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2011年12月4日日曜日

野菜とトリもも肉の蒸し煮込み

準備に10〜15分、調理に20〜30分の超簡単一皿料理。
野菜に肉の旨味がしみわたり、実においしさを増した野菜をたっぷり食べることができる。以前に見た豚を使ったレシピからの応用。この料理では肉は出汁の役割を果たす。豚肉だと仕上がったときにはどうしても肉の旨味が殆ど出てしまい、出し殻の肉を味わうことになる。同じトリ肉でも胸肉を使うと、同じく出来上がりはパサついてしまう。どうやらモモ肉が良いようだ。

材料:トリもも肉 1枚
キャベツ 500〜600g
人参   100〜150g
玉ねぎ  100〜150g
油;塩、胡椒  少々

1.<準備>キャベツを指幅(1.5〜2.0cm)位の帯状(*1)に、
人参はこれより少し幅の狭い短冊に切り、
玉ねぎは0.5〜1.0cm厚位にスライスする。
肉には塩・胡椒しておく。
2.ピッタリと蓋のできる、鍋(できたら厚手の)に油(*2)をひき、
中火で人参、次いでキャベツを固そうなところから順次入れてしんなりさせる。
3.野菜がしんなりして平らにできるようになったら、その上にトリ肉をしく。
(好みで、ローリエ月桂樹の葉を1枚)
更に玉ねぎをしきつめ、蓋をして蒸し煮にする。
4.時折、野菜を混ぜ合わせ、満遍なく柔らかくする。野菜からは水分が出て、肉から出た旨味が野菜にしみわたる。野菜が柔らかくなり、肉に串を刺しても赤い肉汁が出なくなったらできあがり。塩・胡椒で味を整える。<ここまでが蒸し煮>
5.野菜を更に煮込みたかったら、トリ肉を一旦、取り出して野菜だけを弱火で煮込む。30分も煮込むと、野菜はトロトロになる(これを称して煮込みという)。
6.碗状の食器が食べやすい。まず、野菜を取り分け、その上に適当な厚さにスライスしたとり肉をおく。

*1 キャベツの「主脈」部分は、上記5まで煮込めばおいしくなる。しかし、早く食べたいときには、1で取り除いた方がよいかもしれない。中間策としては「主脈」の中央で切り分ける。
*2 油は、料理用の植物油、バター、トリ肉の皮裏の脂など好みで良い。


2011年11月30日水曜日

ため息ばかり

大阪のダブル選挙には今更ながらにため息が出た。
これが現実なのだから嫌でもそのよって来たる所以を考えなくてはならないのだろう。

疲れるなぁと思っていると、昨今の皇室騒ぎで秋篠宮とかが、「いわゆる皇室の制度については、皇室典範があります。制度論については、これは国会の論議に委ねることになるわけで、私が何か言うということではありませんけれども、その過程において、今後の皇室の在り方を考えるときには、何らか、私しくは皇太子殿下の意見を聞いてもらうことがあって良いと思っております」と語ったとの報道があった*。

何様だと思っているのだろう。憲法の規定がなくても自分たちはやっていけると思っているのだろうか。憲法も随分にコケにされたものである。面倒なのは、彼の意見がおそらくは天皇制度擁護派の中でも「開けた」ものであることが多いことだ。そうだとしても、現憲法上は、皇太子なり何とかの宮なりが、皇室制度の在り方を国会が決める過程で意見をいう立場にあるということはできまい。こんな発言がしゃーしゃーと記者会見で述べられ、それが流されることにまた溜め息。

* http://www.yomiuri.co.jp/feature/impr/20111129-OYT8T00783.htm?from=yoltop




2011年11月21日月曜日

疲れる

親しい同僚がひどく疲れた顔をしていた。尋ねると、卒論を指導している学生から一時帰郷すると聞かされたという。身近で不幸があったためではない。3月になってからでは就職後に着るスーツを買う時間が取れないので、今のうちに買いたいので親元に帰ると言うとのこと。11月も下旬になっている今は、卒論も追い込みの時期である。余りにおかしいので、少し問いただすと実は親と家族旅行に行くためと打ち明けたという。


「君たちの人生の知的水準は卒論の水準で決まってくる。君たちは卒業後の人生でおそらく卒論のような論文に取り組むことはない。だから卒論は卒業後には役に立たないと思うかもしれない。しかし、第一に自分で何が問題か、問いをきちんと立ててること、第二にその問いに答えるために、先ずこれまで明らかになっていることを踏まえたうえで、第三に自分が新たに立ち向かっている問題について調べ、情報を整理し、第四に自分の問いに対する答えを探ること。そして第五にこの問いに対する答えを誰にも分かりやすく書いて伝えること。こうしたことは、大抵の仕事でも求められる作業と変わらない。

仮に卒論が社会に出てからに仕事に直接に役立たないとしても、卒論に取り組むことによって初めて君たちは大学での勉強の全体を自分の頭の中にまとめあげて自分のものにすることができる。卒論に一生懸命取り組んだ先輩たちは、書き終えた後では顔つきも変わって卒業していったし、その後もそれぞれの仕事を生き生きとしている。自分と自分の人生を大事にしたかったら、今ここで卒論に全力を傾けよう!」


こんな激励を僕も学生たちにしてきた。この同僚は「卒論なんか大学の先生たちの嫌がらせくらいしか考えていないんでしょう。大学も馬鹿にされたものですよ」という。疲れさせてくれる話だ。それにしても20代前半の若者が親と家族旅行とは。そんなものに付き合う若者は単に幼稚だけなのか。それにして、親もほとんどお病気ではないのか。ひどく疲れる。



2011年11月2日水曜日

努力しないための努力

人に読んでもらうために書いているこのブログには、他人の悪口や否定的に考えざるを得ないことは書かないように努めてきた。しかし、限度に来たようだ。嫌な辛いことが続く時でも、どこかに楽しいこと嬉しいことを見つける。そのための訓練だとも思ってきた。て書く。けられるあっても、ブログを止めるか迷っている。


後期の授業が10月から始まった。毎回初めの例で、学生に「今、重要だと思っている社会問題」「今後重要になると思われる社会問題」について書いてもらった。年々、書かれる内容がボロボロになって行く。今回は改めて、この下降傾斜が一段ときつくなったことを否応無しに感じさせられた。


「年金制度が変わるらしいが、そんな歳まで自分が生きられるか分からない。生きていたとしても、もらえるとは思えない。だから自分たちには関係ないことだと思う」、「世界の人口が70億人になって食料資源の枯渇や貧困や格差拡大が深刻になっているというけれど、自分たちはそんなに困っていない。あと30年くらいで100億人になるというけれど、その時にはどうなっているのか分からないのだから、いま騒いでも仕様がないと思う」、「若者の就職が厳しいのは、ずっとそうなのだから、アメリカやヨーロッパのように騒いでも仕方ないと思う。国の借金もひどいのだし、地震や原発のことがあったんだから、無駄づかいを止めるしかない」等々。


僕が接している学生の殆どは、今の社会が良いとも思っていない。そして、世の中が良くなって行くとは思っていない。そして、社会が人々の意識的な働きかけによって変わるとも思っていない。力を合わせて努力するなどということは、殆ど何か妄信にとり憑かれた狂信的信仰に似たものだと感じてかのいるようだ。少なくとも社会の改革に向かって自分たちが努力することはしたくない。満足もしていないが、変わらない以上、不満をかかえても「仕方ない」と達観し、専ら関心は現状への適応の中にのめりこんでいく。

中には「偉い人」や「ヒーロー」への期待をそれとなく口にする者もいる。しかし、それは少数で、大多数の関心は、希望や夢、期待を持たずにどうやって自分は生きて行くのか。他者と関わらず、他人に負担を与えず、毎日をともかく過ごして行くか。こんな辺りにあるようだ。

このひと月、定年を1年半後に控えているためか、僕は学生たちのこんな社会的構えのありようにいささか参ってしまっていた。

2011年10月5日水曜日

木を読む


林以一『木を読む 最後の江戸木挽き職人』を読んだ。とんでもない本だった。このところ樹木にのめっている僕は一気に読んでしまった。


この林さんは1929年の生まれで、戦後すぐから深川にあった木場で働いていらした方。60歳になってもまだ一人前と言いにくいらしい世界で、今でも現役で働いていらっしゃるらしい。


チエーンソーなら2枚しか取れない材から、大鋸で4〜5枚を切り出したり、直径2mもある材を数メートル挽いても数ミリの誤差も出さないという。木を見ただけで「これは千葉、あれは栃木」などとその産地(出というらしい)が分かるとこともなげに語る。そんな経験者でも、難しいのは良い杢を出すためにどのように切るかを決めることだと言う。さもありなんと思う。


困ったことには、この大鋸による木挽きの技術を受け継ぐ人が殆どいないらしい。この本に10年前に出会っていたら、職を投げ打ってこの世界に飛び込みたくなるような危機だ。


そう言えば、ときどき行く知り合いの家は50年代末に建てられた古屋だが、その二階の天井は、当時「もうこんなものは造れない」と言われたものとのことだった。改めて見上げると、なるほど素晴らしい杢の材が使われているし、欄間などの細工も素晴らしいものだった。

2011年10月4日火曜日

受動的暴力?


ニューヨークでは、貧困と極端な経済格差の進行に抗議して、9月中旬以来、Trinity Place の Scotti Parkに陣取って「ウォール街を占領しよう」「私たちはその他99%だ」という抵抗運動が続いている。
この運動を続けている人たち約1500人が、2日ブルックリン橋でデモをしたところ、約700人が逮捕された(約400人という報道もある)。この大規模逮捕がきっかけになり、これまでこの運動を無視していた大手の体制メディアも一斉にこの運動を取上げるようになり、また労組や著名人からの支援の輪も広がったらしい。日本でも報道されるようになった。

ロンドンでは (3.11 のために気付かなかったが)、3月26日に公共部門切り捨てに反対する50万人以上のデモがあった。マドリッドでは、市の中心にあるプエルタ・デル・ソル広場で約6000人による座り込み(保育コーナー付き)が、5月から約1ヶ月間続いた。
いずれもこの春の、カイロのタハリール広場での座り込みのように、非暴力での抗議の形をとっている。アメリカ合州国でも英國やスペインと同様に表現の自由、集会の自由は、人権として憲法上でも保障されている(有名な修正第1条)。それでも、公道のデモ、長期間にわたる公園の全面的使用となると、これを規制する手がかりになるような何らかの下位法令に引っ掛けられることがあるのだろう。規制の法的根拠となる法令がなくても、力でまさっている現場の警察官はデモを事実上規制するだろう。


デモ参加者が1500人なら700人なり400人なりの逮捕もできるだろう。そうNY市警は判断したのか。しかし、1万5000人のうち5千人は? 15万人のうち5万人は? これは物理的に難しい。では、5万人のうち5千人ならありうるか? これも難しいかもしれない。物理的に可能だとしても、社会的影響を考えるとかなりきわどい。700人の逮捕でもマスコミは無視することができず、世論は動いた。

これはつまるところ物理力と物理力との関係によって決まることなのだろうか。だとしたら、5万人の違法デモや違法集会から5千人を捕まえるのが難しい場合には、乱闘服を着て警棒に盾、催涙弾で身をかためた警察官ではなく、武装した兵士が戦車と共に包囲すればよいことになる。そうした例は、天安門事件を初めとして近年でも至るところであるし、日本でもそうした経験や対応の法的備えは既にある(メーデー事件、自衛隊法78条)

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ニューヨークでは何日にもわたる広場を使用すること、ブルックリン橋の車道を歩くことは、まったく法令に抵触しないのか。タハリール広場の占拠は当時のエジプトの法令に違反しないことだったのか。そうではあるまい。しかし、NY市警は広場から追い出していないし、出動したエジプト軍は発砲しなかった。プエルタ・デル・ソル広場の占拠は最高裁によって法令違反と判定されたが、警察は介入しなかった。

物理力では圧倒する警察や軍が暴力行使を控えたのはなぜか。デモや集会の参加者数が多いことだけではなく、そこに参加していない多くの人々もそのデモや集会を支持していたり、これを物理力で規制・弾圧すれば必ずや反発する多くの人々がいると予想できたからではないか。つまりこうしたデモや集会は、たとえ違法であってもそこで訴えられていること、その内容が支持されていることによって、警察や軍の法令違反を理由とする物理的規制をさせないことができたのだろう。

多くの人々が求めている事柄の正当性、そしてそれを体現するデモや集会への参加者の数の大きさが警察や軍の“合法的”規制を縛る。しかし、これは力の均衡でしかないだろう。一方では内容は正当でも現行の法令には違反するデモや集会、他方では現行の法令に基づく合法的規制。前者の力が弱まれば、たちまち大規模デモも集会でも、警察によって自在に規制され骨抜きにされる。

集会やデモの自由を拡げ、規制を少なくするには、後者の法的根拠を切り縮めていかなくてはならない。現在の力の均衡点を支えるためにだけでなく、規制の法的根拠を縮減し、剥ぎとっていくために、現行法令を事実上乗り越える行動が必要になるのではないか。

こう考えてくると、数千人をこえる大規模デモに予め逮捕されることを覚悟した相当数の者がいれば、そのデモはデモ規制のありようや法的根拠を変え、世論を動かす可能性をもつことになるように思われてならない。

この種の権利の実現の現場では、どうやら力と力との生の対決が現実をつくるところがあるようだ。これは68年世代のノスタルジーではないだろう。とは言え、こんなことが気になるのは、68年世代ならではのことかもしれない。としたら、近い将来の逮捕要員として「その日のために老人よ身体を養生しておけ」ということになるか。

http://stream.aljazeera.com/story/us-anti-corporate-movement-expands
http://occupywallst.org/
http://vimeo.com/29906321
http://democracynow.jp/video/20110407-1

http://www.usuncut.org/
http://democracynow.jp/video/20110328-3

http://www.youtube.com/watch?v=ar2nmOQZEjw
http://www.youtube.com/watch?feature=fvwp&v=sAmyc_TqO1c&NR=1
http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/2011/05/blog-post_22.html

http://15october.net/where/


2011年10月3日月曜日

C'est la vie....

とうとう10月になってしまった。授業に追われ学生たちに悩む日々(!)まで、たっぷりとした時間があると思っていたこの「夏休み」があっけなく終わってしまったことに呆れる。月日の経過に緩急があるわけもない。一体何をやっていたのだろうか。暑さにくたばり、体調不振に参ってしまい、下らぬことに次々に振り回された。


いやそうではないだろう。こうして呆れたり、罵ったりするのは、健康であるのが本来の自分の姿であることを前提にしているからではないか。とっくにアラカンになった僕が、青年時代にそうだったかのようにいつまでも健康で頑強であろう筈がない。

僕は87年に訪れたワルシャワの博物館で、16世紀末から18世紀末まで続いたポーランド・リトアニア連合国のどでかい版図が掲げられていたのを見て自分が苦笑したことを思い出した。いつまでも若かった時を基準に考えるのは、“民族の栄光”とかを後生大事にするのと変わりはない。呆れたり、罵ったりするのは愚かしいことだ。こうしてまた木犀(桂花)の香りを楽しむことができていることを歓んでよいのだろう、、、しかし、、、

2011年9月19日月曜日

帯状疱疹

帯状疱疹なるものに罹った。腰や関節の痛みが少し妙な具合で、これは筋トレのし過ぎのせいかと思っていたら、それが前兆だった。やがて腿から腰にかけてかゆみが出て、間もなくピリピリと痛みが始まり、腫れ物が帯状に沸きあがってきた。


幸い激痛で辛い期間は数日ですんだ。しかし、横になって静かにしていなくてはならない程には痛くはなく、かといって何かに集中することを妨げる程には痛いという中途半端な日々が10日近く続いた。万事をサボるには申し分のない状態。歳をとると妙な経験をするものである。


この間、10年目を迎えた「9.11」キャンペーンがあり、台風12号の災害があり、ユーロ圏の危機は微妙な局面を迎えた。しかし、こうした問題からそっぽを向いて小説*を読んだりしていた。


今日は明治公園で脱原発を訴える集会とデモがあった。原水禁を含む「社民系」と共産党系とがようやく中央レベルで共同行動をとった。ネットで見る限り、あの公園によく集まった僕達の世代の経験からすると、あの人数は6万を優に越えているだろう。この国の腐敗堕落した主流メディアは、11日のデモに対するのと同様にまともな報道をしないだろう。



バルザック、鹿島茂訳『ペール・ゴリオ』藤原書店、1999年
バオ・ニン、井川一久訳『戦争の悲しみ』河出書房新社、2008年

2011年9月8日木曜日

責任の所在

やはり原子力安全・保安院は、3月11日当日のうちにやがて炉心溶融がおこるとの予測を受けており、また放射性物質拡散予測も知っていたという。



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110902-00000117-mai-soci
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110902-OYT1T00978.htm

報道から読み取れる 安全・保安院の対応は次のようだ:
全電源喪失直後:安全・保安院は、緊急時対策システム ERSS による事故進展予測を、 ERSS を開発した原子力安全基盤機構 JNES に依頼。
同日21時半頃:JNES は、2号炉についての予測を安全・保安院に報告。
同日22時45分と12日0時過ぎ:安全・保安院、2号炉について「22時50分 炉心露出 24時50分 燃料溶融」と文章化した報告を内閣府に連絡。
12日朝:保安院、JNES 解析結果を使って緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)により影響計算結果を得る。
12日正午頃:JNES 、1号炉についての予測を安全・保安院に報告。
13日6時30分:JNES は3号炉についての予測を安全・保安院に報告。
同6時50分:保安院は3号炉についての予測を内閣府に報告。


また、保安院は1号炉は、どの時点から定かでないが、約15時間半後、2号炉と3号炉は約8時間半後に炉心溶融すると予測を得ており、SEEDIによる拡散予測もしていたが、その結果は公表もせず、また内閣府に報告していなかったという。


これは例えば業務上過失致死傷などの犯罪に当たることといってよいのではないか。こうした対応によって生じた社会的被害は、地理的・時間的広がりにおいて実に広く、何万人もの健康と生活を奪い脅かすものであって、それは現行刑法で定めている放火・失火、出水・水利妨害、往来妨害など「社会的法益」を害するとされる行為よりも重く深刻なものではないのか。こうした結果を生じる行為を犯罪と規定する現行の刑事法規がないとすれば、これは司法の場ではなく政治の場で責任が追及されて然るべきではないかと思う。


半年後にこうした事実が明るみに出されたのは、「もう今なら嫌になって誰も文句をつけてこないだろう」と、人々の足許を見てのことと思われてならない。

2011年8月27日土曜日

空海か弘法大師か

空海にまつわる特別展を見に上野へ行った。1ヶ月で既に20万人が訪れた(西洋美でやっている古代ギリシャ展はその半分)というので、余り混まないうちにと9時半の開館で飛び込んだ。春に行った写楽展も混んでいたが、その比ではない。第1室から列ができているので、今回の目玉である「仏像曼荼羅」が置かれた部屋から逆順を辿った。


東寺の講堂から何と8つもの仏像が来ている。それが広い会場に間をあけて置かれている。それだけではない、隣の展示室から入ったところは少し高くなっており、そこからは像を見下ろせるようにすらなっている。


ミュージアムで見る仏像は、それが置かれていた本来の場所にはない照明のもと、現地では決して見られない角度からの視線にさらされている。だからこそこのような特別展示には行く価値があるというものだろう。お堂に行った時とは違う分析的な眼で眺めて回った。持国天の脚のプロポーションには不自然さがあるようなのだが、しかし下から見上げると丁度良く見えるようなことを感じたり、例の人気抜群の帝釈天の少しバターくさい頭部は、うっかりすると明治以降の「後補」ではないかと推理したり、なかなか楽しい時を過ごした。


その後で、いよいよ混みはじめた第1室に戻り、空海24歳の時に記したという聾瞽指帰」と最澄宛という「風信帖」を、「少しずつ前にお進みながらご覧下さい」と言い続るお姉さんの言葉を耳にしながらじっくり見た。三大名筆と言われるだけに大したもの。
さて、これだけの観客を動員できるのは、空海の力なのか、お大師様の力なのか。
http://kukai2011.jp/

2011年8月25日木曜日

「巨大津波を予測していた」報道の狙い

福島第一原発事故についての政府事故調査・検証委員会によると、東電は福島第一に10mを超す津波が来る試算を既に08年にしており、経産省原子力安全・保安院にも報告していたとのこと。


http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110824-OYT1T00991.htm


http://mainichi.jp/select/weathernews/20110311/news/20110825k0000m040070000c.html


これで、津波の高さを「想定外」としていた“言い訳”も、東電の嘘でしかないこと、また安全・保安院も津波対策について東電と共犯であることがはっきりした。


しかし、釈然としない。なぜ今この時点でこのことが報道されるのか。僕には、この時点を選んで報じられたことは、福島第一原発事故(その核心は大規模冷却剤喪失)の原因が、津波以前の地震にあることが多くの人によって明らかにされてきたことに対する目くらまし、事故原因地震説に対する牽制、津波原因説の再強調であるように思われてならない。


例えば、原発推進派の「産経」も既に5月25日に、「津波ではなく地震の揺れによる冷却系破損の可能性」を報じていたし、「地震直後の圧力容器破損」の可能性を示すデータが東電公表資料に含まれていることは共同通信も報じていた。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110525/dst11052520070022-n1.htm
http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011052501001193.html

この東電公表データを分析した元原発設計技師の田中三彦さんは、炉心冷却系配管の破壊による
大規模冷却剤喪失事故の推定を説得的に唱えている。東電からはこの地震原因説にたいする説得的な反論はなされていない。

http://www.cnic.jp/modules/news/article.php?storyid=1159
http://cnic.jp/files/445p1-5.pdf
石橋克彦編『原発を終わらせる』岩波新書1315、2011年、第1章




地震が事故原因だとすると、福島第1と同じ「マークⅠ型」「マークⅠ改良型」の原発10基(東通原発1号機、女川原発1号機、2号機、3号機、浜岡原発3号機、4号機、志賀原発1号機、島根原発1号機、2号機、敦賀原発1号機)はすべて欠陥原発であることが確定し、運転中の島根2号機は直ちに停止されるべきことになる。それだけではない、他のモデルの原発についても少なくともM9地震に耐えうるかの検証が求められ、これにパスできる原発はどこにもないことになる。


事故原因地震説は、原発推進派にとって最悪の道をとらせることになるのは必定だから、この際は「想定外だった」と言い募ることは止め、「予想はしていたが対策が遅れた」という線で防御を固めようということだろう。


予測していて然るべき報告もしなかった東電と、まともな指導措置を怠った安全・保安院との間で責任のなすりあいが暫くは続けられ、分かりやすい「決着」として担当者などが処分されるかもしれない。例の、やらせメール事件では処分された経産省の次官らは退職金を1千万円以上上積みされて更迭され、予定されていた天下り先へ移っている。やっとその辺りまでシナリオが固まったので、この時点での報道となったということだろうか。



http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2011081302000029.html



今日、国立環境研究所は、ヨウ素の13%、セシウムの22%が東日本の陸地に拡散されたという分析を公表した。


http://www.nies.go.jp/whatsnew/2011/20110825/20110825.html

2011年8月12日金曜日

心体一致?

電力会社の笑いが止まらないような酷暑が続いている。夕方になると、やっと風が吹き人心地がつく。その頃には、頭はオーバーヒートしていて、頭蓋を開いて中に風を通したい状態になっている。それでも、食欲はあるのだから結構なことだ。専ら火を使わない食事ばかり。

以前からクーラーは使わないことにしている。どうにも身体に合わないし、電気代を余計に払いたくないというケチからだ。当然の成りゆきから、家の中では見ている人がいないことに乗じ、あられもない格好をしてうろついている(はい、自宅で仕事ができる特権です)。すると鏡に映った我が身の様子が何か気になってきた。よく見ると体幹が腹の辺りから左に曲がっているではないか。臍曲りであること(衣服に隠されていた!)か、どうしても「左向き」になる腹黒さが、しっかりと身体に表れた背骨を歪めたといった案配である。


さては筋トレを誤ってやり過ぎたためか、歳が歳であるだけにこれからまずいことになると困ると、慌てて近くの整形外科で見てもらった。しかし、「このくらいに曲がっていることはあります。痛みがないなら問題はありません」とのこと。どうにも腑に落ちないが、素人としてはそんなものかと思うしかない。


そういえばレントゲン撮影をする際に入った部屋の入り口には、今ではありきたりのものになったマークと共に「放射線管理室」とか書かれていた。それを見ても何の警戒心も湧かない。むしろこの中の方が線量が少ないのではないかとどこかで思っている自分に気付き、そのことに今更ながら驚いた。



2011年8月7日日曜日

人々の中の“多文化共生”

サボっていた「鼠君哀哭、髑髏隊」(09年4月7日に書きました)を仕上げるため、聴き取りの補足に松井田まで行った。新潟は三条在の友人T弁護士がクルマを出して下さり、事件に関係する場所の写真取材を手伝って下さった。


まず、2.26  事件で事故死した兵士の墓を高崎の竜広寺に調べに行った。そこで、日露戦争で捕虜となり、病死した若いロシア兵士の墓を見つけた。ロシア式とおぼしき立派な墓石である。15年戦争の間は破壊をおそれ地下に埋めて隠されていたという。


次いで安中に、“孤憤”の不戦平和の闘いを貫いた牧師柏木義円の教会を尋ねた。そして彼の墓を近くの西広寺に訪れた。牧師の墓が仏教の寺の墓地にあるのだ。


その後、中山三喜男さん(95歳)宅にお邪魔した。「髑髏隊」に関わり落ち穂拾い的に色々を伺っているうちに、思いもしなかったお話しがさらりと出た。柏木義円の墓が寺にあることに驚いたことを話していたときだろうか、「中山の墓も補陀寺に囲ってあるんよ。**のところ、**のところも一緒」とおっしゃる。何だと思って聞いていると、いずれも受洗した方のいる家庭の墓が、墓地の一角にまとめられているということらしい。


続けて驚く話しが出た。「わたしのお爺さんも、兄貴もキリスト教だった。関東大震災のとき、朝鮮人がたくさん殺された。兄貴は、“処分は俺たちに任せろ”って言って朝鮮人を引き受けて、おふくろは夜なべして日本の服を作ってやって、それに金をもたせてお寺にかくまってもらったのよ。補陀寺の坊さん。英語もできる人で、姉ちゃんも習いに行っていた。そういうことがあったのよ。俺は小学校の一年生だったけれど良ーく覚えている。でも、こういうことは誰にも言わない。言うことじゃない


そう、言いまわって誇ることではないかもしれない。しかし、記録が残されてよいことではないか。どうすれば良いのだろう。ガンガンに冷房の効いた電車の中で震えながら、そんなことを考えて帰宅した。









2011年8月2日火曜日

勝手に決めないで欲しいなぁ

わが親愛なるフィレンツェ市長殿であるマッテオ・レンツィ君が、かのサン・ロレンツォ教会のファサードを、かつてミケランジェロが1515年にデザインした構想によって「完成する」ことを思い立ち、その当否を住民投票に諮るという。同意が得られれば、ミケランジェロ案から500年目にあたる2015年には竣工させるという提案だ。

確かに、レンガ剥き出しの壁でしかないあの未完のファサードは、初め見る人には「おやっ」と思わせるところがある。

しかし、5世紀の長きにわたってそういう姿だったのだ。
あの街の何よりもの魅力の一つは、道が拡幅されたり、建物が建て替えられたり外観が変えられたりせず、何時でも変わらない街並を歩けることだ。「サンタ・クローチェは数世紀かけてファサードを完成させたではないか」という賛成論があるようだが、サンタ・クローチェのファサードは、建物内部との調和もない装飾過多な失敗作ではないか(ドォーモもそうだ)。当初プランがあるからそれを「完成」させるというのなら、サント・スピリトのファサードも「完成」させるというのか。そうなれば挙句の果ては、ローマでは、コロッセオやフォロロマーノの原型修復が行われる等、あの国は至る所で大変なことになってしまうではないか。

マッテオの提案は、当節はやりの reflexive な装いをとっているが、しかしそれは単に観光資源を増やそうという目先の短慮に過ぎない。あの欧米規準で作られた「世界遺産」の元祖の地で、当初プランの「完成」という口実で現状に手が加えるというのなら、これは僕のように西欧かぶれした外国人の意見も、利害関係者の意見としてしっかり聞いて欲しいものである。
フィリピンのコルディリェーラでは「世界遺産」に登録されたばかりに棚田の維持に四苦八苦しているというではないか。「世界遺産」が腐る程に満ちあふれているフィレンツェは、フィリピンより余程に金持ちである。せめて道路の敷石を含めて、現状の維持にこれ努めて欲しいと切に願うものである。ウン、僕は少々怒り、憂いているのである。

2011年7月31日日曜日

再開・ベトナム便り(その1)




M先生へ

お久しぶりです。
たまにはこういうメールもいいんじゃないかと連絡しました。

現在、ハノイから東に100km程行ったハイフォンという港町にいます。
ここには野村ハイフォン工業団地があって、ここが職場です。
前回のどっぷり現地人生活ではなかったのですが、やはり働き始めると、
日本人同士の付き合いが非常に多くなります。

週3、4で飲み食いをし、私は行っていませんが、週末はゴルフや釣り
などに行く日本人ばかりです。正直、きついですね。私は相も変わらず、
そこらへんを散歩している方が気が楽ですし、楽しいです。

職場はこじんまりとした15人規模のオフィスと工場です。
ぜいたくはできないですが、私としては十分贅沢な暮しです。
朝や帰りは運転手がいてくれて、部屋も掃除してくれる方がいます。
上司の方々と同居しているので、前みたいに現地に放り出されていいですから、
一人で生活したいです。まあ、とは言いつつ、最初の段階ではありがたいのですが。

円高を実感します。前回1円が180ドンだったのに、今回は250ドン以上です。
業務的に円高に救われていることはあるのですが、なんか両替感覚が狂います。

企業では最低賃金引き上げがホットな話題です。
いきなり20%以上引き上げるつもりで、さらに勤務時の飯代も企業が負担しろとのことです。
ある程度の企業負担はやむを得ないですが、企業頼みの福利厚生には、
社会主義国の名が泣いているようです。

ハノイハイフォン間には工業団地が乱立しており、近隣の労働者はむしろ足らず、
企業も寮などを建設して全国的に応募をかけています。
賃金安くてベトナムに来るという選択肢も、ある程度時間が経てばなくなりそうです。
ベトナムも生き残り策を考えていかなければ、けっこうやばい状態です。

まあ、まだ路上のご飯もたくさんありますし、そこらへんに喫茶店があって、
特に休日は何だか知らないですけど人が集まっています。
ベトナム語も少しずつ思い出しているという感じです。

とりあえず、たぶん、痩せてきてますよ!

では、また!

写真は、工業団地の風景やそこらへんの風景や、


ビアホイという庶民の飲み場から買ってきたピッチャーのビール(100円!)です。

ノルウェー、中国、そして

昼休みに泳いだら、何と風邪をひいてしまった。寒気に頭痛。依然としてさえない。そんな中でのこの1週間、ノルウェーの惨事に関わる報道ばかりを見ていた。


衝撃と深い悲しみの中にも、声高に叫んだり怒りを爆発させることはなく、通りや広場などの公共の場で、静かにいたわりあう人々の思いやりに満ちた姿。「暴力によって私たちを黙らせることはできません。暴力への私たちの回答は、より一層にデモクラシーを進めること、より開かれた社会にすること、そして社会参加を進めることです」と、短く穏やかに言い切る首相。


これと対照的だったのが、中国浙江省温州での高速鉄道の事故処理だった。先頭車両を重機で解体し埋めてしまっての運転再開には、「流石は中国共産党」と溜め息が出た。その中国でもネット上で批判が高まると、首相が現場を訪れ、病気療養中だったと詫び、責任ある対処を約束せざるを得なくなっている。


翻ってこの国では、経済産業省が、ツイッター、ブログ等インターネット上での原子力や放射線等に関する情報を、常時監視し、「不正確」・「不適切」な情報に対して「正確」な情報を「伝える」事業を計画しているという。この国の政治システムは、ノルウェーより中国に近いのではなく、中国よりも陰微で抑圧的であるのかもしれない。疲れる。


http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2011/110729_4.html
http://www.toben.or.jp/message/seimei/post-253.html



2011年7月22日金曜日

「店じまい」ではなく、「第3の人生」

誕生日の前後に、年に一度、眼の検査を受けに行くことにしている。視力も変わりはなく、眼底、眼圧なども問題なしとのこと。そこで、3.11 以降、ドライアイが著しくなっていることやら、日差しが強くなって眩しく感じることがふえた旨を医師に伝えると、あっさりと「少し白内障が始まっていますね」と言われてしまった。


加齢に伴うごく普通のことだという。あわててググってみると、60歳代で40〜70%と出てくる。筋トレのおかげで去年より腕や肩がたくましくなった等と、いい気になっていたところへ、とんだ冷や水を浴びせられた格好だ。


少し年長の(と言ってもこの歳になると誤差の範囲なのだが)友人が、「そろそろ店仕舞いに入るので」と言うのを聞いたばかりだったことを思い出した。僕自身は、あと20ヶ月後になった退職を機に、“第3の人生” を始めるつもりでいた。しかし、白内障宣告で、“第3の人生” とは店仕舞いということなのか溜め息が出た。この友人には、50歳になった時に「これで人生の折り返し地点に来た訳だから」と言ったところ、腹をかかえて笑われてしまったことがあった。


少し物思いにふけっていると、偶々「若い女の子たちが脱原発の歌を歌っている」というメールを見た。「制服向上委員会」というグループが「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を歌っている!
http://www.youtube.com/watch?v=ByP8m3XOZdw


そして中学生アイドル藤波心という、文字通り「女の子」としか言いようのない少女が、「批難覚悟で…」と題する記事を書いている。
http://ameblo.jp/cocoro2008/


こりゃあ、店仕舞いはまずい。そもそもこのブログは、授業で出会う学生さんたち向けに始めたものだった。しかし、最近は反応も少なくなり、ドライアイを押してまで続ける意味もなくなったので、もう止めようとしていた。第3の人生ではこれまで以上に人との繋がりが大事になってくると思う。それにブログがどれだけ役立つかは分からない。だが、知り合った方への自己紹介代わりにはなるだろう。誰が読んでいるか分からないという緊張関係に多少なりとも身をおくことは、惚け防止になるかもしれない。これからは第3の人生のためにこのブログを使っていくことにした。

2011年6月24日金曜日

知性の悲観主義はやさしいが、、、

夏至になった途端に暑苦しくなった。東電は嬉々として電力需要が4千万kwを上回り「想定を超えた」と宣伝している。


授業のために教室に入ると、窓が閉められガンガン冷房がかかっている。設定温度を見ると22度。「どうかしているんじゃないか」と僕が言うと、不満で一杯の視線が向けられる。


「地球温暖化をこれ以上進めないためには、私たち自身が余計な化石燃料の使用を控え、再生可能エネルギーを計るよう、身時かな生活から見直すことが大切です」。311の後、今後のエネルギー政策について討論すると、まずは判で押したようにこんなことを言っている学生たちがこの有様だ。


研究室の向かいにある演習室も、授業で使っていないと学生が入り込み、ブラインダーを下し、昼間から明かりをつけ、冷房をかけている。注意するのも疲れた。**採用試験の勉強のためという「大義名分」が彼らにはあるらしい。おそらく、その面接でも問われれば上のようなことを言うのだろう。


福島第一の1号炉の核燃料は、格納容器や建屋の床も突抜け地中に落ち地下水を汚染し、高線量に汚染された冷却水も海中に流れ出ていることは確かとのこと。せき止めるためには地下30m以上にまで掘って遮蔽する地下ダムを作ることくらいしか打つ手がないようだ。東電や保安院は、「地下水は年間5mくらいしか動かないので急ぐ必要がない」との口実で、26日に予定されている東電株主総会前にこの遮蔽壁対策(約1千億円)を公表しないことにしたという。


http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110620k0000e040050000c.html

http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/06/20/小出裕章氏提言「地下ダム」政府が準備中。だが/


エレベーターで、今月生まれたM子ちゃんに会った。食べてしまいたくなる程に可愛い。元気がでる。しかし、こんな酷いことにしてしまった世界に生まれてきた彼らに、僕たちの世代は一体何ができるのだろうか。


この様変わりした世界におかれると、僕のような浅はかな者でも、悲観主義を容易に引き受けることができる。しかし、元来能天気だった意思が、楽観主義に立つことは実に難しい。

2011年5月30日月曜日

女の子で一杯

いま住んでいる醜悪な外見のアパートに越してきて2年半をこえた。その購入の経緯を思い出すと今でも腹が立ってくる。しかし、ここに越してきて確実に良かったことがいくつもある。その一つが、何人もの気持ちのよい人たちと出会え、友人になれたことだ。なぜか女性ばかり。


今日も朝のエレベーターで、4歳くらいの女の子に、「こんにちわ!」と挨拶された。元気が出る。僕たちが使うエレベーターで出会う子どものうち、女の子は5人で、男の子は1人だけ。これまた、どういう訳だろうか。神様は、人生で出会う男女比に釣り合いをとらせようとしているのかもしれない。それならば、もっと若い時に前倒しして欲しかったところだが、まぁこの歳になってからのバランシングも悪くない。


http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif


北からの風が強い中を勤め先に出た。マスクをしている人は殆ど見かけない。職場では、「放射能の影響についての説明会」なるものを、何と原子力安全委員会から人を招いて6月中旬にやるとの通知がまわっていた。呆れて何も言う気がしなくなる。

2011年5月29日日曜日

更に憂鬱になった五月

一ヶ月更新しなかった。
311以来の気が滅入る事態が解決していく展望が見えないためだ。被災地の人々の生活復興の目処も一体どうなっているのか。


今日の「東京新聞」は、タービン建屋や原子炉建屋などの地下に溜まっている膨大な高濃度放射性物質を含む汚染水の水位が、地下水を上回り外部に染み出す恐れが高まっていると報じている。


どこに読者がいるのか分からないようなこのブログでも、知り合いへの近況報告にはなるので続けてきた。しかし、不特定多数の人にも公開している以上は、悪口や愚痴は書きたくない。できることなら愉快なこと、楽しいこと、人と分かち合いたい嬉しい経験を書きたい。この一ヶ月、そうしたことがなかった訳ではない。書く気にならなかったのは、ぼくが落込んで鬱々としていたためだろう。


中旬、気分転換のために群馬と長野の間の山に行った。この4月は花見をする気分にならず、例年連休には出かけていた三冨の雑木林にも行かなかった。山に出かけ、半月遅れで芽吹きと新緑を楽しんだ。


鎌倉は由比ケ浜に、おととし開店したコスパが良くて有名なイタ飯屋がある。月末には、遠路出かけて久しぶりで外でおいしい料理を堪能した。序でに40数年ぶりに見た円覚寺の山門も良かった。
こんな結構なことができているのだから、憂鬱になったりすると罰が当たるというものだろう。







2011年4月25日月曜日

節電とバリアフリー

久しぶりに電車や地下鉄に乗った。駅では至る所でエスカレーターが止まったまま。お年寄りが溜め息をつきながら、休み休み階段をのぼっている。おかしい。脚が不自由な人は階段を降りるのも辛く苦しいはずだ。


節電の必要が仮にあるとしても、そのツケを弱い者に回すのはおかしい。放射線の感受性が高い子どもたちに大人と同じ基準をあてはめて平然としている感覚に通じるものがある。


この国のバリアフリーの程度が知れてしまったと、親しい友人と話していると、もっと呆れる話しを聞いた。彼の勤め先の大学では、学内至る所にある自販機は元気に動いているが、エレベーターは止めているというのだ。そこである人が学長に「バリアフリー法の観点からしても止めているのはおかしい」と糾したところ、学長センセイは、「重いもの等を運ぶ時は動かしてもらって構いません」とのたもうたとのこと。かなりどうにもならない。



2011年4月22日金曜日

参考情報:福島第一原発事故


ドライアイになっているか自分で調べるには、しばらく目をつぶってから目を開き、10秒間瞬きしないでいられるかをみればよいらしい。僕は8秒くらいたったところで、こらえなくなる。つまりドライアイにかかっているようだ。原発事故以来、内外のニュースサイトや、主流メディアに出て来ない情報を求めてネットをあちこち見て回ったからだろう。折角、目をドライにしてやったことなので、この間に見て回って参考になったサイトを整理しておく。

原子力資料情報室 CNIC(国内では最も信頼できる情報源の一つ):
15年戦争資料@wiki の中の特設庫:
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/
福島原発危機リンク集(核情報のページ)

<解説>
科学者会議東京支部「科学者の眼」(原発事故、被曝についての解説。更新中)
081026 小出裕章巨大地震が原発を襲うとき」浜岡原発問題を中心にした論文
日本科学者会議福岡支部核問題研究委員会編『緊急マニュアル 原発事故 その時あなたはどうする』合同出版社:
雑誌『世界』『科学』の一部を無料公開(岩波書店)
日本科学者会議福岡支部・緊急シンポジウム「 福島第一原発で何が起きているのか」

<講演などの映像情報>
3月20日 小出裕章講演「隠される原子力」/問題の全体的概説:
328日藤田祐幸(慶応大学物理学教員)インタビュー「慚愧の思いで語り直す福島原発事故」http://www.youtube.com/watch?v=3UAY2oXyInk
4月1日 矢ケ崎克馬(琉球大学理学部名誉教授)広島講演
4月9日:藤田祐幸「今、福島原発でなにがおきているのか」湯布院講演

<推進派のサイト>
原子力百科事典http://www.rist.or.jp/atomica/
東京電力『原発はこんなに安全です』
http://aoisora.org/genpatu/2011/20110419tepco.html
<その他の情報源>
自称文科系の人のための放射能の話:
放射線量観測データ:
 サイエンス・メディア・センター SMC http://smc-japan.sakura.ne.jp/
Special Forecast products for Fukushima produced by NILU-ATMOS
ノルウェー気象庁の放射性物質飛散シミュレーション

<関連ビデオ>
チェルノブイリ原発事故(1986年4月26)
『終わりなき人体汚染』(NHKスペシャル、96年4月26日放送): 
「サクリファイス 事故処理作業者の知られざる現実」2003年、フェルダート・フィルム(スイス):
「隠される原発労働者」

「なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・”異端”の研究者たち~」
http://video.google.com/videoplay?docid=2967840354475600719#


「原発なしでも電力足りてる」

心からの叫び!元原発技術者菊地洋一さん中部電力靜岡支店で心からの叫び!
原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~NHK 現代史スクープドキュメント 1994年放送、「毒を以て毒を制す」:
小出裕章4月8日/朝日ニュース・インタビュー(画像は高円寺デモ)
http://www.youtube.com/watch?v=fHSJU9aFuTs
49日:京都大学原子炉実験所 小出裕章氏に聞く(岩上安身)
325日:「あえて最悪のシナリオとその対処法を考える」(小出、宮台他)
<解説書>
小出裕章『隠される原子力  核の真実』2010年、創史社
清水修二・野口邦和『臨界被爆の衝撃』リベルタ出版  20004月  
舘野 淳『廃炉時代が始まった』朝日新聞社、20001 

<この問題を考える上でのセンスに関わって>
小田嶋隆「ア・ピース・オブ・警句」世間に転がる意味不明(3月18日以降の毎金曜更新のコラム)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20081022/174784/
中野憲志ブログ
http://nakano-kenji.blogspot.com/