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2008年6月30日月曜日

落書き



腹が立つことばかりが多いと、より大きな問題よりも、つい身近な腹が立つことに文句が言いたくなる。事柄の重要性よりも、腹立たしさの鬱憤を晴らすことが大事になってしまうと言う転倒だ。疲れているせいか、大きな問題に立ち向かう気力が湧かない。

身近かというとキザに聞こえるかもしれないが、イタリアはフィレンツェのドゥオーモの日本人落書きには、ぼくの隠された国粋主義は大いに刺激されて腹が立った。僕はドゥオーモから目と鼻の先のサンタ・エリザベータ通り*番地にある、おそらく15世紀の建物の最上階に「お前がくればいつでも泊めてあげる」部屋がある。ドゥオーモの前は90年代にフィレンツェに時々通うようになっていつも歩くご近所だ。昨夏には、古いパンダ(フィアット600です)で、コルソ通りからサンタ・エリザベータ通りに右折し、有名な5つ星ホテルの前の小広場で方向転換して裏の小広場に駐車し、またオッキ通りを抜けてストゥディオ通りを左折、ドゥオーモの前を通ってチョンピ広場まで運転するなんてこともした。

という次第で、この事件には「世界遺産」破損という以前にアタマに来た。「市庁舎の窓から逆さ吊りにしてしまえ」とか、「外壁清掃の一年間無料奉仕活動だ」とか、ついカッとなってしまう。日本には千社札というものもあるではないか。デザインが悪い千社札を、アホなところに貼るほど野暮なことはない。千社札を断る寺社も増えているが、あれはあれで貼る方にも何がしかの緊張感がある。ドゥオーモの落書きには何の緊張感もない。しかも、最初から油性ペンを持って行っているというのだから、こりゃあ「市庁舎の窓から逆さ吊り」が相応しくはないか。

2008年6月28日土曜日

銘木なるもの

大勢のお客さんに来てもらえるように、大きなテーブルを作ろうとしている。きれいな天板を探しているのだが、木はそれぞれに個性があり、それぞれに美しく選ぶのに困る。そこで、一体この東京の木材市場にどんな木々が出回っているのかを、その概要だけでも知ろうと、延々と新木場まで行った。

まずは、到着するまでが大変だった。海なし県から都心を抜けて海まで出るのだから大変なのは仕方ないのだが、それにしても遠かった。次に呆れたのは、この世には銘木と称するそれ自体の希少価値で商品価格を張り合っている木材が山のようにあるという事実だった。ぼくは、ただ美しいこと、それが使われる場所に合っていること、使い方に調和していることばかりを考えていた。

それが、銘木店や材木店の多くでは、只々どでかいこと、姿形が奇抜で珍妙なこと、奇天烈であることだけが取り柄であるような木材が、「他には決してない」「こんなものは滅多に無い」という希少性だけが理由で驚くような値段を競い合っているのだ。それ自体は美しくも、調和がとれている訳でもないのに、一体、そんなものをどこで使うというのだろうかと思わずにいられないような珍材、奇材が威張りくさって鎮座ましましているのだ。

どんな木材でも、それは野山の大地、地面に生育していた樹々を人間が切り倒すか、それが生命を閉じることによって初めて人間が加工して利用する材料になったのものなのではないだろうか。生きていた樹々、その木目や歪みに刻まれた生育の印。それに接するだけでも利用する人間の気持ちは謙虚になり、今では材木と化した樹々を通して自然との営みに思いを馳せるのではないだろうか。銘木なる存在には、そうした謙虚さがどこにも感じられない。

2008年6月26日木曜日

上松技専


無垢材の大きなテーブルが欲しくて先日来探している。
その中で、当然のことながら材木屋さん、銘木屋さん、家具屋さんに行き、いろいろな板や木工作品に出会った。さまざまな木材、そしての樹々の表情の違いに圧倒されている。ともかくおもしろい。小さな皿や指物、そして椅子や棚だと自分でも作ってみたくなる。

そうしてあれこれ探していたら上松技術専門学校に出会った。2年間。木曽の麓だからかなり遠い。しかし、環境はいい。しかも教えてくれる内容は木工と木材工芸の全般の基礎である。こんなところで勉強ができたら良いとつくづく思う。とは、若者の学ぶ場を老人が占領するのは罪である。しかし、夏だけの集中講座とかで数年かけて学ぶことはできないだろうか。

http://www.pref.nagano.jp/xsyoukou/agegi/index.htm

2008年6月24日火曜日

ねじ花



気がついたらネジ花の季節になっていた。





図書館前の芝生の中に花盛りだった。


2008年6月14日土曜日

久しぶりの音楽


一年半ぶりにバッハ・コレギウム・ジャパンのブランデンブルグを聴きに行った。
直の演奏はやはり良い。テンポが早かったのは少し不満。間違えもせずこんなに早く弾けることを誇り合っているほどの感じ。第5番ではヴァイオリンがこの早さに抵抗していたようだ。
昨日、今日と25度をこす夏日となったらしいが、会場は冷房が効き過ぎて二階でも寒くて適わなかった。

この半年でどうも5Kgも体重が減っていることも影響しているのかもしれない。

2008年6月7日土曜日

年輪を刻むということ



無垢の天板の大きなテーブルがほしいと思う。大勢の人に来てもらい、そこで飲み食いし語り合えるようなゆったりと大きないテーブルである。歳をとるに従って自然が創り出したのものへの愛着が強くなっているのだ。

もう我々も60歳を過ぎているのだから、こうした贅沢も許されるだろう等と勝手な言い訳をしながら、探し始めた。案の定、困ってしまうほどに様々な樹木があり、しかも一枚一枚の姿形が違う。今日は和光の裏街道に面した「初雁」という木工屋さんにお邪魔して、色々な板を見せてもらった。実際に見ると写真では分からない表情の違いが分かってくる。一枚一枚が、後にも先にも自分しかないという個性を訴えてくる。写真見本を見ていたときには、単純に整った木目のものに惹かれていたが、節目があったり波打った光沢をもつもの等を見ているうちに私の注意の向きはまったく変わった。

http://www.hatukari.co.jp/furniture/goods/17.html

どれかに決めなくてはならないとしたら、当然に迷う。この世界でも多くのHPがあり、そこには数えれば何千という天板の写真が載せてあるだろう。そのすべてに会うわけには行かない。多くのものを見れば当然、「あれにしようか、これにしようか」の迷いが出てくるだろう。優劣の序列がつけられないさまざまな個性の世界。どうやらこれは出会いの世界であるようだ。そうであるならば心は自然に、この樹はいったいどこに生えていたのだろうか、人々にどのように眺められてきたのか、そしてどうして伐採され、どのようにしてこの板になったのだろうか。そんな一枚一枚と一本一本の人生と経歴を知りたくなる。「ああ、そうしてここにいるのですか」と、ここまで分かってから「そういう経緯なら私とここでであったことも分かります」と得心でき、「ではこれからは一緒に過ごして下さい」と言うことができるようになる。

その年輪、木目がただ面白いとかきれいだとかいうことだけでなく、そこに現れたさまざまな表情が分かり納得できたら、それが出会いというものになるのかもしれない。夏までにはあつらえたい。また週末が忙しくなった。

2008年6月4日水曜日

木を切る



今住んでいる団地に住むようになって25年以上になる。
約20年前だろうか、まだ殺風景だった団地の周りの植え込み部分に柑橘類の苗を植えた。冬から春にかけて食べるハッサクや甘夏の種を蒔いていて、それがベランダの鉢で育ったものだ。地面に降ろすとそれは随分に大きくなり、5年以上前から実をつけるようになった。何とレモンである。肥料もやらず、大して剪定もしないので実がならない年もあった。その間にも植え込みには丈の低いツツジ等が植え込まれていった。ツツジばかりの植え込みの中に3mにはなるレモンの木がある光景は、ちぐはぐといえばちぐはくだったかもしれない。しかし、自分が植えたこともあり、見るたびにそっと挨拶するような木であった。

それが根元からバッサリと切り取られていた。どこに持ち去られたのか、枝の一本、葉の一枚も残されていない。新しい切り株が無惨にこちらを向いている。それを見たとき、私の身体のどこかにバッサリと切り取られた感じが走った。野蛮。

一年前にも団地の隅に育っていた5mはあった大きな夏みかんの樹が切り倒された。あれだけの緑とさわざわと揺れめく枝、葉の輝き。それがバッサリと根元から切り倒され持ち去られてしまう。10年以上もかかって大きくなった木だ。それを一瞬にして殺す。後にましな木を植えると言う訳でもない。何とも野蛮なことで胸が打ちひしがれる。

2008年6月3日火曜日

ヘアー・スタイルの自由



今日は、教育実習の準備にかかわる2コマ特別授業をした。

「社会科は必要なのか?」、「社会科の授業で何が大切なのか」といった問題について、グループ討論を入れながら考えた。振り返ってみると予定した課題が2コマに納めるには多すぎた。しかし、学生諸君は実に真摯にぼくの問題提起を受け止めてくれ嬉しかった。時間枠の見当を間違えたのは失敗だったが、大多数に問題を受け止めてもらえただけでも全体として成功だったと思う。

ところが驚くことは授業の後にあった。男子学生がよって来て「ピンクのネクタイで教育実習の参観に行っていいですか」と尋ねてくる。へぇ! さずが若者!、しかし君にピンクのネクタイが似合うのかなあと内心思いつつ、「ネクタイして行かなくてはならないの」と聞くと、「そうしなくちゃならないらしいんです」と言う。「どうして?」と聞くと、「ちゃんとした格好で来いっていうことです」。6月の当地でネクタイでもあるまいと、つい「ネクタイの本家の欧米では、改まったときには蝶ネクタイらしいぜ」と言ってしまう。「それはないっすよ」と言うから、「つまり、何とかの一つ覚え。ネクタイでも何でもいい、”疑問を持たずに右へ倣え”、これが要求でしょう? そんなことで(子とも達の)自ら考える力を培って行くことなんかできますかという問題。悩んで下さい」と突き放した。

ところが、続いて女子学生がやってきて、「このアタマで行って良いですか」と尋ねる。僕はきょとん。「えっ! なぜ?」と聞き返すと、「染めていて、、、」と口ごもる。そう言われて見れば確かに少しこげ茶色がかった部分がある。「それは君の好みだろう、、、それに**学校の教師だって白髪を染めている人はいるんじゃないの?」と応えると、「黒い髪で来いって言われるらしいんです」とのこと。横で聞いていた男子学生が、「で、俺はこんななんで丸刈りにするしかないかなと思っているんですけど、どうも丸刈りもやばいらしいんです」と言う。見ると、これは明らかに「そんなに染めてご苦労さん」といった文字通りの茶髪。「すると、僕みたいな坊主頭だとまずいのか。少なくなったし、今更みっともないからバリカンで丸刈り、床屋代もうかせて一石二鳥だぜ」と僕。「いや、先生みたいのは一寸キモイとか、、、」と言う。

そこで、僕の答えはおよそ次のとおり:
「僕は”研究授業”でもこのアタマで行く。アデランスにもアートネーチャーにも世話にはならない。大学の教師の特権があるとしたら、敢えてそれを意識的に使う。それは特権がある者のいわば義務だと思うから。でも、君たちは弱い立場にいる。しかし、だからといってこんなことで画一化を迫って、黒髪を強要するのはおかしいことであること、それは忘れないで欲しい。今はそれしか言えない」。

実習生の服装や髪型でびくびくする学校現場には、今更ながらに暗然とする。学生の悩みに正面から応えられないことが疎ましい。

そんなやり取りの後、夕食が終わってTVニュースを見ているとローマで開かれたFAOの食料サミットの様子が映っている。見ると、あのベルルスコーニの頭が何と黒くなっているではないか。あの歳で、いつ生えたのだ! いつ生やしたのだ? 今夜は黒髪にうなされそうだ。