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2009年12月22日火曜日

非核三原則でノーベル平和賞

なぜこの時点で密約が「暴露」されたのか。

要するに、「持たず、作らず、持ち込まず」のうち、最後の「持ち込まず」を取り外してしまうということだろう。米軍はその艦船や飛行機に核兵器を搭載しているかいないかを明らかにしない方針を貫いているから、安保条約第6条交換公文に基づいて仮に事前協議が行われたとしても、そこで核持ち込みを拒むことができる保障はない。核兵器を搭載していないことを証明し、誓約する書類提出を義務づけるくらいの根性が日本政府にあってもよいのだが、我が国政府はこれまでに一度として事前協議の申込すらしたことがない。

少なくとも「有事」には持ち込めるようにしている。こうした判断は、以前から少し冷静に観察している人たち誰もがもっていた。それが密約「暴露」で証明された訳だ。だから「暴露」や告白のタイミングが問題になる。つまりは、非核3原則を2原則にしてしまう、あるいは有事持ち込みOKの2.5原則にしてしまうのが狙いなのだろう。折しもオバマ政権が核の先制使用について見直す姿勢を明らかにした。これに対する日米安保心中派からの牽制という感じがする。

それにしても、密約を大事に自宅に隠しておいて、しゃーしゃーと非核三原則でノーベル平和賞をもらいに行ったとは。やはり「政治家」という連中は、平気で嘘がつけなければ務まらないものらしい。

2009年12月20日日曜日

弁護士報酬の怪



3年にわたって遺産分割をめぐる調停に付合わされた。この自分で自分の利益を守ろうとしないわが母親殿のために弁護士を代理人に依頼した。放っておくと話合いもせずに調停を申立てた親愛なる弟殿や妹殿の言いなりになりかねないからのことだった。

6月末に事実上の決着がついていたのが、相手側による事後処理の遅れのために、ようやくこの時期になって報酬金の連絡があった。

「母が遺産の約半分取ることになったので」と、おや!?と思う額が示された。
最初の代理人契約のときに、基本は数年前まであった弁護士報酬規定に基づいてとのことであったから、得た「経済的利益」が3千万を越えた7500万円余になった母については6%で、旧報酬規定だと調停・審判の場合はその2/3だから、300万円と少々。これに契約にある所定の138万円を加えてたうえで、(まけて?)432万円だという。

分からないことの一つは、旧規定第15条では、「前条で算定された経済的利益の額が、紛争の実態に比して明らかに大きいときは、弁護士は、経済的利益の額を、紛争の実態に相応するまで、減額しなければならない」と、減額努力の義務規定があることに関わる。今回の調停・審判は3年に及んだが、しかし、ここまで時間がかかった原因の半分くらいは当事者の時間の都合が合わなかったことであり、母の今後の生活の安定を優先的に配慮する点では当事者は一致していたし、争いの実態は左程に「重大若しくは複雑な」ものだったとは思われない。数年前、僕が労組委員長だったときに36協定を止めたとき交渉の方が余程に困難だった。確かに何をもって「紛争の実態に相応する」とするかを決めるのは難しいところだろう。しかし、月割りすると月10万円以上になる額というのは、「紛争の実態に比して明らかに大きい」と思われてならない。プロならば自分でやっても1時間もかからずに書ける書類、その他相手方との連絡、依頼人本人との連絡など。どう考えても平均して月5時間もあれば悠々と片付く仕事だ。

大体、旧規定でも日弁連の新しい報酬規程でも、「経済的利益、事案の難易、時間及び労力その他の事情に照らして適正かつ妥当なもの」でなくてはならないとあって、基準が曖昧であることだ。5年前の旧規定廃止後も多くの弁護士事務所では旧規定を使っている。その報酬算定基準は、主として「経済的利益」である。まずはここで報酬額の基本が決まり、次に「紛争の実態に比して明らかに大きい」かどうかが問題になるに過ぎない。新規程でも「事案の難易、時間及び労力その他の事情」を決める主体は、当の弁護士であって、第三者がある客観的尺度でその計算の適正性や妥当性をチェックするわけではない。素人である依頼人の側は、「ああ、実に難しい事件でした。ご満足がいかない点もあったかもしれません。しかし、これほどやっかいだとは思いませんでした」等と、弁護士センセイから言われると、何も反論できないだろう。

次に分からないのは、旧規定第14条13号では「分割の対象となる財産の範囲及び相続分についての争いのない部分については、その相続分の時価相当額の3分の1の額」とあることにかかわる。母の代理人を引き受けて下さった弁護士さんは、あっさりと「鑑定が入ったから」と言う。母を除く当事者間で遺産である不動産の価額をめぐって時価か路線価か課税評価額かなどの争いがあった。そこであっさりと担当の調停官(裁判官がやっている)は、「じゃあ鑑定にしてもらいましょうか」と言った。しかし、この前提にあった不動産価額をめぐる「争い」は、極めて単純なものだった。

もし、<分割対象の価格を争えば弁護士報酬が3倍になってしまう>ことを知っていれば、当然に依頼者側では、それが問題になった時点で「争うか否か」を必ず考慮する。すべての依頼者が旧規定を注意深く読んでいたり、理解しているわけではない。僕も見落としていた。気がついていれば僕は争わなかった。

そうした時点にさしかかった際に、普通だったら専門家である弁護士は、「意見の違いは実質的に大きなものではありません。ここで争えば最後に私がいただく報酬金は3倍になり私は得をしますが、それでもよろしいのですか」くらいの注意を依頼者に促さないのはおかしいのではないかということである。今日の消費者法では、ことある度に事業者は消費者に対して商品の説明をすることた求められており、これを怠ると事業者の責任が問われたり、消費者に不利な結果と招いた場合は契約のはじめに遡って取り消されることが少なくない。このありようと比べると、鑑定を入れるかどうかが問題になった時点で、母に説明がなかったことは随分におかしい。

第三に分からないのは、日弁連のウェブ・サイトに載っている2008年度アンケート結果にもとづく「市民のための弁護士報酬の目安」との開きが余りに大きいことだ。その23頁(遺産分割調停)には、「5千万円相当の遺産を取得し、納得する分割となった」場合について、報酬金は、100万円前後の30.7%をピークに、全体の80%が220万円前後までに留まっている。この1.5倍だとしても300万円代にしかならない。

http://www.nichibenren.or.jp/ja/attorneys_fee/data/meyasu.pdf

そう言えば以前に、儲けにもならない公害訴訟や9条裁判に係わってる弁護士さんに、「よく手弁当でやっていけますね」と水をむけたところ、「いや、相続や離婚でたっぷりもうけさせてもらっていますから」との返事があり、きょとんとしたことがあった。相続や離婚を楮鄭や裁判で争うような人は、まずはお金持ちだから、そこからしっかり報酬金をもらえば良いとでもいうのだろうか。納得できない。

2009年12月10日木曜日

元号とグレゴリオ暦



喪中の知らせが届く時期になった。
この数年、増える一方なのに初めはぎくりと驚いた。しかし、これも歳をとったためだから当然なことなのだろう。

今年は新たに驚くことが増えた。元号使用の挨拶が増えたことだ。それも僕より年下の、しかも憲法研究者の人からの挨拶状に平静に元号が使われているのを見ると、何とも言えない気分になる。

グレゴリオ暦が絶対に良いとは言えないかもしれない。しかし、より普遍的なものにつく。それが研究者のたしなみではないのか。年号表記などは、単なる「調整問題」に過ぎないとでも言うのだろうか。

2009年12月7日月曜日

神社仏閣の効用



久しぶりで休みを取り樹々の下、土の上を歩いてきた。
さすがに紅葉は終わってしまっていたが、自然の中に身をおくとド頭の髄までがほぐれてくる感じがする。

田舎道を歩いていたら、路傍に稚拙な「観光地図」があり、そこに**寺と書いてある。当節は、どこへ行ってもこの種の観光地図があるので、期待はしなかった。それでも建物や使われている用材が気になり初めている僕はその寺を訪れてみることにした。

山門があり、下手くそだけれど四天王か然るべき御弟子だかの、大きな石像が杉並木の参道に並び、その先に石段がある。登ってみると立派な御堂と何と三重塔がある。樹齢何百年という杉の大樹も気持ちよく空に伸びている。



古い建物に興味があるので、機会を作ってはその場に行って、建物の周りを巡ったり内部の空間体験を楽しんできた。中北部トスカーナ、ストラスブール周辺、そしてブルゴーニュの有名所は、文字通りしらみつぶしに見て歩いたことがある。しかし、どこでも建物とそれを取り囲む樹々との関係について深い印象をもつことはなかった(例外は、ミラーノの南のチェルトーザの修道院くらいか)。気候条件が違いすぎるのだろうか。

この国の神社仏閣が樹々に恵まれた空間の中にあることが少なくないのは、単に豊かな日照と水のせいなのだろうか。今頃になってこんなことを考え始めた。

2009年12月4日金曜日

抑鬱症状



先月のうちからクリスマス商戦というのが始まっている。「聖夜のお食事は、一流シェフが腕をふるう**ホテルのスカイラウンジで夜景を楽しみながら」なんて宣伝が入ってくる。街の至るところにイルミネーションがつき始めた。耶蘇教徒が多い訳でもないこの国で、どうしてこういう光景が広がる一方なのか。歳をとったせいだろうか、どうもむかつく。

勤め先でも、**大イルミネーション・プロジェクト実行委員会とかいうところが、『ふれあい つながり そして、夢』とかのふれこみで、余計な豆電球の照明を学内のみっともない「シンボル・スポット」にかけたりし始めた。その一方で「**大学は省エネに努めます」と言っているのだから呆れる。

そういえば10月には勤め先の公式HPに、「ハロウィンパーティーを実施します」とあって、仰天した。若い同僚に聞くと「留学生が増えたからでしょう」と言う。留学生はあの戦争ばかりやっている野蛮国からだけ来ている訳ではない。

職場や街中のこうしたアホなことに一々むかついていると、次第に憂鬱になってくる。貧困者の絶対的な拡大。他方では、コペンハーゲンで新しいより強い規制にむけての新たな合意が得られる見通しが少なくなっていること。その中でのイルミネーションである。

厚労省の調査によると、うつ病の患者数が、100万人を突破し、この10年間で2.4倍に増えたとのこと。

2009年12月2日水曜日

外交密約



外交密約がボロボロと出てくる。

今度は東京地裁で、72年沖縄返還時に外務省アメリカ局長だった吉野文夫氏が、原状回復費(400万ドル)肩代わりの密約があり、その額は積算根拠もない「掴み金だった」ことを証言した。37年前にこのことを暴露した外務省機密漏洩事件では、吉野氏は検察側証人として「密約はなかったと」法廷で証言した。彼は偽証罪に問われることなく、密約を暴露した毎日新聞記者の西山氏が、国家公務員法違反で有罪になった。

カリエールは『外交談判法』だかの中で、「敵に偽りを言って利益を得ようとする者は、敵から交渉相手としても信頼されないから、まともな交渉すらできない」といった趣旨のことを言っていた。さて、この国の外交官は、自国民に対しても嘘偽りを言うことが習い性となっているのだろうか。37年後とは言え、嘘をついたことを告白したから老人に対して目くじらをたてるべきではないという意見もあろう。しかし、この秘密は密約相手の米国では既に公開されていたことだった。

いかにも遅い。91歳という年齢がそうさせたとしたら、自己満足でしかないと言われても仕方ない。吉野氏はグァム移転についておかしいと発言しているのだろうか。

2009年11月30日月曜日

フリースとビニール



急に寒くなった。ようやく冬物を引っ張り出した。何年も前にユニクロで安さに感動して買ったフリースが出てきた。どこか疲れた感じがし、羽織ってみると以前程の保温力がなくなっているようだ。そしてふと、ユニチカに勤めていた人が「ポリエステルにしても、フリースにしても材料はビニールと同じだからな」と言ったことが思い出された。そういえばそうだ。

そしてまた、何枚ものビニール袋を身体に巻き付けているようにしていた公園のホームレスの人を思い出した。ろくにシェルターもない冬が始まる。

ところで、オバマのノーベル平和賞について、選考委員長ヤーグラン(元外相、元首相)との06年のケニア政策での繋がりを教えてくれた記事を読んだ。どうも、イラン攻撃の牽制のための授賞とは言えないらしい:

http://moneyzine.jp/article/detail/181639/

2009年11月26日木曜日

PAC3ミサイル



ミサイル迎撃用地対空誘導弾(PAC3)を、来年度から5カ年計画で全国3カ所北海道、青森、沖縄に追加配備しようという防衛省方針(配備経費944億円)に対して、岡田外相と藤井財務相が予算案からの削除に前向きの発言をしたようだ。結構なことだと思う。

既にPAC3は、北朝鮮のノドンを撃ち落とすために配備されるというふれこみで、既に第1高射群(入間)などに配備されている。この間も北朝鮮のミサイル実験に際して、途中で落っこちてくるかも知れないと大騒ぎして移動配備したりした。

しかし、PAC3は射程300〜500kmから打ち込まれるミサイルを、最終突入段階を撃ち落とすものとして作られている。射程は約15~20km。先行モデルが、湾岸戦争の時にイラクのスカッドを撃ち落としたという「実績」から改良型として開発されたが、米軍自身の発表でも撃墜実験成功率は10%を切ると言う。この実験成功というのも、発射時間が予め分かっているミサイルについてのものだとのこと。射程1300kmのミサイルに対する迎撃実験は、捕捉が困難なためだろうか、そもそもやってもいない。まぁ、飛んでくる鉄砲玉をピストルで撃ち落とそうというようなものだ。

ノドンの速度はおよそマッハ15で、射程は1300km。発射されて目標到達まで7〜10分しかない。撃ったと言われて射程15〜20kmのPAC3を慌てて移動させても間に合う訳はない。また、射程300〜500kmといえば、東京を狙う場合には、殆ど日本の領海内から打ち込むしかない。

岡田外相は「PAC3は防衛予算のかなりの部分を占める。有効性について国民に理解される説明が求められる。22年度中に十分に検討すればいいのではないか」と、防衛相に反論したらしい。社民党の福島消費者相も、「的中率や有効性、費用」を問題視しているが、国民新党の亀井金融相は、拡大配備を支持している。

軍備というものは、大体が「もし万一」という想定で配備されることが少なくない。「もし万一」と言い出したら、この世の中には切りがない程の不安がある。不安に思う心理を社会病理として対処する方向もあるだろうが、それを措くとすると、不安を解消するためにはまずは、「もし万一」の可能性をきちんと見極めることが必要になる。そうしないと軍備はいくらもっても足りないことになってしまう(かつての僕の蔵書方針がそうでした、、、反省)。「異星人が攻めて来たら」なんてことは可能性から排除する。

我が国の港に帰港する米国の潜水艦などの艦船にはトマホークなど、核弾頭搭載可能なものだらけで、北朝鮮からすれば何十年も前から脅威にさらされ続けていることになる。半世紀以上の独裁政権のもと、数年ごとに数千人、数万人という規模で餓死者を出し、国民経済も青息吐息の国である。石油もないから空軍飛行士の年間訓練時間は30時間を切り、スクランブル発進などままならないという。「北朝鮮が攻めて来たら」、これも僕はありえない想定だと思っている。しかし、10年この方、この国では北朝鮮の評判は甚だ宜しくなく、「攻めて来るかもしれない」と不安に思う人は多い。

そこで、次に「攻めて来るかもしれない」と仮定して対処する段階を考えてみる。そうすると、日本海沿岸に並んだ原発などについては目をつぶるとしても、不幸にして「もし万一」が現実化した場合には、せめて「確実に役立つ」ことをきちんと見極めておかないと、これまた際限のない軍拡になってしまう。岡田外相の姿勢は、やっとこの国の政治家も実質に即した判断を語らざるを得なくなったという証しだろうか。

2009年10月29日木曜日

癒着性中耳炎



先日から耳が痛くなっていた。どうせ風邪の副産物だろう。風邪さえ直れば治まるだろうとタカをくくっていた。ところが、昨日辺りから、耳の奥に刺し込むような痛さが頻繁に起こるようになった。たまらないので、耳鼻科へ行った。春にも痛くなったことがあり、その時には耳から何やら膿み状の小さな塊を吸い出して痛さは和らいだ。そのくらいのことで済むと思ったら、今度は違っていた。

まず、聴力検査。著しく痛みのある方の聴力が落ちていることが分かった。「これまでに耳鳴りはあったか」「時々こうした痛みはあったか」などと尋ねられた挙げ句の診断が、鼓膜が癒着しているとのこと。鍼が効くことがあるとして、5〜6本打ってもらった。なぜか脳機能を高めるとかいう薬やらビタミンB12などを処方され、「こまめに通って下さい」と締めくくられた。

刺し込むような痛みが和らいだ訳ではない。しかし、専門家が言うのだから従うしかない。そのまま仕事に向かったが、どうにも間歇的に痛みが襲って来て集中できない。

サイトを検索してみると、「この癒着性中耳炎の聴力を回復させようと様々な試みがわれています。まず外来では、通気療法と、あるいは炎症が起こった時は慢性中耳炎に準じて行いますが、通気を続けても一度癒着したら、なかなか通気のみでは鼓膜と鼓室との癒着の剥離は望めません。非癒着部分から切開や穿刺通気もなかなか効果は見られません」とか、「鼓膜が中耳腔に落ち込んで癒着しているものがあります。これは、癒着性中耳炎とも呼ばれ、慢性化膿性中耳炎にも真珠腫性中耳炎にも合併していることがあります。大変治りが悪い中耳炎で、手術をしても、鼓膜が再癒着してしまい、改善する確立は50%とされています」なんて書いてある。

やれやれ、、、それにしても痛い。

2009年10月28日水曜日

どっちを向いている?



 岡田外相が今月23日の閣僚懇談会で「国会開会式での陛下のお言葉は、毎回同じ内容なのはいかがか。思いが少しは入ったお言葉をいただく工夫ができないか」などと見直しを提案したどうだ。読売新聞によると、天皇の「お言葉」なるものは、「お言葉は100~200字程度。内容も、国権の最高機関としての国会が国民の信託にこたえることへの期待で締めくくられるなど共通点が多い」だそうだ。
 
 しかし、この外相発言はおかしい。一体、国の最高法規である憲法によって「国政に関する権能を有しない」とされ、天皇の地位にある者としては「この憲法に定める国政に関する行為のみを行」うものと定められている(第4条)天皇が、憲法に何の定めもない国会開会式での「お言葉」なるものを行うこと自体が憲法上の根拠もあやしい。国事行為を列挙した第7条と第6条のどこに国会開会式に出て来て挨拶することが定められているというのか。

ある人は第7条第2号の国会召集の一環だといい、ある人は同第10号の「儀式を行ふこと」に含まれるといって合理化しようとする。ある人は、憲法に定められた国事行為と私的行為(散歩したり、風呂に入ったり)との間にある「天皇としての地位に伴う公的行為」だして、これを国がカバーすることは当然だと言う。しかし、こんな拡大解釈をしていると天皇の地位にいるのは生身の人間だから、歯止めが効かなくなる。現にそうなっているではないか。それが国民主権の原則にそった解釈だと言えるのか。

産經新聞社説(24日)は、「ときの情勢などに応じて違った工夫を加えられたお言葉が政治性を帯びないという保証はない」と言ってのけている。確かにその前例には事欠かない。特に前の昭和天皇は、日米安保絡みで政治的効果を狙ったとしか評しえない「お言葉」を繰り返していた。

外相は、このところ長期低落傾向にある天皇の人気を民主党が浮上さる狙いでこんな発言をしたのかもしれない。しかし、民主党といえばその党名は、民主主義の実現を党の基本目標にするところから来ているのではないのか。憲法上の根拠もない国会開会式での「お言葉」の社会的注目度を高めることは、そもまま天皇の政治的出番をふやすことに他ならない。

天皇が「お言葉」とかを述べるために上る階段はかなり蹴上がりが急に見える。どうせ言うなら「ご高齢でもあるし、そろそろお止めになったら」くらいのことを言うのが、民主党を名乗るからにはまともではないか。せめてもの救いは、「自分の発言で首相に迷惑をかけたことを申し訳なく思っている」ということか。これが「陛下に迷惑をかけた」だったらどうにもならない。

2009年10月20日火曜日

貧しいのは所得だけか?

20日、長妻厚生労働相が日本の「相対的貧困率」が07年調査で15.7%だったと発表した。貧困の計り方には色々あるらしいが、相対的貧困率というのは、一人ひとりの所得(等価可処分所得)を順に並べて、ちょうど中間の額(今回は228万円)の半分に満たない人の割合がどのくらいかを示したもの。等価可処分所得は、税金などを引いた世帯の可処分所得を、世帯の人数の平方根で割った数値*。

OECD加盟30か国の08年報告書「2000年代の相対的貧困率」で日本は14.9%(04調査)だった。これは、メキシコ(18.4%)、のトルコ(17.5%)、米国(17.1%)に次いで下から第4位。低いのは、デンマーク(5.2%)、スウェーデン(5.3%)、子どもの貧困率は、01年に14.5%、04年に13.7%、今回14.2%。厚労相は「OECDの中でもワーストの範疇に入っており、ナショナルミニマム(国が保障する最低限度の生活)と連動して考えたい」と言っているそうだ。

怖いのは、まず貧富の格差が拡大していること。そして第二にそれがこの国では固定化する傾向があることが。「人生色々」とか言ってとぼけた首相がいたが、かなりの人の人生には一時的に貧乏な時期がありうる。それでもその後に貧乏から抜け出せれば救いがある。とぼけた首相の政府が進めた「構造改革」のもとで、一旦この貧困ラインに陥ってしまうと再び這い上がることが、実に難しくなった。貧富の格差は世代をこえて再生産され、全社会的な規模で犯罪や深刻な健康問題などを加速する方向で働くだろう。

「豊かになるか貧しくなるかは本人の努力次第だ」と言ってのける人もいる。しかし、雇用環境、どの地方、どういう家庭に生まれたかなどは本人の努力の圏外のことではないか。自己努力と自己責任が原則だというのは、勝者の台詞ではないのか。

ではどうするか。デンマークやスウェーデンにできることが日本ではできないのだろうか。メキシコ、トルコ、米国そして日本には、貧富の格差を緩和できない絶対的なその国ならではの要因があるのだろうか。経済のグローバルな関係が強まっている現在、こうした推測はなりたたないだろう。つまるところ政治の問題ではないのか。

現在の日本の政治は、貧しい人々の状況、その声は届いていないのだろうか。政治はすぐれて当事者自身が声を挙げることが決定的に重要である。しかし、それには時間とそれなりのカネがかかる。貧しい人々にはその余裕がない。加えて社会的蔑視や自己責任論による自縛から、貧しい人々自身が立ち上がるのは容易なことではない。



とすると仕方がないことなのか。僕はそうは思わない。

貧富の格差が拡がり固定されることは、回りまわって必ず、いまは総体的に恵まれた位置にいる僕たち自身を脅かす。最上層にいる人たちはどうか知らない。中層辺りにいる多くは、この下層の人たちの仕事に直接に支えられていることが多い。つまり日々の生活の中で接し、世話になっている。そうした人々が苦しく辛い思いでいることは、僕たちの生活や意識を間接的ではあれ必ず損なう。それに、すこし社会状況が変われば、いつ何時でも僕たちは下層に転落するところにいるのではないか。中層あたりといっても、例えば家族の1人が病気、それに加えてもう1人が倒れれば、大抵の家族はたちまち危機に直面するのではないか。

上層にいる人の多くの人生作戦は“食い逃げ”戦略だろう。アリバイ作り的な「社会貢献」活動をする人もいるだろうがあてにはならない。自分は中層にいると思っている人、社会問題について知り考え、動く余裕が若干でもあるこの層の人々がどうするか。これが今後のこの国の政治のあり方に及ぼす影響は小さくないと思う。

政権交代で政治は変わりうることを感じた人は少なくない。しかし、民主党の中には自民党「守旧派」よりも「構造改革」徹底派が少なからずいる。これからのこの国の政治をどう変えていくか。もし今後も貧富の格差が拡大固定傾向を辿るとしたら、それは中層にいる人々の社会的想像力と社会認識の貧しさ、その人たちの政治行動の貧しさによるといわざるを得ないことになると思う。

「情けは人のためならず」というではないか。上層を見るなとは言わない。しかし、自分たちよりより貧しく、困難を抱えている人たちと連帯することなしに、今のそこそこの生活すら保っていくことは難しいのではないだろうか。ましてこの貧富の格差を少しでも和らげたいと思うならば。

2009年10月13日火曜日

三たびの風邪



昨日、実によい天気だったので、ほんの小一時間ばかり居間の窓を開けていた。気持ちのよい風が吹き込んできた。それが少し冷たく感じられたかと思った途端にたちまち寒気がするようになり、身体がだるくなった。鼻水がたれはじめ、関節も少し痛くなった。あわてて市販の風邪薬とビタミンCをのみ、羽毛布団を出して横になった。

久しぶりに夢も見た。いつもなら明るくなれば目覚めるのが、今朝は物音でようやく起きた。相変わらずにだるい。真冬並みの下着を着込む。そして毛糸の帽子。家人に言われて今度ばかりは、最も近い診療所へとぼとぼと行った。インフルエンザではないとの診断。あれこれと4種もの薬を出され、とろとろと帰宅。休講の電話連絡。

そしてひたすらに眠った。8月下旬から1週間のインフルエンザ、9月中旬の風邪。そして今回。そういえば8月上旬にも怪しかった。身体のどこかが弱っているのだろう。少なくとも弱いのはドタマだけでないことは明らかになっている。情けない。

2009年10月10日土曜日

ノーベル平和賞という政治



オバマにノーベル平和賞とのことで、苦笑している。文学賞というやつもも怪しげだが、平和賞の方は露骨に時々の政治状況に合わせたメッセージになっている。94年には、パレスチナ和平に功績があったとして、PLO議長のアラファトがイスラエルのペレスやラビンとともに受賞者となっている。パレスチナから1人に対して、イスラエルからは2人という「バランス」。それでもオスロ合意で「お世話になった」からということか、アラファトは再び北欧に赴いていた。このあたりからパレスチナ民衆の運動に対するアラファトの首切り役人的役割が露骨になったというべきか。その20年前、ベトナム和平に功績があったとして、73年にキッシンジャーと一緒に受賞者になったレ・ドゥクトは、侵略者と一緒にされてはかなわんということだろうか、辞退している。

そういえば、日本でも平和賞の受賞者がいた。あの核つき沖縄返還をやった佐藤栄作だ。受賞の理由は何と「持たず作らず持ち込まず」の非核三原則を国是としたこと。当時から怪しまれたことだが、公開された米国政府文書、そして最近では日本外務省元次官の証言によって、「持ち込まず」には裏約束があったことが暴露されてしまった。そして今では2.5原則になりかかっている。

核軍縮におけるオバマのイニシアティブの功績は米国大統領としては画期的なものと認められるだろう。しかし、それが実現するかどうかは総て今後にかかっている。そんな不確かなものに対して受賞するのか。オバマに対するノーベル賞委員会の意図は、イラク攻撃を思いとどまらせること、アフガンからの早期撤兵への圧力をかけることあたりだろうか。

アフ・パック戦争からの撤退に目処をつけられなかったり、来年に予定されているQDRあたりで、通常兵器に加えて軍事的おける圧倒的優位を確保するべく米国が進めてきた宇宙outer-spaceにおける軍拡に歯止めがかけなかっりしたら、この受賞は政治的目くらましということになるだろう。

ピエール&マリー・キュリーだったか、そのイレーヌ&ジャン・フレデリック・ジョリオ=キュリーだったかは、メダルを捨てる訳にもいかず置場に困って、犬の首輪にぶら下げておいたそうだ。

2009年10月8日木曜日

変なじいさん



大型台風が通り過ぎた。10年ぶりとか。海面温度の上昇のため、台風が温帯低気圧レベルに勢力を衰えさせるまでの期間が伸びる傾向があるそうだ。

強風の吹く中、Oz公園の銀杏が気になって仕方なかった。ここの銀杏は樹が大きいせいか、実も大きい。拾いに行きたかったが、時間がとれなかった。代わりに勤め先に着いて、まだ人通りが少ないうちに生協前広場の小さなイチョウの銀杏を拾った。端から見れば、まったく変なじいさんそのものである。欲の皮がつっぱっているので、タダのものが落ちて、そのまま無駄にされるのを見るのが嫌なのである。夕方、疲れ果てていたが、帰宅前にもう一度拾いに行きたかったが我慢した。我ながら、かなり、、、である。

明日は、どこかの隙き間時間にマテバシイの実を拾いに行こうと思う。

留守電に母方の伯父が亡くなったとの連絡が入っていた。何とも悲しいことが続く。

2009年10月6日火曜日

イラクでの空自活動記録開示

東京新聞の報道によれば、「イラク特措法」に基づいて航空自衛隊がクウェートから行っていた空輸活動の実績記録を情報開示した。06年7月から活動終了の08年12月までの記録で、その124週間のうち467日空輸活動し、うち47%にあたる218日がバグダットへの空輸で、空輸した2万6千人余りのうち兵員が71%(米兵は67%)であったことが明らかにされた。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009100690090459.html

前の政府は「空自は人道復興支援を行っている」と言い張って来たけれど、やはり兵員の空輸が大半を占めていた訳だ。兵士たちは休暇のためにバグダットへ運ばれた訳ではなく、いわゆる治安維持活動という名のれっきとした軍事作戦に従事するために送られていた訳だから、昨春に名古屋高裁判決が認定したように、自衛隊は「戦場における米軍兵站の一部」を担って、「他国の武力行使と一体化し、武力行使の放棄を定めた憲法9条1項、武力行使を禁止したイラク特措法2条2項などに違反」していたことが自衛隊自身の記録によって明らかになったということである。

既に07年4月24日の衆院本会議で、当時の安倍首相は空輸の8割以上が米軍など多国籍軍のためのものであったことを明らかにしていた。
それでも自民党政権は空自の空輸は、あくまでも「人道復興支援活動が中心」と言い張っていた。やはり私たちは「イラク特措法」の下で、イラクでの米軍などによる殺戮を、間接的にではあれ助けていたことになるのだろう。

2009年10月2日金曜日

プチ・ナショナリズム中毒

夕食の準備をしながらラジオを聞いていて呆れた。今夜、コペンハーゲンで行われる次のオリンピック開催地選考会のことばかり。

米英のメディアですら、近隣の東南アジアで起こった大災害や、米国の失業率が10%に近づいたことを報じているというのに、どうしたことだろうか。ナショナリズムはゴロツキの最後の捨て台詞というらしいが、この国ではまるで常時服用が続いたため慢性中毒状態にあるかのようだ。

http://www.nytimes.com/2009/10/03/business/economy/03jobs.html?ref=global-home
http://www.guardian.co.uk/world/asiapacific/roundup
http://worldhaveyoursay.wordpress.com/2009/10/01/9286/

9月27日には、台風16号Ketsana がフィリピンを直撃し、死者246人、行方不明38名、200万人もの被災者が出ている。

http://www.manilatimes.net/index.php/top-stories/3069-more-than-2-million-displaced-by-severe-floods-officials-report
http://www.manilatimes.net/index.php/component/content/article/42-rokstories/3136-philippines-on-full-alert

この同じ台風でヴェトナムでも死者・行方不明の方が40人以上。



9月30日のインドネシア西部スマトラ島沖の大地震では、分かっているだけで1100人以上の方が亡くなっており、何千人もの行方不明者がいるという。

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/8284208.stm




同じ日にサモアを襲った津波では190人からの方が亡くなり、2万人が住まいを失ったという。

http://news.theage.com.au/breaking-news-world/aid-arrives-as-samoan-death-toll-rises-20091001-gdyz.html

2009年10月1日木曜日

何かが動いている?

後期の授業期間が始まった。

久しぶりで大勢の若者たちに囲まれると、「おおっ! これは疲れるな!」と感じるものの、何やら立ち上ってくる熱気に当てられてか、昨夜から寝が足りていない自分のどこかまでが元気になっている感じもする。

80人程の授業では、第1回でもあるので、ふだん使っている社会問題のメディア情報源から、最近関心をもっている社会問題や、人にすすめたい本・映画などを書いてもらった。

『それでも僕はやっていない』、『闇の子どもたち』、ゲバラに係わる映画(『モーターサイクル・ダイアリーズ』やソダーバーグ『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳別れの手紙』をいうのだろうか)、『シッコ』、『羊たちの沈黙』、『蟹工船』(さて多喜二の原作か、最近作られた映画なのか)、雨宮処凛『生きさせろ!』、湯浅誠『反貧困』、、、という具合に、「えっ!」というようなものが続出する。

学生たちは教員の眼差しに敏感になっている。それぞれの教員の選好を素早く捉え、それに合わせて応答をしてくる。”社会派”、”政治派”むき出しの僕に合わせてこんな記述が返ってきたという面もあるかもしれない。しかし、同様の質問にこれ程に”社会派”的な応答があったことは最近の数年間にはなかった。「あのなぁー」と言いたくなるようなラブ・ストーリーや、「この歳でもう疲れているのだろうか」と思わせるような”癒し系”が記されることが少なくなかったのだ。

若者たちの間でも何かが動いているのだろう。寝不足で朦朧フワフワしたまま授業に向かうなどということがないよう、気を引き締めてかからねばと改めて思った。

2009年9月29日火曜日

千葉法相のふらつき

「死刑廃止を推進する議員連盟」に参加していた千葉法相は、「距離を置いて、政府の一員としての役目、役割に専念する」として同議連から外れる意向を明かにしたとのこと。「政策にかかわる議員連盟はいったん遠慮する」と述べ、事務局長を務めるアムネスティ議員連盟からも外れるそうだ。死刑制度存続派から猛烈な圧力があったからだろう。

 千葉法相は17日の就任記者会見では、死刑執行について「人の命ということなので、職責を踏まえながら慎重に扱いたい」としていた。それが、18日の閣議後会見では、「法務大臣の法律に基づいた職務というのは厳然と存在している。(執行を)やることが、ある意味義務づけられている。ただ、重い問題なので慎重に考えていきたいということ」と語り、また執行停止するかどうかも含めて考えるのか、との質問には「そういう考え方もあるだろうと思いますし、これはやはり全体で納得していかなければいけない課題。そういう議論が積極的になされるような努力をしていきたい」と述べ、刑場公開など情報公開の考えには「議論をしていただくとすれば、できるだけの情報は提供させていただくのは第一だろうと思う」と付け加えたそうだ。

 職務だから、議論を踏まえれば、公開にすれば、、、いずれも制度存続に繋ぐための発言だったということだろうか。

 読売新聞(09月21日)は、死刑制度賛成の立場から、法務省幹部の言葉として「7月末に執行があったばかりで、このまま執行が止まると、数か月の差で生死が分かれる不公平さも気になる」との懸念や、「停止するなら、停止法案を成立させるべき」と揺さぶり、法相が「国民的な議論をふまえ、私たちが行く道を見いだしたい」と発言していることに対してはは「議論は大事だが、何人殺害しても死刑にならないという状況だと、治安に悪影響を及ぼさないだろうか」という懸念を載せる力の入れようだ。そして止めは今春の「読売」世論調査では、死刑制度の存続を望む人が81%にのぼると数の力をあげる。

民主主義国家では総ての法律は国民の意思をして定められる。死刑が行われるときには、その都度、僕を含めたこの国の国民は首を吊るひもの片端を引っ張っていることになる。このことを自覚して死刑制度に賛成している人は一体どれほどいるのだろうか。

2009年9月26日土曜日

別れ



連合いの父が亡くなった。92歳だった。哀しく辛い。

小学校しか出ず、二度も中国侵略戦争に駆り出された。奇跡的に帰還した後、以前に「小僧さんとして奉公」していたミシン製作の小さな工場で覚えたことを手がかりに、何もないところから浅草でミシン製作の小さな町工場を立ち上げた。まったく独学で図面描きを学び、幾つもの工業用ミシンを新たに考え出し、製作した。80歳近くまで働き、その後は好きだった織物をやろうと素人でも使える織り機を作り、喜んでもらおうと工夫を重ねていた。最大時で5〜6人を雇っていたらしいが、同業の中小企業に先駆けてきちんと週休制をとり、保険から年金の雇用者負担をすべてを行い(労基法や健康保険法、厚生年金法があっても中小企業の多くでは誤摩化されることが、むしろ大多数だったのがこの国の現実だった)、中小企業の退職金積立てを同業者に呼びかけたりした。全体として見れば幸せな人生だったのではないかと思う。

彼からは折りにふれ、これまでの多くの苦労や、沢山の悔しかったこと、様々な辛かった経験を聞くこともあった。しかし、ひどい目に遭わされた人たちを悪し様に言うこともなく、争った経験を語ることはなかった。僕が彼から話しを聞いたのは、彼が丁度いまの僕の年齢を過ぎてからだった。殆どは過ぎ去った日々の彼方にあり、自身の中で昇華されており、喜ばしく嬉しかった記憶の中に呑み込まれてしまっていたのかもしれない。しかし、ずっと後になって昔のこととして語られるのを聞く僕にも、さぞかしその時々の折りには端の者をやきもきさせることが少なくなかったのではないかと思われるものが少なからずあった。

上手く立ち回ろうという才覚もなく、他人の誤解や錯覚につけこむずる賢さとは縁がなかった。戦後復興と高度成長の時代という幸運な巡り会いもあったとしても、自身の真っ直ぐでひたむきな努力、ごまかしができない誠実な人柄、人の幸せを自らも喜ぶ純朴さがなかったら、破綻することなく続けられた町工場の経営も、少なくとも晩年の幸せはなかったのだろうと思う。

70歳を過ぎてから「戦友会」で中国を再訪し帰国した時には、中国の人々が豊かになっていることを我がことのように喜んで語ってくれた。また、上海のホテルで「こんなもの喰えるか!」と言った元「戦友」を、「お客さまになっていながら、何て事を言う奴だ! あんな奴とは二度と会わない」と怒り、その後は戦友会に行くことはなかった。

もっと聴きたいことが沢山にあった。
彼が若い時代を過ごした地域に、偶々いま僕たちが住み始めている。しかし、ここを訪れてもらう機会も遂に逸してしまった。

2009年9月22日火曜日

デスコト国連総会議長の退任演説

ミゲル・デスコト・ブロックマン(Miguel d’Escoto Brockmann)国連総会議長が9月14日に退任した。

カトリックの司教にして、「解放の神学」の実践者。ニカラグア民族解放戦線FSLNの中心メンバーで、サンディニスタ政権では外務大臣を務め、米国によるニカラグア政権転覆の軍事行動支援を84年に国際司法裁判所に提訴し勝訴をかちとった立役者。昨年9月から国連総会議長を務め、この8月に長崎で開かれた第7回平和市長会議では、感銘深い挨拶をした。

http://izumi-tsushin.cocolog-nifty.com/blog/cat21487072/index.html(和訳)
http://www.un.org/ga/president/63/statements/Nagasaki80809.shtml(原文)

その退任演説が「和泉通信ブログ」に和訳されたので読んだ(何しろ僕は英語が大嫌いなので、、、)。

去年来よく報道されるオバマの演説の数々よりも、ずっと視野が広く考察も深く、そして感動的なもの。こういうものを読むと、「国際社会」なるものを、欧米の工業先進国と殆ど同一視しているこの国のマスコミや多くの「有識者」なる方々の視線がいかに偏っているかが痛感される。

http://izumi-tsushin.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/63-979a.html
http://www.un.org/ga/president/63/statements/finalsession140909.shtml(原文)

2009年9月21日月曜日

国境を越えた高齢化社会へ

 女性の4人に1人、男性の5人に1人が65歳以上の社会になったという。

 もう少し精確にいうと、「女性の高齢者は1659万人で、女性人口に占める割合は25・4%(前年比0・7ポイント増)、男性の高齢者は1239万人で、男性人口の19・9%(同0・6ポイント増)、高齢者人口は前年比80万人増の2898万人で、総人口(1億2756万人)に占める割合は前年比0・6ポイント増の22・7%。ともに比較可能な1950年以来、過去最高となった」とのことであり、「年代別では、70歳以上は2060万人(前年比44万人増)。後期高齢者医療制度の対象となっている75歳以上は、前年比50万人増の1370万人(男性519万人、女性851万人)で、総人口の10・7%となった」とのこと(読売新聞)。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090920-OYT1T00464.htm?from=any

これからも65歳以上人口は2020年までは急増し、その後は概ね安定的に推移するらしい。しかし、総人口は既に2006年をピークに減少に転じているから、高齢化率はしっかりと昇り続け、2015年には26.0%、2050年には35.7%に達し、この国の3人に1人が高齢者となる。もっともそのこと僕はお先に失礼しているだろう。

しかし、「後は野となれ山となれ」という訳には行かないようだ。同じ日の報道によれば、中国の国家人口・計画出産委員会の李斌主任は、新華社のインタビューに答える格好で、中国の総人口は2033年頃にはピークの15億人前後となるという見通しを示している。どうして日中両国の高齢化に係わる報道が相前後してなされたのか、そこには何の相互連絡もないのかもしれない。ところが、内容を見ると色々な憶測が膨らんで来る。

李主任の発言は、まずは今世紀前半は、「労働力人口(15〜64歳)は8億人以上の状態が続くので、就職問題は依然として厳しい」として、80年代以降採られている人口抑制策(一人っ子政策)を正当化するためのものであって、高齢化社会問題に重点をおいた発言ではないらしい。彼によれば、2008年末の総人口は13億2800万人だったが、もし「一人っ子政策を導入していなければ17億人を超えていた」し、08年に初めて3000ドルを突破した1人当たりの国内総生産(GDP)も2200ドル程度にとどまっていたというのだ。

ところが、この発言を同国における高齢化問題を重ね合わせてみると、なかなか深刻はもう一つの問題が浮かび上がってくる感じがする。

中国の労働力人口はいま約9億5000万人とされるが、2015年頃をピークに下がり始める。そして既に全人口の11%を占める1億4000万人以上(日本の総人口以上)が60歳以上の高齢者で、2020年には全人口の17.2%の2億4800万人に増え、2051年には4億3700万人を上回って全人口の30%以上を占めると予想されている(中国国家高齢化問題委員会の調査)という。

2020年頃にも米ドルが基軸通貨だったとして、経済不振の日本のGDPが少し下がって一人当たり8千ドル。中国のGDPは順調に上昇すると仮定して一人当たり4千ドルだとしよう。一方の日本の高齢者率約30%、他方の中国も15%以上と仮定すると、やはり中国はやばい。とても社会が高齢者を支えることはできないだろう。

しかも、沿海部と内陸部の経済格差があり、中国経済全体でのGDP増大にも拘らず、60歳以上高齢者の収入に着目すると、沿海部の省や直轄市等の都市では約3倍なのに、内陸農村部では1.5倍と拡がる一方だという。中国国内では農村部から都市部への労働者流出は8億人という規模だという。しかも、彼らの大半は年金制度からも外されているという。

中国共産党指導部は、一党独裁のツケをこれから嫌という程に払わされることになるのではなかろうか。鳩山首相は、NYで会う胡錦涛国家主席と、東アジア共同体創設で合意する意向だとか伝えられているけれど、うーん、安全保障問題での信頼醸成は良しとしても、これは軽々に進めて良いものか危ういのではないかと、にわかナショナリストの僕は首を傾げる次第。

2009年9月15日火曜日

ベトナムからのメール

介護保険認定にかかわって台東区は蔵前の担当者のいい加減さにドタマにくることがあった。気分転換に灰谷健次郎と石川文洋の「アジアを歩く―灰谷さんと文洋さんのほのぼの紀行」を読んでいたら、セーフティ・ネットの構築がどうのこうのといっているこの国よりも、穏やかな笑顔で迎えてくれて、「あーここにずっといたいなぁ」とつぶやくと、「それならここにいればいい」と返ってくるような、この本に取上げられている社会の方がずっと安心して暮らせるのではないかと思われて来た。

そこでベトナムにいるA君にメールを出した。直ぐに返事が来た。どうやら、そんな社会はもう過ぎ去りし日々に属しているようだ。

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A君へ

先日、気晴らし本を読んでいたら、次のような料理が出ていた。

サトウキビにエビのすり身を巻いて焼く。別に野菜を用意する。野菜は、青いバナナ、スターフルーツ、キュウリ、青菜。これをバインチャンの上に載せ、特性のたれ(ベトナム味噌、つぶしたピーナツ、ごま、その他香辛料、砂糖など混ぜたもの)かヌクマムをたらして、巻いて食べる。
エビ、豚肉、かまぼこ、大根、人参、らっきょう、ピーナツを混ぜてサラダにしておく。フォントムの上に載せて食べる。
飲み物は、米焼酎のルアモイ(爽やかな香料の香り)、明命湯(フエ、中国の五加皮酒から甘みを抜いたような味)、333ビール、餅米から造る焼酎ネップモイ、バナナ酒。

こんなのを見ているだけでも、ベトナムに行きたくなった。

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M先生へ

お久しぶりです。先日、大学院の友だちが2人、遊びに来てくれました。授業に出てくれたり、私の行きつけの店の人と話したり。そして、なぜか初日は我が家でパスタを作ってくれました。ありがたい話です。Idゼミの大学院生がベトナムの子ども日本語を教えているので、ベトナム語の辞書やら教材を買っていきました。徐々に、S大学にベトナムが広がるかも!!??

戦争証跡博物館にも連れて行きました(この博物館に関しては、ベトナム人に案内してもらうのは心が痛む場所です)。日本で見る戦争の情報、特にベトナム戦争に関しては、私たちの情報がいかに少ないかが思い知らされます。フーコック島という今はリゾート地の島があるのですが、あるベトナムの学生は「ベトナムのハワイ」とかほざいていましたが、戦時中は、ベトコンの刑務所兼拷問所だったのです。歴史を知らないというのは恐ろしい話です。

その本に載っている料理は、簡単なものだったらお菓子として学校前でよく売られています。お酒に関しては、ビールが主ですね。ルアモイとか、普通のお店ではあまりみかけないです・・。一時期、私もやさぐれていて、寝ビールなんてしてたのですが(酒嫌いの私が!!・・・まあ、1缶で十分なあたりは、まだまだですが)、日本のビールの方がうまい気が。こっちは、ビールにも氷を入れるんですよ。東南アジアではよくみかけるようですが。

インフルエンザにかかってしまったのですか!? まあ、ものは考えようで、流行するであろう秋・冬からずれたのは不幸中の幸いでは!!??

こっちも、ニュース不足なのか、毎日インフルエンザの死亡者や患者数を追いかけている時期がありました。私は新型インフルンザの「新型」をはずすことを推奨しているので、勘弁してくれーと。ちなみに、こっちは肖像権などが違うのか、新聞にインフルエンザにかかった最初の人などが、顔はモザイクで新聞に載ったりしていました。ベッドの上で雑誌読んでいたり・・・。そこまで追いかけなくても。

体重が増えたのは望ましいことですが、状況はあまり芳しくないようで。こうなったら、言いたいこと言って、すっぱり大学を出るのも勇気っちゃ勇気じゃないでしょうか。体がもってこその、これからの人生ですよ。なんて、M先生が出て行って一番困る学生は、他ならぬ私なのですが(^_^;)

3泊4日ぐらいだったら、7万円前後で行けますよ。そのうち、燃油サーチャージが復活するかもしれないので、10月か11月ごろはいかがでしょうか。学生にはお土産持って帰れば大丈夫ですよ。

ちなみに私はビザで問題発生。1か月以内に国外でビザを取り直せとのこと。へたれなんで、カンボジアとかじゃなくて日本に戻りそうですよ。というか、当局は何してんの!って感じです。ここ最近、ビザを更新しようとした外国人の多くが引っ掛かっているようです。私のは特に重症なのですが(6カ月マルチを申請して1ヶ月シングルで返ってきました)。

最近は、授業が3倍に増え、前みたいに暇でやばいということはなくなっています。ようやく張りのある生活という感じです。M先生も、こちらで1か月ぐらいいかがですか( ̄ー ̄)

今、問題の労働許可書なしの外国人労働者ですから。最近、税金とかの問題で、不法外国人労働者が問題視されているんですよね。戦々恐々。ちなみに、ホーチミン市で働く外国人労働者の70%は、労働許可書を取得していないそうです。取るのに半年以上かかるって・・・。ある外国人学校では、日本人講師への給料が雑費扱いになっていたそうで。所得税逃れ以上に、労働許可書が問題なのでしょう。そこら辺がまだまだあらいんですね。もしかしたら、強制送還されて帰ってくるかもしれません。

2009年9月11日金曜日

樹木と地面のあるところ

久しぶりに勤め先に出た。インフルエンザと歯痛で、ろくに外にも出ず身体を労っていたため、まるで久しぶりで散歩に連れ出された犬のように身体がわくわくとはしゃいでしまった。

何ともハアというしかない会議。げんなりする書類。そして遂に8月には整理処分に手がつけられなかったゴミ溜状態の研究室。
11月に予定されている小さな学会での報告準備のために関係論文集め。ちらりちらりと問題設定と結論を見たりする。今更ながらに僕の問題関心や視点が、この「業界」からはみだしていることを感じる。
札幌の大学にあるマイクロフィルムが借り出せるかどうか、問い合わせてもらう。不可。まぁ、無理ないでしょう。しかし、何本ものリールを回して、見つかるかどうか分からない資料のために行くのか、、、旅費も少なくなった悲哀。さて、どうしたものか。

それでも樹々と土のあるところを歩けて今日は幸せだった。歯茎の腫れもかなり収まってきた。

2009年9月9日水曜日

「ここはグァンタナモではない」

インフルエンザがほぼ撃退できたと思ったら、今度はずっと昔に虫歯をなおし、アマルガムを被せた奥歯が痛み始めた。一日、バッファリンで誤摩化したが痛みは和らいでこない。単なる疲労による違和感や痛みではない。ネットであれこれ評判を見て、駅北の小さなところに連絡した。何しろこの近辺は角を曲がれば何とか医院、何とかクリニックと病人の数より医者の方が多いのではないかと思われる程で選ぶのに困る。
痛くてたまらないと言っても予約をとれという。辛いので余程に他を当たろうかと迷った。しかし、直ぐに見てもらえる所からすぐ他に見つかるか保障もない。仕方なしに予約し、やっと見てもらうことができた。

雑居ビルにある小さなうなぎの寝床状の診療所。
こちらは腫れがひどいので、まずは腫れを収めてから麻酔をかけ、かぶせてあるところを取り外し、残っている神経を取り除くという1ヶ月かかりの大騒ぎになるという。まだ生えて来ていない親知らずが奥歯を圧迫し、その歯茎を「溶かす」原因になっているので、今傷んでいる所が終わったら、親知らずも抜いた方が良い。他にも小さな虫歯があるとのこと。

昨日は、抗菌剤と鎮痛剤をもらいひとまずは安心。「アルコールはどうですか?」「いけないとは言えませんが、痛い時には控えた方がいいですよ」なんて長閑な話しをした。

ところがしかしである。真夜中、薬がきれたのか痛みで七転八倒。「あー、俺を拷問すれば30分で何でも言ってしまうだろう。お願いだから何とかしてくれー!」何とかなるものではないことと分かっていても、そう願わずにはいられない。神様、仏様、どなた様でも結構です。この痛さを止めてくれるなら何でも言います、致します。「アルコールは断ちます」とでも誓えば何とかなるのなら、心から誓約いたします、、、果ては何か痛みを和らげるまじないはないものかとまで考えている自分に気づいた。

なる程、憲法第何条だったかに、「拷問はこれを絶対に禁止する」とある理由が今頃になって分かった。降りかかってくる苦痛が人為的になされるものならば、それを与える者の言いなりになってしまう程に人間は脆弱な存在であること。むしろ苦痛を感じることが正常な肉体の生理的作用であるならば、同じく正常な精神反応として苦痛から逃れるためには何ができるかを考え、苦痛がひどく辛いものであればあるほどに切実にそれからの離脱を願うのは正常な反応であること。

ナチに捕まり拷問にかけられたら「最低3時間だけは頑張れ、その後は頑張らなくても良い」としたルールをもっていたレジスタンス組織があったといったことを読んだことがある。3時間というのは、仲間が逃げるのに必要な時間、そしてその後は頑張らなくても良いというのは、捕まった者の生き残りに対する配慮。レジスタンス組織の中には、拷問に耐えられず「吐いてしまった」仲間は処刑するといった規律もあったというが、ずっと前者の規律の方がまともであり、実際的だったのではないかと思う。

バッファリンをのみ、それが効いてくる迄の1時間半の長かったこと。

8月24日米国司法省はCIAの報告書の一部を公開した。公開された部分を読むだけでも、CIAがどれだけ酷いことをしたかが分かる。黒塗りされたところには一体何が書かれていたのだろうか。

http://msnbcmedia.msn.com/i/MSNBC/Sections/TVNEWS/Nightly%20News/2009/cia_oig_report.pdf

http://www.guardian.co.uk/world/2009/aug/25/cia-report-techniques-interrogators

2009年9月2日水曜日

軍事産業の反撃

報道によれば、富士重工業は、戦闘ヘリコプター「アパッチ」を発注した防衛省に対して、500億円弱の支払いを求める文書を提出する方針を固めたとのこと。

防衛省は01年に62機導入を決定。富士重や関連部品メーカーは、米ボーイング社へのライセンス料など四百数十億円を払った。これまで防衛省は、02〜07年度に計10機を発注したが、今後の発注は打ち切った。来年度概算要求でも防衛省が予算計上を見送ったし、民主党政権では「今後の受注復活はない」と、富士重は判断し、未回収のライセンス料に加えて既にボーイング社から購入した3機分の部品代金百億円弱も請求する。未回収のライセンス料は本来国が負担すべきものだという主張らしい。

http://www.asahi.com/politics/update/0902/TKY200909010460.html

年末に改訂が予定されている「防衛計画の大綱」については、それが民主党政権下で行われることを見通して、既に6月には自民党国防部会が「提言」を出し(『朝雲』6月11日)、「策源地攻撃能力の保有」をぶち上げていたし、この8月には政府の「安保・防衛力懇談会」が「核抑止の信頼性」確保、敵基地攻撃能力の検討、武器輸出3原則見直し、集団的自衛権解釈変更を打ち出し、揺さぶりをかけていた。これに加えて、選挙後の軍事産業側からの反撃が始まったというところか。

01〜05年の中期防衛力整備計画くらいまでの陸自の理屈付けは、北朝鮮からの侵攻はゲリラ・コマンド部隊の侵入になるだろうから、これに有効対処できる戦闘ヘリ「アパッチ」が必要だというものだった。しかし、中国のミサイルに対抗するMDの方が大事だと押され、1機約80億円の「アパッチ」を60機も揃えることは簡単に吹っ飛んだということだろう。何も民主党政権になったからといって「アパッチ」復活の可能性がなくなった訳ではない。

この先、アホで犯罪的なMDを止めるには、かなりの努力が必要になることに溜め息が出る。

ところで、また典型的なインフルエンザ症状。喉の痛み、鼻汁、咳、筋肉関節痛、しかし、熱もなく、咳もない。わが「大頭脳」はひたすらに重く、ただただ横になっている。そう言えば8月の上旬にも病いで休んだ。もう歳か、、、

2009年8月17日月曜日

体重回復

ところで、一年半ぶりに体重が一週間以上にわたって51kgを越えた。実にめでたい。

そこで、とっておき一本を開けたが、既に酸っぱくなっていた。地下の穴蔵がある訳でも、ワイン・セラーなるものをもっている訳でもないのに、ただただケチをして大事に取っておいたためだから当然の報いというべきだろう。仕方なし。これで料理用の赤葡萄酒が用意できたと思うことにして、せいぜいケチケチしない料理でも作ることにしようか。

2009年8月16日日曜日

いい加減でも



疲れているせいもあるのだろう、ただでさえ最後の詰めが甘い僕がいよいよ万事につけていい加減になっている。
しかし、やらないよりはマシかもしれないと居直る。やらない方がマシという判断も充分になりたつ筈なのに居直る。我ながら相当なものだと思う。居直る理由を考えた。

所詮は完全はありえない。どんな努力でも100%を満たすことはあり得ない。一生懸命にやった場合の方が、いい加減にやった場合よりも確実に良い成果を出すとは限らないだろう。やらない場合は確実に0%になると言ってよいだろう。しかし、一生懸命にやっても0%の場合、そこまで落ちなくても例えば10%にしかならない場合があるかもしれず、いい加減にやっても20%を達成する場合もあるかもしれない。

僕には一生懸命にやった場合の方が、いい加減にやった場合よりも常に確実に良い結果を出せる自信はない。受けた教育が悪かったと他人のせいにはしない。ただ率直に自分が現にもっている能力の貧しさを見つめる。

最近は、別の居直り理由もしばしば感じる。そのことをやった環境と機会、巡り合わせといったものだ。
小中学校教員の需要が少なかった「冬の時代」の学生たちは、猛烈に勉強をしていたが、バタバタと不合格になった。しかし、団塊世代が退職し初め、教員需要が爆発的に高まったここ数年の学生たちは、お辞儀のしかたに神経質になるくらいで次々に受かって行く。民間企業就職については、一昨年迄とは比べものにならない厳しさが今年の3〜4年生を襲っている。そして例えば僕の世代の大学生には、就職難はなかった。現に僕は4年生の秋になって、急に就職の必要に迫られ3社に書類を送り、2社から面接に来るようにとの通知を受けた。

個人の努力では如何ともしがたい、機会の巡り合わせ、運命とでも言いたくなるものを感じる。
僕の実父は、旧制高校の受験に二度失敗した。彼はその理由を、中学校最後の年に、彼の生みの母親が彼を生んた半年後に死亡していたことを知らされたことを挙げていた。「ショックで勉強が手につかなかった」と彼は言っていた。そうだろうと思う。しかし、この2年の遅れのおかげで彼は理工系の大学生として兵役を遅らせることができ、戦死しないで済んだ。

「結果オーライは親譲りか!」と息子からあざけられる。確かに機会に恵まれた人生だったと言うべきだろう。機会に恵まれていながら、碌な仕事をしてこなかったと非難されても仕方がない程なのだろうと思う。

他人、他の時代と比べることはしまいと思う。しかし、自分で選び取れない時代と環境の中で、100%の力を発揮しなかったからと自分を責めることは止めようと思う。いい加減でもやってきた、やっている、やっていく。先ずはこれで良い。あとは少しでも賢くなることくらいだろうと思うことにする。

2009年8月2日日曜日

先週初め、勤め先の小さな林からヒグラシの声が聞こえた。そのずっと前、7月の上旬にミンミン蝉のにぎやかな大斉唱が始まっていた。
蝉声の初めはニイニイ蝉、そしてアブラ蝉。ツクツクボウシの元気のよい声が、かっと照りつける8月の最中に聞こえ、その後にミンミン蝉、ヒグラシは秋の気配を感じるようになってからと、僕のなかの蝉暦では順番が整然と決まっていた。

最近、順序が乱れていると嘆かわしく「蝉よ、お前もか」と憂いていたりもしたが、今年はひどい。ヒグラシを聞いた時には「これは許せない」と思った程だ。蝉が鳴くのに、届け出や許可がいるとは思わない。しかし、ものごとには限度というものがありはしないか。そんな気分になる。

もう手遅れなのだろうか。

2009年8月1日土曜日

寒い夏?

梅雨明け宣言の後、暑くてたまらなかった日は何日あっただろうか。また93年の冷夏の再来ではないかという感じすらする。
気温もさることながら、明らかに寒いのは経済状況だろう。一斉に発表された政府調査報告が、それを示しているように感じる。

総務省が公表した労働力調査(速報)によると6月の完全失業率は5か月連続上昇で、前月比0.2ポイント増の5.4%(男性は5.7%と,前月比0.3ポイント増、女性は5.0%と,前月比0.1ポイント増)、失業者数(348万人、1年前に比べ83万人増)ともに悪化し、求人倍率は0.43になったという。余剰労働力は既に600万人と越えているというから、この国では今、ちゃんと働いて生活しようとしても出来ない人々が約1千万人はいることになるだろう。

http://www.stat.go.jp/data/roudou/sokuhou/tsuki/index.htm
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090731dde001020008000c.html

当然に消費も、エコカー購入補助制度とか、エコポイント効果で少し上向いているというが、全体としてみれば相変わらず落ち込んでいる。総務省統計局が発表した「家計調査報告」によると、二人以上の世帯の消費支出は、1世帯当たり277,237円で 前年同月比実質0.2%の増加し、2ヶ月連続して上昇したという。しかし、前年同月比では実質0.3%の減少、前月比(季節調整値)実質2.0%の減少。そして勤労者世帯の実収入は、3.2%減の70万239円と3カ月ぶりの実質減少で、前年同月比実質3.2%の減少。

http://www.stat.go.jp/data/kakei/sokuhou/tsuki/index.htm

他の工業「先進」国も同様の状況にあるようだ。
EU統計局が31日発表したユーロ圏の失業率はもっとひどく9.4%(1999年以来10年ぶりの高水準)。アメリカ合州国の失業率も9.5%を超え、年末には2桁に達する予想されている。同国労働省が29日発表した6月の都市部失業率統計では、全372都市圏のうち18都市圏で失業率が過去最悪の15%を超え、これらの都市圏では6カ月連続で失業率が上がっているという。
http://www.nikkei.co.jp/kaigai/eu/20090731D2M3101S31.html

アメリカ商務省は、今年第2四半期のGDP国内総生産が、1%減少と発表した。大方の予想されたより下げ幅は小さかったというが、3四半期連続でマイナス成長というのは、47年以来、初めてだとのこと。
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&task=view&id=8345&Itemid=56

この寒さは夏を越えても続くようだ。

2009年7月28日火曜日

暗い夏

疲れている。

04年末、父の末期癌の発見、治療をめぐる弟妹との諍い。そして死後の遺産分割をめぐる長い面倒な争い。
06年夏にかけての研究棟耐震工事に伴う研究室の引越、そして07年の新しい研究室への戻りの引越。
08年の30年住み慣れた自宅から都内への引越。そのための大金の工面。
この過程で実に様々な辛く、醜いやり取りがあった。

弟と妹は僕が育った「実家」に戻ることを断固として阻止しようとし、そして母も彼らのこの求めを容認した。その後、亡父が残したメモからは、彼の不動産の相続から僕を除外して考えていたことが分かった。

そして、この時期に就職以来世話になって来たMさんの突然の死去。勉強仲間だった同世代Tさんの死去。そしてFの親しい友人の死去。彼とは退職後に是非とも一緒にやろうとある企ての約束があった。

慣れ親しんでいた環境からの移動、短期間に集中し、ゆっくり休めず過労が回復しないうちに続いた肉体的疲労、そして思いもかけない突然の生活条件の変化。これだけでも一寸したストレスだったと思う。しかし、なんといっても悪かったのは、信頼していた人からの嘘やごまかし、そして裏切りだっただろうし、その内容が自分がこれまで信条としてきたものと正面からぶつかるものだったことだろうと思う。

まあ、良く生き延びて来られたものだとも思う。
まだ、「夏休み」は始まっていない。加えて、この2年間、ただそれだけを心の頼りにしていたイタリア行きが不可能になった。いつ行けるようになるか、その見通しもない。

夕刊を見ると「半年ぶりに3人の死刑執行」とあった。この国の国民でいると人殺しの片棒も担がなくてはならない。

2009年7月24日金曜日

疲れている日本社会

最近知合ったKさんから日本での「さん」付けの多発についての問い合わせに、どんなコメントを送ったら良いだろうかと質問があった。
冗談ではない。僕は憲法問題あたりをうろついている自称社会科学者の怠惰な端くれに過ぎない。それでも、折角の機会なのであれこれ思いつくことを書いてみた。

質問は、インドネシアU大学で日本語を学んでいるLさんからのものだという:

それでは、尋ねたい事がありますが。
ジャーナルで読んで、日本人は「さん」の敬称を使いすぎと書きました。
人だけではなく、所、相手の会社も付くようになりました。
例えば、「ルフルさんのウダヤナさんから電話がありましたよ」

変な気持ち担っても、こういうやり方が広がっていますので、ドンドン慣れてきたと書いた日本人もいます。

K先生はよくそういうことをお聞きになりましたか?
気になりました。
文化が違ってゆくので、言葉も連れて行くでしょうね。



僕は言語学(?)を専門にしている訳でもないので、お教えするようなことはとてもできません。でも、このことについて感じているところは色々あります。

「さん」付け連発は一言で言うと、日本社会が「疲れている」現れの一つだと思います。
まず、確かに近頃多用されるように感じるけれど、一体どんなときに使われることがふえているのだろうか。これをもっと知る必要があると思いました。

もう一つ。閉鎖性の高い社会では、そこに独特の言語表現が発達する傾向があると聞きました。単に名詞、形容詞、副詞が豊富になるだけでなく、動詞の変化活用から、独特の言い回しまで。身近な例では方言や業界用語、いわゆるJARGON。

これとは反対に、異文化、異言語との接触がふえると、それまで厳格に使い分けられていた独特の言語表現にも「いい加減」な使い方が入り込んでこざるをえません。「正しくない日本語」とか、Pidgin ピジン言語とかクレオール言語が生まれ、それに反発するかのように「美しい日本語」運動が始まったりするのではないでしょうか。

そうだからか、ある組織や団体の活力が低下し、閉鎖的になって自己防衛に傾く傾向にあるときには、まず丁寧語、敬語、もったいぶった言い方が増えると思います。

それはさておき、「さん」付けの多用です。第一に、これはある種の業界用語:同業、同種の会社などのあいだで、エール交換のように使う。あるいは、自社は他社を呼び捨てにするほど「程度」が悪くないという顕示として。第二に、何も考えず、ただただ丁寧にモノを言えば良いだろうという無思考、同調CONFORMISMとして。第三に、必要な内容を率直に他人と語り合うことの回避として:つまり、ご丁寧な言葉を交換しているうちに時間が経ってしまい、肝心の中味について頭を使って交渉することを避けるために。

こんなことがあるのではないかと感じます。ぼくの職場でも、十年前までは、年齢や経験年数に関係なく同僚同士は「さん」で呼び合っていたのに、この数年は「**先生」が圧倒しています。挙げ句の果てには、「学部長先生」とか「学長先生」です。以前ならこうしたセンセイ呼ばわりは、からかいのニュアンスがあり(「先生と呼ばれる程の馬鹿でなし」という川柳がありますね)ました。しかし、現在では糞真面目に使われています。

そういえば官庁や公的機関にたいしても、「教育委員会さん」とか、「**中学校さん」といった吹き出したくなるような言い方が増えています。ぼくは莫迦丸出しだと思いますが、腹を立ててもつまらないので、「何かピーチクさえずっているなあ」と思うくらいにしています。

元よりお答えにもなっていない、思いつくことの羅列になりました。如何でしょうか。


On 2009/07/25, at 11:13, wrote:

2009年7月17日金曜日

勉強熱心ということ

「ベトナム人労働者、勉強熱心も長期目標に関心なし」という記事をサイトで見つけたので、ベトナムに行っているA君に伝えた。すると直ぐに返事があった。

http://www.hotnam.com/news/090716094309.html

http://www.thewatch.com/


T先生へ

ベトナム人は、超勉強熱心ですよ。学生の中にも、大学を掛け持ちしているがいますし(大体、技術系と語学系)、会社に通いながら、夜は語学なんていうのもザラです。継続教育という名で、学校教育後の教育の機会を設けているのですが、いやはや、このベトナム人から、「日本人は勉強熱心で、すごいです」なんて、言われた日には、即否定したいぐらいです。

たとえば、日本の欠点は?とかにどれだけこたえられるかは定かではありません。基本的に、夢に向かって、勉強しているので、その夢の内実は、あまり考えていない気がします。日本語を勉強する学生の中では、「日本語教師になりたい」か「日本の企業で働きたい」というのが、多数派の夢です。

ただ、卒業生の中には、語学だけじゃ職がないことを知っている人もいました。曰く、「日本語教師になりたい」ではなく、「日本語教師にしかなれない」そうです。

そうそう。ベトナムの英字新聞で、日本の教育が取り上げられていました。なんだと思います。「日本で英語教育が加熱」みたいな内容です。笑っちゃいました。ベトナムで、こんな取り上げられ方しているなんて。

ただ、街中や家の中には、日本企業の製品が所狭しとあります。観光の中心地、ホーチミン市のベンタイン市場の周りを見回せば日本企業の看板ばかりです。久光製薬のサロンパスまであります。憧れるのも、バカにはできません。もちろん、短所を分かっていて、しゃべらない可能性もありますが(私の立場もありますから)。

しかし、T先生も気にしてこういう記事を見てくれるのは、うれしいことです。ありがとうございます!!



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僕はこの10年程、教員としての仕事よりあたかもカウンセラーとしての応対に時間を取られている。昔で言う不本意入学なんてものではない。そもそも、何のために大学に入学したのか考えたこともないような連中が激増しているのだ。不本意入学なら上出来である。本来は行きたかった大学、学部があるからだ。それすらもない学生が多数派になっている。

18歳人口が減ったため始まった「大学説明会」にまで、何と親がついて来る。受付で名前を書いてもらい、入試の際には無条件で不合格にしたら良いと提案して顰蹙をかった。入試当日も試験会場の外に何人もの親たちがたむろしている。その大部分は我が子がきちんと受験するよう、受験から逃げ出さないための監視だそうだ。

「面白くない、難しい、分からない。だから悪い授業だ」と平然として言う。バナナの皮に滑ったという類い、つまりバラエティ番組程度の笑い、クイズ番組のトリビア情報(つまり話しのネタになるだけの話題)が知識だと思っている。次回迄に考えておくテーマを出しても誰も考えては来ない。「聞いていませんでした。どんな課題がでたのですか?」と居直る。ノートはとらない。黒板に書くと、高校までの条件反射で書き写し、「板書が汚い」と文句を言う。講義の筋道、何が問題かを押さえることができない。まして、「この問題の先には、こんな問題がある。興味を持った人は是非この本を読んでみるといい」と言っても誰の手も動かない。

大学は入れば良いところであって、後は如何に楽に卒業するかの場でしかなくなっている。少なくとも僕の職場ではそういう傾向がどんどん加速している。当然に卒業論文は書けない。加えて就職難となると、精神的に不安定になっても不思議ではない。

5年前なら、「何?」と振り返るような娼婦スタイル、寝間着スタイル、訳の分からない色の組合せは、最早多数派になっている。

「君は本当は何がやりたいのだろう。そのことを考えたことがあるかい?」「親に言われたからとしても、その親は君の人生を君に代わって過ごすことはできないのだよ」「そんなに遊びたいなら徹底して遊ぶべきじゃあないのか? 遊びながら単位も取りたいなんて大学をなめるのは止めてほしい。君に今必要なことが遊ぶことなら、カネのことは知らないけれど、それを徹底してやるしかないじゃあないか」等々。カネのためならカネのためにと、きちんと目標をもって頑張るベトナムの学生に、この国の多くの学生は必ず負ける。

2009年7月16日木曜日

夏、仕事、選挙

二年間待っていたイタリア行きが出来なくなったためか、やけになっている。昼休み今日は700m泳いだ。泳いだといっても、痩せ蛙流の平泳ぎでただただ漂っているという趣き。そんな気分でいるせいか、水泳らしきものでそれなりに元気になったためか、腹が立つことだ少し増えた。まずは、この夏に政権交代のかかった総選挙をやることについてである。



何でも<費用対便益>で物事の軽重をはかる考え方がある。今ではこれ以外の考え方はダサイと言わんばかりの流行ぶりである。
便益といっても、実のところ得られる経済的利益を念頭においている場合がほとんどだから、要するにこの考え方は「どれだけ出せばどれだけ儲かるか」の計算と変わらない。この世の中、経済的利益つまりオカネに換算できないものはいくらでもあるし、愛情や思いやり、平穏や安心、希望など人間の人生にとって欠かせない程に大切なものは、そのあらかたがオカネには換算できないのではなかろうか。

こんな計算にあくせくするのはアホらしいと思う。ところが当節は、「この人と結婚するとどのくらい得をするか」と、しっかり費用対便益計算をする男女が増えているらしい。少なくとも、そういう前提で作られた結婚斡旋ビジネスの広告も目につく。地獄の沙汰も金次第なのか、経済のグローバル化に並行して、この金銭換算コスパ思考がはびこっている。

そんな損得計算でいっても、本当に割に合っているのか不思議でならないのが、例えば、この国のこの蒸し暑いだけのこの季節にクーラーをガンガンつけて仕事をすることだ。確かに電力会社や清涼飲料水、ビール屋は儲かるのだろう。しかし、当の働く人にとって健康上良くないことは明らかだし、温暖化効果ガス排出を高めることも確かだろう。ドタマに来ている僕は、せめてタンクトップに短パン、草履という抗議スタイルで仕事をしたいのだが、まだその勇気もなく、我ながら情けない。それでも、いつかはどこかどでかい高層ビルのクーラーと自販機の元電源をぶっつぶしてやることはできないか等と、エコ・テロリストの夢を見たりしている。

ところで、このクソ暑いときに何と総選挙だそうだ。「夏休みではないか! そんな時に政権交代をかけた選挙か!?」 連中にとっては、ただ投票だけしてくれれば良いくらいのことなのだろう。何時やろうと選挙には変わりなく、そのタイミングは自分たちの都合、つまり損得勘定だけで考えれば良いのだろう。しかし、内実のあるまともな“主権者国民”の選択が行われるのには、それに相応しい“主権者国民”相互間のやり取りが前提となるのではないか? 確かに選挙は一人一人の投票で終わる。誰とも討論することなく、誰にも働きかけることなく、一人静かに投票しても、投票さえ終わればそれで各人は参政権を行使したことになり、選挙は成立したことになるのだろう。

だが選挙は同時に集合的な政治行為である。個々人が如何に心底からある候補者、ある政党を支持し、その選択が正しいと熱烈に確信していたとしても、それだけでは選挙結果に何の効果も生まない。選挙が“主権者国民”の選択である内実をもつためには、それに相応しい“主権者国民”相互間の政治討論が充分に保障されていなければならないのではないか。

夏、この蒸し蒸ししてクソ暑いこの国の夏が“主権者国民”相互の政治討論に相応しい時期なのか? わざわざ人々の生活が政治から遠ざかる時期まで待ったとすら勘ぐりたくなる。

もっとも、こんな憤慨は見当外れかもしれない。もっと“主権者国民”相互の政治討論がやりやすい春秋の時期ですら、殆どの“主権者国民”は、選挙をめぐる政治討論に割く時間等ない程の生活を送っている。長時間労働、残業なしには生活できない生活、自由な政治討論ができる場、空間の不在。「中立」と称して論点に迫らないマスメディア。

そして念の入ったことには、この国の選挙に関わる基本法律である公職選挙法は、その選挙運動の章を読めば誰でも気づくように、選挙にあたって一体“主権者国民”はどんな選挙運動ができるのかが分からない程に、禁止条項だらけだ。普段だったら個々人が一人でもできる行為の殆どが、禁止あるいは制限される。一言で言えば、“主権者国民”、あるいは市民の生活の中に自らが主体となって政治を語る時間も空間もないに等しいのが、わが国の現状だと思う。

夏休み総選挙のタイミングに関わっている民主党を含む連中の眼中には、“主権者国民”相互の政治討論をどうやって保障するかという根本問題が、まったく眼中にはないのだろう。これがこの国の民主主義の水準なのだから、先は遠い。

もっとも政権交代といっても、両党の間には基本問題での違いは少ないのだから、きちんと夏休みのある在外公館の連中も「まあ、少し夏休みを切り上げるのを早めておけば何とかなるだろう」とタカをくくっているのかもしれない。

2009年7月15日水曜日

裁判官候補者にホームレス生活を必修に

去年、久しぶりに裁判傍聴をして、裁判官や検察官の人を上から見下しているような視線の冷たさ、傲慢な様子にあきれたことを書いた。今日、たまたま新聞をくっていると次のような記事に出会った。

「朝日」の夕刊によると98円の消しゴムを万引きした70歳の女性が、懲役2年の実刑判決を下されたとのこと。「朝日」報道によると、この1月に出所し、生活保護を受けて一人暮らし、月1〜2長男に手紙を出すのに「消しゴムがあれば便利」と思い、スーパーで万引きし現行犯逮捕されたのだという。宮本聡という裁判官は「被害は小額だが、手慣れた犯行で実刑は免れない」とのたもうたそうだ。この裁判官はあるいは、現在の生活保護の貧困さを知って敢えて実刑判決を下したのかもしれない。しかし、刑務所に送り返して一体何が解決されるというのだろうか。愚かな犯罪である。しかし余りに哀れな犯罪ではないか。

今では裁判官や検察官になる連中の出身家庭の殆どは、最低年収1千万以上、中には数千万という人も少なくない。日々の暮らしに困るという経験は皆無、周囲・友人にも見たことがない。小中から進学受験本位の進学校。親類縁者にも法曹関係者がちらほら。こんな姿が思い浮かばれてくる。あるいは僕の想像だけのことかもしれない。しかし、600万円に届かない全世帯の平均年収の家庭から、裁判官や検察官になる人が多数輩出されているのが現状だとは、到底思われない。

「階級裁判が復活している」と迄は言わない。しかし、こんな記事に出会うと、司法修習には、例えば「非正規雇用で1年間暮らすこと」「生活保護だけで1年間暮らすこと」「ホームレス生活を1年間すること」等を、修習生全員に必修させたくなる。

2009年7月14日火曜日

ベトナムでも




少しくたばりかかっている。それでも少し頑張って昼休みにはフワフワと500mを泳いだ。フランス革命記念日だし、関東は梅雨明けというし。

久しぶりでベトナムに行っているA君からメールが来た。こんな便りをもらうと、やはり若者は早いうちにこの国の外の生活を経験すべきだと思ったりする。ベトナムでも市場自由主義経済の歪みは、くっきりと社会全体を覆っているようだ。

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T先生へ

え、誕生日おめでとうございますって、言っていいのですか。まあ、無事に(・・・「なんとか」ですかね)1年過ごせた目印ということで、やはりおめでとうございます。正月の半年後を見落としていました。時期が少しずれましたが、時差ということで、お願いします☆

いやぁ、私は、自分で決めた人にしか「先生」は言いませんよ。学校の教諭の話をする時は「教員」だし、一人称を先生というのは、絶対しません!気持ち悪い!!大学の中では、やむをえませんが、そとでは「浅野さん」って呼べ!って学生に言ってます。まあ、そう言えること自体が、「先生」だからなのですが、まあ、考えすぎると袋小路なので、自分の都合のいいところで試行を中断しています。

夏休みです。でも、夏休みの方が、用事が多くなりました。まあ、ようやく、市内を回り始めたということです。ベトナムでは7月から個人所得税が導入されたのですが、私の給料は7月前ということで、税を回避し、予想以上にもらえたので、最近は、喫茶店などに行くようになりました。ああ、余裕ある生活っていいですね。

ちなみに、私は保険に入っていないので、その点は、常に不安が付きまといます。アメリカや中国で、病院に行きたくても行けなくて、病院前で倒れている人の写真を何度も見たことがありますが、保険などの制度のありがたさを痛感します。常に金銭を気にしたり、保険がなかったり。なので、最初の1か月は、きつかったー。買い食いができる今がありがたくてありがたくて。もちろん、私の場合は、期間限定なので、本当に苦しんでいる人と同じ立ち場なんて、口が裂けても言えませんが、垣間見た感じです。

あ、試験もしたのですが、私の大学は私立なので授業料が高いのですね。学生の20%ぐらいが、学費未払いで試験を受けられませんでした。まあ、これは、私立に限ったことでなく、国立でも同じようなことが起きているよです。

そして、日本と同じように学生はバイトをするのですが、給料が安い!購買力を差し引いても安い!ちょっとお金貯めて辞書買えって言っていましたが、安易に言えなくなりました。喫茶店なら、時給40〜50円ぐらいです。

さらに、大学生でない子どもたちもたくさんいるわけで、その時給たるや、10〜20円で、一日中その店にいるようです。

この前、中心近くの公園で、日本語で「お兄さんガム買って!」って15歳ぐらいの子に言われて、「俺は韓国人だ!」って言ったら、韓国語で話しかけてきました。何ヶ国語で話せるの?って聞いたら、ベトナム語を含めて6ヶ国語だそうです。もちろん、文法とかおさえているわけではないと思うのですが、生きるための技ですね。他の子も、同じぐらい話せました。外国人の観光客を相手にする時のために、最低限必要なことなのでしょう。値切った挙句、定価の3割増しぐらいでガムを買いました。

肌もめちゃくちゃ焼けて、まっくろです。最近は、ベトナム人とよく間違えられます。うれしいことです。そろそろ、日本を抜け出したくないですか?待ってますよー。夏ですが、体重を戻してくださいね。では、また。

2009年7月7日火曜日

嘘はコスト計算の外



「実直な方とお見受けした」。こう言ってくれた方がいた。こんな身に余る褒め言葉はない。
この間のいくつかの争いごとの中で、何度「正直すぎるのも良くないよ」「くそ真面目だから損をしている」と言われて来たことか。

言われた本人は、それでも時々は嘘もついているし、相手が勝手に錯覚するようなこともしているつもりでいる。とは言え、確かに積極的に嘘をつくことを避けていることは確かだ。第一に嘘をつくには労力がかかる。いつ何を誰に対してどうのように偽ったかを覚えていなくてはならない。複数の嘘を重ねる時には、その嘘が重なった時にも困らないようにに予め計算しておかなくてはならない。そんな労力を割くだけのエネルギーは費やしたくないし、その能力(おそらくは記憶力)が自分には著しく欠けていることは明らかだ。第二に、そのためだろうか嘘をつけば、いや嘘をつこうとするだけで、それは顔や態度に現れてしまう。日頃からの訓練が絶対的に足りない。

モンテーニュが言っているように、「経験上、すぐれた記憶は弱い判断力と結びつきやすい」のかどうかは分からない。しかし、弱い記憶力という「病気」があるために、「もっと悪い病気、すなわち野心を匡正する理由を見いだした」ことは確かにある。人が言う「ばか正直」であるためか、大もうけをしようとか、高い栄誉や評判をとろうといったことで心を燃え立たせたことはない。経済的にある程度の生活を送ることができたという幸運も幸いしていることも影響しているかもしれない。

また、カリエールだかが、「敵に対して嘘をつけば、敵と交渉することすらもできなくなる」とか書いていたことも焼き付いている。敵なのだから、どんな術策を労してもやっつければ良いというものではなく、利害対立する敵だからといって相手に打ち勝つことができない場合は少なくないこと、完全粉砕、完全絶滅はまずありえず、酷くやっつけられた敗者はむしろ恨みを一層強くもって復讐に燃えることの方が一般的だろう。

そこで必要になる交渉がなりたつ前提として信頼関係があり、そのためには利害が対立する敵からも「あいつは嘘はつかない」と、まずは交渉の相手にされることが前提となること。こんなカリエールの言葉に出会ったときは、若かった僕は実に驚いた。そしてかなり賢くなった気がした。

それでも、余り嘘をつかない、嘘をつけない流で、還暦を過ぎて思わぬ嫌なことをいくつもこなし、かなり疲れた。

本当は半年でもしばらく休みたい。せめてこの間の緊張をほぐし、<解決>まで頑張った自分を労りたい。そしてできることなら新しい生活への転換の一歩を踏み出したい。そのためにも、第二のテーマの場であるイタリアへ何としても行きたかった。しかし、それも思わぬ事故によってできなくなってしまった。その先いつ戻れるかとの見通しも立っていない。身が割かれるように辛い。

Fにいる友人に電話をすると、「辛いのは分かる。私も辛い。でも来ることをいつでも待っている。退職したらこちらで生活したらいい」とまで言ってくれた。やはり、嘘でかせぐよりは、こういう単純な慰めの言葉の方がありがたい。どうやら僕の場合は、嘘は費用対効果計算の外にある。

2009年7月5日日曜日

メール、携帯、ファックス、電話



一日にチェックするメールは一体何通になるだろうか。そして応答。携帯電話はそれを持っている限りどこまでも追いかけてくる。
ファックスが現れたとき、「これは便利だ」と思った。途端に原稿の締切が怖くなった。

「日経」土曜版によると、メールに対する返事が24時間以内にないと不愉快に思う人が、大半を占めるそうだ。勝手に送っておいて何だと思う。

求められなければEメールには応えない。携帯電話は自分からかける必要がある時だけ携帯し、不携帯を原則とする。電話がなっても仕事中はとらない。引越の時に捨てたファックス受信機は新規購入しない。別に人間嫌いになった訳ではないが、半世紀前の手紙だけの生活に少しずつ戻して行きたいとつくづく思う。

2009年7月3日金曜日

歳をとると良いこともある

重荷になっていた事柄が、殆ど同時期になって<解決>する山場を迎えたことが主原因だろう。解決といっても、それによって心の憂いがなくなるような問題の解消ではなく、「これにて一件落着、最早打つ手はない」という意味で最後を迎えたことであり、新たな心配事はむしろ増えたのかもしれない。

とは言え、新しい局面への気持ちの切り替え、日常の実際の生活の転換を余儀なくされたことには変わりはない。丁度、船の右側に山積みされていた荷物が一度になくなり、呆然としている間にも、急に右側が軽くなった弾みで船が大きく左に揺れてしまう怖さが、このすぐ先に待っている感じがする。ブログの更新どころではなかった。

そんな時に朝、まず事務所をのぞくと、Bさんが「**さん、今年もうプールに行きましたか?」と尋ねてくる。プールではゴーグルをつけていたり、いつもは分からないメタボおなかがモロ見えだったり、その反対に引き締まった身体であったり、日頃見慣れている姿ではないためだろうBさんがプール仲間だったとは気づかなかった。

先週の真夏日の昼休み、「こんな日にはプールだな」と時計を見ると既に1時を回っている。休み時間に襲って来た学生への応対に手間取っていたためと疲れのために、今日は結局プールには行けなかった。しかし、Bさんが声をかけてくれたことが嬉しく、これからの昼休みが楽しみになり、元気が出て来た。

職場に知人がふえたのも歳をとった結果だろう。歳をとるのは悪いことばかりではない。

2009年7月2日木曜日

ジジイには盆栽

昨日は僕の誕生日だった。祝う気になれない。世話になった人たちにお礼を言わなくてはならないのだろうが、それもお返しを期待しているようで嫌だ。

昨日、数年前に退職した方の本を古本屋に引き取ってもらった。書棚一杯が何と1万円。そのあたりから憂鬱になってきた。

これはならじと、合間をぬって農場に行った。こういう気分の時には緑に限る。キュウリやトマトが実っている様子、裸になったジャガイモ畑の脇に繁り始め、昨日の雨に濡れ輝いている薩摩芋の葉。気持ちがよい。

話していると、いつも世話になっているHさんは、何と今年度で定年だという。寂しくなる。作業室のある小屋に戻ると、その前に欅などの盆栽が並んでいる。30年にわたって眺めてきた埼玉の欅だ。殺風景な都内に移ってしまった身には、懐かしく見える。「こういうのも良いですね」というと、「欲しかったら持ってって」と言う。「でも、折角ここまで手入れしたのに」と、本当は欲しいのを躊躇っていると、「やるって言う時に貰わないと駄目だよ」と言ってくれる。余程に物欲しげの顔をしていたのかと、少し恥ずかしくなるが、喜んでいただくことにした。嬉しい誕生祝。

2009年6月30日火曜日

見知らぬ人との会話、そして告白


都心に用事があって銀座はPデパート地下のBでパンを買い込んだ。それを担いで蔵前のバス停でサンダルの留め金をなおすためかがんでから背を伸ばした。すると隣の女性から「そのパン、この近所でお買いになったのですか」と聞かれた。「いえ、東京では銀座のPの地下でしか見かけませんが」と答えると、うらやましそうな眼差しで「やっぱりあそこでしか売っていないのですよね」と言われる。

「神戸に本店がある店のようですから」と僕。「しっかりしたパンがわたしは食べたいの。ふわふわした日本のパンは駄目なのよ」と彼女。
以下、湯島で彼女が降りるまでお喋りが続いた。

ええ、そうですね。フランスのパン屋が入って来ても、最初はしっかり焼いていたのが、数年経つとふわっとした日本風になってしまう。僕は良く池袋のNのパンを利用していたんですが、一昨年あたり、例の穀物高騰のあおりを受けたあたりから全然ふわふわになってしまって駄目。どうも小麦が値上がりしたためだけではないようです。

「わたしは、Kなんて良いと思っているんだけれど、菓子パンみたいなものが多くて、日常用のものは少ないし」

そういえば、最近フランスから入って来たチェーンだけれど、Pは結構いいと思います。都内にもいくつか店があるし、一度だまされたと思って買われることをお勧めしますよ。北フランスからフランドル風らしいくて、パリ・ベースではないようです。暫くストラスブールにいた時には、良くそのチェーン店を利用しました。

「わたしはデュッセルドルフに長いこといたんです。だから日本のパンが物足りなくなってしまったみたい」

所詮はパンはあちらの食べ物だから、麦も水も湿度も違う日本では仕方ないのかもしれませんね。この国であっちと同じモノを食べようなんてこと自体が贅沢だと思っています。でも、おいしいものはおいしいから困ってしまう。

「ええ、一度おいしいモノをたべちゃうとなかなか、、、」

こんな調子で話しが進む。なかなか初対面の知らない人とこんな会話はできない。なぜだろうか。歳をとったからもあるだろう。
それより、共に外国暮らしを経験していたからだろうと思う。この20年以上、この日本では初対面の人、知らない人に対する警戒心が高まる一方だと感じる。あるいは警戒心よりも自分が属している協調とワンセットになっている排他が強まっているせいかもしれない。

ところで、村田良平という元外務次官だった方が、5月30日に「共同通信」が配信した「核密約」があったことを証言した元外務次官4人のうちの一人であることを認めたという。米軍核搭載艦船の立ち寄りを日米安保条約上の「事前協議」の対象外とした核持ち込み、沖縄返還の際の核持ち込みや基地の原状回復費肩代わりの密約などについて、省内に文書があり歴代次官が引き継いできたというものだ。

村田さんは79歳。この歳にならないと名乗れないのか。それとも、語っただけマシと言うべきか。

人は一人では語らない。人と語る関係がなくなった時、その人は社会的には死を迎えているのかもしれない。こんなことを考えていたら、ピナ・バウシュが亡くなったという悲報が届いた。

4年前にパリで彼女の振り付けでオルフェオを見る幸運に恵まれた。身じろぎもせずに舞台を凝視した2時間だった。
タバコの吸い過ぎではなかったのか。

2009年6月28日日曜日

平たい関係

引越して来て以来、初めて人に来ていただいて食事を共にした。なぜか女性ばかり。勿論、ぼくが魅力的な男性だからではない。「今度、いらして下さい。一緒に飲みましょう」とか、「丁度、**さんと食べているところですが、宜しかったら混ざって下さい」なんて結果が、そうなった。



きっかけは、ある人から共に蒙った嫌なことの毒気払いだったのだが、他人の悪口を言い合うでもなく、開けっぴろげに楽しい時間を過ごした。女性たちは、わが連れ合いを入れると、およそそれぞれの年齢差が10歳違いくらいだった。それでいてオトコたちの場合なら必ずといってよい程に醸し出されてくる上下感覚がまったく感じられなかった。女性の方が、差別経験の率や度合いが高いからだろうか。うらやましい程だった。

開けた葡萄酒は2本! そういえば皆、専門職についている人ばかりだった。

2009年6月26日金曜日

ジャガイモと手羽先



付属農園でジャガイモを収穫したと聞いて昼の休み時間に出かけて行った。仕分けを手伝って「商品にならない」というチビ芋を2袋も貰って来た。

たまたま手羽先をたっぷりと買っていたので、一緒に煮込んだ。本当は手羽元の方がこの料理には良いのだが、万事安上がりを心がけなくてはならない者としては、「まぁ何とかなるだろう」でやってみた。まぁ何とかなるできばえ。500円の赤と楽しんだ。

2009年6月24日水曜日

多数決の正当性根拠

ある組織の意思決定機関で、そのメンバーの意見が分かれ中々まとまらなかった。遂にある人が「もう時間もないし多数決で決めましょう」と言った。多数決での決定を提案した人は明らかに少数、それも単独少数意見だったので、司会役の僕はこれ幸いとさっさと多数決での表決をした。

ところがその後、驚くべきことが起こった。

「皆が間違えているのにどうしてそれが多数だからといってそう決まるのだ! 自分は正しいことを言っている。何が本当に正しいかが分からないで間違えているのは皆さんの方だ。確かに自分は多数決で決めようと提案した。しかし、だからといって自分の主張を引っ込めるつもりは毛頭ない。なぜなら自分の主張は正しいからだ。正しい主張を曲げることは、自分の良心が許さない。私は決定には従わないで独自に動く」

まあ、少し格好よく言うとこんな理屈で、自らも構成員である代表機関の会議で自らも加わって決めたことに対して、その人は堂々と反対行動をとり始めたのだ。これには驚いた。

しかし、気弱な僕はふと考えた。果たして彼の行動はおかしなことだろうか? 改まってこう問われると、なかなか答えにくいのではなかろうか、等々。

反対行動をとるなら、自分が加わっている代表機関から辞職/脱退する等して外れ、その後に行うのが筋ではないか? まして、自らが提案した決定方法に従って決まったことに対してならなおさらではないか? こんなふうに、これまでは考えて来た。しかし、彼のような頑固真実主義に対しては、こうした考え方は「中味を踏まえない単なる手続き論だ」として粉砕されるのではなかろうか等々。さて、どうなのだろうか。

2009年6月19日金曜日

カラスアゲハと合歓の木




空回りした授業を終えて階段を降りようとしたら、合歓の木の花が目に入った。一年前まで住んでいた団地の隣にもあった。そのときは下から見上げていたのが、今度は上から花の様子を見ることができた。見とれていると、何とカラスアゲハがやってきて密を吸う姿を見ることができた。黒アゲハではない。あの群青色の金属光沢の輝きのある孵ったばかりの夏型の大きなカラスアゲハだ。うっとりと見とれた。



去年のブログに合歓の花について書いたのは7月に入ってからだった。同じ合歓でも咲く時期が異なるのだろうか、それとも今年は暑くなるのが早いのか。

2009年6月17日水曜日

瑠璃タテハ



今年、初めてのルリタテハを見た。

最初に見たのは小学校5年生のときだった。奥多摩の三條の湯から降りて来るときに、ルリタテハの群舞を見た。深い森を歩いていると、樹の間をぬって差し込むスポットライトの中でルリタテハが小さな水場で舞っていた。その時の感動と光景は50年を経た今でも生き生きと蘇る。

その感動の機会を与えてくれたのは、確かにあの金銭的には恵まれていたとはいえ、惨めとしか言いようのない人生の終わり方をした僕の父親だった。とかくに親子関係はややこしい。

2009年6月16日火曜日

先生と呼ばれる程の、、、



「先生と呼ばれる程の莫迦でなし」とかいう言い回しがある。元は川柳らしい。

ときどき学生に、「センセイと呼ばれる職業はどれも評判が良くないじゃあないか。医者、弁護士、議員、そして元祖センセイたる教師。こういう職に就いている人に対して、多くの人が「センセイ」と呼んでいるのは別にその人を尊敬しているからじゃあない。むしろ内心は「こう言っておだてておけばいい気になる莫迦」くらいに思っていたりしながら、適当に使っていると思っていた方がいい。まずは皮肉か褒め殺しのことだと思っておいた方が良いのではないかい」と言ったりする。

すると必ずと言ってよい程に、一定数の学生は嫌な顔をする。そう言えば、先日、小学校での教育実習で子どもたちに自己紹介をする場面を想定して、やってもらった時にも、何人かの学生は最初から「センセイの名前は**と言います」などとやっていた。自らセンセイと称して自己紹介しようとする学生の多くは、自信満々な振る舞い。

自らを先生と呼ぶことは、そういう関係をいわば押しつけることになりはしないか。それ程に君たちは偉いのか? それとも、自分からそう称さなくては不安なのか。この点を尋ねるべきだったかもしれない。

僕自身は、職場では同僚同士でも互いに先生呼ばわりはしてこなかった。かつては学生の前でもそうしていた。ところが、途端にどういう訳か「友達付き合い」を求めて来たりする学生が出て来るようになった。

職場の外では、そう呼ばれたときには勿論お断りするか、知らん顔をする。時々一緒に仕事をする弁護士たちは、互いにセンセイ呼ばわりしている。そんなことでは先ずは法曹数拡大の時代をまともに生き残れないだろう。そうからかうと、嫌われたりすることが未だ少なくない。疲れる。

池田信夫という僕とはおよそ社会的構えや考え方の違う方のブログにも、「このごろは外人も「先生」をつけるようになった。日本の事情にくわしくなると、政治家とか教師とか弁護士とか医者とか、社会から馬鹿にされつつ形式的に尊敬されている職業につける敬称であることを理解するらしい。」とあった。彼が外人なんて書いているところからすると、あるいは「先生」呼ばわりについて気に触るような人は、当今では少し古風な感覚の持ち主であるのかもしれない。新しい先生社会の出現というわけか?

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/05c20e709b62373870e67914aa3c88fc

ところで、先日紹介した学内のあの「お花畑」は、草刈りできれいさっぱりと刈り取られていた。

2009年6月15日月曜日

必要だった4年間か?



遺産分割をめぐって妹弟から出された調停が、ようやく終わるところまで来た。4年越しの終結。
2月21日に書いたように僕のいわば完敗。どうせそのような結果になるのなら、最初から諦めてしまえば、余計に辛く苦しむこともなかったのかもしれない。

しかし、どうやらこの4年間の苦渋は必要な過程だったと思う。自分は自身で思っていた以上にお人好しであることを確認したこと。親子関係の欺瞞に満ち満ちた真実を知り得たこと。その中で自分の抱えている困難に気付かされたこと。金銭が人を如何に愚かにし、また嫌らしくするかの魔力の怖さと、人生の時間の貴重さを学んだこと。そして何よりも、忍耐力など自分自身の人間性がいささか深まったこと。

体重は6〜7kgも減って、総てのベルトは短くせざるを得なくなった。しかし、これはこれで僕にとっては必要な過程だったのだろうと思う。おかげでコレステロール値も減ったし、悪いことばかりではなかった。勝手に「苦悩は忍耐を、忍耐は知恵を、知恵は希望を」とかいう新約ローマ書だったかの言葉を思い出した。訳によっては、この「知恵」とあるところが、「練られた品性」とか「徳」、「練達」とあったりするのだが、元のギリシャ語(?)を知らない。

2009年6月14日日曜日

オトコは辛いか?



一週間たまった新聞を読んだ。
アノ鳩山総務大臣の解任の記事が笑わされた。曰く「自分の信念を曲げたら男じゃない」。
暴言、大向こう受けだけを狙った大口ばかり。彼と並ぶと首相の方がずっと品(スーツの仕立てのことではない)が良く見える程で、端から見ていれば何と劣等感の塊といったご仁だった。それが最後にも遺憾なく発揮された次第だ。

なぜここで「オトコ」が出てくるのか。余程に「男の子なら**しなさい!」とか、「それでも男か!」とか、「男らしく**しろ!」とか長年にわたって教え込まれ、刷り込まれたのだろう。だとしたら可哀想なことでもある。

そう信じ込んでいて、自分だけで悩むなら傍迷惑ではない。ところが、そう信じ込んでいる人は得てして、女性が信念を貫こうとすると、「女のくせに生意気な」とか、「女は愛敬」とか、挙げ句の果ては「女はオトコに従っていればいいのだ」などと、実に傍迷惑なことを喚いたりする。<自分が奉じている信念まっしぐらはオトコの証し・専売特許主義>から、大胆に飛躍した命題を唱えて平然としていることが少なくないのだ。ということは、<信念一直線はオトコの証し>主義と<信念オンナは生意気>は、どうやら一対の命題として刷り込まれているかのようだ。そんな感じがする。

とかく<信念一直線>は辛いことが多い。そこでその辛さを耐えるための補強として<信念まっしぐらは男の証し>主義と<信念オンナは生意気>とがワンセットになる。これが僕の仮説だ。とかくオトコでいることは辛いものらしい。植木等(という偉い方がおりました)じゃあないが、「はい、ご苦労さん」。




空き地にピンクのお花畑が広がっていた。オトコはこんなピンクの花は見向きもしないものらしい。という次第でご紹介。

2009年6月12日金曜日

形にはめるだけ



学内の緑がどんどん濃くなって行く。どうやらこれを見に行くため、その緑の下に立つために行くかのようなことが増えていて少しく憂鬱になっている。というのは、改めて以下のようなことを思い知らされる事があい続いたためだ。

「正解」があり、それを覚えれば点数になる。これが勉強だと思い込んで信じている学生が多い。従って、過去問なるものの傾向を知らせ、それに当てはまる「正解」を覚えるコツを伝えるのが上手な者が「良い教師」ということになる。

何も考えない。ただひたすらに覚える。「それならコンピューターの方がましではないか」と意地悪を言ってやると、「はい、自分たちもそう思います。違いますか」と来る。自らをまるで機械に貶めている。

その結果かどうか分からない。教室に入るなりエアコンをつける。設定温度を見ると23度。2階、3階に上るにもエレベーターを使うことを何とも思わない。4階から降りるのにも勿論エレベーター。”安楽の全体主義”にとっぷり浸かっている。
そして「環境にやさしい何タラは」というお勉強をする。「過去問」にない問題を出す教員は嫌われる。

「勉強」の成果を試験以外の場で生かすことは初めから考えていないか、現場で生かすとしてもそれは覚え込んだ「正解」にあてはめることでしかないと信じて疑っていない。「過去問」にはない事態に遭遇すると分からなくて当然、対処できないのは「習っていないのだから自分の責任ではない」という次第。

それだけなら未だマシだと言うことに最近気づいた。彼らの多くは、そういう「お勉強」で良い成績が取れる者は、「頭が良い」を信じて疑っていないことだ。この傾向は、上位の「成績の良い者」と下位の「成績が悪い者」との二つの端で高くなるようだ。その結果、前者には度し難い傲慢さが骨の髄までしみ込んだりする。これまでにも、「競争が厳しい入試なら、同じくらいの難しさの試験をやりなおせば殆どが入れ替わってしまう。東大なんてその典型だ」等と言うと、まるで自分の全人格を否定されたかのように、「絶対にそんなことはない」と顔色を変えて反論した人に何人も出会った。

後者の場合は、劣等感。最初から「どうせ自分のアタマは良くないんだから」と自己暗示にしっかりと囚われていたりする。「生まれつき良いアタマと悪いアタマがあるのかい。身長差だって2倍の差は例外で、1を標準にすれば大体の者が、0.9から1.1くらいに入ってしまうじゃあないか。そんな親不孝なことを言うものじゃあない」と古風な説教をしたくなる。自ら「どうせダメ」という重りをつけ、どこに行くにもそれを引きずっているから、あるはずの能力も発揮されず、出るはずの力もでない。そして言う;「センセイだってそう思っているでしょう?」。そう言われた僕には、この国に古来からある「先生と呼ばれる程の莫迦でなし、、、」とかいう言葉がなぜかよぎる。

2009年6月10日水曜日

本の処分



隙き間時間をぬって本を処理している。今日は以前に勉強しようとしていたフランス憲法関係の本を棚から下ろした。
社会主義を掲げる左派政権のもとで、憲法がどうなっていくか見たかったのだ。社共の連立政権はつぶれ、僕はフランス語を読む時間もなくなった。それなのに本だけは残ってしまった。

それから30年近くたっている。古本屋に売っても紙くず同然の値しかつかないだろう。なぜしこれまで処分しなかったのか。単に無精だったからに過ぎない。それとも本をもつことに何か特別の意味があると錯覚していたのだろうか。

夕方は梅雨の中休みのような、小さな夕焼けだったらしい。




帰宅が遅れたので、あわてて豚ニラ大根を作った。こいつのレシピは去年5月7日に書いた。
鍋の左にあるのは、使って乾かしたティーパック。鍋や食器を洗う際についた脂をこれでぬぐい去るのに使っている。

2009年6月9日火曜日

梅雨入り



東海地方は梅雨に入った。それでも花の季節。
学内を歩いていたらピンク色のお花畑を見つけた。

誰も見にきているわけでもない建物と建物の間。
園芸種になったものが、何かのきっかけで元の地面に戻ったのだろう。ピンクは少し派手に感じられるが、可憐で何とも心が安らぐ。どうして眺めにくる人がいないのか分からない。

2009年6月8日月曜日

面白い経験をしたと考える



私事にもなるが、この約4年半の間はひどい経験の連続だった。
まさかに還暦を過ぎてからこんなことが立て続けに起こるとは思ってもいなかった。60歳といえば初老である。穏やかな暮らしになって当然と思っていた。今にして思うとそう思う根拠はまったくなかった。

昨年は半年でそれまで30年間以上保ってきた平均体重を一気に6〜7kgも減らしてしまった。おかげでどんな古いズボンでもはけるようになった。しかし問題はベルトで、これが腰の周りをぐるぐる回ってしまう様になった。ベルトとしての用をなさないのだ。

ひどい経験といっても、辿ってみるとその原因は、それぞれなりにずっと以前から準備され、種がまかれていたことも分かってきた。なるべくしてなった。それが一時に集中したから応えた。とはいえ一時に集中したことにはそれなりの原因もあるのだろう。まだその原因までは分かっていない。

「何か悪いことでも私たちがしたって言うの?」と嘆くこともできる。悪いことが連続してやってきたことには相互連関があり、予想の範囲を越え重なってやってきたからには、その原因は自分たちにあると仮定した方が合理的ではないかとも考えたくなる。「悪いことがある時に限って悪いことが起こる」という何とかの法則というやつ。

しかし、まずは「とんでもないこともこの人生にはあるものだ」、「めずらしい経験をさせてもらった」と思うことにした。悪いことが連続して重なったからといって、その原因が自分たちにあると仮定するのは飛躍し過ぎというものだろう。

先週、大収穫した枇杷の樹を見たらみごとに実がなくなっていた。聞くと昨日は鳥が群がるようにやってきていたとのこと。今年は人間殿の勝利。にんまりとした。

2009年6月5日金曜日

世界史未履修問題



中世史を研究している若い方と雑談した。僕はロマネスクの教会建築などに興味があるので、色々と面白い話しを伺った。
そのうち、ついつい共通する仕事である学生教育の話しになってしまった。やはり自分は真面目さから離れられないなあなどと思いながら、あれやこれやと互いの悩みを語り合う。

そのうちとんでもないことが分かってきた。僕が「ウェストファーリア体制といってもキョトンとしている。オスマン帝国もキョトン、ワイマール憲法もキョトン、キューバ革命も朝鮮戦争もベトナム戦争もいつ頃のことか知らない。そのくせ北朝鮮の脅威なんて言っている」等々と、憲法や政治を学ぶ上で、当たり前の前提知識として少しは知っておいてくれないと困る近現代史について学生たちが余りに学んでいないことを嘆くと彼はとんでもないことを言った。「僕のゼミで中世の南イタリアを取上げたんですよ。当時の歴史地図を見せて、“ここにポンペイがあるね”と言ったら、全員がポンペイを知らないんですよ」。歴史学のゼミに希望して入った学生がポンペイを知らないというのだ。

これには仰天した。僕のゼミで尋ねると、「世界史の時間は地理をやっていました」、「カノッサの何とかというあたり迄、やった記憶があります」、「僕のところは、教師が “世界史は広いから、全部やるのは意味がない。ある時代を深く学べば後は自分で学べるって言って、ローマのことしかやりませんでした」などという応えが返ってきた。

そのくせ学生たちに「社会科って学ぶ意味はあるの?」と聞くと、申し合わせたように「過去の過ちから学び、未来に生かす」なんて答えが返って来たりしているのだ。一体、どうなっているのだろうか。

2009年6月3日水曜日

"野生"の枇杷



研究室を与えてもらっている勤め先の建物の入り口に、枇杷の木がある。毎年この時期になるとぎっしりと小さな実を付ける。それが今頃はおいしそうに色づく。下の方にある実は随分に採られてしまった。しかし、最もよく陽があたり、おいしそうに色づいている上の枝にある実は、毎年鳥に喰われるか、雨に打たれて腐っていくかの運命を辿る。

そこで今年は、積極策に打って出た。樹に登って採る。梯子をかけ園芸用の長い枝切り鋏を使って、上手そうなところから採っていくという積極策だ。

昨日、今日とニコニコしながら大勢で収穫した。無農薬にして無肥料。小粒だがそれが実にこくも甘みもありおいしい。そこらの店に売っているものの比ではない。

実にたくさん取れたので、このおいしさを分かち合いたいとばかりに手当たり次第に近くにいる人に持っていった。ところが、そのうち半分くらいの人たちがなんと、「これ本当に食べられるのですか」と言うではないか。これには驚いた。キノコならまだ疑うのは分かる。枇杷ではないか。一体どういうことだろうか。

おそらく天然自然に生えている木の実や草の実を口にしたり、魚や四つ足の動物を食べた経験がまったくないのだろう。食べ物といえば店で売っているもの、それが如何にして店先に並べられるに至るかなど想像することもなく、「店で売っているものこそ食品、食料」だという観念にしっかりと囚われているのだろう。

「それでいい、それでいい。旨いものはこっちでしっかり食べてやるからね」と僕はつぶやいている。ちなみに僕の配偶者は、かつて海辺で小さな蛸を見つけ、僕がそのかわいい姿に見とれていた時、「早く! 袋よ! ふくろ!」と叫び声を挙げた。聞くと捕まえて持ち帰り食べようとしたらしい。上には上がいる。

2009年6月2日火曜日

Wii Fit



家人が Wii Fit なるものを買ってくれた。
そんなもので何ができるのだ、と頭から疑ってかかっていた。大体、大空の下ではなく室内で運動しようということからして気に入らない。何か囚人のような気分になるではないか等など。

ところが、つられてやってみると、これがハマる。「大体、あなたは夢中になると際限なくなるんだから」と言われてしまった程。
ある種の達成感をその都度感じさせながら進めていくのが、ハマってしまう原因なのだろうか。僕はバランス感覚がおそろしく悪いことも分かった。一年前には広々とした河川の土手をジョギングできたが、今は生活にゆとりがなくそれもままならない。ならば当分は Wii Fit のお世話になるかと思っている。

2009年5月30日土曜日

がんばり地獄



ある大労組の新聞を見ていたら、僕が尊敬している湯浅誠さんが次のように書いていた。

「自分より得しているように見える人間が許せず、他人がうまくいかないのを見ないと、じぶんのがんばりが報われたと思えない。
「自分はこんなに大変なんだから、他の奴らはもっと苦しんで当然だ」という感覚から、次つぎに「ずるい」人間を見つけていく”ずるさ狩り”」。

湯浅さんが書いているのは、編集者から聞いた今時の中学生の状況についての感想だ。彼は、こうしたことが生まれている状況を、”がんばり地獄”と名づけた。「がんばれば成功するはず」と言われて、塾や習い事に追われているが、そのゴールがあまりにも遠すぎて、自分がいったい何をがんばっているのか、見えなくなってしまっている状況。これが湯浅さんが名づけた”がんばり地獄”だ。

湯浅さんは、「子供の世界は大人社会の縮図」になってるという。同感だ。

「イジメがあっても「やぶへび」になるから言えない」「誰かがイジメられているのを見るのは落ち着かない。でも、「あの子は◎◎だから、イジメられて当然」と思えれば、良心の呵責はやわらぐ。その(イジメの)理由が、そんなに決定的なことなのかは、それほどじゅうようではない。場合によっては、本当かどうかさえ、どうでもいい」

こうした現象も、「逃げ場がない中で、それでも折り合いをつけていかないと精神のバランスが崩壊してしまう場合」になされる、「ごまかし」の回答ではないか、それは「なんとか自分が悩まなくてすむ」ためのものと指摘する。

彼はこうした現象を、社会の自己責任論の縮図と捉えている。なるほどそうだろう。
ぼくには、しかし自己責任論が前面に打ち出されるずっと以前から職場の至るところ、そして学校教育の場でも広められた業績評価主義がその底にがっしりと根付かされている点に原因を見てしまう。”頑張り地獄”は自己責任論の縮図であり、業績評価主義が生み出した深い傷だろうと思う。

「変な人」「偏った人」「境界にいる人」「困った人」といった人格障害がふえているのも根は同じなのではないか。

2009年5月26日火曜日

妬みがふえる社会

8ヶ月前に越してきた所謂マンションは、二重のオートドアに幾つもの監視カメラ付き、一階は「高級ホテルを思わせるラウンジスペース」と宣伝するがらんとしたロビー、「上質なホテルを思わせるカーペット敷きの内廊下」などなど。都内の足の便の良さ、地べたと樹々はなくても空が楽しめること、専らこれを佳しとし、僕らの趣味には合わない「おしゃれ」さや不相応なご立派さ、それに伴う高価格を精神不安定になるほどに我慢して有り金をはたいた。

その後に国際金融危機が始まり、入居はぱたりと止まって、今でも3分の1が空いたままだ。先日、ふとネットの「マンションくちコミ」サイトを見た。すると、「安っぽい国産ミニカーが、堂々と駐車してあるのがセンスない。マンションの顔だから玄関前の駐車場は、高級車にしないとマンションの品位が下がる」とあった。「高級物件、高額物件には高級車」という決めつけが何とも言えずいじましい。

「買いたいものが高額なら、それを買うには不要な支出を削ってカネを貯める」、これは至って合理的な行動様式ではないか。それとも、殆どの人にとって高額物件や高級車を買うのは、専らそれを他人に誇示するためなのだろうか。

実際の購買力の伸縮とは無関係に、商品情報だけは指数関数的に膨大になっている。不必要だし買えもしない商品についての情報も、手を替え品を替えて洪水のように流れ込んでくる。そして元々はなかった必要もない欲望が新たにつくり出され、肥大化する。「より良い」「より高価な」ものを巡って競争が生まれ、衒示が自己目的化してしまう。

つまるところは自分自身の生活に充足感がもてないからだろうか。持ち物や舞台装置を変えたところで自分が変わる訳ではない。「高級ホテルを思わせる」「上質なホテルを思わせる」、、、まあ、そう思いたいのならどうぞ。「だからどうした?」、そうつぶやくのもつまらない。僕はこれまでのようにありのままの自分でいたいと思う。

2009年5月25日月曜日

集中豪雨型取材?

帰りの道で渋滞にあった。およそ1kmのノロノロ運転。

事故でもあったのかと思っていたら、どうやら事件の方だった。上空にはヘリが2機。そのうちTV用のビデオをかついだ人が見え、横道には警察の立ち入り禁止のテープがちらりと見えた。片側2車線のところに、黒いセダン・タイプのクルマが、殆ど2ブロックもずらりと並んでいる。渋滞になるわけだ。帰宅後、調べてみるとその近くで不審な火事があり、二人の方が亡くなったとのこと。

しかし、その事件があったのは何と夜中の1時頃だという。朝、行きがけに対向車線が普段より少し詰まっている感じもした。それにしても、ひどいのは取材のクルマだ。半日以上は街道の端に止まり渋滞原因になっていたわけだろう。

クルマに乗って廃棄ガスを出している身としては余り大きなことは言えない。しかし、半日も路を狭め渋滞原因を作ってまで張り付いて、一体何様のつもりだろうかと思ってしまう。

北朝鮮の核実験について、まだ落ち着いた取材と分析が出ていないだけに、このような「近所の事件」に集中豪雨型取材エネルギーをかける商業メディアには改めて恐ろしさを感じた。

2009年5月23日土曜日

ベトナムでの自炊

T先生へ

ついに、自炊を始めました!!まだ始めてなかったのか!?とは言わないでくださいね。最初は、けっこうビビっていたのです。私の本性は気が小さいのですから。



そして、買い物を始めると、もっと早く始めていればよかったと思うことがしばしば。まず、食材の名前を買い物しながら覚えられるというのは、これこそ2年留年してベトナムに来た真骨頂!という感じです。おもしろいのは、たとえばナスは「ca↓(矢印は声調ということで)」で、トマトは「ca↓ chua(chuaはすっぱい。なので、すっぱいナスの意味)」なのです。辞書を調べると、トマトはナス科なんですね。おもしろい!!

野菜、魚、肉、果物、米などの主要食材は、ほとんど秤売りです。なので1食分から買うことができます。そして、特に野菜や米は、超安いです。外食よりも、明らかに安くすみます。まあ、日本で自炊していなかった私なので、料理の本を買って、少しずつレパートリーを増やしていこうかなと。

調味料に関しては、種類が多すぎて、これは経験者に聞かないと、ちょっと分かりません。特に、魚醤(ヌックマム、ベトナムの主要調味料)は色んなのがあって、味も様々で、どんな料理に合うのか、一番オールマイティーなのはどれか、見分けるのがなかなか大変です。まあ、ちょっとずつ試していくしかありませんね。ライスペーパーなどは、日本ではあまり見かけないのですが、種類も豊富で、安い!

買い物をしていると、たまに日本語を見かけるのも楽しいです。たまに不自然な日本語もありますが。ああいうのは、誰がつけているのでしょうか。

間食は果物にしています。日本ではめちゃくちゃ高いパッションフルーツや、ほんとんどみかけないドラゴンフルーツ、ジャックフルーツに、とげとげのドリアン。もはや見たこともない果物。おなじみのりんごや、なし、ぶどうなども、もちろんあります。

ついに冷蔵庫を使い始めたので、写真を添付しますね。使えるようでしたら、ブログにどうぞお載せください。そして、誰かベトナムに来ないか、誘ってみてください。あ、もちろん総選挙終わってからですよ。



左下から:ドラゴンフルーツ
     マンゴー
     オレンジ
右上から:鍋物
     リンゴ
(リンゴの後ろ)パッションフルーツ
     オレンジ

岡田かと思っていたら、鳩山でした。小沢院政が危惧されていますが、それよりも政策論議をしっかりしてほしいところです。戦後日本政治初の政権選択選挙です。ああ、不在者投票はどうすればできるのでしょう。棄権なんかしたら、一生後悔しますよ・・・。私の勝手なポイントは、経済では外需頼みの小泉・竹中路線から、どう路線変更するのか。社会福祉では、セーフティーネットをどう構築していくのか。政治では、この数年の茶番政治をどう変えていくのか。政策決定のプロセスにおける、審議会制度もどうにかしてほしいところです。外交では、アメリカ追従をまだ続けるのか。中国を筆頭に、アメリカ離れがあからさまになってきている中、少しずつでもアジアでの関係作りを密にしていかないと、そう遠くない未来、知りませんでしたじゃすまない状況になると思ってしまいます。

と、日本ばかり。あ、最近、ベトナムの新聞も買い始めました。もちろん、ほとんど意味不明ですが、写真もありますし、少しずつでも目を通そうかなと。その内、ネタがあったらお知らせしますね。

少々、長くなりました。では、また。お元気で!

2009年5月22日金曜日

改憲どころではないか?

先日、総選挙後に鳩山民主党連立政権ができた際には、政界の再々編が起こり、またぞろ明文改憲派が分立して来る。行き詰った社会状況の如何によっては、その閉塞感を改憲によって打ち破ろうとする可能性が出てきたのではなかろうか等と危惧した。しかし、少しばかり最近の民主党に関する報道を見ていて、やはりそんな可能性は低いことを再確認した。

民主党は先の参院選挙で、「国民の生活が第一」を掲げて勝った。それでも一般民衆の生活はさして良くなっていない。企業の業績なるものも「下げ率」が弱まったに留まり、全体として下降傾向にあることには変わりない。株価が多少もち直していることから将来への期待感が上向きになっている人も少なくないようだ。しかし、小泉改革を通して生じた大きな社会格差と貧困が、解消の方向に向かっていると感じている人は少ない。

どうやら鳩山は、「友愛社会」なるものを掲げて党首選挙で勝とうとしているらしいが、その内容は到底、ここまで進んだ社会の貧困化と全国を覆う格差を解消していく方向に向かわせるものとは思われない。

◎ 政治家主導の予算編成、企業・団体献金の禁止、 ◎ 「後期高齢者医療制度」の廃止、 ◎ 介護労働者の待遇改善、 ◎「子ども手当」至急、高校の無料化、 ◎失業保険強化と求職者支援制度新設。

正面から失業者、非正規雇用の生活を救う提言がなされているとは思われない。
「それでも自公よりまし」、「この程度なら財界も受入れるだろうから実現可能性がある」として民主党に投じる人は増えるではあろう。しかし、衆院の自民303、公明31の巨大な多数派を過半数割れさせるには、双方から93はもぎとらなくてはならない。民主単独での過半数には、現在の112議席の倍以上241が必要だ。

参院は民主118 vs.自公113。多数とはいえ議席差は少ないから、国民新党や社民との連携が始終問題になる。夏の衆院総選挙でも民主党は第一党になれたとしても単独過半数には遠く、連立が必要にならざるをえないだろう。そんな時に、敢えて改憲についての連立、しかも改憲発議につながる3分の2にどうしても必要となる自民との大連立は、部分的にでも可能となるだろうか。

あり得るとしたら、やはりソマリア海賊対策のような個別課題での大連立の積み重ねであり、その当面の大問題はオバマ政権に迫られているアフガン派遣、つまるところ自衛隊派兵だろう。

明文改憲のシナリオは当分は息を吹き返さない。しかし、海外での武力行使の事実上の拡大へ向かう動きは、民主党首班の政権交代があってもなくならないと思う。

2009年5月19日火曜日

嫌な予感

民主党の代表に鳩山がなった。総選挙で単独過半数を取れないにしても、民主党を中心とする連立政権が生まれる可能性はあるのだろう。
各紙の世論調査では、軒並みに鳩山民主党の支持は上向きになっている。

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2009051990070618.html

しかし、改憲問題を追いかけてきた僕には気にかかることがある。
鳩山は一貫して改憲議連の主要メンバーであり、また、04年の12月には改憲諸党派による新憲法構想キャンペーンのまっただ中で、「新憲法試案」なるものを打ち出している。今もその立場は変わっていない。

総選挙後は、自民党の片割れも含む連立にならなくても、憲法審査会の活動が始まるだろう。社民党も民主党と選挙協力をしている。世界金融不況のあと、日本でも失業は減っていない。30代の自殺は過去最高の5千人に近づいた。「改憲どころではない」と考えるのがまともなところだろう。しかし、その中味も知ろうともせずに「構造改革」(これは50年代には左翼の言葉ではなかったか)やら、「郵政改革」が圧倒的に支持されたのは、つい数年前のことだ。宣伝の仕方次第では、あたかも万能の特効薬、最強の切り札として明文改憲カードを切るシナリオが急浮上して来るのではないか。そんな予感がよぎったりした。

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53年の妙義基地反対闘争のど真ん中にはこの高岩があった。現地再訪問し緑の中に聳える岩山を眺めた。

2009年5月14日木曜日

問題そらし



何とか言う官房副長官が辞任した。

豚インフルエンサ問題の最中に責任者としてスタンバイしていなかった。個人の旅行に国会議員パスを使った。
これは問題になるだろうし、辞任ものだろう。

しかし、各紙の報道には、妻以外の女性と外泊したことが挙げられている。これはは辞任理由となるのか。好ましいことではないと思う人もいるだろう。褒められたことではないかもしれない。だが、自費で一人山奥の温泉でのんびりしていたのだったのなら問題はなかったのか。

要するに高位の職にありながらその責任を果たす態勢になかったこと。そして、公私混同。これが問題なのであって、男女関係はこの問題の核心にはない。敢えて男女関係を持ち出すのは問題の在処を逸らすために行われているのではないか。

2009年5月11日月曜日

外国人でいること



本を返しに大塚公園にある小さな図書館へ行ったら、広場でクリケットをしている若者グループがいた。ルールを知りたかったので、暫く楽しそうな様子を眺めていたが、良く分からない。

インド・パキスタンあたりから来た方たちだろうか。そういえば、この辺りにはカレー屋もめだつ。「外国人がふえると治安が悪化する」という人が少なくない。しかし、外国に行ったときにまず感じる事は、「自分は外国人であり、この国の人より保護されているとは言えない」という感覚だ。現に日本では国籍保有者には求められない身分証明書の常時携帯が求められ、それを持っていないと注意されたり科料に課されたりする。つまり、いつ何時に警察官から呼び止められるか、常にある程度の緊張が強いられているのだ。

以前、イタリアでフィレンツェから、アペニンの山の奥にあるロマネスクの小さな教会を訪れた時、人通りもない山村の途でカラビリエーレに身分証明書の呈示を求められたことがあった。イタリア語の練習にと「僕は外国人登録もし、当地に何ヶ月も暮らしているが、身分証明を求められたことは未だかつて一度もなかった。なぜなのか」といった趣旨のことを尋ねてみた。下手くそなイタリア語をつぶやいたことが却って彼らの警戒心を高めたらしく、「我々にはいつでも怪しい人間に身分証明を尋ねる権限がある」「拒否するなら身柄を拘束する」とか脅しめいたことを言う。

他に人が見ている訳でもない所で、力づくでやられるのも嫌なので、レンタカーの証明から洗いざらいを並べて身分証明に換えた。最後は握手でバイバイ。

ところが同様のことがフィレンツェの空港でもあった。明日、やってくる友人を迎る下見に空港構内を歩いていたら、同様に身分証明を求められたのだ。この時も前回の味をしめて話す練習とばかりに、「なぜなのか? そのことを求める法的権限は何か? 私には呈示する義務がどこに定められているのか?」とやった。今度はまずかった。署長室まで引っ張って行かれて、署長御自らの取り調べ。そこでも、「仮に取り調べ権限があっても、彼の行い方は恣意的である。他の旅行者をさしおいて、善良な旅行者に過ぎない私を拘束し、取り調べるのは許されないのではないか」と言ってみた。どうやらこの「恣意的」という、いささか法律に独特の言葉を使ったのがいけなかったらしい。この野郎いい気になっているな等と日本語でつぶやいていると、「お前は英語を話せる弁護士を必要とするか」と返してくる。「日本語の話せる弁護士でなければ意味がない」と答えると、連行してきたポリさんが、「彼は完璧なイタリア語を話すので通訳は必要ない」などと口を挟む。

後にも先にも「完璧なイタリア語を話す」などと褒められたことはこのときだけ。思わず笑ってしまったら、急に突っ張るのがバカらしくなった。研修先の大学の事務に連絡をとってもらい釈放。この間、何と一時間。

なかなか外国人でいることは面倒なことが多い。ましてや排他性の強いこの国ではそうだろう。楽しそうにクリケットをやっている若者を見て、ほっとし嬉しくなった。今度は仲間に入れてもらおうか。

2009年5月9日土曜日

希望



人はなぜ望みをもつのか? 意識をもった人類は生き延びるために、そうせざるを得なかったのだという話しを聞いたことがある。客観的に見ればどうしても悪い可能性が高い場合ですらも、「もしかしたら」と希望をもつことは屢々ある。処刑場の死刑囚ですら、「この瞬間に特赦の連絡が来る」と思ったりする。篭に卵を入れて市場に向かう女の子は、「もし、この卵を**と交換できたら」と想像し、さらに「**と交換できたら、今度は**と交換しよう」と夢を膨らませる。

報道によると、30歳代の自殺が約4800名と過去最高になったそうだ。警察統計に載らずに死んで行っている若者も少なくないだろう。むごい。人生のカウントダウンを始めている僕でも、希望ばかりはまだまだ大きすぎて自分で持て余している。これは能天気だけのことだろう。僕自身がそんな調子だからか、若者の自殺増報道には胸がうちひしがれる。

2009年5月6日水曜日

私生活の平穏

ご近所になった自信過剰気味の「困った人」から、電話で一方的な「問合せ」が急にかかってくる。普段から早口で何を言っているのか聞き取れないほどの人なのだが、問いに答えて話し始めると遮って「それって**っていうことでしょう! 何でですか?」と畳み掛けてくる。「いま説明し答えているところです」と言うと、「いつもあなたはそう言って誤摩化す」と言った調子。「電話では言った言わないになりかねないから、電話ではあなたとはお話しできません」と言うと、「では、これから直接会って話しましょうか? そちらに行ってもいいですよ」。「私には私の生活があります。これで失礼します」といって電話を切る。

すると間もなくまた呼び出し音が鳴る。無視すること数回。今度は、そのご家族がかけてきて留守電に「またかけます」のメッセージ。これで終わったかと思ったところ、今度は玄関のチャイムが鳴る。静かな夜は台無し。

僕の知っているフランスの大都市圏では、ベルを鳴らしたのが知人であっても、予めアポがない時にはドアを開けないのが普通だった。電話が鳴ったからといって受話器を取る義務がないのと同様に、私生活の平穏を守るには、こういう対応をすることは当然視されているようだった。

「一寸出かけてきますから」と隣に声をかけるだけで、鍵もかけずに出かけたり、玄関ではなく庭先に回って縁側から「今日は!」なんてことが、つい数十年前まであった(今でも大都市以外の地方によっては?)この国では、こういう対応をとることは寂しい、冷たい付合い方だと非難されるのかもしれない。しかし、今回のことを通してこの国でも、私生活の平穏を飛び越して、安全のためにもこうした対応をとることが必要な時代環境に入っているのかなあと思った。

今朝になると、実に些細なことをあげつらう内容の「手紙」らしきものがポストに入っていた。「8日までに答えて欲しい」とこれまた一方的なご注文。参考になる経験や情報をお持ちでしたら、どなたか教えて下さい!

2009年5月5日火曜日

ベトナムからの楽しいメール

ベトナムに来て、はやくも2か月がたってしまいました。あまりにも慣れすぎてマンネリ化です。余裕が出てくると、ふと気付いた時に、自分がベトナムにいることに違和感を感じてしまうときもあります。普通に歩いているけど、まわりの文字が全部ベトナム語だ!って^^;

授業の方も、後期(ベトナムは年度が9月からなので)の3分の2が終わってしまいました。もうすぐ、夏休み・・・。ああ、どうしましょう。自転車とかでベトナムでも回ろうかなと。まあ、お金と相談です。

雨季の頭に入ったのか、1週間の半分以上雨が降ります。これまでは、にわか雨の集中豪雨だったのですが、最近は1日中グズグズの空模様というときもあります。

テレビを見ていると、ベトナムの首相だか、誰かが、日本を訪れていました。日本のニュースでは取り上げたでしょうか。

ベトナムは4月30日が終戦記念日か何かで、その前後が連休です。大学もお休み。町中を歩いても、店が閉まってしまい、さみしい連休です。学生の多くも、実家に帰っているようで。学生は、結構な人数が、北部や中部から来ていて、最初はコミュニケーションが大変だったそうです(北部、中部、南部では発音が異なるので)。

学生と仲良くなるのはうれしいのですが、距離感が難しいです。誘いを断ることもしばしば。ここらへんは、教育学部っぽいですかね。といっても、多くのことで助けられています。

ニュースを見ていると、日本も大変ですね。教育関係でも、犬山市の全国学テ参加。七生養護学校の性教育や体罰に関する判決。政治にいたっては、、、太郎さんが、少し元気になったとか。高めあいではなくて、低め合いですね・・・。人工衛星だか、ロケットだかも通過したようで。あ、ホーチミン市は空気が汚すぎて、まったく星が見えません。南部のメコンデルタか、北部の山岳地帯に行ってみたいところです。

では、お体にお気をつけて。また。



<僕からの返事>

メールありがとう。

そうあの年の暑いほどの陽気だった4月30日を思い出します。

5月になったばかりなのに「もうすぐ夏休み」というのは、まるでフランスやイタリアの人たちの感覚ですね。こちらはあと3ヶ月。やっと学期も軌道に乗りかかり、これからが本番というところです。でも夏休みが待ち遠しい!

自転車で回ってみようかという発想は、流石に君ですね。うん、ぼくも若ければきっとそうするなと思って、にやりとしました。二十年前の予定では、定年後はヨーロッパ、次いで70歳を越したら朝鮮半島から中国を自転車旅行する筈でした。しかし、体力的には未だ可能でも(そのための筋トレ!)、どうも政治社会状況が怪しげですね。あこがれに終わるかもしれない。

学生と仲良くなり、誘われることが多いのは素敵ですね。この歳になってつくづく思うのは、人の繋がりの大切さです。「断ることもしばしば」なんて、もったいないとうらやましくなります。

この国の政府は、未だにNK脅威論を盾に米国の「日本離れ」を何とかしようと躍起になっているようです。小沢が辞めない民主党に無党派層は白け始めています。バラまき給付金を当て込んだ1万2千円商品の宣伝、裁判員制度開始を直前にしての「今頃になってやっと分かったのか!」といった記事、海賊対策派兵法への支持増大になす術を知らない平和運動、失業率増が加速しているのに静かなメーデー、深夜の公園での草薙何とかの裸踊りを一面トップにする新聞。まあ、のどかなものです。