した。共同通信によると、「分布図を参考にがれきの重量や大きさを推定し、必要な機械の設計や撤去方法を検討する」とある。
http://www.47news.jp/47topics/e/228644.php

「東京新聞」4月17日の「こちら報道部」の記事によると、使用済み核燃料の取出しを3年後には終えるとの東電の工程表は、現場の高線量から無理で、最低でも5年はかかるだろうという。それまでに核燃料プールを倒壊させるほどの地震は起こらない保証はどこにもない。

そういえば3月8日の「朝日新聞」によると、4号機の核使用済み燃料の過熱による崩壊がなかったのは、まったく偶然のたまものとのことだ。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201203070856.html

2012年4月24日火曜日

多数代表制の時代は終わった?


近所を歩いていたら、植え込みの端からアミガサタケがのぞいていた。おいしいキノコなのだが、汚染を怖れて採取は諦めた。まったく東電と政府にはアタマにくる。


フランス大統領選挙第1回投票では、移民排除を訴える国民戦線Front national のルペン Le Pen が18%近くを得票し第3位を占めた。第4位は左翼戦線 le Front de Gauche (なぜか日本では極左とレッテルが貼られている)のメランション Melenchon で得票率約11%。1位につけたオランドが約28%で、サルコジが約27%。そして全体の投票率は約80%。


5月6日の決選投票に残った双方は、第3位以下へ投じられた票の獲得に向けて釈迦力になる。かつてなら国民戦線票はサルコジへ、左翼戦線票はオランドへ流れるものと、ほぼ予想できた。ところがルペンはこれまで前面に出していたサルコジ批判を弱めていない。他方、「左右を越えた支持」を訴えているオランドに対して、メランションは極右との絶縁を求めている。いずれも大統領選挙だけでなく、その後に予定されている議会選挙での議席をにらんでのものだ。


こういう動きを見ると、「議会までの民主主義」を越え「行政権までのまでの民主主義」の実現を謳って、多党状況を人為的に2極へ絞り込むべく導入されたこの国の小選挙区2回投票制が限界にきていることを感じざるをえない。確かに第2回投票での多数派形成工作は、それまで議会内の「民意からかけ離れたところ」で隠れて行われていたという駆け引きを、「選挙民の面前」で公然と行われる透明性の高いものにしたかもしれない。しかし、その多数派形成の内容は、今回は多くの有権者にとって訳の分からないものになっているようである。


それはサルコジの右派とオランドの中道左派との違いが少なくなり、両者によっては代表されないと感じる者がふえ、政治勢力としても自立し、多党化状況を強めているからであろう。こうした状況は海賊党が躍進したドイツでも見られる。そして日本の現状も同じ脈絡で理解できると思う。多数代表制によって人為的に2極対立を作り出し、「強い政府」「機敏に動く政府」への「民意の反映」を計れば政治に正当性が得られる時代は終わったと思う。

2012年4月9日月曜日

家事の性別役割分担の6形態


かつて経験したことのない酷い「冬」を送っていた。このブログも止めようかと思っていた。ところが、何人かの友人から「ブログはどうした?」との問い合わせを受けた。そもそも勤め先で学生向けに出していた個人新聞を引き継ぐようにして始めたブログだった。振り返ってみると、しかしとても学生向けとは言えない内容になってきいる。教員の仕事はあと1年足らずで止める。その序でに止めるのも一案だろうが、この際は学生との関係に縛られずに書くという転進もあるかもしれない。当面はそんな過渡期の迷いを記録していくことにした。

先月末に卒業生の論集に寄せた小文を再録する:



性別役割分担としてここで報告するのは、男女夫婦の間での家事の担われ方である。長年にわたる観察の結果、筆者は観察対象には様々な形態があり、そこには社会における男女関係のあり方が反映しているとの結論に達した。
以下、男性の家事遂行が少ない順序でこの諸形態を整理する:

第1形態:男子厨房に入らず
男性が関与しないのは台所だけではない。自らの衣服管理も女性が行うべき家事とされるから、その日に着る衣服は女性によって日々用意され、脱いだ衣類は脱いだままにしておいても女性によって片付けられる。
帰宅して奥さん*1が不在だと、部屋の明かりもつけずに座って待っているという事例を聞かれた。自宅の鍵は自分で開けて入ったとしても、何もやらずにいたことは「俺が帰ってきたというのに不在とは何事か。俺に何かをやらせろというのか」という女性に対する抗議であると推測される。

第2形態:「うちの人はよく手伝ってくれるので助かっています」
男性がよくやる家事のトップ3つは、25年くらい前に行われた調査によると、新聞取り、雨戸開け、ゴミ出しであり、平均所要時間は7分であった。雨戸のない家がふえた現在、この所要時間が短縮されたか、それともそれに代わって洗濯物の取り込みなどが昇格したかは不明である。

第3形態:「家事は趣味です」
色々なところで「オトコの料理」といったものが面白気に語られるのを見たオトコ*2たちが、陽気の加減か、憂さ晴らしかで外から見たら発作的としか思われない時に料理や掃除に取りかかったりする場合。
日頃食べている食材の値段を知らないから、概して高いものを買ってくる。素人料理の出来不出来は食材の善し悪しによるところが大きいので、調理の仕方がなっていなくても、「お父さんの作ったものはおいしい」とほめてもらえる程にはなる。しかし、こうした発作の後の台所の片付けは大変である。これもたまに食事の手間が省けた分よりも負担が少なければ許容され、幸せが共有される。

第4形態:「家事は平等に分担しています」
平等という法的正義観念に縛られた男性の多くは、この観念から出発して家事に立ち向かう。その雄志は極めて気高く美しいものであり、きれいごとでお茶を濁すことを旨としている学校教育の場では大いに推奨されている。
ここでは男女の間に、本来的に固有の家事役割は想定されていない。「料理はオンナ、力仕事はオトコ」といった固定的分担は存在しない。家事作業の内容に関わりなく、専ら平等が規準とされるのである。
しかし家事は日々の生活の中で行われる営みである。それはいわば総合戦であるから、その従事時間や作業量を数量計測して半分にすることはできない。
家事の現実の前に、この法的平等観にたつ突撃は、所要時間や作業の「半分」が終わった時点で交代するというような、喜劇にたちまち転化する。一週間が奇数のため割り切れないという事情も、この平等観の実践者がぶつかる深刻な問題である。

第5形態:家事の「棲み分け」分業
第4形態の喜劇が悲劇に再転化することを回避する結果とられることの多い形態である。一方が買い物と後片付けをし、他方が調理をする、一方が洗濯し他方が干して取り込むといった、家事をより下位の作業工程に分解したうえでの分担形式(細かい分業)をとったり、一方が炊事、他方が掃除洗濯を担当するといった分担形式(大まか分業)をとったりする。後者の場合によく語られるのは、「それぞれが得意なものを分担する」という説明である。

ここでも第4形態が規準とした平等が分担の尺度となる。細かい分業については、異なる作業工程間での単位作業の定量を設定することの困難性が問題となる。何を調理するかを考えずに買い物はできないし、後片付けや次にとる食事を考えずにこれからの料理にとりかかることも少ない。干す順序を考えて洗濯し、着る時を考えて洗濯物を取り込む。家事を観念の上で一連の作業工程に分解して理解することはできるとしても、実際の家事において各作業工程は内的に相互連関しており、実際の作業上はこれを分解することはできない。
さらにまた、大まか分業についても、家事を構成する諸作業は相互に質の異なる作業であるという困難が存在する。将来、料理や掃除・洗濯を一手に行うロボットが作られたと想定してみればこのことは理解できる。そのプログラムの複雑性(というのかな)や量は異なるであろうし、実際の作業に要するエネルギーも異なるだろう。感情のある人間が、異なる作業間での平等分担を実現することは、そもそもこれら作業間を貫通する量的計測ができず、質的均衡を計ることができない(まぁ形容矛盾ですね)以上、不可能事といってよい。
この第5形態を現実に維持しているのは、一方で平等(量的でしかありえないとしても)の追求と、他方で絶えず現実に生じる不均衡を是正するためとして発揮される相手方への無定形の配慮である。

第6形態:やれる方がやる
現実の生活において第5形態がその限界に直面する確率は低くない。それは一方が疾病、事故などで家事を行えなくなる事態である。かかる事態に際会した場合、第5形態でも男女の共同生活は危機に瀕する。共同生活を解消するか、それとも危機克服のためあらたな形態を作るかの選択が迫られる。その結果としてとられるのが、「やるしかない家事はやれるほうがやる」という形態である。
この形態においても興味深く観察されるのは、この形態にある男性の多くは「よくそこまでやりますね」と感心される(または呆れられる)ことには慣れていても、時折「しかし、私のようにやっている男は少ない」という自負を漏らすことである。こうした自己表現は、この形態の女性の方もないことである。

*1 大槻文彦先生の『大言海』によると、本来は「家の内の後ろの方」、つまり「奥方に居る」人の意味とのことだから、この方たちはで自ら家事などはやらない。家事にかかわるとしても使用人等に指図することくらいで、自分で身体を使い、手を汚すことはない。だから庶民の中に本来の意味での奥さんは言う筈もないのだが、しかし万事上昇志向を良しとする人々としては、この形態においてはこう呼ぶのです。

*2 男性でも男子でも、漢字で書く男でもなくカタカナでオトコと記すとき、これは股の間にぶら下げているものに絶えず意識を配っている存在を意味する。



以上、昔に作った小話でした。

2012年2月29日水曜日

心身問題?

暮れ以来、うっすらとした体調不良が間歇的に続いている。血が通っていないような脚の冷え。そして規則性なく襲ってくる目眩。我慢すれば我慢できる。しかし、根をつめたり、集中するのが辛い。仕事にならない。
医師は血の巡りが悪くなっていると言い、ストレス、この冬の寒さの中での免疫力の低下、自律神経の失調を指摘する。

思い当たるストレッサーは沢山ある。それを少しでも減らしていくとすると、さしあたりニュースから遠ざかるのが有効かもしれない。日米安保マフィアによる辺野古キャンペーン、橋下の思想調査の踏絵、原子力村の反転攻勢などなど。


ドタマにきていては冷静に分析・批判することもできない筈なのだが、やはり情念の力につき動かされることによって初めて考えていたのだろう。そうした「熱い心」と「冷たい頭」の一体的関係は、最早この身体が許さなくなってきたということか。













2012年2月2日木曜日

腐っているのは沖縄防衛局だけか

また沖縄防衛局の局長ドノである。前局長の低劣発言といい、今度の御「講話」といい、この人たちの上から目線には呆れる。我は偉いお上であり、下々を善導する立場にある。こんな感覚か。


自民党の石破クンがけしからん等と言っているので、「そんなことを言っていいのかな」と心配してあげていたら、案の定、御「講話」は慣例化していたと報じられた。自民党政権下でもやっていた訳だ。


ついこの間は経産省の審議官がインサイダー取引をしていたことがばれた。そのおじさんの曰く:「妻の名義で行ったので問題ないと思う」。


こんなことを月代わりメニューで見させられていると、全省庁の入り口にかのアクトン卿の名言を大きく掲げるべきだと思ったりする。
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」
Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.

2012年1月31日火曜日

経産省前「テントひろば」

19日、原子力安全・保安院(経済産業省)のいわゆるストレステスト意見聴取会は、関西電力が提出した大飯原発3、4号機の安全評価(ストレステスト)を「妥当」と評価した。再稼働の前提として定期検査中の原発を対象に行われるコンピューターでのシミュレーションによる第1次評価である。

この意見聴取会はこれまで傍聴できる会議であった。しかし再稼働にOKを出したこの日の会合は、モニタを通じた「傍聴」もない密室審議だった。直接には、会議のメンバーである岡本孝司(東大工学研究科教授原子力専攻)、阿部豊(筑波大大学院 システム情報工学研究科教授)、山口彰(大阪大大学院工学研究科教授)が、原子炉を製造している三菱重工業からそれぞれ200万円、500万円、3,385万円の資金を受け取っており、利益相反していることが糾問され、再稼働が遅れるのを避けるためだった。

そして24日、経産大臣枝野クンは、経産省前広場にある脱原発を求める市民団体のテント(テントひろば)に対し撤去するよう文書で求めた。しかし撤去期限の27日、テント周辺には撤去要請に抗議する市民が約800人から集まったため、テントは排除されなかった。

経産省前の広場は経産省の管轄場所だろう。いうまでもなく経産省は、東電など原発を支えている諸企業の代弁者ではなく、国民の政府の一省庁である。この広場の使い方も国民の立場にたってなされなければならない。

枝野クンは、9月に原発については「国民的議論が必要」と言っていた。とするならば、脱原発を求める市民の声に十分に配慮することがどうしても必要になる。政府が設けている原発に関する各種の委員会などは「原子力ムラ」の声を過大に代表していて、ほとんど脱原発の声を反映していない。それを思えば、庁舎目の前の広場に脱原発派が常時いてくれることはむしろ歓迎すべきことだろう。なにしろこの広場前テントは、今では全国の脱原発派の重要な交流の場になっており、国外の運動やメディアも注目するセンターともなっている。

国民的議論を真面目にやろうというのなら、「原子力ムラ」の主張にばかり場を与えるのではなく、脱原発派にも相応の場を保障しなくてはなるまい。「テントひろば」は経産省が頼んで作ったのでもないのに、ここにくれば各地を回ることなく全国の脱原発派の動向が大方は分かるほどの脱原発派の情報センターにまでなっているのである。枝野クンが国民的議論をきちんとやろうという立場にたつならば、経産省前の寒い広場にではなく庁舎内に脱原発派のたまり場を提供しても良い筈だろう。

経産省厚生企画室は、「テントひろば」による敷地の使用許可申請(昨9月)に対して、「国有財産管理と特定の団体には許可出来ないという、行政の立場」から不許可にした。これに対して「テントひろば」から不服申請が出され、いま行政不服審査法に基づいて経産省会計課が審査中だという。なるほど経産省前の広場は国有財産であろう。だからこそそこに脱原発派が常時集まってくれていることは、経産省・政府にとっても必要なことのはずだ。

2012年1月25日水曜日

白菜鍋、またはビンロー

この季節になると2週間をあけずに作る鍋がある。白菜に鶏モモ、春雨、干し椎茸、そしてごま油で作る。調理というほどの手間はいらない。しかし、おいしく食べようとするなら少し時間をかけた準備がいる。


大きな鍋、白菜(人数と鍋の大きさに応じて多めに)、鶏もも肉(1人分80gで十分)、干し椎茸、春雨、胡麻油を用意する。
1)干し椎茸を数個、(軸はとって)水に入れ戻しておく。春雨も戻しておく。
2)白菜の白い肉厚のところを葉の部分を分け、食べやすい大きさにザク切り。白菜の白い部分と、戻した椎茸と戻し汁を鍋に入れ、胡麻油を少々たらし煮る。
3)白菜の白い部分が柔らかくなったところで、白菜の葉の部分と、食べやすい大きさに切った鶏ももを鍋に交互に入れ、水を具が隠れるくらいに足して煮続ける。
4)大体が煮えたところで、春雨を適当な長さに(はさみで)切って入れ、火を止める。


醤油、ショウガ、ゆず山椒など好みのもので調味して食べる。白菜だけでも十分においしい。スープも実に良い。


鶏肉の代わりに豚の薄切りを使ってもよい。何れにしてもこの鍋では肉の役割は出汁を取ることなので、煮込んでも味が失われにくい鶏モモあたりが適当だと思う。干し椎茸や春雨抜きでもおいしく食べられるが、加えた方が格段においしい。春雨はデンプンで作ったまがい物(国産に多い)ではなく、緑豆から作った正統なもの(中国からの輸入品はこれ)でなくては悲惨なこと(鍋がぐじゃぐじゃ)になる。


僕は前日に椎茸を水に浸けておき、翌朝出る前に白菜の白い部分と鍋にかけ、春雨の袋に水を入れておく。こうすれば帰宅しててから3)以下の作業だけで直ぐに食べられる。


この鍋のおいしさは、白菜のグルタミン酸(アミノ酸系旨味)に肉のイノシン酸と椎茸のグアニル酸という核酸系の旨味が加わり、相乗効果を発揮することによるとのこと。このレシピは妹尾カッパの本で知った料理「ビンロー」の長年の経験による改訂版。



2012年1月21日土曜日

談志

寒い。
昨年秋口に帯状疱疹が起こった箇所にそって、年末来凄まじい冷えに襲われている。初めは「これが世に言う冷エという者か」と感心していたが、今や日々が闘いである。ヒート何とかという下着を重ね着し、カイロをいくつも貼付けるという有様。加えてのべつまくなしに二日酔いのような目眩が襲う。これも加齢の現れとは思うものの、かなりに癪に障る。第一、仕事にならない。


こんな体たらくなので、去年からこの週末は休むことに決め、研究会にも出ずにぼんやりしていた。


とは言うものの、貧乏性のせいだろう、つい貯めていたメモを片付けようとついPCを開いてしまった(そうなのです。静かにしていたい時はPCを立ち上げもしないのです。携帯などは鞄に入れたまま)。
そして去年11月に亡くなった立川談志「とは何だったか」とネットをさまよってしまった。


知らなかった。まったく知らなかった。その技量の高さ。彼の生きた目。そして彼の仕事が落語の歴史社会的限界に挑戦する前衛 avant garde の仕事であること。 彼は僕の同世代の「できる奴」であること。You Tube で日がな一日、芝浜、富久、やかん、千両みかん、金玉医者、唖の釣り、風呂敷、勘定板、源平盛衰記などを(高校から大学の元気な時代に帰って)楽しんだ。


上田哲を応援したことのある彼でも西部邁は彼を応援していたこと。そして他方、自称前衛党の機関誌『赤旗』では彼が出たり批評の対象になることはなかったこと。サヨクの僕は色々考えた。

2012年1月18日水曜日

どこが違う?

昨年末の金正日葬儀の際には、あられもなく泣き叫ぶ平壌の人たちの姿が報じられた。これを見て毛沢東死亡時に聞いた話を思い出した。部屋の中では喜びを爆発させていた人たちが、外に出るときには泣き顔を作り、涙が十分に出せない人は玉ねぎの切り口を目の回りに塗ってから人前に出たといった話だ。


「朝鮮人民なら」「中国の公民なら」当然だといったことがあったのだろう。しかし、これはかの独裁国の話と笑って済ませられなくなっている。昨秋、大阪では「君が代」斉唱もできない教員は首にすると宣言した橋下殿とそのお仲間が選挙で圧勝した。


ところでわが最高裁は先日、入学式などでの「君が代」斉唱に起立しなかったことをもって懲戒処分を受けた教職員による処分取消しの求めに対して、「戒告を超える減給以上の重い処分は慎重な考慮が必要」との判決を下した。何でも「学校の規律の見地から重過ぎない範囲での懲戒処分は裁量権の範囲内」だそうだが、やりすぎはイカンよということらしい。


この判決を「一歩前進」と評価せざるを得ないのがこの国の現状である。「懲戒解雇されたとしても収容所送りされれるわけではない。処分に文句があれば裁判ができるではないか」として、中国や北朝鮮とは違うと人はいうかもしれない。しかし、どれだけの人がわざわざ裁判をしてまで処分と戦う労力と時間が割けるだろうか。そして最高裁からしてこの程度の体制順応ぶりである。大部分の人は、「たった1分程度の我慢よ」と、口パクをしたり、愉快でもない歌をこれ見よがしに大声で歌ったりするのではないか。入学式・卒業式のとき、式場は北朝鮮や中国と変わらなくなる。変わらないのがその時だけに限られる保障はどこにもない。

サッカー日本代表チームに選ばれた誰だかが、「あの歌は腹が減るんですよね」と言っていたとか。そういえばある教員養成学部で学生さんに歌詞を書いてもらったら、「岩音鳴りて」というものが、それも多数あった。