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2010年5月31日月曜日

ジャンボンハム




ドトールの前に「ミラノサンド・ホワイトチェダーとジャンボンハム」として新商品の宣伝が出ていた。ジャンボン jambon はフランス語でハムの意味だろうから、訳が分からない。フランス風のハムとでも言いたいのだろうか。ミラノ風ならprosciutto プロシィゥットと言うほうが素直な感じがする。

そう言えば、「カフェラテ」というのも何かお茶味のコーヒーか、コーヒー味のお茶といった感じがする。イタリア語でいう caffè e latte の意味なのだろうが、それなら発音に近い表記はカフェ・ラッテかカフェ(エ)ラッテだろう。かの地では、大体が朝あわただしく飲む牛乳主体のコーヒーだ。

しかし、「本家」と違っていることをあれこれアゲツラウのはお門違いというものだろう。Sushi と称してアボカドやらカニ風かまぼこにマヨネーズといった組み合わせがあるらしい。「それは寿司ではない」と言っても、食べている人たちが「おいしい、好きだ」と言うのなら、それまでのことでまさかに「こんなものをおいしいと言うあなたは間違えている」とは言えないだろう。まぁ、そんなことを言うのは野暮というものだろう。フランスやイタリアにジャンボンハムなるものがなく、ミラノにはミラノサンドがなくても、「うまい」といって食べる人がいれば、ミラノサンド・ホワイトチェダーとジャンボンハム」は存在するのである。「文句あるか!」というところ。


それにしても、「まろやかなのに、コクがあるホワイトチェダーチーズとモモ肉のハムと彩り野菜をサンドし、オリジナル特製ビネガーソースで仕上げました」というのはウーンである。

2010年5月28日金曜日

また植えた

天気は良かったが、昨日は雨だったのをあてにして、また鉢で育てた欅を職場の空き地に植えた。写真の手前は先週植えた柑橘類。左奥に赤い花をつけているミニ薔薇。その間で新緑が美しいのが新たに植えた奴。それぞれ脇に小さな棒を立ててある。右奥には先週植えた欅、中央奥には柑橘類。

どれだけ育つかは分からない。そのうち誰かに「**年度卒業記念植樹」とか、「**の宮、来校記念植樹」とでも書いてもらって、立て札を立てておこう。

2010年5月27日木曜日

簡単シチュー


ベランダのスープセロリやイタリアン・パセリが、どんどん葉を茂らせて行く。黄色くしたり、とう立ちさせてもつまらないので、せっせと摘む。サラダに使いたいのだが面倒。昨日はそこで豚の角切りを使って簡単なシチュウーを作った。豚300gに人参中を3本、メイクイーン4個、新タマネギを2ケ。この順で煮ていって30分。そこにパセリなどを散らした。なかなか見た目にもきれい。気温が下がっていたのでちょうど良かった。開けたスペインはレオンの700円の赤は、香りもバランスも良かったのだが少し重すぎた。

2010年5月17日月曜日

上州一之宮・貫前神社



上州一之宮・貫前神社に行ってきた。上越道を甘楽で降りて少しのところ。

まずは、参道が面白かった。初めに長い階段を上る。すると平らな所にでる。公園があったり、大きな樹々がありいかにも神社に来たという雰囲気がするが、肝心の建物は見えない。見回すと門が見える。行ってみると何とそこから下る階段があり、下に神社が見える。何ともわくわくさせられる空間体験だ。

大きな建物を仰ぎ見ながらその中に入って行くという体験は、これまで何度もしてきた。しかし、眼下に全体の配置をとらえ、その中に降りて行くという体験は初めてだった。威圧感がなくい。むしろ上から眺めた瞬間に建物との繋がりが生まれ、階段を少しずつ降りて行く中でそれは建物との一体感になって行く。なかなかの経験だった。

もう一つの感動は、大樹との出会いだった。門の脇に大きな銀杏と並んで迫力満点のスダジイがあった。目にした途端に、そこから発せられる何かの力に圧倒された。樹齢は千年に近いのではないかと思われる程の幹回り。力強いうねり。すさまじい迫力で迫ってくる。なんとも素晴らしい。

こうした樹々が残されているのも神社があってのことと考えると、神社はありがたいものだと思ってしまう。一日、この大樹を眺めていたかったが、後ろ髪を引かれる思いで再びクルマに乗った。

2010年5月16日日曜日

アクア・パッツァ


兼ねてから作りたいと思っていたアクア・パッツァ Acqua pazza なる魚料理を作る機会に恵まれた。フライパンに入りきらない程の鯛が、何と900円で売られていたのだ。これは買って食べてあげないと申し訳ない。鯛の顔を見るとどうしてもそう思われてくる。そういえば先月来、水やりで振り回されているイタリアン・パセリもかなり茂ってきた。

という次第で、魚と言えば刺身、次が焼き魚。蒸した魚などは、新鮮なものがとれないか、きれいな水のない可哀想な地方の料理と信じて疑わなかった僕は、思い切ってアクア・パッツァに挑戦した。

鱗と腸を処理してもらった鯛さんに、軽く塩をする。表にする方の背筋から下1cmくらいを横に、火の通りをよくするため骨まで深い切り込みを入れる。パンでオリーブ・オイル少々を暖め、そこに水気をふきとった鯛を先ず表を下にして入れる。慌てて蓋をし、しばらくして鯛の片面に火が軽く通った頃(まぁ皮に焼き色がついたくらい)に裏返す。そのタイミングでニンニクのみじん切り、飾りと軽い味付けにミニトマトを適当量(僕は半分に切った)、そして150〜160ccの水をドバッと入れ、再び急いで蓋をして蒸し煮へ。どちらかと言うと強火。待つことしばし。湯気がたってきたら少し火を弱め蒸し続け、数分たったところで火を止めてしばし蒸らす。

おもむろに(でなくても良いのだが、やはりドキドキする)蓋を開け、パセリを散らす。これにて終了。所要時間30分弱。

こくのある白が合う。本当は黒オリーブなども入れたいところだが、手元になかった。料理本には魚600gに対して、アサリ200gとあるが、面倒なので止めた。新鮮な白身魚なら大抵のものがうまく食べられるのではないかと思う。

写真の鯛のしっぽが切れているのは、フライパンに入らなかったため。僕たちは、白を飲みながら箸を使って食した。これをナイフとフォークで食べたらさぞ肩が凝ることだろうに。


2010年5月14日金曜日

タバコ狩り



福音館が出している『たくさんのふしぎ』という子ども向けの月刊誌がある。なかなか面白いので、地域の図書館に行くたびに立ち読みを続けてきた。その2月号「おじいちゃんのカラクリ江戸ものがたり」が、「内容に不適切な点がありましたので、販売を中止し」し、既に売られたものは回収されることになったという。不買運動の圧力によってとられた選択らしい。不買運動の先頭に立ったらしい一人は、この本にJTが経営している「たばこと塩の博物館」が協力していることをとって、「この”協力”には取材だけでなく何らかの要求と利益供与を含んだ関与であることが濃厚に疑われる」と言う。更に興味深いのは、「WHOタバコ規制昨組条約に違反する」と主張していることだ。

引き合いに出されているのが、「この条約及び議定書は、タバコの消費及びタバコの煙にさらされることが健康、社会、環境及び経済に及ぼす破壊的な影響から現在及び将来の世代を保護することを目的とする」という第3条の目的規定だ。不買運動の推進者たちは、どうやらこの条約の目的規定が直接に適用される国内効力をもっていると思っているらしい。しかし、この条約の目的規定が直接に国内適用されるものであるかは、自明のことではない。

まず、この条約の第4条(基本原則)自体が、「締結国は、この条約及び議定書の目的を達成し及びその規定を実施するため、特に次ぎに掲げる原則を指針とする」として、立法や行政上の措置の考慮などを列挙しているに留まる。この条約の目的達成のため、第4条で列挙されている事柄を国内で実施することを締結国に直接に義務づけている訳ではない。なるほど条約は憲法第73条3号によって国会承認されており、我が国は国際協調主義をとっている(憲法第98条2項)。

それに、この条約の目的の国内実施についての「基本原則」を締結国の指針とすることを受け入れたのは国(政府など)であって、個人や企業ではない。福音館やわれわれ一般市民は、確かにこの条約を締結した日本国の中にいる。しかし、条約締結国の中にいる企業や私人の活動を、締結した条約の規定内容に従ってどのように規制するかは、その国の立法府や行政当局がその国の憲法規定に従って決めることではないか。この条約の第4条の基本原則規定自体が”指針”とされていることは、締結国の立法や行政上の措置が当該国のさまざまな国内事情によって多様であらざるを得ず、条約によって一律に決められないことを条約自体が前提としていることを示しているのではないか。

個人や企業を条約の目的規定に直接に縛ろうという主張は、随分に乱暴だ。たとえ良いことであったとしても、それを実現するために、都合の良い法規定をつまみぐいしたり、個人を国の行為に無条件で従うべきものとすることは、おそろしく危ういことだと思う。

僕はニコチニストではないし、タバコの煙を吸わされるのは大嫌いだ。しかし、良いことなら強制しても良いとか、どんな方法で促進しても良いといった人々をみると、どうしても「良いこと全体主義」の危険を感じてしまう。

まずいとされた喫煙場面の絵
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/efab983a0f4c6a6200cd6d3f24db4860

福音館の回答
http://www.fukuinkan.co.jp/oshirase/goodsid20909.html

抗議文
http://muen2.cool.ne.jp/jyoho/jyoho.cgi?log=&v=151&e=msg&lp=151&st=0
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/44c2eef735f81878d953002adba35d25

タバコ規制枠組み条約(FCTC)
http://www.mofa.go.jp/MOFAJ/gaiko/treaty/pdfs/treaty159_17a.pdf

新学期が始まって1ヶ月を過ぎた。

2010年5月13日木曜日

自殺、12年連続3万人台


毎日360人乗りの飛行機が墜落し、90人が亡くなり270人が重い障害を負ったとしたら、これは社会問題になるだろう。一人の自殺者の陰にはその3倍以上の自殺未遂者がいると推測しておかしくないだろう。自殺者が12年連続して3万人を超えていることは、12年間にわたって連日360人乗りの飛行機が墜落し続けていることとさして変わりはない。

自殺者数が2万人台前半で上下していた長い期間が96〜97年を期に終わり、一挙に3万人台に跳ね上がったことだけを見ても、そこには個人的要因に解消できない社会的原因があるだろうことは誰でもすぐに考えることではないのか。この国の人々は自殺にもう慣れてしまい、それは社会が成り立って行く上で、忌まわしくとも不可避の、しかも克服不能なことであると思うようになっているのだろうか。

「**駅で人身事故があったため*分遅れます」というアナウンスがあると、「こんな時に止めてくれよ」「いい加減にしろよ」と呟きが聞こえたりする。サバイバル・ゲームに負けた者に対する軽い言葉。それが平気に感じられる日常になっているとしたら、やはり恐ろしい。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2770.html

2010年5月12日水曜日

絶望的になる「トリセツ」


殆ど自宅に置きっぱなしでいた携帯電話を使おうとして、久しぶりで充電し画面を見ると何やらお化けでも出てきそうなチカチカとボンヤリしたものしか映らない。仕方なしに先週末にポイントとやらを使って機種交換に店まで行った。もっているポイントを使えば支払いなし、機能も簡単、「現在お使いのものと殆ど同じです」と言われたやつを選ぶと、在庫がないので暫く待てとのこと。それを今日受け取った。

ところが、「取扱説明書」というやつがひどい。304ページもあり、初めの6ページ目に訳の分からない言葉が出てくるので索引を引くと、その説明は60ページ目にあるという始末。目次だけでも6ページもある。ともかくも分かりづらい。何時になったら使えるようになることやら、先が思いやられる。

そういえば、半年前に「金を出せばもっと使いやすい奴に換えてやる」と言われ、ブルー何たらにも対応できるというDVDレコーダーを買った。ところが、このマニュアルも簡単版『らくらくガイド』が42ページ、詳細説明版『徹底活用ガイド』に至っては336ページ。とても読む気にならず、専ら僕をそそのかした若者が使うに任せている。

そんなマニュアルが悪いのか、そんなマニュアルなしには複雑な操作ができない多機能化がいけないのか、それとも僕が単に年老いただけのことなのか。僕は次々に機能を加えて行き、不可逆的に満艦飾になっていく“お便利志向”にこそ諸悪の根源があると開き直っている。かつても、自動車を買い替えるたびに前よりも大きく高性能のタイプに換えるのを当然のこととする大量の消費者がいた。ケータイ、自動車を持っていること自体が環境負荷を大きくしている。せめて少しでも簡単なもの、小さなものを求めるくらいの自制をするのがまともさというものではないのか。

2010年5月11日火曜日

今日も今日とて

初夏のような週末の日差しが終わり、雨が降るというので、今日も3年目の欅と柑橘類をそれぞれ1本と2年目の柑橘類1本を植えた。柑橘類としか書けないのは、この時期に食べているハッサクなのか、夏蜜柑なのか、はたまたレモンなのか、食べ終わって残った種を特に区別もせずに適当に蒔き、発芽して育ったものだからだ。

これまで最も成功したのは、前に住んでいたアパートのそばに植えたレモンで、これは10年以上かかって実をつけるまでになった。それがたたってか(何せレモンは枝先に開花して実を付けるから目立つ)、「どうして桜の隣にレモンがあるのか!」と怒った管理組合理事会植栽担当者に、哀れ根元でバッサリと切られてしまった。

写真は、約30年前に職場で植えた欅の今春の姿。これまた、野放図に伸びていた枝を春前に強選定されたので、「これも根元からバッサリされるのか、そうなったら幹に身体をくくり付けて抵抗しなければならないのか、この寒いのに面倒なことになりそうだ」と一時は恐れていたもの。何とか伐採は免れたようだ。

与野駅東口の樹齢300年になる大欅は、樹元の朽ちが進み、いつ倒れても不思議ではない状態になったので伐採されることになったとのこと。



http://www.saitama-np.co.jp/news05/10/02.html/

2010年5月9日日曜日

小選挙区制の黄昏?


イギリスの総選挙で、予想通りに労働党が政権の座を降りることになった。得票率と議席は、保守党が36%で305議席(47%, 96議席増)、労働党が29%で258議席(39%, 91議席減)、自由民主党が23%で57議席(約8.8%)。自民党は前回も20%台をとっていたが、議席を6つ減らした。

二大政党はいずれも議席の過半数を取れなかったので、次期政権は連立にならざるをえない。おそらく保守党と自民党との連立になるだろう。しかし、自民党は比例代表制への転換について国民投票を求めているので、連立協議は簡単には進まないかもしれない。この際、労働党は、スコットランドやウェールズの地域政党、緑の党なども加えて自民党に「左」方向での連立を働きかけるべきだとの主張もあるようだ。そこでも、多数代表方式の小選挙区制から比例代表方式への切り替えが重要な論点になる。

何かと言うと「議会制度の母国」「民主主義の先進」として英米アングロ風を見習うべきモデルだといい、「政権交代がある二大政党制こそが必要だ」と説教してきたこの国の”識者”の方々にとっては、なかなか面白い事態ではなかろうか。

この点で面白い反応を示しているのが公明党だ。公明党は、自民党との長年にわたる連立で「与党の旨味」「大臣ポストの蜜の味」を吸い続け、支持の基盤も同党が上昇期に依拠していた共産党の支持基盤と競合していたような階級・階層から上方移動していた。それが野党に戻ってしまえば与党の旨味もない役立たずになってしまう。そこで野党転落の見通しが明らかになったあたりから、「小選挙区制の見直し」「中選挙区制の復活」を語るようになっていた。今度も英国総選挙に絡め、早速に「二大政党制では民意は集約できない」「民意を正しく反映できる制度をどう作るべきか、虚心坦懐に検討していくべきだ」(山口代表)と言うようになった。

ところが、共産党や社民党からはどうも反応がはっきりしない。社民党は、連立に加わり民主党に引きずられている最中なので、ここに小選挙区制批判を期待するのは無理というものだろう。しかし、共産党までも民主党との将来の連立の可能性に幻惑されているのだろうか。

2010年5月8日土曜日

木を植える




人からもらったハーブ類の鉢がふえ、水やりに追われるようになった。そこで、地面におろせる柑橘類や欅を、鉢から取り出し職場にもって行って植えることにした。30数年前に植えた頃は丈が50cmにも満たなかった欅は、今や4階まで届き幹周りは80cm位になっている。そういえば就職した当時は貧弱な木しかなかった学内の殺風景な光景も随分に変わっている。特に新緑と紅葉の季節は美しい。

そこで、当分は木を植える”変な爺さん”になり続けることにした。「**年度**講座卒業生一同記念植樹」とでも書いた立て札を並べれば、早々に引っこ抜かれたりすることはあるまい。僕が死ぬ頃までもてば一寸した林になっているかもしれない。これは中々楽しい空想だ。

先ずは、学内至る所に生えている欅の蘖(孫生え)を50cmくらいに育ててはあちこちに植樹する。合わせて、コナラやクヌギ等のドングリの類いと、この季節まで出回る柑橘類の種を、然るべきところの「苗床」に蒔いて育て、これまた50cmくらいの苗にしては植樹するという作戦だ。

2010年5月6日木曜日

口蹄疫にも「政治主導」


宮崎での口蹄疫、殺処分頭数が約6万頭になったという。4月20日に繁殖牛農場で3頭に第1例が発見され、翌日にはそこから約3km離れたところで65頭に発見され、その後連日のように口蹄疫にかかった疑いのある牛や豚が数百頭から数千頭の桁で発見され、連休の間に次々に症状が確認されていったようだ。

「ようだ」というのは随分いい加減な言い方だが、それは僕がTVニュースを見ず、この国の新聞でも外信欄を中心に読んでいるからだ。2週間前に遡って確かめた訳ではない。しかし、家人は「どうも報道管制が敷かれている感じ」という程に報道が控えめだと言う。


67年のイングランドのシュロップシャーでの感染では約45万頭、97年の台湾では豚約500万頭を、01年の同じく英国のエセックスで始まった感染では約700万頭が殺処分されたという。

http://en.wikipedia.org/wiki/2001_United_Kingdom_foot-and-mouth_crisis

http://en.wikipedia.org/wiki/2007_United_Kingdom_foot-and-mouth_outbreak

宮崎大学農学部獣医衛生学研究室のサイトを見るとぞっとする状況を知ることができる。良く買いに行く肉屋のHさんによると、「九州からの動物の運び出しはストップ。恐慌状態にあるのは農家だけでなく、1頭何億円もする競馬馬をかかえている人たち。民主党になって政治主導ということで、前だったら翌日には農水省のお触れが全県に回っていたのが、未だ配られてもいない地域があるらしいですよ」とのこと。

http://www.agr.miyazaki-u.ac.jp/~vet/hygine/HP/index.htm

2010年5月5日水曜日

雑司ヶ谷の鬼子母神


洗濯やら衣類の入れ替え、老親の訪問などをしているうちにたちまち連休が終わってしまった。埼玉に住んでいた頃は、近くの雑木林にピクニックに出かけ、観光客のいない新緑の下でのんびりと半日を過ごした。都内に移ってからは、その雑木林に行くまでの道の混雑がおそろしくなった。しかし、周辺にはとても林とは言えないような公園の樹々しかない。中々、気乗りがせずに良い天気にもかかわらず専らアパートにこもっていた。

これではちと退行的ではないかと思い立ち、都電に乗って雑司ヶ谷の鬼子母神と墓地を見に出かけた。初夏の日差し。そのせいか人ごみとはほど遠い静かさ。緑が頭の中まで浸みわたるには程遠かったが、都会の中にしてはなかなかであった。時々また行こうと思う。

2010年5月4日火曜日

歩道を走る自転車




歩道を歩いていると後ろから自転車がベルを鳴らす。そもそも歩道は歩行者のためにあるもので、歩行者優先が原則であることは何も道交法を知らなくても分かりそうなものだ。強い者と弱い者がぶつかったときには、強い者が譲るのが作法というものだろう。僕は筋トレをしているせいか、歩きも遅くはない。先日、裁判傍聴に行ったときにも学生から「歩くの速すぎます」と言われたりした。

ベルが再び鳴らされたので振り返ると、30代の女性がこちらをにらみつけている。「ここは歩道ですよ」と言うと、「ベルが聞こえないんですか!」と応える。「歩道は歩行者優先です。歩く人を邪魔しないよう降りたら如何ですか」と言うと、「あなた何様! 警察に行きましょうか!」と声を荒げる。ため息。「じゃあ、行きましょうか」と応じる。僕は道交法63条の4第2項にどう規定されているか知っているが、別段それを持ち出すつもりはない。さて、道交法をもちださずにどうスマートに話しを付けたものかと考えながら、交番のある方向へ自転車に乗ったままの彼女と歩いた。すると、僕がまったく動じた様子がなく交番方向へ歩くのに呆れたのか、角を曲がれば交番が見えるところまで来ると、彼女は身を翻すように走り去って行った。相手が女性だから追いかけなかったのは、ジェンダー・バイアスがかかっていたかもしれない。

自転車が歩道を我が物顔で走るようになったのは、道交法が改正されて、「車道又は口中の状況に照らして当該普通自転車の通行の安全を確保するため当該普通自転車が歩道を通行することがやむを得ないと認められるとき」には、「通行しようとする歩行者がないときは、歩道の状況に応じた安全な速度と方法で進行することができる」なんて条項が加わってから著しくなった感じがする。この場合でも同法によれば、「自転車が歩道を通行する場合は、車道寄りの部分を徐行しなければならず、歩行者の通行を妨げるような場合は一時停止しなければならない」のが原則であることには変わりはない(第63条の4)。

自転車に乗ると歩行者が道を譲るのが当然に思われるのだろうか。そういえば、ハンドルを握ると普段の振る舞いからは想像もできないような汚い言葉を吐くような人は少なくない。先日も助手席に乗っていて、「ほらほら、そこの車、さっさと行きやがれ!」と初老の女性がののしるのを耳にした。

僕は一昨年まで30年近く、ダンプなどが時速60km以上でバンバン走っているバイパスを片道6km自転車でよく往復していた。その間、車道が冠水して走れないときを除いて歩道を走ったことはない。確かに怖いことも少なからずあった。

自転車が歩道を走ることを例外的であれ認めるのではなく、きちんとした自転車専用の道路を造るべきだろう。そして要所要所に大きな公設の駐輪場を設ける。そうすれば都内の自動車は随分に減らすことができるだろうと思う。トヨタ、日産、ホンダの声の方が大きく、自転車メーカーの声(カネの力)が弱いだけのことなのか。