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2011年1月18日火曜日

農業:人類への貢献

ある生協から戸配で野菜等を届けてもらっている。何よりもマトモなものを食べたいこと、また週日に買い物時間取れないためのことだ。
先日、みごとなターサイのロゼッタが届いた。余りの美しさに見ほれた。


こういうものを見ると、例えば寒冷地でも採れる米、おいしい小麦、そしてジャガイモ、豆、トウモロコシなど、今日いとも簡単に手に入るものを作り上げてきた無名の人々の苦闘を思う。その人たちの何世紀にもわたる工夫や努力、奮闘なしには決してこれらのおいしい食物はあり得なかった。

しかし、僕たちの多くが教え込まれ記憶しているのは、「蒸気機関を発明した**」であったり、「電話を発明したベル」であったり、自動車や飛行機を作った誰それであったりする。その殆どが、近現代の工業的技術的な発明改良ばかりだ。これは、単に発明者などの名前が特定できるからだけではなく、ある偏った価値観:「工業の方が農業よりも人間にとっての有用性は上である」等などを前提にし、そうした考え方の促進のためになされた教化であったのではないかと感じたりする。

例えば、中南米の人たちが作り上げてきたジャガイモなしに、ヨーロッパは「近代」に入ることは果たしてできたのだろうか。北米に侵入した西欧人たちは、彼らが虐殺し、その本来の土地や文化を抑圧した原住民が育てたトウモロコシなしに、生き延びることはできたのか。

今や人類の半数近くが主食にしているコメを、灌漑の行き渡らない高地や、雪の降る北海道などの寒冷地でも収穫できるまでにしてきた、この列島に暮らしてきた人々の努力。それは、ノーベル賞何万個を上回る人類に対する貢献であったのではないか。

2011年1月11日火曜日

西洋美術館

都内に越してきてから初めて上野の西洋美術館へ行った。終了間際になったデューラーの版画展を見るためだ。

版画は複製でも現物と大して変わった印象がない。10年程前に東京駅に新設された画廊で有名なものを見たこともあり、今回は好きな画家への義理立て、そして折角近くに越してきたのだから上野の「使い勝手」を経験しようという程度の気軽な気晴らしだった。

デューラーの方は、期待をさして裏切らない。早朝だったため、空いていて落ち着いて楽しむことができた。折角来たのだからと寄った「Outsiders」という企画が、期待もしていなかったのに面白かった。見たことはある Jacque Callot の道化と乞食の作品がまとまって展示されており、特に後者はどの人物構図もよく、何よりも暖かい眼差しに打たれた。




http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/outsiders201012.html#mainClm

序でに、懐かしの常設展を見て回った。この20年で色々の新しいものが入っており、松方コレクションの割合が著しく減っている。しかし、新規購入されたものは、いずれも、松方のコレクション水準と比べても、「どうしてこんなものを日本でわざわざ買わなくちゃあならんのか!」という代物ばかり。所詮は<西洋美術>を美術の範型にしてきた後発の脱亜入欧国の悲しさか。だが、20世紀末から21世紀になっても<西洋美術>一点張りとは何ともはや寂しい。西洋美があるなら、東アジア美術館や中東美術館、インド美術館などがあってもよいことになるだろう。世界各地の美術館を作る経済的余裕もないし、パリやロンドン、ベルリン、そしてNYやワシントンのような帝国のメトロポリタンに東京がなることを目指さないとしたら、西洋美のあり方も変えなくてはならないのだろう。西洋美術館はもうそれ自体が時代錯誤の美術館になっているのではないか。

そういえば僕が西洋美に行くのも約30年ぶりだった。

2011年1月10日月曜日

正月という憂鬱

たまたま僕の誕生日が元旦から半年後(前でも変わりはない)であるためだろうか、正月は他の人にも増して、「一年の計」とか「今年の抱負」だけでなく、<半年の総括><何歳の中間総括>を同時に迫られるようで鬱陶しい。

そんなこともあってか、「喪中」を口実にこの数年、年賀状をサボってきた。数年にして、かつては200枚に近づいていたのが、100枚を切り、50枚を切り、今年は30数枚で済みそうになった。メアドが分かっている人には、「アムネスティやウィキリークにカンパをするために賀状を止めました」と挨拶して、メールで済ませる。しかし、50枚を切り、今後も付き合いたい人との挨拶も怪しくなってくると、老後の人付き合いに差障ると却って不安になってくるから、いい加減なものだ。

「謹賀新年 旧年中は大変にお世話になり心より御礼申し上げます。本年も宜しくお願い致します」といった、紋切り型の賀状に返礼しなくてはならないのかと思うとうんざりする。しかし、退職後の第3の人生にも是非ともお付き合いをしてもらいたい人には、その合図代わりに年に一度の賀状くらいはとも思う。なかなか面倒くさい。

以下が、今年の賀状 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


皆様、お元気で新しい年をお迎えでしょうか。
早々に賀状をありがとうございました。嬉しく拝見致しました。
遅ればせながら新年のご挨拶を申し上げます。

 昨年は秋以降、発作性目眩症と風邪を僕は交互に繰り返し、初老の悲哀を感じさせられ、趣味の筋トレも中断しました。そんな中でも、ポツリポツリと進めていた現憲法の平和条項の起源について、かねてから暖めていた仮説を支える資料に出会い、新たに調べる課題も生じ、やれやれとはいえ嬉しいことでした。暮れには、引っ越して2年目の近所でも大粒の銀杏を見つけ約1千個拾い(変なジイさんです)、豊かな気分にひたったりしました。

 今年はこれまで以上に自分のペースを守り、ストレスを避け、2年後の退職後に備え、研究室のゴミを処分したり、錆び付いていてしまった外国語を磨いたり、研究の区切りをつけたり、去年から始めた木工の真似事の基本を学んだり、中断したブログを書きつなぐこと(相変わらず欲張り!)をめざして、低く静かに進もうと思っています。どうぞ宜しくお願い致します。

昨年に読んだ本では、A.ギャンブル(小笠原欣幸訳)『資本主義の妖怪』2009年、米国国家情報会議(北村愛子他訳)『グローバル・トレンド20252010(2008)年*、リュドミラ・ウリツカヤ(前田和泉訳)『通訳ダニエル・シュタイン』2009(2007)が刺激的でした。*は、National Intelligence Council のサイトで見ることができます。http://www.dni.gov/nic/PDF_2025/2025_Global_Trends_Final_Report.pdf
何につけても対米従属の視点からしか見ないことの歴史的限界を教えてくれました。



皆様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
2011年 正月