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2009年4月30日木曜日

インデックス方式

引越して本を置ける場所が半減した。その代わりに大きな大学図書館や、前に住んでいた埼玉の街の図書館よりも蔵書のある区立図書館が近くなった。最新号の雑誌類を実際に手に取って見ることは必ずしも楽にできる訳ではない。しかし、これも大学に勤めているうちは、勤め先で何とかなる。

そこで、かつて金をやり繰りし、苦労して手に入れた本でも、今後使う可能性が低いもの。どの図書館にも備えられているような本は、原則として処分することにした。欲しがるかもしれない友人に一々声を掛け、荷造りして送るのも面倒なので古本屋さんに来てもらい一挙に処分することにした。

本は原則として買わないで借りる。何度も読みたくなるもの。辞書類のように手元におき、絶えず使うもの。それ以外は、急いで書き込みをしながら読む必要があるもの、度々の借り出さざるをえずその手間を省きたいもの以外は買わないことにしようと思っている。

買った時のそれなりの苦労。軍備ではないが「いざという時に近くにある安心感」。色々な著作、仕事に囲まれているという幻想的な心地よさ。こうしたものと、おさらばするのは少し寂しい感じもする。しかし、新しい生活に踏み出すワクワクした気持ちもする。何しろ、すっきりした空間ができるかもしれないのだから。

外岡秀俊さんのやり方*に学んだ。

* 外岡秀俊『情報のさばき方』朝日選書
外岡秀俊さんは、物としての情報は捨て、インデックス情報を管理しろと唱えている。情報の中身ではなく、「どこに行けば、誰に聞けば確かな情報を得られるのか」という情報の所在を指示する情報を管理しとという主張だ。

2009年4月26日日曜日

困った人?

ようやく晴れ渡り、空気は澄み渡るよう、雲もきれい。気分爽快になって不思議はない良い一日だった。

ところがこの数ヶ月来、何かと僕を疲れさせている「困った人」から、またまた下らない手紙を受取った。

その人を除いて誰もが引き受けたくもない仕事をこなすためのある会議で、たまたま年長であった僕が責任者を努めることになったところ、初めは頼んでもいないのに、微に入り細に入った「助言」と称するお説教やら、こちらが聞いてもいないのに自分が新たに買ったものの自慢話しのメールの連発。それもテオニハや係り結びのおかしい文章で、変換ミスだらけのまま送られてくる。一々答える余裕もないし、疲れるので間引いて応答していると、「自分はあなたより経験豊富で、これまで何人もの人に感謝されて来た。その自分の助言が取上げられないのは不当だ」という趣旨の非難。

会議では、注意深く人の発言を聞くこともなく、話している人を遮ってまで「ということは***ていうことで、それは私に言わせれば***ということですから、***すればいいだけです」と、決めつけて来たり、ご教示を垂れたりする。思い込みが激しく、早とちりも何のその、ご自分の意見を滔々とまくしたてたくて仕方ない。加えて早口でもあるから、他の人はうんざりして黙ってしまったり、適当に相づちを打って早く終わるのを待っている。するとたちまち自分の発言が受け入れられたものと勘違いし、その後でこのセンセイを立てる格好をとりながらも、ご高説に対して他の人から少しずつ様々な縛りや限定が付けられても、全く意に関せず最初の自分の意見がそのまま丸ごと認められたと思い込んでしまう。

挙げ句の果ての今日の手紙では、自分で勝手に怒り始めて中途退席し、結論がでるまでいなかった会議の議事録をみて、「あなたは自分の都合の良いように会議をねじ曲げている」と非難する始末。あーっ、うんざりする。

どうしたものかと調べていたら、自己愛性人格障害( Narcissistic Personality Disorder )というやつに近いことが分かった。

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<診断基準> 自己愛性人格障害 アメリカ精神医学会 DSM-IV

 誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。
以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

イ)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

ロ)限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

ハ)自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

ニ)過剰な賞賛を求める。

ヘ)特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

ト)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

チ)共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

リ)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

ヌ)尊大で傲慢な行動 または態度。

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人格障害についての一般的説明:

http://akatan.cool.ne.jp/jinkaku.htm

テキスト・エンコーディングを日本語設定に換えなくては読めないし、記述が長たらしいのだが、参考になったサイト:

http://homepage1.nifty.com/eggs/index.html
http://homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html#top

「キレた時の対応」
http://homepage1.nifty.com/eggs/iryou/careabout/kiretatoki.html

5つどころか7つは、きっちり当てはまっている。要点は、空間的距離と時間をあけることらしい。しかし、ご近所さんなんだよなぁ。参った!
上手い対処の仕方はないでしょうかね。

2009年4月25日土曜日

『平和と憲法の現在 軍事によらない平和の探求』の紹介

今月の初めに、『平和と憲法の現在 軍事によらない平和の探求』という本を、2人の友人と編者になって西田書店から出してもらった。
そうしたら、法学館憲法研究所というところから、書評の依頼があった。自分も書いている文章がのった本を書評するのは、少し気恥ずかしい。しかし、こんなご時世に折角出版してもらったのだから、編者の一人としては少しでも売らなくてはならない。そこで駄文を書いた:

 アフガンそしてイラクでブッシュ政権は、先制攻撃を公然と正面にすえた「テロとの戦争」を展開し、多くの人々を殺戮し、難民に追いやり、中東地域を中心に全世界に混乱と不安を拡げた。しかし、対テロ戦争の挫折は、今や米国軍部・政府自身にも明らかになり、また、その過程で一層疲弊した米国に対して、中国・インド・ロシアや産油国の力が大きくなり、世界支配のヘゲモニー構造は大きく変わった。新しい世界状況の中で、オバマ政権は対テロ戦争からの転換を計ろうとしている。イラクからの撤兵、アフガンへの増派、そしてパキスタンへのてこ入れは、「出口戦略」の一連のシナリオであろう。

 オバマ政権が、永久に未完成のものでしかありえないMD計画のペースダウン、そして核拡散防止にとどまらず、核軍縮から核廃絶にまで提唱し始めたことは、この新しい世界状況を前にして軍事主軸の一極支配から、新しいヘゲモニー構築をめざしてのことと言えるだろう。

 とはいえ、このオバマ政権は、イスラエルによるガザへの攻撃と殺戮を事実上黙認した。またソマリアの「海賊対策」と名目とした国連安保理決議1815(昨年12月16日)は、「ソマリア陸上で必要とされるあらゆる措置を取ることができる」ことを求める米国提案を受けて、「ソマリア国内で必要とされるあらゆる措置を取ること」を明記した。つまり、93年の「モガディシュの屈辱」の今度は「国際協調」のもとでの挽回作戦が可能となったのである。米国など大国による新しい世界支配のヘゲモニー再構築が、人々が黙っていても否応無しに軍事力への依存を減らすものとなっていかざるをえないといった保証はどこにもない(のである)。
 
 他方、グローバルな民衆社会では、70年代以降の国連の諸決議でも確認されたように「平和のうちに生きる権利」が追求され、安全保障の観念についても、伝統的に軍事を軸とした理解から、「人間の安全保障」が語られるようになってきた。

 こうして戦争放棄・非武装平和と平和的生存権を定める1946年の日本国憲法は、現代のグローバルな民衆社会の課題にこたえるものとして再注目されるようになったといえるだろう。

 しかしながら、この1946年における平和に関する憲法規定は、日本の民衆が自らの力で勝ち取ったものではなく、その当初はあくまでも<日本に対する安全保障>のために米占領軍によって与えられ、天皇制護持を至上課題としていた当時の日本支配層によって受け入れられたものであった。なるほど日本の民衆の多くは憲法の平和規定を歓迎し支持してきたが、しかし今日に至るまで一度たりとも憲法の平和規定を忠実に実現していく政府や、多数派国会議席をつくり出すことはできなかった。一方では社会意識における根強く広範な平和志向派・平和支持派の存在、そして他方では権力政治における憲法の平和条項の空洞化(日米安保・自衛隊)。この併存と厳しい拮抗状態は、明文改憲によって打破されようとしたし、今も打破されようとしているが、しかし前者に支えられた名もない多くの人々の多大な努力、文字通りの闘いによってかろうじて保たれている。

 この本は、憲法の平和規定をめぐってめまぐるしく展開する問題について、自由に報告し議論しようとの目的で、2004年に研究者やジャーナリストが集まって立ち上げた平和憲法研究会という小さな研究会での討論の一つの成果である。参加メンバーの考え方は当然に違う。しかし、日本国憲法の平和的生存権と戦争放棄・非武装平和は、<軍事によらない平和>を理念としていると考え、この理念の実現を探求志向する点では一致している。

 目次を一見すると雑多なテーマの寄せ集めのように見えるが、それは日本国憲法の平和規定がもっている歴史的位置、そして直面している問題を、いくつかの角度から見直す上で、欠かせないものとなっている。第1部の「現状」は、「対テロ戦争」の中で飛躍的に進んだ米軍との一体化と国外での武力行使へのステップ、そして「テロ」を口実とした軍事とその周辺領域の“溶解”化を描く。第2部の「歴史と比較」では、前述の拮抗状態がつくり出した国会論争の意義の見直し、そして戦争放棄・非武装平和規定を有することの憲法的意義を検証する上での参照地点の呈示。第3部「展望」では、憲法制定後60年以上たった今でも、未だに戦争責任問題を克服することができないでいる私達が、この問題に立ち向かうとともに新しいグローバルな民衆社会と連携して、<軍事によらない平和>を実現していくうえでの課題が探求されている。

 <軍事によらない平和>とは、一冊の本で扱うにはいかにも大きな課題である。これに立ち向かうものとしての本書には不十分な点も多々あるだろう。ぜひ一読され、忌憚のないご批判をいただきたい。

2009年4月23日木曜日

どうかしている草彅たたき

草彅なんとかというタレントが、酔っぱらって深夜の公園で裸踊りをしたとかで捕まり、大騒ぎしているようだ。新聞にでかでかと出ている写真をみると、僕もどこかのPRで見た顔だ。だからという訳ではないが、この騒ぎ方は尋常ではない。有名タレント、人気歌手ともなればストレスも多いだろう。酒も飲みたくなるだろうし、「どうして裸になったのか分からない」ような酔い方をすることもあるだろう。

一体、深夜の公園で裸になって踊っていたからといって、犯罪構成要件に該当していたからといって、実害もないことではないのか。犯罪だとして「動機や事件の背景を探るため」家宅捜査したり、書類を送検する程のことなのか。公然猥褻罪だそうだ。とすると家宅捜査は、おそらく麻薬捜査のための「別件捜査」というべきか。「朝日新聞」となると、「公園や電車など公共の場で露出した場合は認識される可能性が高いため、目撃者の有無にかかわらず、「公然」となる」などと解説まで添えて報道している。いかにも良い子のアサヒの面目躍如。

恐ろしいのは、彼が所属するジャニーズ事務所とかが、報道各社に、例によっての紋切り型で「ご迷惑をおかけしました」と謝り、同氏の芸能活動を当面、自粛させるとしたこと。NTT東日本、P&G、レンタカーのCMに起用したトヨタ自動車は広告中止、「昆布ポン酢」のCMに起用していたヤマサ醤油も当面見合わせ、他に家庭用洗剤「アリエール」はテレビCM放送見合わせ。勿論のように、デジタル放送推進協会、公共広告機構などの団体CMが、一斉に彼を使う広告を中止。同氏が出演する9月公開予定の映画の公開まで延期されるかもしれないという。こうした「世間」挙げての袋だたきだ。「地デジ」とかの担当をしているあの鳩山総務相が、「最低の人間としか思えない」と吠えているのは、またご自分の品性を疑わせているだけでどうということはないだろう。

少し外れると叩かれる。有名人ほどひどく叩かれる。実害がなくても叩かれる。
実害があってもネクタイにスーツ姿で行われることは、概して叩かれない。
この国はかなり疲れているのではないか。

ところで、結婚30年とかで家人がオリーブの苗などを買ってくれた。嬉しい。湿った梅雨のあるこの国でうまく育つだろうか。実をならせるためには、もう一本、受粉用の木を並べなくてはならないとのこと。

2009年4月22日水曜日

4月から冷房

余儀ない事情があって久しぶりに電車にのった。
車内には何と冷房がかかっているではないか。

確かに今日の日中は5月といっても良い陽気だった。25度は越えていただろう。だからといって走る電車の車内に冷房か?窓を少し開ければ済むことではないか。気の短い僕は、絶望的な気分になった。もっと歳をとったらエコ・テロリストになってやろうかしらん。

2009年4月15日水曜日

外国のサイトを見る意味



日本でのG20の報道は、何が中心問題なのかも分からないようなぼんやりしたものが多かった。記事を作っている記者の理解水準が高くないからだろう。「分析」と称する記事のあらかたも、例によって外国紙の論説や分析記事を読んで、つぎはぎしたようまもの。報道全体から受ける印象は、専らオバマの「国際政治」へのデビュー・ショーといった趣き。

そして刺身のつまのように、反対派の「暴徒」の暴力的行動のみが添えられている。自ずから「何が問題だか分からんが、どうやら訳の分からんことをする馬鹿な奴らがいつものようにいるものだ。困ったことだ」といった、分かったふうの自己了解に流し込まれるような構成になっている。

その「暴徒」なるものについては、当の現地での報道は随分と違ったものであるようだ。Guardianのサイトを見ると、取締に当たった警察にこそ「暴徒」が少なからずいて、それが問題になっていることが分かる。こんな報道ギャップに接する度に、僕は日本の新聞を読む意欲が減退してしまう。しかし、英語は大嫌いだしなぁ、、、困ったことだ。

http://www.guardian.co.uk/uk/g20-police-assault-ian-tomlinson

http://www.guardian.co.uk/uk/2009/apr/15/metropolitan-police-tomlinson-assault-g20

http://www.irishtimes.com/newspaper/breaking/2009/0415/breaking17.htm

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090409/191486/

ドレスコード

僕が入っているMLに次のようなメールが流れていた:

「メディアに露出するときは、にこやかに。口元を上げてくださいね。話し方は、おっとりと。穏やかに。日野原先生みたいに。

服装はおしゃれに。ややトラッドなのがよろしい。カジュアルすぎてはペケ。いかにも市民運動家ふうのラフな服装は逆効果ですよ。
ジャンパー不可。橋下知事が組合をやりこめたのは、組合側があまりにしょぼかったというのもあるんです。ぴかぴかなくらいでよろしい。金ピカは不可ですけどね。

ヨレヨレ不可。ぼさぼさ不可ですよ。髪はきれいに洗う。丁寧にグルーミング。

「プロ市民」なんていわせない。、、、イメージ作戦ですよ。敵は空っぽのおつむですがイメージでここまで来てるんです」

このメールを見て、かつて「女なんてネクタイしか見ていないんだから」と言ってのけた政治家がいたことを思い出した。僕の勤め先でも、似たようなことが起こっているのかもしれない。若手の同僚の中には、講義の日には必ず背広ネクタイという人が増えているようなのだ。

先日も、教育実習で実習生の学生がネクタイ着用は当然のこと、実習校への「事前の挨拶」(子どもが実習に行く訳でもなし、何で必要なのか訳が分からない)に行く教員もネクタイと上着着用を原則とするというお達しが配られた。ここまでくると、これはイメージ作戦ですらない単なる同調主義、いわゆる協調性なるもののアピールでしかない。まあ、イメージ作戦を考えるよりも単純な何も考えていない集団同調主義の告白でしかないのだろうから、大したことではないのかもしれない。しかし、より多くに人々にとっては、こちらのconformismの方が実際の威力は強いのではないだろうか。

一方で「一人一人の子どもの個性を生かす」と言いながら、他方ではこれから高温多湿になる日本の気候の中で上着にネクタイの「右へ倣え」を当然とする連中の気心がしれない。「個性の尊重と言いながら制服を義務づけるのはおかしいのではないかい?」と学生に尋ねたら、きょとんとする者が増えてきている。

ドレスコードにも階層区分があるのだろうか。

2009年4月13日月曜日

ネギ豚味噌炒め




「日経」の土曜版にベターホーム協会というところが、「かんたん美味」という簡単料理のコラムを続けている。調理時間15分とか20分とかいう料理の連載でなかなか良い。

そこに「豚肉のみそいため」という料理が出ていた。
レシピは、生姜焼き用豚300g、長ネギ2本。味噌、砂糖、酒、醤油を適当に混ぜておいて、葱は斜め切り、肉は食べやすい大きさで、ごま油で中火炒め。およそ肉に火が通ったところで葱を入れて炒め、味噌等を混ぜておいたものを絡める。以上、15分。

今日は、味噌に酒などなどとあるところを、無精して人からもらった「マルコメ液みそ」を使った。豚は、いつも行くタナカ肉店の肩ロース薄切り140円という奴を使った。同じロースでも足の方より肉がしっかりしていて良い。手間がかかったとすれば、この脂身部分を切り取ったことくらいか。葱は大目に300gに対して4本使った。

この料理(と言えるかどうか分からないくらい簡単な作業)の良いところは、長葱の緑の部分も使えること。普段ならこの部分は、豚ブロックやスペアリブの醤油煮込みの時くらいしか使わず、多くの場合は捨ててしまう。それがこの料理の場合は、彩りに少し薄切りに使うことができる。アクセントが付いてなかなか良い。

2009年4月12日日曜日

占春園散歩



元教育大の跡地下にある占春園に初めて行ってきた。




18世紀の守山藩とかの下屋敷跡の「江戸三大名園」(後楽園以外に何?)とかとのこと。とはいえ、庭園としてはぱっとしない。せっかくの斜面が生かされていない。現在ある姿が原型のままであるはずはないから、酷評するのは酷というものだろう。



ともかく嬉しかったのは、大きな樹木があり、広い池もあったこと。池には、おそらく育てていたら大きくなって困って放された亀が、何匹も悠々と泳いでいた。一年前まで埼玉にいた頃は、住まいのすぐ近くで大きな樹木の下や林の中を歩くことができた。それが都内に来てから、大きな樹がない息苦しさをひしひしと感じていた。池袋より近い距離に、小さくてぱっとしなくても、こうした所があるので幸せな気分になった。



ドケチな僕には入場料なしというところが、たまらなく嬉しい。何せ小石川植物園は300円からとるからね。

2009年4月11日土曜日

ベトナムからの楽しいメール

一ヶ月前に嬉しい便りを、ベトナムに留学(? というより遊学と言うべきか)しているA君からもらった。
そして昨日、また元気なメールをもらった。余りに楽しく、また元気づけられるので、ブログへ掲載することを頼んだところ快諾をもらった。そこで、二つのメールを紹介する。こういうメールをもらうと、僕は本当に感心してしまうし、元気づけられるね :

<3月のメール> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

T先生へ

 元気でやってますよー。言葉は通じませんが、毎日の食事はおいしいし、まあ、暑いのが少しこたえます。大学では、日本語を教えているので、日本に興味のある学生が多いです。時間いっぱいいっぱいなので、なかなか話すことはできませんが、半年後には私がベトナム語を、学生は日本語を学んで、少しくらいは会話ができたらなと。

 最初の1ヶ月間は、極貧生活をしようと、クーラーはもちろん禁止。冷蔵庫も使ってませんし、お風呂、洗濯は、バケツに水をためています。ベトナム語以外にも学ぶべきことは多そうです。

 そして、ベトナム人は朝が早い(熱帯・亜熱帯はそうなのかもしれませんが)。朝5時には、道端に売店が出て、朝食の簡単なパンやらご飯が売られています。その分、夜は、9時には終わった感満載です。バイクが多すぎて、ひかれそうなのがスリル満点ですが、3、4歳の子たちが、バイクの川を抜けていく姿を見ると、住めばなんとかなるもんだと実感しています。

 たまにメールしますね。もし来たくなったらご一報を☆
 まあ、まだ来て1週間なので、これからが勝負です。
 では、また!!

<4月のメール> ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

T先生へ

大学では、外国語学科の日本語の会話を担当しています。極貧滞在ですので、自分で稼がないといかんのですね。といっても、時給計算するとベトナム人の正規雇用の方々よりいい給料(新聞の記事にあった正規の給料の時給と比べると、2〜3倍もらっています)なので、ちょっと複雑です。ベトナム語は、ほぼ独学です。家で文法や単語を勉強して、学生や買い物、バイクタクシーのおっちゃんたちと会話しています。あと、ベトナム語の意味不明のテレビを見続けるという苦行もありますね。たまに分かる単語があるとホッとします。

最先端といえば、私の間借りしている家(1階は服屋さん)は、時たま停電します。電気を使いたくても使えない。最強のエコです。まあ、日本みたいに蒸した暑さではないので、なんとかやっていけます(昼は35℃近くまで上がる日もありますが)。ドアを開ければ、それなりに涼しいのです。虫よけには、蚊取り線香。なかなか風流です。

ベトナムはバイク天国です。ホーチミンなどの市街地は、おそらく日本なんかよりも空気は悪いです。布製のマスクがやたら売られているのも納得です。

ゴミ事情は、一頃より良くなったようで、道のいたるところに緑色のゴミ入れが設置してあります。そして、決まった時間にごみ回収のおじちゃん、おばちゃんがやってきます。その集め方は雑で、道にゴミをこぼしまくっていきますが。

スーパーのようなしっかりした場所の方が従業員のやる気が感じられません。大衆食堂的な店の方が、まだ元気があります。レジ打ちしている姿も、なんだかおっくうな感じですし、客をほったらかして、店員の大半はおしゃべりをしています。大衆食堂は、明らかに従業員が多すぎる感じで、ちょっと大きい店だと10人くらいが無駄にいます。そして食堂が多すぎます。いいことなのですが、味を比較していきたい私としては、なかなか店を回りきれません。というか、回りきるのは不可能です。

ベトナムコーヒーは、異常に濃いです。もしよければ、B**(大学正門前の食堂)で、頼んでみてください(あそこの店の人たちはGさんの家にも行ったことがあるんですよ)。日本のコーヒーのつもりで飲んだら、必ずノドがやられます。アイスは氷が溶けるのを待ちながら、本当にチビリチビリと飲むのがおいしいです。あと、さとうきびジュースもおいしいです。さとうきびをすりつぶして出てくる液を氷にぶち込むシンプルなものですが、あっさりした甘さがこの暑さにとてもいい!!

T先生が気になる食事の方はといいますと、野菜だらけです。フォーのような麺類やおかゆなどにも、必ず野菜の皿がつきます。入れたいだけ汁の中に入れるのですが、いくら食べても、値段は変わりません。物価は、市街地の方がもちろん高いのですが、私が住んでいるのは、市街地から徒歩1時間ほど離れているので、ほぼベトナムの生活感覚で行けると思います。だいたい、1万5000ドン〜2万ドン(100円未満〜150円程度)くらいで、食堂では食事ができます。朝食は、露店のバィンミーというフランスパンのサンドイッチや、チマキのようなもち米を食べます。これは5000ドン〜6000ドン(30円〜40円程度)なので、リーズナブルで、けっこうおいしいです。

聞き取りはもちろんできませんが、なんとか外に出て、コミュニケーションをとっています。近くに日本人は皆無なので、日本人コミュニティにも、入りたくても入れない、いい場所です(笑)

なんとかやってますよー。

2009年4月9日木曜日

若い人には期待してしまう



今日も良い天気。新入生の講座ガイダンスがあった。教員の自己紹介はメンバーが11人もいるので、昨年辺りから「主任」が代表して歓迎の辞をを述べることになった。何せ教員には、職業柄だろうか、喋りたい人が大勢いるのでそうでもしないと自己紹介だけで延々1時間以上かかってしまい、眠る者続出、担架で担ぎ出される者も出かねない(嘘か?)という事態になる。

そこで、挨拶代わりに僕はチラシを配った。読み返してみると、やはり教師づらした説教クサイ。僕としては「君たちに期待している、君たちの奮闘の役に立ちたい」というアピールのつもりなのだが。



以下に再録:

よ う こ そ !

○ 社会に目を向けよう!
 後にも先にも君は君だけ。しかし、我々は生まれる時代も場所も選べない。周囲に流されながら受け身で生きていくのか、少しでも自分らしく主体的に生きていくのか。
 そのためには、自分がどんな時代、どんな場所に生まれ育ってきたのか。これからどんな時代を生きていくのか。面倒でも、辛くても社会に目を向け続けることが不可欠です。これは、また自分とは何かを考えていく上での前提にもなります。

○ 視野を広げよう!
 大事だと思う社会問題を追っかけていこう。週に1回は、定評ある外国の新聞サイトを見よう(見出しだけでも)。
 君が学生時代に拡げる視野の幅が、これからの君の人生、活動の幅を決めていきます。丁度、扇の要の角度の違いによって裾の広がり方が変わるように。

○ 知ることより大切なのは考えること
 何故なのか? 本当なのか? そうなるとどんな影響が出るのだろうか? 現実には可能性の少ない極限(いうなればマイナス無限大、プラス無限大)まで突きつめて根底的に考えることができるのは学生時代ならではの特権です。「青臭い」と言われようと、徹底して考えぬく自己訓練をしましょう。そのためには、まず自分の感じ、考えを書いてみることが大事です。

○ 異質との出会いを楽しもう!
 「仲良し百人つくる」より、これからの人生では、困ったときに親身になって支えてくれる友、心おきなく徹底して討論できる友が大事になってくるでしょう。これはオカネで買えるものではありません。そのためには、日頃「えっ!あの人と?」と思っている人、「メチャ変人・奇人」と感じる人、自分の理解をこえるような人、思ってもいなかった人との出会いに自分を軽く開いていることが大事です(この頃、コミュニケーション能力なんていうやつの第一要素)。自分が求めてもいないのに、自分と違う人と出会ったら、それは「儲けた!」と思えるくらいのことではないでしょうか。

<自己紹介> 

「団塊世代」の初老のジジイです。ストレス抵抗力は皆さんの何十分の一。
特に、暴力によらない平和・安全保障をめぐる法問題を研究しています。

2009年4月8日水曜日

イヌシデ



春、芽吹きが美しい。
大学構内にある唯一の林でも、イヌシデの芽吹きが始まった。これから本格化するクヌギやコナラなどのどんぐり類よりも、清新な黄緑色の若葉が美しく感じられる。

2009年4月7日火曜日

36年の軍隊内の反戦活動

昨日の現地見聞の後、菊地さんの案内で、松井田在住のもう一人の妙義闘争の活動家だった中山三喜男さんを尋ねることができた。
93歳。背中を傷めていて動きが楽ではないとおっしゃっているが、しかし、顔の色つやといい、筋道だった話しと言い、とてもその歳とは思われない。そして何よりも振る舞いと表情全体から溢れてくる人間的な充実。

日本の民主主義と平和の運動は、こう言う無名の人々によって支えられていたのだと改めて思った。

高崎師範を卒業。高崎15連隊の中で「軍旗祭り」に際して、第三中隊で「鼠君哀哭」を合い言葉に、髑髏隊の仮装をしたというのだ。



これは歴史書に載せられて良い写真ではないだろうか。
「墨や石灰を分担して調達し、誰が首謀者か分からないようにしてね、これだけ大勢でやってしまえば重営倉たって三つしかありゃあしないのだから、全員ぶち込む訳にはいかない。まあ、考えたんですよ」