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2010年11月22日月曜日

『通訳ダニエル・シュタイン』

10月初め以来、目眩症が酷くなる度に静かにしながら本を読んでいた。仕事関係では、どうしてもメモやノートを取らざるを得ないし、次には気になった部分について二重に並べた本棚のあちこちを歩き回ってしまう。狭いところとはいえ、これでは静かにしていることにならない。

疲れの大部分はストレスによるものでもあったので、読みたい本のリストにあったリュドミラ・ウリツカヤの『通訳ダニエル・シュタイン』を、ぽつりぽつりと読むことに落ち着いた。パッチワークのようにして物語られるこの小説は、行きつ戻りつしながら少しずつ読むのに適していたのだ。それを今日、とうとう読了してしまった。何とも濃厚な充実した時間だった。

キリスト教については、殆ど知らない僕なので、ユダヤ教とキリスト教、ロシア正教とギリシャ正教の異同をめぐって繰り広げられる人々の苦労などについては皆目分からなかった。読んでいて神をもつ信仰の堅苦しさ、息苦しさに呆れもしていたのだから、神への信仰がこの物語の主要なテーマでもあるので、読んだといっても僕は半分も作者のメッセージは理解できていないのだろう。半分はイスラエルを舞台にしていながら、アラブ、イスラムの人々との関係が殆ど出てこないという不満はある。それでも、もう一度読みたくなる本だった。何故だろうかと考えている。第二次世界大戦でポーランドなどであったことの重さ、その中で貫かれる人間の信頼関係と愛情の尊さ等など。あれだけの侵略戦争をしてきたこの国に、侵略の現場での経験に根ざした小説が殆どない(少なくとも僕は知らない)ことも改めて痛感させられた。
こなれた日本語に訳してくれた訳者にも感謝。

2010年11月21日日曜日

秋は紅葉

松井田の中山三喜男さん(93歳)のところまで、36年の高崎15聯隊での、「鼠君哀哭・髑髏隊」の仮装について再度伺いに行った。中山さんは去年よりもお元気な程で、新たに色々な周辺情報を伺うことができた。先月の北大での Harriman 文書での新たな確認など、どうも収拾しなくてはならない調査研究の領域が、かえって拡がってしまうような気配で、前進はあるものの喜んで良い困り果てている。

折角の遠路の訪問だったので、近くで一晩骨休みをした後、次にやらなくてはならない妙義闘争の舞台だったところの裏道(43号)を通って帰った。「由緒正しい日本の田舎」といった光景で、思いもかけず紅葉を楽しむことができ嬉しかった。遠距離調査のご褒美というところだろうか。

2010年11月8日月曜日

佐野洋子さん

佐野洋子さんが亡くなったことを知って落ち込んでいる。癌の末期であと2年と言われていたことは、最近書かれたものから知っていた。しかし、それから2年以上がたち、新しい文章に接することはなくても、死去の報道を見ることもなかった。「人間だれで死ぬのだから」と言ってはいるものの、それでも病と闘ってしまいながら、彼女の日々を送っているのだろうと思い願っていた。

会ったことは勿論ない。しかし、無性に寂しく悲しい。もう二度と彼女の新しい文章や絵と出会うことはできない。涙が出る。

初めて読んだ本が『100万回』でないことは確かだ。短いエセーのようなもの。涙が出る程に笑い転げた。飾りっ気がなく、鋭いけれどユーモアがあり、きついけれど重苦しくもない。何よりもの魅力は本音だけしか書かれていないことだったかもしれない。


新聞報道には「女性に人気があった」とか、「シニカルさが魅力」などとある。アホとしか言いようがない評だ。人気が女性に偏っていたとしたら、それはこの国のオトコ達のジェンダー・バイアスの強さを表すものでしかない。彼女のメッセージがシニカルと感じるのなら、それは物質的に豊かといわれるこの国の社会の根深い貧しさに無頓着であることの自白でしかない。それ程にこの国のオトコ達はアホではないし、彼女のファンの多くはシニカルさを楽しんでいたのではなく、彼女の指摘の鮮やかさ、社会描写の的確さや鋭さに共感していたのではないかと思う。

殆ど10歳年長なのだが、同世代の姉に先立たれたような寂しさがある。しっかりした格好のよいお姉さん。72歳で逝ってしまうとはやはり早すぎる。

2010年11月7日日曜日

奇跡の時

2年前に越して来たアパートで知り合った友人にいただいたSt.Julien,2000 を、とうとう新しい友人の皆さんと一緒にいただいた。あと少なくとも10年は熟成させたい代物。セラーがないので、駄目にしてしまうリスクを怖れ、開栓した。

この僕にとっては、まず一生飲むことはあるまいと思われるぶどう酒は、熟成期間が最低10年、20年後くらいが最も期待でき、35年辺りが限度と言われるような代物とのこと。「私は味が分からないから」と鷹揚な友人は、「それは夢の多いワインですね」と言う。しかし、20年も待っていたら、ぼくはもうしっかりとしたジジイになっていて、味も碌に分からなくなっているかもしれないし、そもそも生きていないかもしれない。「いつまでも冷蔵庫に入れておく電気代とスペースがもったいないからではない。今しか飲めないから飲むのだ」と熟成したものを飲みたい自分を言い聞かせ、かくて我が人生の奇跡の時となった。

日頃、千円以下のぶどう酒で、それに合う程度の素人料理で僕は満足してきた。100ポイントをトップクラスとすれば、30ポイントのぶどう酒に、低価格・短時間で作れる30ポイントの料理で、これが我が身と生活相応と考えて来た。それが突然に100ポイントぶどう酒である。急に料理の腕が100ポイントになる訳ではない。それなりに材料に投資し、奮励努力したが、牛にオレンジ・ヨーグルトをベースとした料理は、タマネギの分量が多過ぎたため、高く見ても60ポイントに留まった。無念。しかし、さすがにサン・ジュリアン君は、へぼ料理が相手でも際立って最後まで華麗な変化を楽しませてくれた。

うん、それにしてもフランスくんだりから、おそらくは飛行機で運ばれた酒を飲む。これは何と言う贅沢だろうか。糞XXXな僕は、「このような奇跡に出会えたのだから、せめて良い仕事をしなくては」と改めて思った次第。

2010年11月3日水曜日

実りの秋

10月の天候は悪かった。そのせいか僕の体調も悪かった。逆ではあるまい。しかし、今月になって、秋らしい空と雲になり、陽が射すようになったせいであるかのように、僕の体調も回復して来た。歳をとり、「季節の変わり目にはご注意」の度合いが増えたのだろうか。


という訳で、少し目眩を感じたりしながら、職場では授業時間の合間に構内を歩く。ことしはキノコ類が多いというが、余り見かけない。去年、豊作だった生協前の銀杏は、殆ど実がついていない。その代わりというべきか、学内某所にギッシリと小さな実をつけている銀杏を見つけた。


住まいのそばの公園にも大きな実をつける立派な銀杏がある。競争が激しい。おそらく早朝等は、大変な争奪戦になるのだろう。僕が行く暖かな時間には、実を取った果肉部分があちこちに散乱している。それでも、のんびりと樹下を歩くと毎回10個以上は、見落とされたのか、争奪戦の後で落ちたのか収穫がある。何とも楽しい。ドケチでさもしい僕は、得もいえない小さな幸福感で一杯になる。安いものである。