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2011年7月31日日曜日

再開・ベトナム便り(その1)




M先生へ

お久しぶりです。
たまにはこういうメールもいいんじゃないかと連絡しました。

現在、ハノイから東に100km程行ったハイフォンという港町にいます。
ここには野村ハイフォン工業団地があって、ここが職場です。
前回のどっぷり現地人生活ではなかったのですが、やはり働き始めると、
日本人同士の付き合いが非常に多くなります。

週3、4で飲み食いをし、私は行っていませんが、週末はゴルフや釣り
などに行く日本人ばかりです。正直、きついですね。私は相も変わらず、
そこらへんを散歩している方が気が楽ですし、楽しいです。

職場はこじんまりとした15人規模のオフィスと工場です。
ぜいたくはできないですが、私としては十分贅沢な暮しです。
朝や帰りは運転手がいてくれて、部屋も掃除してくれる方がいます。
上司の方々と同居しているので、前みたいに現地に放り出されていいですから、
一人で生活したいです。まあ、とは言いつつ、最初の段階ではありがたいのですが。

円高を実感します。前回1円が180ドンだったのに、今回は250ドン以上です。
業務的に円高に救われていることはあるのですが、なんか両替感覚が狂います。

企業では最低賃金引き上げがホットな話題です。
いきなり20%以上引き上げるつもりで、さらに勤務時の飯代も企業が負担しろとのことです。
ある程度の企業負担はやむを得ないですが、企業頼みの福利厚生には、
社会主義国の名が泣いているようです。

ハノイハイフォン間には工業団地が乱立しており、近隣の労働者はむしろ足らず、
企業も寮などを建設して全国的に応募をかけています。
賃金安くてベトナムに来るという選択肢も、ある程度時間が経てばなくなりそうです。
ベトナムも生き残り策を考えていかなければ、けっこうやばい状態です。

まあ、まだ路上のご飯もたくさんありますし、そこらへんに喫茶店があって、
特に休日は何だか知らないですけど人が集まっています。
ベトナム語も少しずつ思い出しているという感じです。

とりあえず、たぶん、痩せてきてますよ!

では、また!

写真は、工業団地の風景やそこらへんの風景や、


ビアホイという庶民の飲み場から買ってきたピッチャーのビール(100円!)です。

ノルウェー、中国、そして

昼休みに泳いだら、何と風邪をひいてしまった。寒気に頭痛。依然としてさえない。そんな中でのこの1週間、ノルウェーの惨事に関わる報道ばかりを見ていた。


衝撃と深い悲しみの中にも、声高に叫んだり怒りを爆発させることはなく、通りや広場などの公共の場で、静かにいたわりあう人々の思いやりに満ちた姿。「暴力によって私たちを黙らせることはできません。暴力への私たちの回答は、より一層にデモクラシーを進めること、より開かれた社会にすること、そして社会参加を進めることです」と、短く穏やかに言い切る首相。


これと対照的だったのが、中国浙江省温州での高速鉄道の事故処理だった。先頭車両を重機で解体し埋めてしまっての運転再開には、「流石は中国共産党」と溜め息が出た。その中国でもネット上で批判が高まると、首相が現場を訪れ、病気療養中だったと詫び、責任ある対処を約束せざるを得なくなっている。


翻ってこの国では、経済産業省が、ツイッター、ブログ等インターネット上での原子力や放射線等に関する情報を、常時監視し、「不正確」・「不適切」な情報に対して「正確」な情報を「伝える」事業を計画しているという。この国の政治システムは、ノルウェーより中国に近いのではなく、中国よりも陰微で抑圧的であるのかもしれない。疲れる。


http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2011/110729_4.html
http://www.toben.or.jp/message/seimei/post-253.html



2011年7月22日金曜日

「店じまい」ではなく、「第3の人生」

誕生日の前後に、年に一度、眼の検査を受けに行くことにしている。視力も変わりはなく、眼底、眼圧なども問題なしとのこと。そこで、3.11 以降、ドライアイが著しくなっていることやら、日差しが強くなって眩しく感じることがふえた旨を医師に伝えると、あっさりと「少し白内障が始まっていますね」と言われてしまった。


加齢に伴うごく普通のことだという。あわててググってみると、60歳代で40〜70%と出てくる。筋トレのおかげで去年より腕や肩がたくましくなった等と、いい気になっていたところへ、とんだ冷や水を浴びせられた格好だ。


少し年長の(と言ってもこの歳になると誤差の範囲なのだが)友人が、「そろそろ店仕舞いに入るので」と言うのを聞いたばかりだったことを思い出した。僕自身は、あと20ヶ月後になった退職を機に、“第3の人生” を始めるつもりでいた。しかし、白内障宣告で、“第3の人生” とは店仕舞いということなのか溜め息が出た。この友人には、50歳になった時に「これで人生の折り返し地点に来た訳だから」と言ったところ、腹をかかえて笑われてしまったことがあった。


少し物思いにふけっていると、偶々「若い女の子たちが脱原発の歌を歌っている」というメールを見た。「制服向上委員会」というグループが「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を歌っている!
http://www.youtube.com/watch?v=ByP8m3XOZdw


そして中学生アイドル藤波心という、文字通り「女の子」としか言いようのない少女が、「批難覚悟で…」と題する記事を書いている。
http://ameblo.jp/cocoro2008/


こりゃあ、店仕舞いはまずい。そもそもこのブログは、授業で出会う学生さんたち向けに始めたものだった。しかし、最近は反応も少なくなり、ドライアイを押してまで続ける意味もなくなったので、もう止めようとしていた。第3の人生ではこれまで以上に人との繋がりが大事になってくると思う。それにブログがどれだけ役立つかは分からない。だが、知り合った方への自己紹介代わりにはなるだろう。誰が読んでいるか分からないという緊張関係に多少なりとも身をおくことは、惚け防止になるかもしれない。これからは第3の人生のためにこのブログを使っていくことにした。