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2009年2月21日土曜日

不平等な相続

ガザでは1400人もの人が虐殺され、何万人もの人が一方的に傷つけられ、アフガンでは米軍に主導されたNATO軍による「テロとの闘い」を口実にした虐殺が続き、この日本でも失業率は8%に上ろうとしている。そんな中で、これから書く我が身に起こった事は、小金持ちさんの贅沢なケチな苦しみに過ぎない。それでも自分にとっては一つの人生の曲り角であるには違いないので、記録しておこう。

05年春に父親が死んだ。それから何と遺産分割をめぐって争いが起きた。「当てにするな、親の遺産と宝くじ」というが、ついつい僕は遺産相続を当てにして、つまり「ふるさとの家に戻ること」を当てにして老後の自分の住居を考えていた。「当てにするなラ親の遺産と,,,」になっていた。それが還暦を過ぎたところで破綻したのだ。

妹夫婦は、亡父が増築した彼の名義の家(地下鉄丸ノ内線新高円寺駅から徒歩3分、2階建て約100平米)に「公団並み」の家賃で長年住んでいた。数百万かかるリフォームも「父の持ち物だから」という名目で亡父が支払った。他方、弟夫婦は中野駅から徒歩5分の小さなマンション(58平米)に、何と1万6千円の「家賃」で20年以上住み続けてき、バブルの最中には子供が大きくなり手狭になったとして、これまた亡父が資金援助して、同じマンションに約40平米を買い増した。

我が国では生計費の中で住居に要する費用が占める割合は高い。とりわけ大都市部でその傾向は著しい。日銀の「生活なんでも資料集」によれば、5年前には東京の集合住宅価格2,800万円70㎡、それに対し韓国ソウルでは1,200万円84㎡。欧米は日本の約6〜7割。住宅取得費用は、欧米では年収の約3〜4倍であるのに、日本では約5〜6倍以上。家計の中で平均すると概ね約10%が住居費だろう。これの数字は決して高くないと思う人もいるだろう。しかし、その人もこの平均10%の支出と、それが1〜2%になった場合との20〜30年に及ぶ累積差額には大きな違いがあることは否定できないだろう。住居費の多寡は長期にわたる場合、その人の生活に大きく影響することは確かである。

ところで民法第900条第4項は、「兄弟姉妹が数人あるときは、各自の相続分は、相等しいものとする」と定めている。この条項には、「婚外子相続分は嫡出子の半分」とするあの悪名高い規定も含んでいる。しかし、戦前のように長子相続を明確に否定し、まずは<相続における子の平等>を定めたものとして積極的なものと評価されて良いだろう。

ところが、親の中には<子の平等>を尊重せず、自分の気に入った子だけに援助する人がいたり、子の側でも「この際は親に助けてもらおう」といった事態が生ずることもある。親は親で、「自分の老後の世話を見てくれたらお前には**をやる」なんてことをしたりする。親が死んだ時に残された遺産を、ただ単に平等に分ければ<相続における子の平等>が実質的に実現するとは限らないことは少なくない。

そこで、民法には「特別受益」とか「寄与分」とかの規定が設けられ、<相続における子の平等>が計られるようにしているものと僕は思って来た。ところが、この「特別受益」の規定を盾にされ、ぼくは実に嫌な目に遇うことになった。

特別受益者の相続分を定める民法第903条は、「共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻若しくは養子縁組のため若しくは生計の資本として贈与を受けた者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額にその贈与の価額を加えたものを相続財産とみなし、前3条の規定により算定した相続分の中からその遺贈又は贈与の価額を控除した残額をもってその者の相続分とする」とある。

亡父が所有していた住居に市場の実勢価格からすると極めて低額の家賃で住んでいたことは大きな利得になること、もし同じ条件の住居を自己資金で購入するか賃貸借する場合と比べると極めて大きな経済的利得を妹弟が得ていたことは、誰の目にも否定できない事実だろう。他方、ぼくたち夫婦は30年以上にわたって分譲住宅のローンを延べにして約6千万円を支払ってきた。30代の頃はボーナスがすべて返済でとんだ。親からの援助は一切なかった。

中野駅から徒歩5分の58平米のマンションと言えば、その家賃はどんなに安くても月10万円以上はするし、新高円寺駅徒歩3分100平米ならば月20万円はする。市場価格との差は年に100万円以上であり、それが20年以上も続けば何千万円ということになる。ぼんやり者のぼくでも兄弟間での住居費のこの違いにはこれまでにも気づいてはいた。しかし、それは相続の際に適切な形で処理され、<子の平等>が計られると思い込んでいた。

ところが、我がご妹弟はぼくとの正面からの話し合いを拒み、家庭裁判所に調停を申し立てた。その実質的な最終結果がきのう出たのである。

「東京家庭裁判所第五部がとってきたやりかた」という説明で、審判員(裁判官)は、この場合の住居に関して妹弟が得た利得は、903条の「遺贈」にも「生計の資本としての贈与」にも当たらないので特別受益とは認められない、とのたもうたのだ。「実際に現金が渡された」ということでなければ遺贈とか贈与と言うことはできないからダメという次第。

贈与や遺贈といったカネが動いてた場合だけを「特別の受益」としている立法の不備。数千万円の贈与や遺贈は、そうざらにあることではなかろう。実質的にはそれに匹敵する、あるいは贈与や遺贈では課税額の大きさに躊躇うほどの金額を上回る経済的利得をもたらすことになるような親所有の住居の無償使用や、市価より極端に安い「家賃」なるものでの使用がある。この場合がそれだ。亡父と妹弟との関係は、親子とはいっても、立派かどうだか分からないが、法律上は独立した法的意思能力をもっている成年者同士の関係である。「親の住まいに同居していた」から家賃支払いが免除されるといった「麗しい3世代同居」の状態にあった訳でもなく、彼らの住居は、まったく親の住居からは独立した、彼らが自らの意思で使用し占有する実態をもったものだった。

これは民法903条には文言の上では引っかからない。とすればそれは民法903条の文言をかいくぐっての、<相続における子の平等>を免れるための脱法行為というべきものではないのか。ちなみに標準市価と実際に払っていた「家賃」との差額が、贈与税の控除額(年に110万円)を越えていれば、それは「みなし贈与」として課税の対象とされている。時効があるとしても、税務署の知るところとなれば追徴課税があろうし、亡父が我が妹弟から受けていた「家賃」収入を申告していなかった確定申告は過去にさかのぼって正されることになるだとう。贈与税には引っかかるが、相続ではひっかからない利益。これは立法上の不備なのではないか。

自分が属している組織全体がそうしているからとばかりに、「右へ倣え」で自己の良心に従って独立の判断をする気概もないヒラメ裁判官。そして妹弟のえげつなさ。これに振り回された4年間であった。

同じような憂き目に会っている人は少なからずいるだろうから、低劣極まりない私事ではあるけれど報告する事にした。