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2008年10月26日日曜日

ヒラタケ?



勤め先の木工作業室の外にある丸太に立派なキノコが生えて来た。
暫く成長を見ていると、僕にはどうしてもヒラタケに見えてくる。
食べたい。そのことを言うと、殆ど誰もが一歩退いて「毒じゃないですか」と言う。
しかし、余りに立派なので、僕はスーパーの袋一杯分を収穫して、調べることにした。



ところで僕はこの半年余りで、20年来保っていた平均体重56〜57kgを51kgを割るまで減らしてしまった。
おそらくはストレスによる減量で、けっして筋トレによるものではない。コレステロール値も激減した。良い気になっていると健康診断で「精密検査をしろ」という医師の指示が下された。この年齢になるとつい万一を考える。そして、それならば怪しげなキノコを食べるのも良いのではないかと飛躍してしまう。相変わらずのアホだと我ながら思う。

2008年10月8日水曜日

ゴミ



引っ越したアパートの間取りは、3LDKということになっている。友人に気軽に集まってもらえるようにするため、居間(LDK)部分の広いアパートにした。すると当然に、私たちが買える広さのアパートだと、他が狭くなる。連れの部屋も私の部屋も、まるで宇宙船のカプセルのように狭い。机と椅子、本棚、ベッドだけで室内は一杯になり、その合間を身体を横にしたり斜めにしたりして目的の所まで辿り着く。

本を減らさなくてはならない。
ある程度は減らさなくてはならないことは、引越前から分かっていた。しかし、飾りのために買った本はない。仕事のため、また何回か読むためのものが大部分だ。それでも減らさないことには、人間的生活ができる空間が作れない。辛いとしても、図書館に頼ることを基本にする程の大転換が必要になる。

しかし、引越で驚いたのは本ばかりではない。未だ使えるが陳腐化したために捨てざるを得ないものの膨大さだ。流行遅れになった衣類くらいならまだ分かる。例えば、カセットテープ。20代にはベートーヴェン、30代にはモーツァルト、バッハ、それ以降はバロックなどの古楽。段ボール箱二箱。次いでCD。これまた段ボール箱1箱半。おそらく今では、その大部分はインターネット上でアクセスできるだろうし、そうでなくても電子情報かしてとっておけば済むものだ。

幸いに私はLPは数枚しかもっていない。戦前にSPで集めていた人の悲哀は知っていたが、それほどに投資していなかった私自身についても同様のことが起こるとは、PCが生活の中に入って来ていながら分かっていなかった。

そのPCそのものについては、もっとグロテスクな問題がある。最初に買ったNECの98だったかが最も高かった。処理速度も遅く、容量も小さい。5インチのディスクに何枚記録したことだろう。それが3.5インチのディスクになり、そして今では小さなメモリーになっており、その容量も価格も指数関数的に安くなっている。当のPCの処理速度や容量は10年前とは比べ物にならない。

となると、以前のPCは未だ使えても、またサポートがあってもゴミになる。途上国に運ばれて使われるとか、内部に使われている希少金属を再利用しているから「PCを大量に廃棄し続ける都会は希少金属の大鉱山だ」なんて云う人がいるらしいが、どうもうさんくさい。必ず自然界に還元できずに残るゴミがある筈だ。

そんな大量生産・大量消費を余儀なくされている我々の生活。産業革命以前に戻るべきではないか等とふと思ったりしてしまう。