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2011年9月19日月曜日

帯状疱疹

帯状疱疹なるものに罹った。腰や関節の痛みが少し妙な具合で、これは筋トレのし過ぎのせいかと思っていたら、それが前兆だった。やがて腿から腰にかけてかゆみが出て、間もなくピリピリと痛みが始まり、腫れ物が帯状に沸きあがってきた。


幸い激痛で辛い期間は数日ですんだ。しかし、横になって静かにしていなくてはならない程には痛くはなく、かといって何かに集中することを妨げる程には痛いという中途半端な日々が10日近く続いた。万事をサボるには申し分のない状態。歳をとると妙な経験をするものである。


この間、10年目を迎えた「9.11」キャンペーンがあり、台風12号の災害があり、ユーロ圏の危機は微妙な局面を迎えた。しかし、こうした問題からそっぽを向いて小説*を読んだりしていた。


今日は明治公園で脱原発を訴える集会とデモがあった。原水禁を含む「社民系」と共産党系とがようやく中央レベルで共同行動をとった。ネットで見る限り、あの公園によく集まった僕達の世代の経験からすると、あの人数は6万を優に越えているだろう。この国の腐敗堕落した主流メディアは、11日のデモに対するのと同様にまともな報道をしないだろう。



バルザック、鹿島茂訳『ペール・ゴリオ』藤原書店、1999年
バオ・ニン、井川一久訳『戦争の悲しみ』河出書房新社、2008年

2011年9月8日木曜日

責任の所在

やはり原子力安全・保安院は、3月11日当日のうちにやがて炉心溶融がおこるとの予測を受けており、また放射性物質拡散予測も知っていたという。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110902-00000117-mai-soci
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110902-OYT1T00978.htm

報道から読み取れる 安全・保安院の対応は次のようだ:
全電源喪失直後:安全・保安院は、緊急時対策システム ERSS による事故進展予測を、 ERSS を開発した原子力安全基盤機構 JNES に依頼。
同日21時半頃:JNES は、2号炉についての予測を安全・保安院に報告。
同日22時45分と12日0時過ぎ:安全・保安院、2号炉について「22時50分 炉心露出 24時50分 燃料溶融」と文章化した報告を内閣府に連絡。
12日朝:保安院、JNES 解析結果を使って緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)により影響計算結果を得る。
12日正午頃:JNES 、1号炉についての予測を安全・保安院に報告。
13日6時30分:JNES は3号炉についての予測を安全・保安院に報告。
同6時50分:保安院は3号炉についての予測を内閣府に報告。


また、保安院は1号炉は、どの時点から定かでないが、約15時間半後、2号炉と3号炉は約8時間半後に炉心溶融すると予測を得ており、SEEDIによる拡散予測もしていたが、その結果は公表もせず、また内閣府に報告していなかったという。


これは例えば業務上過失致死傷などの犯罪に当たることといってよいのではないか。こうした対応によって生じた社会的被害は、地理的・時間的広がりにおいて実に広く、何万人もの健康と生活を奪い脅かすものであって、それは現行刑法で定めている放火・失火、出水・水利妨害、往来妨害など「社会的法益」を害するとされる行為よりも重く深刻なものではないのか。こうした結果を生じる行為を犯罪と規定する現行の刑事法規がないとすれば、これは司法の場ではなく政治の場で責任が追及されて然るべきではないかと思う。


半年後にこうした事実が明るみに出されたのは、「もう今なら嫌になって誰も文句をつけてこないだろう」と、人々の足許を見てのことと思われてならない。