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2010年8月15日日曜日

美しさと虚しさ



東京湾大華火祭なるものの花火が遠くに見えた。先月末の隅田川花火も見えたが、これはよくなかった。雨が続き、花火自体が湿っていたこともあったらしい。

目をこらしていると、近くに建ったビルの脇に花火があがり、しばらくしてからドンと音が届く。最近の流行なのだろうか、緑青のものが目立った。いかにもカネがかかっている風情。

すぐさまに消えてしまう美という点では、花火に優るものはない。それだけに贅沢な気分になれるのかもしれない。贅沢でありながらスポンサー以外の多くの人がタダで見ることができるという気前の良さ。束の間の公共経験? 

若い頃は音が聞こえようなものなら単純に嬉しがり、良く見えるスポットを探して夜道をあたふた駆け回り、蚊に刺されるのもものともせずに楽しんだものだった。しかし、最近は「今このご時世に大花火大会かよ」と、どうも素直に楽しめない。我ながら嫌らしいジジイになったものだ。

2010年8月13日金曜日

大学説明会で出た質問

先日、くそ暑い中で、「オープン・キャンパス」と称して、高校生相手の大学説明会があった。18歳人口、つまり「お客様」人口が減り始めた数年前から始まったものだが、この暑さだというのに、毎年参加者が増えている。奇怪なのは、同伴する親の増加率が更に著しいことだ。付いてくる親も親だが、それに甘んじているいい歳をした若者は一体どうなっているのか。つい、参加者に記帳でもしてもらって、親と一緒に参加した受験者は一律に不合格にしてしまえと思ってしまう。「『大学説明』や『入試要項』に書いてあること以外は喋ってはならない。なぜなら、そうすると説明会に出なかった人とのあいだで不平等が生じるから」という、これまた訳の分からないお達し(それならそもそも説明会などやらないのが正しい対応ということになる)が噂されたりする中で、面白おかしくもない説明会なるものが終日行われた。

大学側は、「まだ見捨てられていないようだ」という安心感を得ることができ、高校生やその親の側にとっては、「こんな所なのだ」という空間体験を得ることができたのだろうから、それなりの成果はあったとすべきなのだろうか。ともあれ、僕にとっては何とも虚しい時間であった。

そんな中で考えさせられることもあった。担当する説明の場が終わった後で、「学費はいくらになりますか?」「奨学金ってどうなっているのでしょうか?」という質問を受けたのだ。こんな質問を受けたことはこれまでなかった。事態はここまで深刻になっている!

説明会に来て尋ねなくても調べれば、ある程度の見当はつくことなのだが、改めて真剣な顔で尋ねられると思わず背筋が伸びた。民主党政権になっても一向に変わらない文教予算の削減。その重点的一環としての大学予算の大幅削減。大学説明会にうんざりする前に、こうした政治動向と自分はきちんと闘っているのか。この春、お茶の水駅頭で奨学員制度の抜本的改革を求める署名活動をしていた学生たちを思い起こし、改めて我が身を振り返った。あの学生たちと比べたら、ずっと楽な所にいながら自分は何をやってきたのか、、、

2010年8月11日水曜日

キが多くなる

何十年という間、出入りしていたあるお宅で昼寝をして天井を見上げたら、何とも木目が面白い。見ているとその躍動するような表情に面白くなり眠気が失せてくる。


材は屋久杉だというのだが、何とも奥ゆかしい。まったく木の面白さに目覚めるということは困ったことだ。やたらに気が多くなる(これアラカン・ギャグ)。退職後は何としても木材関係の仕事をしたくなっている。樹木に触れる立派な口実ができ、何よりも山に行く機会が増えるかもしれない。

晩年の雰囲気?

7月下旬以来の例年にない酷暑に心身ともにくたばってしまった。まさに「歳だ」との実感がひしひしする。シャワーを浴びたり、水風呂に入ったり、うたた寝をしたり(これが一番多い)、かろうじて生き延びている感じがする。


そこへ友人から、「肺炎で1週間入院した。そのあと大腸ポリープを13摘出の拷問」とのメールが入った。この4年間に3人も同世代の友人に先立たれている。これ以上は適わない。自分が死ぬのはむしろ恐ろしくない。友人に死なれるのは恐ろしい。




そこで一句ものした、、、
黒富士もあと幾度の夕焼けか
どこか川柳じみている。