About

2009年10月29日木曜日

癒着性中耳炎



先日から耳が痛くなっていた。どうせ風邪の副産物だろう。風邪さえ直れば治まるだろうとタカをくくっていた。ところが、昨日辺りから、耳の奥に刺し込むような痛さが頻繁に起こるようになった。たまらないので、耳鼻科へ行った。春にも痛くなったことがあり、その時には耳から何やら膿み状の小さな塊を吸い出して痛さは和らいだ。そのくらいのことで済むと思ったら、今度は違っていた。

まず、聴力検査。著しく痛みのある方の聴力が落ちていることが分かった。「これまでに耳鳴りはあったか」「時々こうした痛みはあったか」などと尋ねられた挙げ句の診断が、鼓膜が癒着しているとのこと。鍼が効くことがあるとして、5〜6本打ってもらった。なぜか脳機能を高めるとかいう薬やらビタミンB12などを処方され、「こまめに通って下さい」と締めくくられた。

刺し込むような痛みが和らいだ訳ではない。しかし、専門家が言うのだから従うしかない。そのまま仕事に向かったが、どうにも間歇的に痛みが襲って来て集中できない。

サイトを検索してみると、「この癒着性中耳炎の聴力を回復させようと様々な試みがわれています。まず外来では、通気療法と、あるいは炎症が起こった時は慢性中耳炎に準じて行いますが、通気を続けても一度癒着したら、なかなか通気のみでは鼓膜と鼓室との癒着の剥離は望めません。非癒着部分から切開や穿刺通気もなかなか効果は見られません」とか、「鼓膜が中耳腔に落ち込んで癒着しているものがあります。これは、癒着性中耳炎とも呼ばれ、慢性化膿性中耳炎にも真珠腫性中耳炎にも合併していることがあります。大変治りが悪い中耳炎で、手術をしても、鼓膜が再癒着してしまい、改善する確立は50%とされています」なんて書いてある。

やれやれ、、、それにしても痛い。

2009年10月28日水曜日

どっちを向いている?



 岡田外相が今月23日の閣僚懇談会で「国会開会式での陛下のお言葉は、毎回同じ内容なのはいかがか。思いが少しは入ったお言葉をいただく工夫ができないか」などと見直しを提案したどうだ。読売新聞によると、天皇の「お言葉」なるものは、「お言葉は100~200字程度。内容も、国権の最高機関としての国会が国民の信託にこたえることへの期待で締めくくられるなど共通点が多い」だそうだ。
 
 しかし、この外相発言はおかしい。一体、国の最高法規である憲法によって「国政に関する権能を有しない」とされ、天皇の地位にある者としては「この憲法に定める国政に関する行為のみを行」うものと定められている(第4条)天皇が、憲法に何の定めもない国会開会式での「お言葉」なるものを行うこと自体が憲法上の根拠もあやしい。国事行為を列挙した第7条と第6条のどこに国会開会式に出て来て挨拶することが定められているというのか。

ある人は第7条第2号の国会召集の一環だといい、ある人は同第10号の「儀式を行ふこと」に含まれるといって合理化しようとする。ある人は、憲法に定められた国事行為と私的行為(散歩したり、風呂に入ったり)との間にある「天皇としての地位に伴う公的行為」だして、これを国がカバーすることは当然だと言う。しかし、こんな拡大解釈をしていると天皇の地位にいるのは生身の人間だから、歯止めが効かなくなる。現にそうなっているではないか。それが国民主権の原則にそった解釈だと言えるのか。

産經新聞社説(24日)は、「ときの情勢などに応じて違った工夫を加えられたお言葉が政治性を帯びないという保証はない」と言ってのけている。確かにその前例には事欠かない。特に前の昭和天皇は、日米安保絡みで政治的効果を狙ったとしか評しえない「お言葉」を繰り返していた。

外相は、このところ長期低落傾向にある天皇の人気を民主党が浮上さる狙いでこんな発言をしたのかもしれない。しかし、民主党といえばその党名は、民主主義の実現を党の基本目標にするところから来ているのではないのか。憲法上の根拠もない国会開会式での「お言葉」の社会的注目度を高めることは、そもまま天皇の政治的出番をふやすことに他ならない。

天皇が「お言葉」とかを述べるために上る階段はかなり蹴上がりが急に見える。どうせ言うなら「ご高齢でもあるし、そろそろお止めになったら」くらいのことを言うのが、民主党を名乗るからにはまともではないか。せめてもの救いは、「自分の発言で首相に迷惑をかけたことを申し訳なく思っている」ということか。これが「陛下に迷惑をかけた」だったらどうにもならない。

2009年10月20日火曜日

貧しいのは所得だけか?

20日、長妻厚生労働相が日本の「相対的貧困率」が07年調査で15.7%だったと発表した。貧困の計り方には色々あるらしいが、相対的貧困率というのは、一人ひとりの所得(等価可処分所得)を順に並べて、ちょうど中間の額(今回は228万円)の半分に満たない人の割合がどのくらいかを示したもの。等価可処分所得は、税金などを引いた世帯の可処分所得を、世帯の人数の平方根で割った数値*。

OECD加盟30か国の08年報告書「2000年代の相対的貧困率」で日本は14.9%(04調査)だった。これは、メキシコ(18.4%)、のトルコ(17.5%)、米国(17.1%)に次いで下から第4位。低いのは、デンマーク(5.2%)、スウェーデン(5.3%)、子どもの貧困率は、01年に14.5%、04年に13.7%、今回14.2%。厚労相は「OECDの中でもワーストの範疇に入っており、ナショナルミニマム(国が保障する最低限度の生活)と連動して考えたい」と言っているそうだ。

怖いのは、まず貧富の格差が拡大していること。そして第二にそれがこの国では固定化する傾向があることが。「人生色々」とか言ってとぼけた首相がいたが、かなりの人の人生には一時的に貧乏な時期がありうる。それでもその後に貧乏から抜け出せれば救いがある。とぼけた首相の政府が進めた「構造改革」のもとで、一旦この貧困ラインに陥ってしまうと再び這い上がることが、実に難しくなった。貧富の格差は世代をこえて再生産され、全社会的な規模で犯罪や深刻な健康問題などを加速する方向で働くだろう。

「豊かになるか貧しくなるかは本人の努力次第だ」と言ってのける人もいる。しかし、雇用環境、どの地方、どういう家庭に生まれたかなどは本人の努力の圏外のことではないか。自己努力と自己責任が原則だというのは、勝者の台詞ではないのか。

ではどうするか。デンマークやスウェーデンにできることが日本ではできないのだろうか。メキシコ、トルコ、米国そして日本には、貧富の格差を緩和できない絶対的なその国ならではの要因があるのだろうか。経済のグローバルな関係が強まっている現在、こうした推測はなりたたないだろう。つまるところ政治の問題ではないのか。

現在の日本の政治は、貧しい人々の状況、その声は届いていないのだろうか。政治はすぐれて当事者自身が声を挙げることが決定的に重要である。しかし、それには時間とそれなりのカネがかかる。貧しい人々にはその余裕がない。加えて社会的蔑視や自己責任論による自縛から、貧しい人々自身が立ち上がるのは容易なことではない。



とすると仕方がないことなのか。僕はそうは思わない。

貧富の格差が拡がり固定されることは、回りまわって必ず、いまは総体的に恵まれた位置にいる僕たち自身を脅かす。最上層にいる人たちはどうか知らない。中層辺りにいる多くは、この下層の人たちの仕事に直接に支えられていることが多い。つまり日々の生活の中で接し、世話になっている。そうした人々が苦しく辛い思いでいることは、僕たちの生活や意識を間接的ではあれ必ず損なう。それに、すこし社会状況が変われば、いつ何時でも僕たちは下層に転落するところにいるのではないか。中層あたりといっても、例えば家族の1人が病気、それに加えてもう1人が倒れれば、大抵の家族はたちまち危機に直面するのではないか。

上層にいる人の多くの人生作戦は“食い逃げ”戦略だろう。アリバイ作り的な「社会貢献」活動をする人もいるだろうがあてにはならない。自分は中層にいると思っている人、社会問題について知り考え、動く余裕が若干でもあるこの層の人々がどうするか。これが今後のこの国の政治のあり方に及ぼす影響は小さくないと思う。

政権交代で政治は変わりうることを感じた人は少なくない。しかし、民主党の中には自民党「守旧派」よりも「構造改革」徹底派が少なからずいる。これからのこの国の政治をどう変えていくか。もし今後も貧富の格差が拡大固定傾向を辿るとしたら、それは中層にいる人々の社会的想像力と社会認識の貧しさ、その人たちの政治行動の貧しさによるといわざるを得ないことになると思う。

「情けは人のためならず」というではないか。上層を見るなとは言わない。しかし、自分たちよりより貧しく、困難を抱えている人たちと連帯することなしに、今のそこそこの生活すら保っていくことは難しいのではないだろうか。ましてこの貧富の格差を少しでも和らげたいと思うならば。

2009年10月13日火曜日

三たびの風邪



昨日、実によい天気だったので、ほんの小一時間ばかり居間の窓を開けていた。気持ちのよい風が吹き込んできた。それが少し冷たく感じられたかと思った途端にたちまち寒気がするようになり、身体がだるくなった。鼻水がたれはじめ、関節も少し痛くなった。あわてて市販の風邪薬とビタミンCをのみ、羽毛布団を出して横になった。

久しぶりに夢も見た。いつもなら明るくなれば目覚めるのが、今朝は物音でようやく起きた。相変わらずにだるい。真冬並みの下着を着込む。そして毛糸の帽子。家人に言われて今度ばかりは、最も近い診療所へとぼとぼと行った。インフルエンザではないとの診断。あれこれと4種もの薬を出され、とろとろと帰宅。休講の電話連絡。

そしてひたすらに眠った。8月下旬から1週間のインフルエンザ、9月中旬の風邪。そして今回。そういえば8月上旬にも怪しかった。身体のどこかが弱っているのだろう。少なくとも弱いのはドタマだけでないことは明らかになっている。情けない。

2009年10月10日土曜日

ノーベル平和賞という政治



オバマにノーベル平和賞とのことで、苦笑している。文学賞というやつもも怪しげだが、平和賞の方は露骨に時々の政治状況に合わせたメッセージになっている。94年には、パレスチナ和平に功績があったとして、PLO議長のアラファトがイスラエルのペレスやラビンとともに受賞者となっている。パレスチナから1人に対して、イスラエルからは2人という「バランス」。それでもオスロ合意で「お世話になった」からということか、アラファトは再び北欧に赴いていた。このあたりからパレスチナ民衆の運動に対するアラファトの首切り役人的役割が露骨になったというべきか。その20年前、ベトナム和平に功績があったとして、73年にキッシンジャーと一緒に受賞者になったレ・ドゥクトは、侵略者と一緒にされてはかなわんということだろうか、辞退している。

そういえば、日本でも平和賞の受賞者がいた。あの核つき沖縄返還をやった佐藤栄作だ。受賞の理由は何と「持たず作らず持ち込まず」の非核三原則を国是としたこと。当時から怪しまれたことだが、公開された米国政府文書、そして最近では日本外務省元次官の証言によって、「持ち込まず」には裏約束があったことが暴露されてしまった。そして今では2.5原則になりかかっている。

核軍縮におけるオバマのイニシアティブの功績は米国大統領としては画期的なものと認められるだろう。しかし、それが実現するかどうかは総て今後にかかっている。そんな不確かなものに対して受賞するのか。オバマに対するノーベル賞委員会の意図は、イラク攻撃を思いとどまらせること、アフガンからの早期撤兵への圧力をかけることあたりだろうか。

アフ・パック戦争からの撤退に目処をつけられなかったり、来年に予定されているQDRあたりで、通常兵器に加えて軍事的おける圧倒的優位を確保するべく米国が進めてきた宇宙outer-spaceにおける軍拡に歯止めがかけなかっりしたら、この受賞は政治的目くらましということになるだろう。

ピエール&マリー・キュリーだったか、そのイレーヌ&ジャン・フレデリック・ジョリオ=キュリーだったかは、メダルを捨てる訳にもいかず置場に困って、犬の首輪にぶら下げておいたそうだ。

2009年10月8日木曜日

変なじいさん



大型台風が通り過ぎた。10年ぶりとか。海面温度の上昇のため、台風が温帯低気圧レベルに勢力を衰えさせるまでの期間が伸びる傾向があるそうだ。

強風の吹く中、Oz公園の銀杏が気になって仕方なかった。ここの銀杏は樹が大きいせいか、実も大きい。拾いに行きたかったが、時間がとれなかった。代わりに勤め先に着いて、まだ人通りが少ないうちに生協前広場の小さなイチョウの銀杏を拾った。端から見れば、まったく変なじいさんそのものである。欲の皮がつっぱっているので、タダのものが落ちて、そのまま無駄にされるのを見るのが嫌なのである。夕方、疲れ果てていたが、帰宅前にもう一度拾いに行きたかったが我慢した。我ながら、かなり、、、である。

明日は、どこかの隙き間時間にマテバシイの実を拾いに行こうと思う。

留守電に母方の伯父が亡くなったとの連絡が入っていた。何とも悲しいことが続く。

2009年10月6日火曜日

イラクでの空自活動記録開示

東京新聞の報道によれば、「イラク特措法」に基づいて航空自衛隊がクウェートから行っていた空輸活動の実績記録を情報開示した。06年7月から活動終了の08年12月までの記録で、その124週間のうち467日空輸活動し、うち47%にあたる218日がバグダットへの空輸で、空輸した2万6千人余りのうち兵員が71%(米兵は67%)であったことが明らかにされた。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009100690090459.html

前の政府は「空自は人道復興支援を行っている」と言い張って来たけれど、やはり兵員の空輸が大半を占めていた訳だ。兵士たちは休暇のためにバグダットへ運ばれた訳ではなく、いわゆる治安維持活動という名のれっきとした軍事作戦に従事するために送られていた訳だから、昨春に名古屋高裁判決が認定したように、自衛隊は「戦場における米軍兵站の一部」を担って、「他国の武力行使と一体化し、武力行使の放棄を定めた憲法9条1項、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項などに違反」していたことが自衛隊自身の記録によって明らかになったということである。

既に07年4月24日の衆院本会議で、当時の安倍首相は空輸の8割以上が米軍など多国籍軍のためのものであったことを明らかにしていた。
それでも自民党政権は空自の空輸は、あくまでも「人道復興支援活動が中心」と言い張っていた。やはり私たちは「イラク特措法」の下で、イラクでの米軍などによる殺戮を、間接的にではあれ助けていたことになるのだろう。

2009年10月2日金曜日

プチ・ナショナリズム中毒

夕食の準備をしながらラジオを聞いていて呆れた。今夜、コペンハーゲンで行われる次のオリンピック開催地選考会のことばかり。

米英のメディアですら、近隣の東南アジアで起こった大災害や、米国の失業率が10%に近づいたことを報じているというのに、どうしたことだろうか。ナショナリズムはゴロツキの最後の捨て台詞というらしいが、この国ではまるで常時服用が続いたため慢性中毒状態にあるかのようだ。

http://www.nytimes.com/2009/10/03/business/economy/03jobs.html?ref=global-home
http://www.guardian.co.uk/world/asiapacific/roundup
http://worldhaveyoursay.wordpress.com/2009/10/01/9286/

9月27日には、台風16号Ketsana がフィリピンを直撃し、死者246人、行方不明38名、200万人もの被災者が出ている。

http://www.manilatimes.net/index.php/top-stories/3069-more-than-2-million-displaced-by-severe-floods-officials-report
http://www.manilatimes.net/index.php/component/content/article/42-rokstories/3136-philippines-on-full-alert

この同じ台風でヴェトナムでも死者・行方不明の方が40人以上。



9月30日のインドネシア西部スマトラ島沖の大地震では、分かっているだけで1100人以上の方が亡くなっており、何千人もの行方不明者がいるという。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8284208.stm




同じ日にサモアを襲った津波では190人からの方が亡くなり、2万人が住まいを失ったという。

http://news.theage.com.au/breaking-news-world/aid-arrives-as-samoan-death-toll-rises-20091001-gdyz.html

2009年10月1日木曜日

何かが動いている?

後期の授業期間が始まった。

久しぶりで大勢の若者たちに囲まれると、「おおっ! これは疲れるな!」と感じるものの、何やら立ち上ってくる熱気に当てられてか、昨夜から寝が足りていない自分のどこかまでが元気になっている感じもする。

80人程の授業では、第1回でもあるので、ふだん使っている社会問題のメディア情報源から、最近関心をもっている社会問題や、人にすすめたい本・映画などを書いてもらった。

『それでも僕はやっていない』、『闇の子どもたち』、ゲバラに係わる映画(『モーターサイクル・ダイアリーズ』やソダーバーグ『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳別れの手紙』をいうのだろうか)、『シッコ』、『羊たちの沈黙』、『蟹工船』(さて多喜二の原作か、最近作られた映画なのか)、雨宮処凛『生きさせろ!』、湯浅誠『反貧困』、、、という具合に、「えっ!」というようなものが続出する。

学生たちは教員の眼差しに敏感になっている。それぞれの教員の選好を素早く捉え、それに合わせて応答をしてくる。”社会派”、”政治派”むき出しの僕に合わせてこんな記述が返ってきたという面もあるかもしれない。しかし、同様の質問にこれ程に”社会派”的な応答があったことは最近の数年間にはなかった。「あのなぁー」と言いたくなるようなラブ・ストーリーや、「この歳でもう疲れているのだろうか」と思わせるような”癒し系”が記されることが少なくなかったのだ。

若者たちの間でも何かが動いているのだろう。寝不足で朦朧フワフワしたまま授業に向かうなどということがないよう、気を引き締めてかからねばと改めて思った。