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2011年8月27日土曜日

空海か弘法大師か

空海にまつわる特別展を見に上野へ行った。1ヶ月で既に20万人が訪れた(西洋美でやっている古代ギリシャ展はその半分)というので、余り混まないうちにと9時半の開館で飛び込んだ。春に行った写楽展も混んでいたが、その比ではない。第1室から列ができているので、今回の目玉である「仏像曼荼羅」が置かれた部屋から逆順を辿った。


東寺の講堂から何と8つもの仏像が来ている。それが広い会場に間をあけて置かれている。それだけではない、隣の展示室から入ったところは少し高くなっており、そこからは像を見下ろせるようにすらなっている。


ミュージアムで見る仏像は、それが置かれていた本来の場所にはない照明のもと、現地では決して見られない角度からの視線にさらされている。だからこそこのような特別展示には行く価値があるというものだろう。お堂に行った時とは違う分析的な眼で眺めて回った。持国天の脚のプロポーションには不自然さがあるようなのだが、しかし下から見上げると丁度良く見えるようなことを感じたり、例の人気抜群の帝釈天の少しバターくさい頭部は、うっかりすると明治以降の「後補」ではないかと推理したり、なかなか楽しい時を過ごした。


その後で、いよいよ混みはじめた第1室に戻り、空海24歳の時に記したという聾瞽指帰」と最澄宛という「風信帖」を、「少しずつ前にお進みながらご覧下さい」と言い続るお姉さんの言葉を耳にしながらじっくり見た。三大名筆と言われるだけに大したもの。
さて、これだけの観客を動員できるのは、空海の力なのか、お大師様の力なのか。
http://kukai2011.jp/

2011年8月25日木曜日

「巨大津波を予測していた」報道の狙い

福島第一原発事故についての政府事故調査・検証委員会によると、東電は福島第一に10mを超す津波が来る試算を既に08年にしており、経産省原子力安全・保安院にも報告していたとのこと。


http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110824-OYT1T00991.htm


http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110825k0000m040070000c.html


これで、津波の高さを「想定外」としていた“言い訳”も、東電の嘘でしかないこと、また安全・保安院も津波対策について東電と共犯であることがはっきりした。


しかし、釈然としない。なぜ今この時点でこのことが報道されるのか。僕には、この時点を選んで報じられたことは、福島第一原発事故(その核心は大規模冷却剤喪失)の原因が、津波以前の地震にあることが多くの人によって明らかにされてきたことに対する目くらまし、事故原因地震説に対する牽制、津波原因説の再強調であるように思われてならない。


例えば、原発推進派の「産経」も既に5月25日に、「津波ではなく地震の揺れによる冷却系破損の可能性」を報じていたし、「地震直後の圧力容器破損」の可能性を示すデータが東電公表資料に含まれていることは共同通信も報じていた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110525/dst11052520070022-n1.htm
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052501001193.html

この東電公表データを分析した元原発設計技師の田中三彦さんは、炉心冷却系配管の破壊による
大規模冷却剤喪失事故の推定を説得的に唱えている。東電からはこの地震原因説にたいする説得的な反論はなされていない。

http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1159
http://cnic.jp/files/445p1-5.pdf
石橋克彦編『原発を終わらせる』岩波新書1315、2011年、第1章




地震が事故原因だとすると、福島第1と同じ「マークⅠ型」「マークⅠ改良型」の原発10基(東通原発1号機、女川原発1号機、2号機、3号機、浜岡原発3号機、4号機、志賀原発1号機、島根原発1号機、2号機、敦賀原発1号機)はすべて欠陥原発であることが確定し、運転中の島根2号機は直ちに停止されるべきことになる。それだけではない、他のモデルの原発についても少なくともM9地震に耐えうるかの検証が求められ、これにパスできる原発はどこにもないことになる。


事故原因地震説は、原発推進派にとって最悪の道をとらせることになるのは必定だから、この際は「想定外だった」と言い募ることは止め、「予想はしていたが対策が遅れた」という線で防御を固めようということだろう。


予測していて然るべき報告もしなかった東電と、まともな指導措置を怠った安全・保安院との間で責任のなすりあいが暫くは続けられ、分かりやすい「決着」として担当者などが処分されるかもしれない。例の、やらせメール事件では処分された経産省の次官らは退職金を1千万円以上上積みされて更迭され、予定されていた天下り先へ移っている。やっとその辺りまでシナリオが固まったので、この時点での報道となったということだろうか。



http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2011081302000029.html



今日、国立環境研究所は、ヨウ素の13%、セシウムの22%が東日本の陸地に拡散されたという分析を公表した。


http://www.nies.go.jp/whatsnew/2011/20110825/20110825.html

2011年8月12日金曜日

心体一致?

電力会社の笑いが止まらないような酷暑が続いている。夕方になると、やっと風が吹き人心地がつく。その頃には、頭はオーバーヒートしていて、頭蓋を開いて中に風を通したい状態になっている。それでも、食欲はあるのだから結構なことだ。専ら火を使わない食事ばかり。

以前からクーラーは使わないことにしている。どうにも身体に合わないし、電気代を余計に払いたくないというケチからだ。当然の成りゆきから、家の中では見ている人がいないことに乗じ、あられもない格好をしてうろついている(はい、自宅で仕事ができる特権です)。すると鏡に映った我が身の様子が何か気になってきた。よく見ると体幹が腹の辺りから左に曲がっているではないか。臍曲りであること(衣服に隠されていた!)か、どうしても「左向き」になる腹黒さが、しっかりと身体に表れた背骨を歪めたといった案配である。


さては筋トレを誤ってやり過ぎたためか、歳が歳であるだけにこれからまずいことになると困ると、慌てて近くの整形外科で見てもらった。しかし、「このくらいに曲がっていることはあります。痛みがないなら問題はありません」とのこと。どうにも腑に落ちないが、素人としてはそんなものかと思うしかない。


そういえばレントゲン撮影をする際に入った部屋の入り口には、今ではありきたりのものになったマークと共に「放射線管理室」とか書かれていた。それを見ても何の警戒心も湧かない。むしろこの中の方が線量が少ないのではないかとどこかで思っている自分に気付き、そのことに今更ながら驚いた。



2011年8月7日日曜日

人々の中の“多文化共生”

サボっていた「鼠君哀哭、髑髏隊」(09年4月7日に書きました)を仕上げるため、聴き取りの補足に松井田まで行った。新潟は三条在の友人T弁護士がクルマを出して下さり、事件に関係する場所の写真取材を手伝って下さった。


まず、2.26  事件で事故死した兵士の墓を高崎の竜広寺に調べに行った。そこで、日露戦争で捕虜となり、病死した若いロシア兵士の墓を見つけた。ロシア式とおぼしき立派な墓石である。15年戦争の間は破壊をおそれ地下に埋めて隠されていたという。


次いで安中に、“孤憤”の不戦平和の闘いを貫いた牧師柏木義円の教会を尋ねた。そして彼の墓を近くの西広寺に訪れた。牧師の墓が仏教の寺の墓地にあるのだ。


その後、中山三喜男さん(95歳)宅にお邪魔した。「髑髏隊」に関わり落ち穂拾い的に色々を伺っているうちに、思いもしなかったお話しがさらりと出た。柏木義円の墓が寺にあることに驚いたことを話していたときだろうか、「中山の墓も補陀寺に囲ってあるんよ。**のところ、**のところも一緒」とおっしゃる。何だと思って聞いていると、いずれも受洗した方のいる家庭の墓が、墓地の一角にまとめられているということらしい。


続けて驚く話しが出た。「わたしのお爺さんも、兄貴もキリスト教だった。関東大震災のとき、朝鮮人がたくさん殺された。兄貴は、“処分は俺たちに任せろ”って言って朝鮮人を引き受けて、おふくろは夜なべして日本の服を作ってやって、それに金をもたせてお寺にかくまってもらったのよ。補陀寺の坊さん。英語もできる人で、姉ちゃんも習いに行っていた。そういうことがあったのよ。俺は小学校の一年生だったけれど良ーく覚えている。でも、こういうことは誰にも言わない。言うことじゃない


そう、言いまわって誇ることではないかもしれない。しかし、記録が残されてよいことではないか。どうすれば良いのだろう。ガンガンに冷房の効いた電車の中で震えながら、そんなことを考えて帰宅した。









2011年8月2日火曜日

勝手に決めないで欲しいなぁ

わが親愛なるフィレンツェ市長殿であるマッテオ・レンツィ君が、かのサン・ロレンツォ教会のファサードを、かつてミケランジェロが1515年にデザインした構想によって「完成する」ことを思い立ち、その当否を住民投票に諮るという。同意が得られれば、ミケランジェロ案から500年目にあたる2015年には竣工させるという提案だ。

確かに、レンガ剥き出しの壁でしかないあの未完のファサードは、初め見る人には「おやっ」と思わせるところがある。

しかし、5世紀の長きにわたってそういう姿だったのだ。
あの街の何よりもの魅力の一つは、道が拡幅されたり、建物が建て替えられたり外観が変えられたりせず、何時でも変わらない街並を歩けることだ。「サンタ・クローチェは数世紀かけてファサードを完成させたではないか」という賛成論があるようだが、サンタ・クローチェのファサードは、建物内部との調和もない装飾過多な失敗作ではないか(ドォーモもそうだ)。当初プランがあるからそれを「完成」させるというのなら、サント・スピリトのファサードも「完成」させるというのか。そうなれば挙句の果ては、ローマでは、コロッセオやフォロロマーノの原型修復が行われる等、あの国は至る所で大変なことになってしまうではないか。

マッテオの提案は、当節はやりの reflexive な装いをとっているが、しかしそれは単に観光資源を増やそうという目先の短慮に過ぎない。あの欧米規準で作られた「世界遺産」の元祖の地で、当初プランの「完成」という口実で現状に手が加えるというのなら、これは僕のように西欧かぶれした外国人の意見も、利害関係者の意見としてしっかり聞いて欲しいものである。
フィリピンのコルディリェーラでは「世界遺産」に登録されたばかりに棚田の維持に四苦八苦しているというではないか。「世界遺産」が腐る程に満ちあふれているフィレンツェは、フィリピンより余程に金持ちである。せめて道路の敷石を含めて、現状の維持にこれ努めて欲しいと切に願うものである。ウン、僕は少々怒り、憂いているのである。