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2009年3月30日月曜日

日本刀



亡父が二本、日本刀を残して行った。
一本は、初代藤島の作とされた無銘の1.1mくらいの刀。そりがあり、鞘は装飾的な殿中用と思しき脇差し。
もう一本は、黒鞘の何と言うことのない、肥後の同田貫:2尺3寸1分の打刀。

せいぜい18世紀くらいのもので刀剣としては高価なものではないらしい。これは父が徴兵された際に、彼の伯父にあたる人の蔵にごろごろあった刀から、「適当なものを持って行け」と言われ貰ってきたものらしい。父の伯父の家系は、諏訪藩というけちな藩の家老職にあったとかで、この手のものは色々ところがっていたらしい。それを父は何と後生大事にし、終いには鑑定に出したり、刃の部分は別の木製の鞘に納め、柄には竹光を差し替え、キンキラキンの品の悪い刀袋に入れて居間に飾ったりしていた。

亡父は家系図作りに異様に拘っていて、何と16代先のご先祖からの系図を作って、折りに触れ眺めては、子ども達や孫達に「この人は柳生流免許皆伝だったそうだ」などと語っては悦に入っていた。

大体、「血のつながり」があるとしても、3代前で16分の1。10代前なら1024分の1、16代前なら3万2,768分の1でしかない。まあ、関係はないと言っても良いのではないか。アホなのか、余程自分に自信がなかったのか、それともその両方であったのか(多分そうだろう)、まあお暇なことであった。

しかし、彼の子どもは3人。そこで彼は何と僕の妹に単刀を新たにあつらえて譲り渡した。人切り包丁を介して自分との繋がりの証しにしようとしたという次第。「そんなものをもらってどうするの」は、実のところ相続人である子3人に共通した思いらしい。しかし、遺産分割が終わっておらず、しかも我が妹君、弟君におかせられては、自分たちが譲り受けるから僕には権利を放棄しろという。妹のところには二人の息子と一人の娘。弟のところは姫が二人。彼らが相続すればどうなるのだろうか。

されば亡父の「遺訓」に忠実であるよう振る舞っているわが妹弟君は、その子らに譲り渡すべく、刀の不足分を更に新たにあつらえるのだろうか。妹君、弟君のお子様方は、育ちも良いらしく、いずれもたおやかというか、柔というか、刀を抜いて降り回すという乱暴野蛮なことはできそうにない腕と肩をしている。さすれば、またまたお飾り刀剣が麗々しく居間に君臨あそばすのだろうか。

愚かしいというべきか、哀れというべきか。似非平和主義者の僕には想像を絶した世界である。

2009年3月27日金曜日

体調不良

何と言うことのない穏やかな一日。空は春らしくぼんやりした曇り空、時々陽の光。
午前中は来年度のシラバスなるものの入力。

昼食の後、急に身体がだるくなる。先日も散歩をした後でそうなった。この時は陽気の良さに誘われての薄着が原因だった。しかし、今日の体調低下は原因が分からない。午前中、モニターに向かってのシラバス入力という煩わしい作業をしていたためか。



連れ合いの曰く、「はっきりしているじゃない。**のことよ」。なるほど、遺産分割の争いに関することが近づくと体調が悪くなる。先日の家裁での審判期日を前にしての風邪。あさってに控えた「実家」での切手コレクション、絵画、刀剣などの処置の難しい遺品の実地見聞。学校へ行きたくない子どもが、朝になると熱が出たり腹痛が起こったりするのと同じなのかもしれない。

それにしても何というもろさか。

2009年3月22日日曜日

カゼと雲



陽気に誘われて昨日散歩したときに襟元が寒かった。帰って来てからどうにもだるい。また、風邪を引込んでしまったようだ。まだ、まともな免疫力が回復していないらしい。

今日は、東京マラソンとかで、一面の雲の中にヘリコプターが何機も漂っているのが見えた。ついガザを思う。
横になって空を見ていると、ただただ灰色の雲なのだが、次々に飛び去って行く様子が面白い。こんな日には、横になってかねてから読みたかった仕事以外の軽い本を読むのが習わしなのだが、ぼんやりと雲の流れを眺めて過ごす。贅沢な一日。

家人がテレビと言うのだろうか画像受信機とでもいうのだろうか、どでかい画像モニターを居間にしつらえてくれた。この半年ほどテレビと縁のない生活を送っていたが支障はなかった。日常生活でわざわざテレビ番組を見る必要はなくなっている。深夜の番組で見たいものがない訳でもないが、その殆どは映画だ。としたら一層のこと、スクリーンと画像プロジェクターだけにして、好きな映画のDVDを見るだけにすれば良いのだろう。けっして繰り返しのない雲の流れと、再生可能なDVDと一体どちらをより多く見る生活になるのか。

2009年3月21日土曜日

梅は終わりで桜は未だ

陽気が良いので小石川の植物園へ行ってみた。
久しぶりで樹々の下の舗装されていない道を歩き気持ちがよかった。



それにしても、植物園といいながら何とも適当というか、学習用にできていない。北の隅に日本庭園があるが、全体のつくりは庭園としてさして工夫されていない。標本園のような整い方とか、西欧風の幾何学な意匠が良いとは思わないが、しかし、何の主張も工夫も感じられないのは寂しい。おそらく植物についての僕の素養が乏しいので理解できないのだろう。

2009年3月15日日曜日

トラック運転は気分が良い?

数年前に急逝されたHさんは、戦後の平和運動に関わる雑多な資料書籍を残された。この散逸を防ぎ、運動の他にはない記録を保存するためMさんと相談していた。ところが同年輩のMさんが昨年、仕事の最中に倒れ亡くなった。「一緒にやりましょう」と約束していた僕が一人でその仕事をこなさなくてはならなくなった。Hさんの娘さんとの互いに忙しい中での連絡。何度も運搬候補日が決まりかかっては直前に駄目になることを繰り返した。そして今日、ようやく2年越しの約束の搬出をすることができた。



30箱くらいに資料書籍を詰め、2tトラックに乗せ、おまけに首都高を走るという、「その歳で?」という”冒険”をした1日だった。「**では、トラックからの荷崩れで散乱した物のために*キロの渋滞」なんて放送が思い出される。さて3段、4段に重ねた段ボール箱を崩さないように運ぶにはどのようにシートを掛ければ良いのだろうか。積み重ねた箱の中にも、重すぎて運べなくならないよう半分しか中味を入れていないため、嵩だけが大きいものもある。こんな段箱を重ねると、下の方にある箱がつぶれてしまう。あれやこれやと、ない知恵を絞りながら荷台の上で並べ替え、積み直し、なんとかシートをかけた。



それにしてもトラックの運転席は視点が高くて気持ちがよい。自分のいる位置が分かりやすいからなのだろうか。どうもそれだけではないものをかんじる。そしてまた連想した。180センチ以上もあるような上背のある人は、人生観や世界観が僕のようなチビとは違って来るのではないか。見上げるのと見下ろすのとの違い。なぜそれが心理的な優劣感などに繋がるのだろうか。中部イタリアの街で背の高い人々にかこまれて過ごした一年があった。その初めに感じたことをまた思い出した。「大きな船は、静かに航行していても、自分がかき立てる波に小さな船が激しく揺らされることに気づいていないのではないか」。こんなことを、イタリア語の作文で書こうとしたのだが、分かってもらえなかった。そんなことを思い出した。

そういえばミシュランの地図で緑の付いたお薦めの道の箇所は、上から下を見下ろすpanoramiqueな所、展望の効くところが多い感じがする。