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2010年10月27日水曜日

バランスが取れない

北大図書館で、かねてからの僕のトンデモ仮説が概ね正しいことを裏付ける資料を見つけ、アドレナリンが出まくったためか、札幌から戻った途端に気温が下がった東京で、またまた風邪をぶり返した。


目眩症も戻って来た。今日は、厳寒期にしか着ない下着をつけ、マフラーに帽子といういでたちで職場に行った。寒くて仕方ないのだ。喉も痛いし、全身がだるい。アタマを急に動かすと目眩もしてくれる。


フランスの高校生達ではないが、ジジババはさっさと退職し、職を若者たちに譲り、早く第三の人生を送れるようにして欲しいとつくづく思う。若いことのように馬力で飛ばすのではなく、心身のバランスを取りながら慎重に進まなくてはならなくなっているのだ。


友人からチベットでの抗議運動についての情報が届いた:

http://www.epochtimes.jp/jp/2010/10/html/d97045.html
 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2010102302000031.html
http://dogma.at.webry.info/201010/article_9.html

 
http://www.youtube.com/watch?v=Ae4teTJvDHQ

2010年10月24日日曜日

公園の中の大学

北海道大学図書館へあるマイクロフィルムを調べに行った。20年来の僕の一寸ビックリ仮説の傍証となる資料探しのためだ。ズバリの資料はそもそも期待していなかった。しかし、10数巻のマイクロを2日半精査し、僕の仮説の方向が間違えていなかった確信ができた。


めでたしめでたしなのだが、これで見切り発車して書けば、必ずや「直接の裏付け不十分」との反論が返ってくるだろう。更に間接証拠を固めるには、嫌いな米国の、これまた好きにもなれそうにもない南部にある Clemson 大学なんてところに行かなくてはならなくなりそうだ。20年近くサボっていたのは、何とも恥ずかしい限りだが、これで区切りを付けることにした。

日頃の行いが良いためか、札幌は穏やかで暖かな天候で、図書館に閉じこもり、マイクロ・リーダーに映し出される画面を見ているのが何とも疎ましく感じられた。しかし、ここは20年のサボの回復に全力を挙げなければならない。2日半、ろくに外にも出ずに頑張った。


それにしても、北大のキャンパスは広い。構内バスが走り、専用道路を自転車が走り回し、ジョギングしている人も多い。そもそも、学生より学外から散歩に来ている人が多いのだ。


広いのに加えて100年の年月を経た樹々が何とも美しかった。45年前、知っていたら張り切ってここを受験していたのではないかと思う。デジカメを忘れ携帯でとった写真は、どれもピンぼけ気味。

2010年10月20日水曜日

宅急便の使い方

同居人殿が i-Pad を注文したという。それが届いた。何とも珍妙なもの。

それはともかく、仰天したのは、本体が届く前に送りつけられてきたの梱包である。先ず小さなボール箱が届いたのだ。軽い。計ってみると100gもしない。「さては i-Pad がぬきとられたのか」と思ったが、開いてみると、何のことはない「i-Pad を発送した」というA4の通知が1枚入っていただけ。作業が定型化されているため、封筒に入れるのではなく他の商品と同じ箱が使われているようだ。あきれはてた。

めまいが殆どなくなって来たのを良いことに少し馬力をかけていたら、また目眩がするようになってしまった。壊れやすくなったということだろう。慎重運転。

2010年10月18日月曜日

「第3の人生」のための闘いと法

日本では、退職後の「第三の人生」として人々が希望する期間は平均すると約15年位であるのに対して、フランスでの平均は約25年だという調査を見たことがある。30年以上は退職後を楽しみたい僕には、我が祖国の人々の「勤勉さ」には鳥肌がたつ思いがしていた。人間らしい人生にとって、退職後の「第三の人生」は、この世に生まれ、そして死んで行く人間にとって必要不可欠のものではないか! そんな僕であるから、今度のフランスでの年金改革反対運動は大変に気がかりで注目していた。

9月末くらいから、かの国での年初め以来の年金制度改革反対の運動は、第3の山場を迎えたようだ。年金開始年齢を60歳から62歳へ、全額支給年齢を65歳から67歳へと変える法案は、2度にわたる反対派の全国ストにも拘わらず、既に上院を通過している。しかし、この春の地方選挙では与党は惨敗しているし、サルコジ大統領にたいする支持は30%を切ろうとしているという。

興味深いのは、議会で法案が通っても、否むしろ通った後にも反対運動が盛り上がり、法案反対の全国ストには世論の70%の支持が集まっていることだ。トラック運転手達もノロノロ運転をし、南西部などいくつかの地方では、ガソリンスタンドの蓄えがなくなっているという。首相は、「人々の燃料にアクセスする権利を脅かす権利はない」と反対運動を非難しているそうだが、しかし労働組合のストライキや団体行動は、憲法上でも保障された権利である筈だ。

つまり、法は立法を通して人々を拘束する仕組みとともに、その法を覆す方途も定め、両者の緊張関係の上に動いていることになる。日本の法もそういう構造にはなっている。しかし、後者を実際に使い動かす力は、1970年代あたりで殆ど見当たらなくなった。しかし、そうした力がフランスでは健在であるという事実。これは何とも考えさせられることだ。

改めて感動的なのは、高校生を含む学生たちもが年金問題という、自分たち自身にとっては未だ先の問題に取り組んでいることだ。これは単に教育費削減に対する年中行事化したデモや学校占拠とは違う。この国の若者たちも、凄まじい教育費削減や雇用状況の悪化の中で、現在の政治に対する憤りを高めていると思う。しかし、その憤りがこうした人々に呼びかけ、仲間達で力を合わせての運動にすることが極端に難しくなっているのは、何とも痛ましい。

2010年10月17日日曜日

騎士団、あるいは領土なき国家

9月の旅の白眉の一つは、修復されたマルタ騎士団の教会を見ることができたことだ。10年以上前、在外研究で滞在することができた際にイタリア語を習っていた Giovanni が勤めていた学校の隣には、マルタ騎士団の小さな元教会があり、使われないままに物置のようになっていた。彼が口癖のように「これから少しずつ修復する」と言っていたのが遂に実現していた。

ドナテッロをもうならせたというブルネッレスキ風の十字架磔形像、今なら小さな金庫でも埋め込んでいたかのように思われる壁の穴には、13世紀のマリア像。脇の壁面にはこのマリア像を取り込んだ大きな聖母子像。そしてカラヴァッチョ風とその直後のマニエリスモの手法が並んで使われているサロメのシーンを描いた立派な絵(フラッシュを控えてしまい上手く写せなかった)。平凡な構図だが傑作といって良い。これにはたまげた。
また床には、ロードスの闘いで戦死した騎士長とかのみごとな浮き彫りの墓銘石板がある。踏みつけられて磨り減ってもおらず、作られたばかりかのよう。この種の墓銘石板の像によくあるように仰向けに横たわり、両手を身体の前でくんでいる死者の姿ではなく、抜き身の剣に身をもたれ暫し瞑目しているかのような像だ。
つまり、観光案内書に記されてもよいような立派な作品がいくつもあるのだ。
一体いまどき、どこから修復資金が出たのだろうか。

帰ってからあわてて調べてみて驚いた。マルタ騎士団は、マルタ島にウェストファリア条約後も固有の領土をもった国家として遇されていたということ。18世紀末のナポレオン軍による攻撃を前に、闘わずして島の支配権を明け渡し、領土なき国家となってしまったとはいえ、ナポレオン後のヴェローナ会議では西欧諸国から国家として承認され、現在でもローマにある本部建物は各国大使館同様の外交特権が認められているということ。そして、国連でも総会オブザーバー United Nations General Assembly observers として、医療関係のNGOとして活動しているらしいこと。外交関係を結んでいる国も100カ国近くあり、これがどうやら増え続けているらしいこと。
http://www.orderofmalta.org/?lang=en

あの塩野七生さんが、この騎士団が最初にいたロードス島でのトルコとの攻防戦についてお話を書いていることも知った(この方のものはかなり読んではいたが、何故か好きになれないので見逃していた)。

面白いのは、騎士団と訳される言葉が英語なら order 、フランス語なら ordre 、イタリア語なら ordine であることだ。教会/神の命令によってどこにでも出かけて行く者ということからきているらしい。それならば十字軍にひっついて行って暴れ回った、現在でいう緊急派遣部隊、特別旅団のようなものに過ぎないという感じもする。しかし、その組織が領土をもって国家として処遇され、更には固有の領土がなくなった後でも主権国家に準じた扱いを受けているという点は、今後の世界ではわくわくさせることではないか。

既に「国境なき医師団」など越境的な国際NGOは数多く活躍している。しかし、そうした組織に属することが、どこかの主権国家の国民であることと同等の扱いを受けるとしたら、例えば僕も幽霊会員であるアムネスティ・インタナショナル会員がもつアムネスティ・インタナショナルのパスポートが主権国家の発行するとパスポート同様の扱いを受けるようになったら、鬱陶しいことの多い主権国家の国籍を捨てて、そうした現代の「騎士団」、領土なき国家に加入する人は何百万、何千万となるのではないだろうか。わが日本国憲法にも国籍離脱の自由は保障されているではないか。

2010年10月16日土曜日

中共元幹部提言・劉暁波受賞、そして尖閣事件

毛沢東の秘書だった李鋭、人民日報の前社長・総編集長の胡績偉、新華社の元副社長・李普など、中国共産党の指導的地位にいた人など23名が、10月1日に全人代宛に言論の自由保障を訴える公開書簡を出したという。このアッピールには、たちまち約500人の賛同が集まり、近日中に総ての氏名も公表されるという。


http://www.guardian.co.uk/world/2010/oct/13/china-party-veterans-free-speech
英訳と原文:
http://cmp.hku.hk/2010/10/13/8035/


劉暁波のノーベル平和賞受賞は9月には殆ど確実視されていたから、この公開書簡は受賞正式決定前を狙って出されたものと見てよいだろう。このアッピールで特徴的なことは、劉暁波が11年の懲役刑を受ける「罪状」となった08憲章以上に、中国憲法、政府指導層自身の発言など、現在の支配集団にとって正面から否定しがたい正統性ある文書や言説が、主張の論拠とされていることだ。この8月の王家宝の一連の発言など、僕は大して注意もしていなかった。


貧困と格差の進行、水などの資源危機、高齢化社会への急速な突入、いつはじけてもおなしくない上海バブル等々。現在の支配集団にとっても危機は深刻に受け止められており、危機への対処をめぐって一党独裁強化・帝国的対外侵出派と多党制への以降+多極協調派との間で、2012年の政権世代移行を前に、内部抗争が高まっているのだろうか。


そうだとすると、尖閣問題も前者による内なる不満を外に向けさせるだけでなく、2012年の政権世代移行を前に、「強い中国」を打ち出すための仕掛けであったと見ることもできるかもしれない。しかし、1ヶ月程で外交的手打ちがなされたのは何故か。一つは、劉暁波のノーベル賞受賞が、彼らの予想以上の国際的インパクトを生んだこと。そして米中日の経済的相互依存関係の重さからだろう。


とすると、劉暁波の受賞は予定されていたことだから、受賞をきっかけとする中国批判を予めシナリオに入れておいて尖閣事件を仕掛けた別のアクターがいるのかもしれない。事件発生後、13時間もたってから逮捕したというからには、その間に前原外相は様々な方面と連絡協議していたはずで、その主な相手にはいうまでもなく米国がいたに違いない。こう考えると、尖閣事件の黒幕には人民元切り上げを求めて来た米国の影が浮かび上がってくるように感じられる。一党独裁・帝国的侵出派は米国の仕掛けた罠にはまったということになる。


長い間、中国にいたことのある友人は、23名のアッピールは大きな波紋を呼ぶだろうが、しかし中国の民主化には今後20〜30年はかかるだろうという。


それにしても<言論の自由>は偉大な原則だと改めて思う。さて、この国の<言論の自由>の実態はどうだろうか。横並びの大手メディア、情緒的で時とすると簡単に扇情的になる報道なるもの、売れることを狙い、刹那的刺激をくすぐるだけのその場限りの報道、そして何よりも少数意見や異論への不寛容と排除、アリバイ作りとしてしかなされない少数意見や異論のつまみ食い。一応は雑多な意見が自由に飛び交っているようで、<言論の自由>がなく公然と検閲が行われている国よりはましかもしれない。しかし、より見えにくい抑圧はありはしないか。

2010年10月12日火曜日

良性発作性頭位めまい症

先月末に奥歯を抜いた。その頃からめまいがするようになり、次第にそれがひどくなって行った。一時は風邪もひいていたので、「風邪のせいだろう」くらいに軽く考えていた。丁度、後期が始まったことでもあり、「これは内なる登校拒否症の身体的表れかなぁ」とも思い、我がことながらあきれていた。ところが極力睡眠時間をとり、運動も止め体力を消耗しないようにしても一向に治っていく気配がない。初めての経験だけに、「これはとんでものない病気にかかっている兆候かもしれない」と不安になる。


風邪の症状も軽くなったところで、意を決して近くの病院へ行った。受診科は内科だろうと思っていたが耳鼻科へ回され、いくつかの検査を手際よくしてもらい、「良性発作性頭位めまい症」Benign paroxysmal positional vertigo(どう発音するのだろう)との診断をもらう。良性という以外は、単に症状を記しただけの病名だけれど、とんでもない病にとりつかれてのではないかと怖れおののいていた僕は一安心した。


三半規管に耳石が浮遊しているので目眩がするとの説明。面白かったのは、潜水用ゴーグルのようなものを付けられた眼振検査なるもので、目眩がしているときに医者は「はい、いま目眩がしていますね」と正確に確認したことだ。目眩がしている時には、眼が激しく動くのが見て取れるとのこと。つまり、本当に“目が回っている”という次第。


浮遊した耳石をあるべきところに落ち着かせるためのリハビリを教えてもらう。これが素晴らしく良く効く。第1回目で目眩は半減し、第2回目で更に半減するというぐあいに効いてくる。受診後、2日目には目眩は殆ど気にかからない程になった。


それにしても妙な病気になったものだと、あれこれ調べてみる。すると、「40〜60歳代に多く、春先や秋口などの季節の変わり目に多い。低血圧、貧血、アレルギー体質、高コレステロール値の人、中耳炎に罹った人がなりやすく、自律神経機能に関係している可能性も高い」とある。ほとんどが自分に当てはまる。


果たしてこれは、自分で自分のことがよく分かっていなかったという愚かさを証明することなのだろうか。ただぼんやりと歳をとっていてはならない、行く手に待ち受けている障害物にぶつからないように、しっかり自らの老いを見据えていなくてはならないという次第か。丁度ライトのないクルマで走っていたら急に辺りが暗くなって障害物が見えなくなった、というよりも、最近のクルマのようにライトの光力(? つまり先を見る力)も増して来ているのに、ライトでは見ることのできない障害物が飛び込んで来たといった感じがする。任天堂のマリオでは、新しい奴になる度にとんでもない障害物が飛び込んでくるが、それにしても画面に見えるし、新たに試されるのは反応の早さ、機敏さに過ぎない。しかし、そもそも見えない障害物が飛び込んでくるのだ。


まったく歳をとるということは、なかなかやっかいなことだと改めて思った次第。