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2009年7月28日火曜日

暗い夏

疲れている。

04年末、父の末期癌の発見、治療をめぐる弟妹との諍い。そして死後の遺産分割をめぐる長い面倒な争い。
06年夏にかけての研究棟耐震工事に伴う研究室の引越、そして07年の新しい研究室への戻りの引越。
08年の30年住み慣れた自宅から都内への引越。そのための大金の工面。
この過程で実に様々な辛く、醜いやり取りがあった。

弟と妹は僕が育った「実家」に戻ることを断固として阻止しようとし、そして母も彼らのこの求めを容認した。その後、亡父が残したメモからは、彼の不動産の相続から僕を除外して考えていたことが分かった。

そして、この時期に就職以来世話になって来たMさんの突然の死去。勉強仲間だった同世代Tさんの死去。そしてFの親しい友人の死去。彼とは退職後に是非とも一緒にやろうとある企ての約束があった。

慣れ親しんでいた環境からの移動、短期間に集中し、ゆっくり休めず過労が回復しないうちに続いた肉体的疲労、そして思いもかけない突然の生活条件の変化。これだけでも一寸したストレスだったと思う。しかし、なんといっても悪かったのは、信頼していた人からの嘘やごまかし、そして裏切りだっただろうし、その内容が自分がこれまで信条としてきたものと正面からぶつかるものだったことだろうと思う。

まあ、良く生き延びて来られたものだとも思う。
まだ、「夏休み」は始まっていない。加えて、この2年間、ただそれだけを心の頼りにしていたイタリア行きが不可能になった。いつ行けるようになるか、その見通しもない。

夕刊を見ると「半年ぶりに3人の死刑執行」とあった。この国の国民でいると人殺しの片棒も担がなくてはならない。

2009年7月24日金曜日

疲れている日本社会

最近知合ったKさんから日本での「さん」付けの多発についての問い合わせに、どんなコメントを送ったら良いだろうかと質問があった。
冗談ではない。僕は憲法問題あたりをうろついている自称社会科学者の怠惰な端くれに過ぎない。それでも、折角の機会なのであれこれ思いつくことを書いてみた。

質問は、インドネシアU大学で日本語を学んでいるLさんからのものだという:

それでは、尋ねたい事がありますが。
ジャーナルで読んで、日本人は「さん」の敬称を使いすぎと書きました。
人だけではなく、所、相手の会社も付くようになりました。
例えば、「ルフルさんのウダヤナさんから電話がありましたよ」

変な気持ち担っても、こういうやり方が広がっていますので、ドンドン慣れてきたと書いた日本人もいます。

K先生はよくそういうことをお聞きになりましたか?
気になりました。
文化が違ってゆくので、言葉も連れて行くでしょうね。



僕は言語学(?)を専門にしている訳でもないので、お教えするようなことはとてもできません。でも、このことについて感じているところは色々あります。

「さん」付け連発は一言で言うと、日本社会が「疲れている」現れの一つだと思います。
まず、確かに近頃多用されるように感じるけれど、一体どんなときに使われることがふえているのだろうか。これをもっと知る必要があると思いました。

もう一つ。閉鎖性の高い社会では、そこに独特の言語表現が発達する傾向があると聞きました。単に名詞、形容詞、副詞が豊富になるだけでなく、動詞の変化活用から、独特の言い回しまで。身近な例では方言や業界用語、いわゆるJARGON。

これとは反対に、異文化、異言語との接触がふえると、それまで厳格に使い分けられていた独特の言語表現にも「いい加減」な使い方が入り込んでこざるをえません。「正しくない日本語」とか、Pidgin ピジン言語とかクレオール言語が生まれ、それに反発するかのように「美しい日本語」運動が始まったりするのではないでしょうか。

そうだからか、ある組織や団体の活力が低下し、閉鎖的になって自己防衛に傾く傾向にあるときには、まず丁寧語、敬語、もったいぶった言い方が増えると思います。

それはさておき、「さん」付けの多用です。第一に、これはある種の業界用語:同業、同種の会社などのあいだで、エール交換のように使う。あるいは、自社は他社を呼び捨てにするほど「程度」が悪くないという顕示として。第二に、何も考えず、ただただ丁寧にモノを言えば良いだろうという無思考、同調CONFORMISMとして。第三に、必要な内容を率直に他人と語り合うことの回避として:つまり、ご丁寧な言葉を交換しているうちに時間が経ってしまい、肝心の中味について頭を使って交渉することを避けるために。

こんなことがあるのではないかと感じます。ぼくの職場でも、十年前までは、年齢や経験年数に関係なく同僚同士は「さん」で呼び合っていたのに、この数年は「**先生」が圧倒しています。挙げ句の果てには、「学部長先生」とか「学長先生」です。以前ならこうしたセンセイ呼ばわりは、からかいのニュアンスがあり(「先生と呼ばれる程の馬鹿でなし」という川柳がありますね)ました。しかし、現在では糞真面目に使われています。

そういえば官庁や公的機関にたいしても、「教育委員会さん」とか、「**中学校さん」といった吹き出したくなるような言い方が増えています。ぼくは莫迦丸出しだと思いますが、腹を立ててもつまらないので、「何かピーチクさえずっているなあ」と思うくらいにしています。

元よりお答えにもなっていない、思いつくことの羅列になりました。如何でしょうか。


On 2009/07/25, at 11:13, wrote:

2009年7月17日金曜日

勉強熱心ということ

「ベトナム人労働者、勉強熱心も長期目標に関心なし」という記事をサイトで見つけたので、ベトナムに行っているA君に伝えた。すると直ぐに返事があった。

http://www.hotnam.com/news/090716094309.html

http://www.thewatch.com/


T先生へ

ベトナム人は、超勉強熱心ですよ。学生の中にも、大学を掛け持ちしているがいますし(大体、技術系と語学系)、会社に通いながら、夜は語学なんていうのもザラです。継続教育という名で、学校教育後の教育の機会を設けているのですが、いやはや、このベトナム人から、「日本人は勉強熱心で、すごいです」なんて、言われた日には、即否定したいぐらいです。

たとえば、日本の欠点は?とかにどれだけこたえられるかは定かではありません。基本的に、夢に向かって、勉強しているので、その夢の内実は、あまり考えていない気がします。日本語を勉強する学生の中では、「日本語教師になりたい」か「日本の企業で働きたい」というのが、多数派の夢です。

ただ、卒業生の中には、語学だけじゃ職がないことを知っている人もいました。曰く、「日本語教師になりたい」ではなく、「日本語教師にしかなれない」そうです。

そうそう。ベトナムの英字新聞で、日本の教育が取り上げられていました。なんだと思います。「日本で英語教育が加熱」みたいな内容です。笑っちゃいました。ベトナムで、こんな取り上げられ方しているなんて。

ただ、街中や家の中には、日本企業の製品が所狭しとあります。観光の中心地、ホーチミン市のベンタイン市場の周りを見回せば日本企業の看板ばかりです。久光製薬のサロンパスまであります。憧れるのも、バカにはできません。もちろん、短所を分かっていて、しゃべらない可能性もありますが(私の立場もありますから)。

しかし、T先生も気にしてこういう記事を見てくれるのは、うれしいことです。ありがとうございます!!



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僕はこの10年程、教員としての仕事よりあたかもカウンセラーとしての応対に時間を取られている。昔で言う不本意入学なんてものではない。そもそも、何のために大学に入学したのか考えたこともないような連中が激増しているのだ。不本意入学なら上出来である。本来は行きたかった大学、学部があるからだ。それすらもない学生が多数派になっている。

18歳人口が減ったため始まった「大学説明会」にまで、何と親がついて来る。受付で名前を書いてもらい、入試の際には無条件で不合格にしたら良いと提案して顰蹙をかった。入試当日も試験会場の外に何人もの親たちがたむろしている。その大部分は我が子がきちんと受験するよう、受験から逃げ出さないための監視だそうだ。

「面白くない、難しい、分からない。だから悪い授業だ」と平然として言う。バナナの皮に滑ったという類い、つまりバラエティ番組程度の笑い、クイズ番組のトリビア情報(つまり話しのネタになるだけの話題)が知識だと思っている。次回迄に考えておくテーマを出しても誰も考えては来ない。「聞いていませんでした。どんな課題がでたのですか?」と居直る。ノートはとらない。黒板に書くと、高校までの条件反射で書き写し、「板書が汚い」と文句を言う。講義の筋道、何が問題かを押さえることができない。まして、「この問題の先には、こんな問題がある。興味を持った人は是非この本を読んでみるといい」と言っても誰の手も動かない。

大学は入れば良いところであって、後は如何に楽に卒業するかの場でしかなくなっている。少なくとも僕の職場ではそういう傾向がどんどん加速している。当然に卒業論文は書けない。加えて就職難となると、精神的に不安定になっても不思議ではない。

5年前なら、「何?」と振り返るような娼婦スタイル、寝間着スタイル、訳の分からない色の組合せは、最早多数派になっている。

「君は本当は何がやりたいのだろう。そのことを考えたことがあるかい?」「親に言われたからとしても、その親は君の人生を君に代わって過ごすことはできないのだよ」「そんなに遊びたいなら徹底して遊ぶべきじゃあないのか? 遊びながら単位も取りたいなんて大学をなめるのは止めてほしい。君に今必要なことが遊ぶことなら、カネのことは知らないけれど、それを徹底してやるしかないじゃあないか」等々。カネのためならカネのためにと、きちんと目標をもって頑張るベトナムの学生に、この国の多くの学生は必ず負ける。

2009年7月16日木曜日

夏、仕事、選挙

二年間待っていたイタリア行きが出来なくなったためか、やけになっている。昼休み今日は700m泳いだ。泳いだといっても、痩せ蛙流の平泳ぎでただただ漂っているという趣き。そんな気分でいるせいか、水泳らしきものでそれなりに元気になったためか、腹が立つことだ少し増えた。まずは、この夏に政権交代のかかった総選挙をやることについてである。



何でも<費用対便益>で物事の軽重をはかる考え方がある。今ではこれ以外の考え方はダサイと言わんばかりの流行ぶりである。
便益といっても、実のところ得られる経済的利益を念頭においている場合がほとんどだから、要するにこの考え方は「どれだけ出せばどれだけ儲かるか」の計算と変わらない。この世の中、経済的利益つまりオカネに換算できないものはいくらでもあるし、愛情や思いやり、平穏や安心、希望など人間の人生にとって欠かせない程に大切なものは、そのあらかたがオカネには換算できないのではなかろうか。

こんな計算にあくせくするのはアホらしいと思う。ところが当節は、「この人と結婚するとどのくらい得をするか」と、しっかり費用対便益計算をする男女が増えているらしい。少なくとも、そういう前提で作られた結婚斡旋ビジネスの広告も目につく。地獄の沙汰も金次第なのか、経済のグローバル化に並行して、この金銭換算コスパ思考がはびこっている。

そんな損得計算でいっても、本当に割に合っているのか不思議でならないのが、例えば、この国のこの蒸し暑いだけのこの季節にクーラーをガンガンつけて仕事をすることだ。確かに電力会社や清涼飲料水、ビール屋は儲かるのだろう。しかし、当の働く人にとって健康上良くないことは明らかだし、温暖化効果ガス排出を高めることも確かだろう。ドタマに来ている僕は、せめてタンクトップに短パン、草履という抗議スタイルで仕事をしたいのだが、まだその勇気もなく、我ながら情けない。それでも、いつかはどこかどでかい高層ビルのクーラーと自販機の元電源をぶっつぶしてやることはできないか等と、エコ・テロリストの夢を見たりしている。

ところで、このクソ暑いときに何と総選挙だそうだ。「夏休みではないか! そんな時に政権交代をかけた選挙か!?」 連中にとっては、ただ投票だけしてくれれば良いくらいのことなのだろう。何時やろうと選挙には変わりなく、そのタイミングは自分たちの都合、つまり損得勘定だけで考えれば良いのだろう。しかし、内実のあるまともな“主権者国民”の選択が行われるのには、それに相応しい“主権者国民”相互間のやり取りが前提となるのではないか? 確かに選挙は一人一人の投票で終わる。誰とも討論することなく、誰にも働きかけることなく、一人静かに投票しても、投票さえ終わればそれで各人は参政権を行使したことになり、選挙は成立したことになるのだろう。

だが選挙は同時に集合的な政治行為である。個々人が如何に心底からある候補者、ある政党を支持し、その選択が正しいと熱烈に確信していたとしても、それだけでは選挙結果に何の効果も生まない。選挙が“主権者国民”の選択である内実をもつためには、それに相応しい“主権者国民”相互間の政治討論が充分に保障されていなければならないのではないか。

夏、この蒸し蒸ししてクソ暑いこの国の夏が“主権者国民”相互の政治討論に相応しい時期なのか? わざわざ人々の生活が政治から遠ざかる時期まで待ったとすら勘ぐりたくなる。

もっとも、こんな憤慨は見当外れかもしれない。もっと“主権者国民”相互の政治討論がやりやすい春秋の時期ですら、殆どの“主権者国民”は、選挙をめぐる政治討論に割く時間等ない程の生活を送っている。長時間労働、残業なしには生活できない生活、自由な政治討論ができる場、空間の不在。「中立」と称して論点に迫らないマスメディア。

そして念の入ったことには、この国の選挙に関わる基本法律である公職選挙法は、その選挙運動の章を読めば誰でも気づくように、選挙にあたって一体“主権者国民”はどんな選挙運動ができるのかが分からない程に、禁止条項だらけだ。普段だったら個々人が一人でもできる行為の殆どが、禁止あるいは制限される。一言で言えば、“主権者国民”、あるいは市民の生活の中に自らが主体となって政治を語る時間も空間もないに等しいのが、わが国の現状だと思う。

夏休み総選挙のタイミングに関わっている民主党を含む連中の眼中には、“主権者国民”相互の政治討論をどうやって保障するかという根本問題が、まったく眼中にはないのだろう。これがこの国の民主主義の水準なのだから、先は遠い。

もっとも政権交代といっても、両党の間には基本問題での違いは少ないのだから、きちんと夏休みのある在外公館の連中も「まあ、少し夏休みを切り上げるのを早めておけば何とかなるだろう」とタカをくくっているのかもしれない。

2009年7月15日水曜日

裁判官候補者にホームレス生活を必修に

去年、久しぶりに裁判傍聴をして、裁判官や検察官の人を上から見下しているような視線の冷たさ、傲慢な様子にあきれたことを書いた。今日、たまたま新聞をくっていると次のような記事に出会った。

「朝日」の夕刊によると98円の消しゴムを万引きした70歳の女性が、懲役2年の実刑判決を下されたとのこと。「朝日」報道によると、この1月に出所し、生活保護を受けて一人暮らし、月1〜2長男に手紙を出すのに「消しゴムがあれば便利」と思い、スーパーで万引きし現行犯逮捕されたのだという。宮本聡という裁判官は「被害は小額だが、手慣れた犯行で実刑は免れない」とのたもうたそうだ。この裁判官はあるいは、現在の生活保護の貧困さを知って敢えて実刑判決を下したのかもしれない。しかし、刑務所に送り返して一体何が解決されるというのだろうか。愚かな犯罪である。しかし余りに哀れな犯罪ではないか。

今では裁判官や検察官になる連中の出身家庭の殆どは、最低年収1千万以上、中には数千万という人も少なくない。日々の暮らしに困るという経験は皆無、周囲・友人にも見たことがない。小中から進学受験本位の進学校。親類縁者にも法曹関係者がちらほら。こんな姿が思い浮かばれてくる。あるいは僕の想像だけのことかもしれない。しかし、600万円に届かない全世帯の平均年収の家庭から、裁判官や検察官になる人が多数輩出されているのが現状だとは、到底思われない。

「階級裁判が復活している」と迄は言わない。しかし、こんな記事に出会うと、司法修習には、例えば「非正規雇用で1年間暮らすこと」「生活保護だけで1年間暮らすこと」「ホームレス生活を1年間すること」等を、修習生全員に必修させたくなる。

2009年7月14日火曜日

ベトナムでも




少しくたばりかかっている。それでも少し頑張って昼休みにはフワフワと500mを泳いだ。フランス革命記念日だし、関東は梅雨明けというし。

久しぶりでベトナムに行っているA君からメールが来た。こんな便りをもらうと、やはり若者は早いうちにこの国の外の生活を経験すべきだと思ったりする。ベトナムでも市場自由主義経済の歪みは、くっきりと社会全体を覆っているようだ。

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T先生へ

え、誕生日おめでとうございますって、言っていいのですか。まあ、無事に(・・・「なんとか」ですかね)1年過ごせた目印ということで、やはりおめでとうございます。正月の半年後を見落としていました。時期が少しずれましたが、時差ということで、お願いします☆

いやぁ、私は、自分で決めた人にしか「先生」は言いませんよ。学校の教諭の話をする時は「教員」だし、一人称を先生というのは、絶対しません!気持ち悪い!!大学の中では、やむをえませんが、そとでは「浅野さん」って呼べ!って学生に言ってます。まあ、そう言えること自体が、「先生」だからなのですが、まあ、考えすぎると袋小路なので、自分の都合のいいところで試行を中断しています。

夏休みです。でも、夏休みの方が、用事が多くなりました。まあ、ようやく、市内を回り始めたということです。ベトナムでは7月から個人所得税が導入されたのですが、私の給料は7月前ということで、税を回避し、予想以上にもらえたので、最近は、喫茶店などに行くようになりました。ああ、余裕ある生活っていいですね。

ちなみに、私は保険に入っていないので、その点は、常に不安が付きまといます。アメリカや中国で、病院に行きたくても行けなくて、病院前で倒れている人の写真を何度も見たことがありますが、保険などの制度のありがたさを痛感します。常に金銭を気にしたり、保険がなかったり。なので、最初の1か月は、きつかったー。買い食いができる今がありがたくてありがたくて。もちろん、私の場合は、期間限定なので、本当に苦しんでいる人と同じ立ち場なんて、口が裂けても言えませんが、垣間見た感じです。

あ、試験もしたのですが、私の大学は私立なので授業料が高いのですね。学生の20%ぐらいが、学費未払いで試験を受けられませんでした。まあ、これは、私立に限ったことでなく、国立でも同じようなことが起きているよです。

そして、日本と同じように学生はバイトをするのですが、給料が安い!購買力を差し引いても安い!ちょっとお金貯めて辞書買えって言っていましたが、安易に言えなくなりました。喫茶店なら、時給40〜50円ぐらいです。

さらに、大学生でない子どもたちもたくさんいるわけで、その時給たるや、10〜20円で、一日中その店にいるようです。

この前、中心近くの公園で、日本語で「お兄さんガム買って!」って15歳ぐらいの子に言われて、「俺は韓国人だ!」って言ったら、韓国語で話しかけてきました。何ヶ国語で話せるの?って聞いたら、ベトナム語を含めて6ヶ国語だそうです。もちろん、文法とかおさえているわけではないと思うのですが、生きるための技ですね。他の子も、同じぐらい話せました。外国人の観光客を相手にする時のために、最低限必要なことなのでしょう。値切った挙句、定価の3割増しぐらいでガムを買いました。

肌もめちゃくちゃ焼けて、まっくろです。最近は、ベトナム人とよく間違えられます。うれしいことです。そろそろ、日本を抜け出したくないですか?待ってますよー。夏ですが、体重を戻してくださいね。では、また。

2009年7月7日火曜日

嘘はコスト計算の外



「実直な方とお見受けした」。こう言ってくれた方がいた。こんな身に余る褒め言葉はない。
この間のいくつかの争いごとの中で、何度「正直すぎるのも良くないよ」「くそ真面目だから損をしている」と言われて来たことか。

言われた本人は、それでも時々は嘘もついているし、相手が勝手に錯覚するようなこともしているつもりでいる。とは言え、確かに積極的に嘘をつくことを避けていることは確かだ。第一に嘘をつくには労力がかかる。いつ何を誰に対してどうのように偽ったかを覚えていなくてはならない。複数の嘘を重ねる時には、その嘘が重なった時にも困らないようにに予め計算しておかなくてはならない。そんな労力を割くだけのエネルギーは費やしたくないし、その能力(おそらくは記憶力)が自分には著しく欠けていることは明らかだ。第二に、そのためだろうか嘘をつけば、いや嘘をつこうとするだけで、それは顔や態度に現れてしまう。日頃からの訓練が絶対的に足りない。

モンテーニュが言っているように、「経験上、すぐれた記憶は弱い判断力と結びつきやすい」のかどうかは分からない。しかし、弱い記憶力という「病気」があるために、「もっと悪い病気、すなわち野心を匡正する理由を見いだした」ことは確かにある。人が言う「ばか正直」であるためか、大もうけをしようとか、高い栄誉や評判をとろうといったことで心を燃え立たせたことはない。経済的にある程度の生活を送ることができたという幸運も幸いしていることも影響しているかもしれない。

また、カリエールだかが、「敵に対して嘘をつけば、敵と交渉することすらもできなくなる」とか書いていたことも焼き付いている。敵なのだから、どんな術策を労してもやっつければ良いというものではなく、利害対立する敵だからといって相手に打ち勝つことができない場合は少なくないこと、完全粉砕、完全絶滅はまずありえず、酷くやっつけられた敗者はむしろ恨みを一層強くもって復讐に燃えることの方が一般的だろう。

そこで必要になる交渉がなりたつ前提として信頼関係があり、そのためには利害が対立する敵からも「あいつは嘘はつかない」と、まずは交渉の相手にされることが前提となること。こんなカリエールの言葉に出会ったときは、若かった僕は実に驚いた。そしてかなり賢くなった気がした。

それでも、余り嘘をつかない、嘘をつけない流で、還暦を過ぎて思わぬ嫌なことをいくつもこなし、かなり疲れた。

本当は半年でもしばらく休みたい。せめてこの間の緊張をほぐし、<解決>まで頑張った自分を労りたい。そしてできることなら新しい生活への転換の一歩を踏み出したい。そのためにも、第二のテーマの場であるイタリアへ何としても行きたかった。しかし、それも思わぬ事故によってできなくなってしまった。その先いつ戻れるかとの見通しも立っていない。身が割かれるように辛い。

Fにいる友人に電話をすると、「辛いのは分かる。私も辛い。でも来ることをいつでも待っている。退職したらこちらで生活したらいい」とまで言ってくれた。やはり、嘘でかせぐよりは、こういう単純な慰めの言葉の方がありがたい。どうやら僕の場合は、嘘は費用対効果計算の外にある。

2009年7月5日日曜日

メール、携帯、ファックス、電話



一日にチェックするメールは一体何通になるだろうか。そして応答。携帯電話はそれを持っている限りどこまでも追いかけてくる。
ファックスが現れたとき、「これは便利だ」と思った。途端に原稿の締切が怖くなった。

「日経」土曜版によると、メールに対する返事が24時間以内にないと不愉快に思う人が、大半を占めるそうだ。勝手に送っておいて何だと思う。

求められなければEメールには応えない。携帯電話は自分からかける必要がある時だけ携帯し、不携帯を原則とする。電話がなっても仕事中はとらない。引越の時に捨てたファックス受信機は新規購入しない。別に人間嫌いになった訳ではないが、半世紀前の手紙だけの生活に少しずつ戻して行きたいとつくづく思う。

2009年7月3日金曜日

歳をとると良いこともある

重荷になっていた事柄が、殆ど同時期になって<解決>する山場を迎えたことが主原因だろう。解決といっても、それによって心の憂いがなくなるような問題の解消ではなく、「これにて一件落着、最早打つ手はない」という意味で最後を迎えたことであり、新たな心配事はむしろ増えたのかもしれない。

とは言え、新しい局面への気持ちの切り替え、日常の実際の生活の転換を余儀なくされたことには変わりはない。丁度、船の右側に山積みされていた荷物が一度になくなり、呆然としている間にも、急に右側が軽くなった弾みで船が大きく左に揺れてしまう怖さが、このすぐ先に待っている感じがする。ブログの更新どころではなかった。

そんな時に朝、まず事務所をのぞくと、Bさんが「**さん、今年もうプールに行きましたか?」と尋ねてくる。プールではゴーグルをつけていたり、いつもは分からないメタボおなかがモロ見えだったり、その反対に引き締まった身体であったり、日頃見慣れている姿ではないためだろうBさんがプール仲間だったとは気づかなかった。

先週の真夏日の昼休み、「こんな日にはプールだな」と時計を見ると既に1時を回っている。休み時間に襲って来た学生への応対に手間取っていたためと疲れのために、今日は結局プールには行けなかった。しかし、Bさんが声をかけてくれたことが嬉しく、これからの昼休みが楽しみになり、元気が出て来た。

職場に知人がふえたのも歳をとった結果だろう。歳をとるのは悪いことばかりではない。

2009年7月2日木曜日

ジジイには盆栽

昨日は僕の誕生日だった。祝う気になれない。世話になった人たちにお礼を言わなくてはならないのだろうが、それもお返しを期待しているようで嫌だ。

昨日、数年前に退職した方の本を古本屋に引き取ってもらった。書棚一杯が何と1万円。そのあたりから憂鬱になってきた。

これはならじと、合間をぬって農場に行った。こういう気分の時には緑に限る。キュウリやトマトが実っている様子、裸になったジャガイモ畑の脇に繁り始め、昨日の雨に濡れ輝いている薩摩芋の葉。気持ちがよい。

話していると、いつも世話になっているHさんは、何と今年度で定年だという。寂しくなる。作業室のある小屋に戻ると、その前に欅などの盆栽が並んでいる。30年にわたって眺めてきた埼玉の欅だ。殺風景な都内に移ってしまった身には、懐かしく見える。「こういうのも良いですね」というと、「欲しかったら持ってって」と言う。「でも、折角ここまで手入れしたのに」と、本当は欲しいのを躊躇っていると、「やるって言う時に貰わないと駄目だよ」と言ってくれる。余程に物欲しげの顔をしていたのかと、少し恥ずかしくなるが、喜んでいただくことにした。嬉しい誕生祝。