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2008年8月30日土曜日

引越しと別れ



本の整理を始めたのは、近いうちに都内に引っ越すことになったからだ。

住まいは狭くなるため、色々な物を捨てなくてはならない。場所をとっている本は勤め先の研究室に一時的に避難させ、退職までの数年間で見通しを付けることにした。やっかいなのは、それなりのカネを工面して買ったいくつもの家具を処分しなければならないことだ。もっとも、よくよく見ると、人に残すようなしっかりした出来のものは殆どない。「長年世話になりました」と別れることにした。

辛いのは、自分自身にかかわる物である。色々なな記憶がまざまざと甦ってくる細々としたものども。懐かしさ、楽しかった時。物を捨てたからと言って思い出がなくなるわけではない。とは言え、まだ気持ちの整理のついていない思い出も少なからずある。辛い。そして、それだけではない。「どうしてこんな物をとっておいたのか」「そのうちやろうと思っていたものがこんなに」、それらの物が放って置かれた時間を考えると、痛烈な批判が突き刺さってくる。

そして第三には、これからの人生のことだ。やりたいこと。まだ、やるべきと考えていること。それだけでも随分に広く多い。この歳になっても少しも諦めていない自分がある。しかし、冷静に考えれば、残された時間にできるであろうことは厳然と限られている。「そんなものまで抱えていたら結局何も出来なくなるよ」と、賢い我が連れ合いは強く言い放つ。そうだろうと思う。問題は、これからの人生で、いったい何をすることができる条件をあるのかの見通しが付けられず、また本当に何がやりたいのかを決断することができていないことあたりにあるのだろう。

2008年8月18日月曜日

昨日の続き

61年名古屋市立城山中学校の生徒手帳続き

「生活の目標」
◎ わたしたちの学校と仲間を愛そう。
◎ わたしたちはつねに「なぜ」と考えよう。
◎ わたしたちは実行する勇気をもとう。
◎ わたしたちは生きた学習をしよう。
◎ わたしたちはねばり強いからだをつくろう。
◎ わたしたちはひやかしやかげ口をやめよう。
◎ わたしたちは自分の行動に責任を持とう.
◎ わたしたちは はたらくことによろこびをもとう。

この第2項、第3項を今、公然と掲げている公立の中学校がこの国にどれほどあるだろうか。

「礼儀作法について」
これも前文の視点が良い:

礼儀作法を知らないということは、自分の品位をおとすことです。
りっぱな社会人として独立できるように多くの人から信頼を得られるように努めましょう。

1〜8はまあどこの学校でも書かれていそうなことだ。ところが、最後には、

9.討論,その他 話し合うときは、他人を意見をよくきき、静かに正しく判断し、また自分の意見も正しく発言しましょう。
自分の思っていることをそのままいえるということが人間として一番ねうちのあることです。

教育学部で教員をやっているせいか、ため息が出てくる。

2008年8月17日日曜日

戦後民主主義教育

余儀ない事情があって、書籍を含め持ち物の処分を始めた。
これは今後の人生をどう送るかの覚悟を決めていく過程の一部でもあるのだろうが、まずはこれまで自分が送ってきた人生と向き合う作業であって、実に精神的負担が重く大きい。作業は同時に本やノート、ファイルの山を動かしたり、あれこれのガラクタを引っ張り出す肉体作業でもあるので、この暑さには体力面でも厳しい。

そんな中で、中学校時代の生徒手帳が出てきたので、つい中を見てしまった。

開けるなり「わたしたちは、こんな人間になりたいな」という文が飛び込む。

生徒も 先生も 男の子も女の子も
正しいことは 正しいと
美しいものは 美しいと
ほんとうのことを 話し合いたい
困ったときは しかたがない
苦しいときは 誰かがやるさ
こんな気持ちをすてきって
みんなで 一人のことを考え
ひとりで みんなのことを思い
血のかよった 仲間になり
きょうを せいいっぱいくらし
誰も彼もが「生きていてよかった」
と言える 社会を作る。
わたしたちは
    こんな人間になりたい

名古屋市立城山中学校の1961年の生徒手帳だ。

あわてて高校のときの生徒手帳(何と物持ちがいいことか)を見ると、これまた冒頭に教育基本法の第3条までが掲げられている。
殆ど目頭が熱くなる思いだ。

実にぼくたちは戦後民主主義教育の申し子だったのだと思う。そしてそれを誇らしく思う。